久遠のプロメッサ 第二部 誓約の九重奏

日ノ島 陽

文字の大きさ
72 / 89
3章 紅炎の巫覡

9 兄妹愛

しおりを挟む
 兄がルプス、妹がルパ。
 それがこの兄妹の名前らしい。
 二人とも揃って手足が細く、特に妹ルパの方は今にも折れてしまいそうなほど痩せている。どう見ても栄養が足りていない証拠だ。
 そんな身体で暖房の類いが一切稼働していない一軒家に一人動かずに寝ていたのか。それではいつ死んでしまうかも分からないではないか。眉をひそめそうになり、ぐっと堪える。

「にいちゃん、その女の人はだあれ?」
「お客さんだよ」
「おきゃくさん……」
「ルパというのね。私はソフィア。貴方のお兄さんと少しだけお話をしようと思って来たの。ほら、お外は雪が降っているから」
「ソフィア……? あたたかそう」

 そこでソフィアは気がついた。
 ルパの瞳は焦点が合わず、意識もどこかふわふわと彷徨っているように見える。もしかしたら、栄養不足が祟って限界が近くなっているのかもしれない。
 心の奥底で動揺していれば、ルパはふらふらとソフィアに歩み寄り、その腰に抱きついた。衣服越しに伝わる体温が低い。
 ソフィアはやんわりとその腕を解くと、急いで防寒着を脱いで小さな少女に被せてやった。次いで、素足が冷え切った床に着いてしまわないよう抱き上げる。

「あったかぁい」

 王家から支給されたコートだ。防寒性能は高いはず。むにゃむにゃと再び眠りについてしまったルパを抱えたまま、ソフィアはルプスの方を見やる。

「これ、あげるわ。このままだとこの子が死んでしまう」
「あ……ありがとう」
「最初に少し質問するわね。ここに食料はあるの? 火をおこす道具は?」
「両方ほとんどないよ」
「それだけ聞ければいいわ。とりあえず、ある分だけの薪を使ってストーブに火を付けて。今から私、食料を分けて貰いに行くから。すぐ戻ってくるから安心して」

 元々ニクスの長の邸宅に宿泊する予定だったのだ。ミセリア一行は薪をあまり用意せずとも良い。食料も余裕はあるだろうが、勝手に貰っても良いのだろうかと考えた辺りで一旦切り上げる。自分の分をもってこれば良い話だ。

「お、おい。俺たちのことは言うなよ。捕まったら怖いし」
「言わないわ。何か事情があるようだし。暖まったらゆっくり話をしましょう」

 放っておけなかった。
 こんなに寒い地で、こんな幼い少年少女が命を削る様を見てはいられない。この様子だと親もいないのだろう。
 目の前に救える命があるのなら、救わないと自分が死ぬときに絶対後味が悪いだろうから。


***


 ソフィアが戻ってきたのは、あれから数十分後のことだった。
 その腕に何かを入れた麻袋――どう見ても重そうな――を抱え、迷いなくルプスの元に歩み寄る。
 少年は薄い布に薪やら僅かに残ったパンやらを並べているところだった。多少動きがぎこちなかったことから、どうやらそれらを布で包もうとしていたらしい。

「ほ、ほんとに戻ってきた……しかも思ったより早い……」
「言ったでしょう、すぐ戻ってくると。でもまだ火は起こしていないのね」
「……その、火種がなくて」
「そうなのね」

 逃げる準備をしていたから火を起こせやしないのか。……とも考えたが、改めてソフィアがそろりと辺りを見渡してもそれらしき道具は見当たらなかった。
 まぁ、火種がなくとも問題はないのだが。
 ソフィアは古びた薪ストーブの元へ行くと、持っていた包みの中から何本かの薪と小枝を取りだして組み立てた。指を一振りすれば、小さな火がそこに灯る。
 たちまち大きくなる火に、ルプスは瞳をまん丸に見開く。この家にはマッチも何もなかったはずだったのだ。ソフィアが持ってきたのかと思ったが、じっと見ている限り何か道具を手にした様子もない。

「……」

 あんぐりと口を開けているルプスに気がつき、ソフィアは手袋をしたままの人差し指を唇に添える。
 しい、と小さく囁かれた声にうっかり心臓が跳ねそうになるのはウブな少年故か。

「……これは秘密のお話だけれど」

 ソフィアが腰を落ち着けて話を切り出したのは、家に転がっていた鍋を冷えた水を借りて洗い、そこへ持参したミルクを注いで薪ストーブの上へ置いた後の事だった。
 ストーブのおかげで先ほどよりは随分と暖かくなった。
 心なしか、外套にくるまってすやすやと眠るルパの顔色が良くなってきている。

