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3章 紅炎の巫覡
17 理想の世界
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ソフィアと悪魔が扉の外へ消え、王の間に残るのはセラフィと大精霊アクアだけとなる。
どう考えたとしても不利だ。セラフィは大神子の血筋の出とはいえ、イミタシアであることを除けばただの人間に等しい。そのイミタシアという要素も、戦闘能力においては枷にしかならない。
セラフィたちイミタシアが八年前、大精霊が住まう“神のゆりかご”から逃げ出せたのは、おそらくレガリアの力が絡んでいるし、大精霊ビエントが改心したのはフェリクスの精神干渉能力と澄み切った心があったからこそだ。
対抗する手段を持たないセラフィがアクアに勝つには、何もかもが欠けていた。
「質問がある」
「何でしょう?」
辛うじて絞り出したのは、何の武器にもならない質問。
「レガリアが目覚めれば、世界は――僕たちはどうなる?」
アクアは艶然と笑む。
どこまでも完璧な、作り物の笑顔。
「世界という概念に属する全て――大地、空、空気、生きとし生けるもの、それらを蝕む瘴気。レガリアにはその瘴気を浄化する機構になっていただこうと考えています。これまで女神様が行ってきた偉業ですわね。貴方は瘴気を取り込む部分までは、ご覧になったことがあるのではないでしょうか。失敗作がしていましたわよね。彼では、浄化まで至らなかったようですが」
アクアが言うのはセルペンスのことだ。深い緑の髪を持つ彼は、小さな村にはびこる瘴気を取り込んで心を壊しかけていた。
大精霊は、それの上位互換の規模を世界に広げようとしている。おそらく、と予測するまでもなく負荷は大きい。常人では耐えきれるはずがない偉業だ。
大きな思惑に狙われているレガリアを哀れに思うことはしない。あの悪魔ならなんだって出来るような気がしてならなかった。
「浄化を続ければ、女神様も帰ってくるでしょうね。それと、世界そのものが滅びることもなくなります。全てが丸く落ち着くのですよ?」
「本当に、それだけか?」
「えぇ。わたくしだって、世界を滅ぼしたいわけではないのです。この世界をより美しく、理想的にしたい。その願いがあるのにどうして滅ぼすなんて愚行を挟む必要があるのでしょう?」
その通りだ。
何も知らない大衆が世界の置かれた状況を知ってしまったなら、レガリアという犠牲を簡単に容認して差し出すだろう。その過程に何人の犠牲が出ようが、構いもせずに。
セラフィとてレガリアだけに犠牲となれと言いたいわけではない。単に、良くないことを企んでいるのならば止めて欲しい。それだけなのだ。
今この時、ソフィアはレガリア復活のための準備を進めているはずだ。それが一体どのようなものなのかは皆目見当がつかないが、それが叶ってしまったら――彼女が救われることはないだろう。
セラフィにとってイミタシアは、幼い頃からの同士だった。自分は孤独ではないと、そう思いたいが為の仲間だった。フェリクスと出会う前は彼らに少しばかり執着していたため、離ればなれになった際は絶望したものだ。
今は違う。フェリクスと出会って、彼らへの執着心も薄れ……そのうちぽつぽつと再会し始め、新しい生活を送っていることを知った。途中で色々なことがあったが、それも解決してきた。
彼らそれぞれがそれぞれの道を、希望を持って歩み始めている。
残るはソフィアだけなのだ。
彼女だけが、前を向けずにいる。
だからこそ、ソフィアやアクアの考えには賛同しかねる。
他の道だって、きっとあるはずだ。諦めてしまうにはまだ早い。
「……僕はそれを認めない。誰かを犠牲にしてまで成り立つような世界で、本当の意味でみんなが幸せになれるとは思わない」
「あらあら、非合理的なこと。でしたら、世界を救うにはどのような手段があるとお考えで? ……まさか」
完全な嘲りを囀ってみせた。
「人間全員が改心すればいいなんて、そんな夢物語をおっしゃるつもり?」
「それは……」
「その通りだ」
その時、別の足音が響き渡る。
セラフィとアクアは同時に声の主を見る。
冠で飾った金赤色の髪と、ほんのりと発光する石榴石の瞳。手には輝く旗が揺らめく。セラフィが主と仰ぐ少年、フェリクスだ。
「お久しぶりですね、シアルワの神子」
「こちらこそ。……貴女は忘れたのか? 俺がビエントとどんな約束を交したのか」
