久遠のプロメッサ 第二部 誓約の九重奏

日ノ島 陽

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3章 紅炎の巫覡

10 悪辣

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 ホットチョコレートが飲みやすい温度になったところでルプスは一気に飲み干す。
 口の端についた残りを自分で舐め、名残惜しそうにマグカップを握りしめている姿は年相応の可愛らしさがある。知らず知らずのうちに微笑んでいたらしい。緩んでいた頬をふと引き締めて、ソフィアは立ち上がった。

「持ってきた物資はここに置いておくわね。……私は次期女王様の元に戻るとするわ。大丈夫、貴方たちのことは伏せておくから」
「……俺に何かできることは?」
「ないわね。ルパが起きたら何か温かい物を作って食べさせてあげるくらいかしら。悪者退治は私たちの仕事だから」

 ルプスの表情が若干不満げな理由は分からなかったが、この枝のように細い少年に協力を仰ぐほどソフィアは力不足ではない。ここはきっちりと断っておく。
 ずっとここに留まるわけにもいかない。ミセリア達が儀式の準備を終えるまでに相談を終えるべきだろう。

「それじゃ、しばらくじっとしていてね。すぐ終わるから……多分」
「多分て」


***


 ソフィアの予想では、ミセリアたちは既に図書館に行っているものだと思っていたがそうではなかったようだ。
 彼らは大通りに面した食事処に入り、ソフィアの帰りを待っていた。近くに待機していた王家の使者に案内され、店に入ればミセリアたちが席について談笑している姿が確認出来る。
 ルプスたち兄妹の家と違い、この建物の造りはしっかりとしていて暖房設備も整っている。入った瞬間に感じた暖気は暑いくらいだった。パチパチと火花が散る暖炉を見やり、それから待たせてしまった仲間達の元へまっすぐに歩み寄る。

「ごめんなさい。今戻ったわ」
「あ、ソフィア」
「さっそくで悪いのだけど、図書館に行く前に伝えておきたいことがあって……そうね、ミセリア、二人で話したいの」
「別に構わないが。内密の話なのか?」
「えぇ。貴方に頼みたいことが出来たのよ。二人はここで待っていて、そんなには待たせないわ」

 不安げな視線を送ってくるシャルロットとは反対に、レイは穏やかに笑んで「いってらっしゃい」と手を振ってくれた。
 見送りを背に、ソフィアとミセリアは一旦馬車に戻る。
 二人きりの空間で向き合う。ひんやりとした空気の中、震えもせず待っているミセリアに向けて先ほどの出来事と街の状況を簡潔に伝えた。
 始めは無表情で相槌を打っていたミセリアだが、次第に表情を曇らせていく。

「なるほどな。要するに、その長をどうにかして欲しいと」
「そうなるわね。申し訳ないけれど、私一人で暗躍するよりも貴女が解決した方がいいわ。少なくとも、表向きは」

 この状況を立て直せば、貧しい暮らしを強いられるニクスの人々も助かり、ミセリアの評判も上がるという寸法だ。
 現ニクスの長ケルタを追い出すだけならばソフィアでも出来るだろう。無理矢理ではあるが少し脅して退いて貰えば良い。しかし、それでは意味がないのだ。
 それに、当然のようにミセリアがこの状況を傍観しているだけに留まるわけではない。

「分かった。この後の会談でまずは様子を見よう。いきなり詰め寄ってもしらばっくれられて終わるだろうし」
「ありがとう」
「ここを放っておいてあいつの目指す世界が実現するはずもないからな」
「……お熱いことで」
「? 寒いが?」
「ここでボケなくても良いのよ」


***


 ニクスの図書館は、大きなドーム型の形をしている。中は二階建てになっており、古い紙独特の匂いを漂わせていた。
 両開きの扉を入り真っ赤な絨毯が敷き詰められた廊下を通れば、円の中央に貸出の手続きを行うカウンターが存在感を放っていた。
 古風ながら立派な造りで荘厳な雰囲気を漂わせているのだが、ひとつ違和感を覚える点がある。

(人がいない)