「私には不思議な力があってね。本当は内緒なの。……今見たこと、誰にも話しちゃ駄目よ? もちろんルパにもね」
「分かってる。とーかこーかんってヤツだろ!」
「そうよ、これは等価交換。でもまだ等価とまでは言えないわね。だって私は自分の持ち物を盗まれた上に食料と素材を提供したんだから。だから私には貴方から話を聞く権利がある。この街に酷い問題があれば、王家に報告して対処してもらわなきゃいけないわ」

 少し意地悪げに微笑めば、すぐに分かりやすい反応が返ってくる。

「はいはい、俺が全部悪かったよ。あ、いや。俺が物を盗むようになったのは俺のせいじゃないから全部悪いって言うのはナシで!」

 ルプスが語ったのは、雪の都ニクスが置かれた現状だった。

 数年前、先代の長が亡くなった。彼は少ない財産をやりくりしながらも良き統治を行い、ニクスの民からも慕われていたという。
 ルプスの一家もさほど裕福ではなかったが、それなりに幸せな暮らしを送っていた。
 先代の長が亡くなった後、跡を継いだのはその甥だ。息子の方は、長が亡くなったのとほぼ同時期に行方不明になってしまったそうだ。そのため、残った血縁である甥――名をケルタというらしい――が長となった。その後がとんでもなく酷かったそうな。
 税の引き上げはもちろんのこと、一定以下の階級の少年少女、大人たちを無理矢理かき集めてどこかへ連れて行ってしまったというのだ。ルプスやルパのような幼い子供たちや老人は取り残されてしまった。
 しばらくの間は、近所の老人たちが子どもの面倒を見ていたが、資源も尽きて次第に弱っていき……そして現状に至る、とのこと。
 生きるためには盗みを働くしかない。それだけが生きるために必要な道だった。

 そこまで聞いてソフィアは腕を組み考える。
 ここ最近はフェリクスも忙しかったようだし、視察に行けていなかったのだろうか。彼がこの現状を目の当たりにしたのなら、絶対に放っておくはずがないのだが。
 何にしろ、ソフィアは王家の関係者として訪れている身だ。探りを入れることも不可能ではないだろう。

「そうだったの。大変だったわね」

 ぽん、と片手をルプスの頭に乗せてみれば、年下の少年の身体が思いっきり固まる様子が直に伝わってくる。
 首を傾げて顔を覗き込めば、彼の顔は熟れたリンゴのように赤く染まっていた。
 ソフィアは知らない、というか自覚していない。彼女の顔は、十人に問えば十人が美人と答えるくらい整っていることを。そんな美女に優しく頭を撫でられて意識しない男は滅多にいない……かもしれないことを。

「……? もしかして、熱でもあるの……?」
「うわわ、ささささ触るんじゃねー!」
「あ、こら。ルパが起きてしまうわ」

 全身を使って暴れようとしたルプスだが、すんでのところで思い止まる。おかげでルパは木箱から振り落とされずに済んだ。
 そこで、鍋に入れていたミルクが煮える音が聞こえてきた。ソフィアが立ち上がり、マグカップに注ぐ。湯気のたつホットミルクの中に一粒のチョコレートを落とし、軽く混ぜれば完成だ。
 本当はコーヒーの方が好みだったりするのだが、そこは少年少女が梳きそうな方に合わせておく。
 まだ眠っているルパには後で作るとして、まずはルプスにマグカップを渡した。

「少し熱いかもしれないから、火傷には気を付けて」
「おぉ……!」

 ソフィアの忠告は耳に入っていなかったらしく、一気に煽ろうとした故にルプスはしかめ面を浮かべる。ちょこんと出した舌が少し可愛い。

「まぁ、ゆっくり飲めば良いわ」

 そういえば昔のレイも猫舌だったような、なんて思い出を振り返りつつ自分の分も用意する。
 元の位置に戻り、ホッとチョコレートを一口。温かな甘さが染み渡る。

「さっきの件、話を聞かせてくれてありがとう。長のことは私たちがなんとかするわ」
「え?」
「貴方が盗みを働こうとした次期女王様、そして次期国王様は本当に優しい人だから。絶対にこの状況を良く思わないでしょうね」
「……いよ」
「え?」

 その時の少年は、まだ頬に赤さを残しつつ力強くソフィアを見上げていた。

「お前だってこうして俺たち助けてくれたじゃん。温かい飲み物も、火を見ること自体もすっごく久しぶりだったんだ。……ソフィアだって優しいよ、多分だけど」
「……あら」

 ホットチョコレートをもう一口。
 胸にじんわりと温かさが広がっていく。外はあんなにも寒いのに。

「多分は余計ね」
「ぜんげんてっかーい」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~

いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。 地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。 「――もう、草とだけ暮らせればいい」 絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。 やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる―― 「あなたの薬に、国を救ってほしい」 導かれるように再び王都へと向かうレイナ。 医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。 薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える―― これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。 ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

処理中です...