「えぇと、貴方が世界を変えてみせるんでしたっけ? 人々が瘴気を生み出さなくても済むような、そんな世界に」
「まぁざっくり言ってしまえばそう。だけど、貴女もそれを認めてくれたよな? だから力を貸してくれたんだろう?」
「そんなこともありましたわね……」
散らばったガラスが歩く度に割れてパキパキと音を立てる。
セラフィの横に並んだフェリクスは、親友の肩をぽんと叩くと大精霊に向き直る。
「殿下……いえ、陛下。大精霊アクアとソフィアはレガリアという偽神を目覚めさせようとしているようです。それと今回の騒ぎは、その、彼女が起こしてしまったみたいで」
「そんなに不安にならなくても良いよ、セラフィ。ここからどうするべきか考えるんだ」
「……はい」
フェリクスはセラフィがソフィアを気にかけていることを知っていた。大親友としての気遣いもあり、慎重に言葉を選んでいた。
それを感じ取ったセラフィは申し訳なさそうに目を伏せ、それからアクアを見た。
何やら思案していた彼女だが、ふと豊満な胸の間に埋まった青色のコアを撫でた。それからフェリクスの方を見て、赤いステンドグラスへ視線を移し、そして笑みを深めた。
「……考え直しました」
そう言うと精霊は青白い腕を指揮のように動かす。
音楽を奏でているかの如くリズミカルに、周囲の空気に含まれる水分から氷の塊が精製される。それはひとりでに形を変えて、やがて剣になる。精緻な彫刻が施された、透明な剣。それがアクアの背後に数十本は現れる。切っ先は寸分の違いなくセラフィたちの方へと向いていた。
彼女がこちらを害そうとしているのは、どう見ても明らかなことであった。
「……何をする気だ?」
「あなた方が邪魔だと、そう考え直したのですよ。消してしまいましょうか、この城ごと」
「「……!!」」
「レガリアと、彼を目覚めさせる鍵を持つ彼女は保護いたしますのでご安心を。それに、神子は死にません。別に困ることはないでしょう」
何が安心しろだ馬鹿野郎、と言いたくなるような完璧な笑顔に舌打ちをする。
咄嗟にセラフィはフェリクスの前に出て、銀の槍を今度こそ振るう。間髪を入れず飛んできた剣の数々をなんとか叩き、あるいは凪いで弾き、守るべき主君に当たらぬように砕く。
「あぁ、なんとかなると思ったんだけどなぁ! ごめんセラフィ!」
「でん……陛下をお守りするのは誉れある騎士の役目! ですからね!」
「かっこいい!」
「ありがとうございます!」
フェリクスもフェリクスで槍のように長い旗を上手く使い、セラフィが打ち漏らした氷の剣を交したり叩き落としたりしていたが、戦い慣れぬ彼にいつまで続けられるかは分からない。そもそもこの世界の希望を傷つけるわけにはいかない。
どうするか。考えている間にもアクアの周りに次々と剣が精製されていく。まるできりがない。
アクア自身をなんとかしなければ、この危機を脱することはできない。
「――」
「陛下?」
ふいに息を呑んだフェリクスが、セラフィの腕を掴んで引く。
「来る」
何が、と聞く前に閃光が視界を覆い尽くした。
無我夢中でフェリクスの頭を抱え込み、地に伏せる。
激しい爆音と共に、衝撃が王の間一体を飲み込んだ。
身体すれすれの位置を爆風が通り抜けていく。不思議なことに、熱さも痛みも感じなかった。
すんでのところで瞼を閉じたのが功を奏し、瞼を持ち上げても視界が眩むことはなかった。
慎重に起き上がった先、どんな惨状が待ち構えているかと覚悟を決めるも、その必要はなかったようだ。その代わりと言わんばかりに異様な光景が広がっていた。
セラフィが見る限り、王の間の壁や床、天井を覆い尽くす赤い文様。何かの文章のようにも見えるが、人間が使う言語ではないことは明らかだ。それが大理石の床の中央から湧き出ては蠢き、不気味に空間を包み込んでいるのだ。それが結界の役割でも果たしたのかもしれない。
異様なのはそれだけではない。
セラフィ、フェリクス、アクアの他にもう一つの影が浮かんでいた。
所々に深紅のラインが走る、漆黒の軍服。同じ色の髪に、そこから覗く尖った耳。深紅の飾りがついたイヤリングが揺れていた。
セラフィには見覚えがあった。
「大精霊テラ――どうしてここに」
「え、あれがテラ……?」
セラフィの下からもぞもぞと抜け出したフェリクスが、強張った手で旗の柄を握り直した。
大精霊テラ。
少なくとも十年は人間の前に姿を見せなかった謎の大精霊。“神のゆりかご”を根城とし、何故かそこから出ようとしないことくらいしかセラフィは知らない。
そのテラが何故今ここに現れ、そしてアクアの首を絞めているのだろうか――?