 広々とした造りでこんなにも設備が整っているというのに、利用者が見当たらない。設けられた読書用スペースにも、書架にも、どこにも。カウンターに司書らしき男性が物思いに耽っているだけで、他に人の気配を感じなかった。空調は暖かく保たれているというのに、なんと寒々しいことか。
 司書の男性がソフィア達に気がつき、顔を上げる。身体が一瞬強張ったように見えたのは気のせいだろうか。

「すまない。私はミセリア。シャーンスからここへ訪れた。ニクスの長ケルタに用があって来たのだが、どこに行けば良いだろうか」
「あ、はい。ミセリア様ですね。話は伺っております。どうぞこちらへ」

 男性の案内で連れられた短い廊下の先、扉にかけられたプレートをちらりと見やる。ここが応接室のようだ。
 ノックの後には少し掠れた声で「入れ」と別の男の声が聞こえてきた。
 中に入ると、そこは美しい調度品の数々で飾られた空間が広がっている。年中雪で覆われている地では珍しい鮮やかな生花に、女神を模した小さな像。壁には絵画が幾何学的に並べられ、天井からぶら下がるシャンデリアがそれを瀟洒しょうしゃに照らしていた。
 要するに、いかにも金持ちといった雰囲気が漂う部屋である。ソフィアの記憶によると、王族であるフェリクスやシエルの執務室よりも華やかすぎる。
 その部屋の中央に置かれた、これまた豪奢なソファに腰掛けた中年の男がにこりと笑んだ。

「これはこれは、お待ちしておりました。予定の時間より少し遅れており心配しておりましたが、ご無事で何よりです」
「それはすまない」

 勧められるままに客人用のソファに腰掛け、形式的な挨拶を交す。
 先ほどの司書が淹れてくれたお茶をお供に、しばしミセリアと中年男――ケルタの会話が続いた。どれも当たり障りのない内容ばかりで、聞いていて面白いものはない。

「それでは、儀式についてですが……」
「その前に、この街を案内してくれないだろうか。フェリクスは戴冠に向けてしばらく外に出られない。代わりに、私がこの地の素晴らしさを目に焼き付けて届けてやりたいんだ。……隅から隅まで、な」
「案内、ですか。と言っても、雪しかございません故……」
「良いではないか。シャーンスには雪も積もらないから。それに、街の人々とも言葉を交したい。遠く離れた民の言葉もフェリクスは求めている」

 隣に座るソフィアからは見えないが、ミセリアの顔にはさぞ良い笑顔が浮かんでいるのだろう。フェリクスという名前を重ねて使うことも、ケルタにとってはプレッシャーになるはずだ。何しろ次期王はシアルワのアイドルと言っても差し支えない程に支持を集めているのだから。
 ミセリアはケルタ自身に街の現状を見せろと要求――否、脅迫しているわけだが、ソフィアはどうしようかと悩む。何もしないのはそれはそれで居心地が悪い。
 そこへ、ミセリア本人から助け船が入る。

「そうだな、私が街を案内してもらう間ソフィア達は図書館でも散策してきたらどうだ? そこの司書殿にどんな本があるか聞いても面白いかもしれないぞ」
「ミ、ミセリア様。街の案内なら詳しい者にさせますので私は……」
「ケルタ殿はニクスの長だろう? 貴殿以上に詳しい者が居るのか?」
「それは……」

 なるほど、司書から事情聴取をしろと。ソフィアは小さく頷いた。

「そうね。こんな広い図書館、初めて見たわ。ぜひ話を伺いたいものね。二人もそう思うでしょう?」
「そうだね、同意」
「うん!」

 王族関係者一行の圧――レイはどうなのか知らないが、シャルロットは確実に無自覚――に耐えかねて、ケルタは丸い肩をがくりと落とす。影響力の強い王家の意向に刃向かう意志もないらしい。司書はというとおろおろしてばかりで何も言わない。
 最後に、ティーカップをソーサーに置いたミセリアが優雅に一言。

「では、明日。儀式については案内してもらいながらでも出来るからな」

 やっぱり、良い笑顔だった。
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