「あっ……がっ……テ、ラ」
「黙れ。お前は今、神の怒りに触れようとした」
「あぐっ」
テラの凄絶なまでに研ぎ澄まされた低い声が、怒りを孕んで轟く。
細い首を絞める手から文様が伸び、青き大精霊の豊満な身体に這っている。
それはアクアの身体を容赦なく締め上げ、瀟洒なドレスが裂けたり皺が寄ったりと酷い有様を作りだしていく。ただでさえ青白い顔が紫色へと変貌し、あの余裕綽々の表情はどこへやら。
「なに……どういう……」
「失せろ。余計なことをする前に、先に消しておくべきだった」
「あ……いや……」
パキン、と軽い音がした。
きらきらとこぼれ落ちていく青い欠片たち。どこから零れたのだろうと思えば、それはぐったりと力の抜けたアクアの胸からだった。
あのコアに大きなヒビが入り、ボロボロと砕けていたのだ。
精霊にとってあのコアは命同然のもので、生命線。壊れてしまうことは、すなわち人間が心臓を貫かれることと同義。
つまり、それは。
「精霊が精霊を、殺した……!?」
そんなことがあり得るのか。
セラフィもフェリクスも、この世に生きる人間全員は「精霊は結託して人間を脅かしている」と認識していた。それも人間に大きな怒りを抱く大精霊とあろう存在が、同朋を殺すなんて。幾千年という時を共に過ごしてきたのではなかったのか。
命を失ったアクアの肢体は、イミタシアのそれのように光と溶けていく。
それを冷たく見届けたテラは、深紅の瞳で人間二人を見下ろした。光のない赤色は、レガリアの双眸と似ているようで、違う意志を感じさせた。
「陛下は傷つけさせない……!」
「駄目だセラフィ、ここは……」
「……」
テラは小さくため息をつくと、長い裾をはためかせてながら背を向けた。空気へと溶けゆく長身。同時に、王の間を覆い尽くす文様も消え去った。
嘘のような静寂が帰ってくる。シャンデリアの残骸と、アクアの剣が床の一部を抉った跡だけが残された空間に二人は取り残される。
ハッと我に返ったセラフィは、フェリクスに訴えかけた。
「あの、ソフィアが宝物庫の方へ向かったんです。レガリアが何か国の秘宝を狙っているのかもしれません」
「あ、あぁ。分かった。すぐに行こう――鍵は持ってきたんだけど、要らないかな」
宝物庫と禁書庫へ続く扉は見るも無惨な有様だ。
「大丈夫だ、セラフィ。きっとソフィアさんにも考えがあるはず。今は急いで向かおう。俺も着いてるから」
「は、はい。ほんと陛下はお優しい」
「大親友なんだから当たり前だろう。さぁ、行こう」
うっかり殿下と呼んでしまったことにも気付かず、セラフィたちは王家の秘密へと続く階段へ向かう。その暗闇の中へ一歩、踏み込んだ。
どう考えたとしても不利だ。セラフィは大神子の血筋の出とはいえ、イミタシアであることを除けばただの人間に等しい。そのイミタシアという要素も、戦闘能力においては枷にしかならない。
セラフィたちイミタシアが八年前、大精霊が住まう“神のゆりかご”から逃げ出せたのは、おそらくレガリアの力が絡んでいるし、大精霊ビエントが改心したのはフェリクスの精神干渉能力と澄み切った心があったからこそだ。
対抗する手段を持たないセラフィがアクアに勝つには、何もかもが欠けていた。
「質問がある」
「何でしょう?」
辛うじて絞り出したのは、何の武器にもならない質問。
「レガリアが目覚めれば、世界は――僕たちはどうなる?」
アクアは艶然と笑む。
どこまでも完璧な、作り物の笑顔。
「世界という概念に属する全て――大地、空、空気、生きとし生けるもの、それらを蝕む瘴気。レガリアにはその瘴気を浄化する機構になっていただこうと考えています。これまで女神様が行ってきた偉業ですわね。貴方は瘴気を取り込む部分までは、ご覧になったことがあるのではないでしょうか。失敗作がしていましたわよね。彼では、浄化まで至らなかったようですが」
アクアが言うのはセルペンスのことだ。深い緑の髪を持つ彼は、小さな村にはびこる瘴気を取り込んで心を壊しかけていた。
大精霊は、それの上位互換の規模を世界に広げようとしている。おそらく、と予測するまでもなく負荷は大きい。常人では耐えきれるはずがない偉業だ。
大きな思惑に狙われているレガリアを哀れに思うことはしない。あの悪魔ならなんだって出来るような気がしてならなかった。
「浄化を続ければ、女神様も帰ってくるでしょうね。それと、世界そのものが滅びることもなくなります。全てが丸く落ち着くのですよ?」
「本当に、それだけか?」
「えぇ。わたくしだって、世界を滅ぼしたいわけではないのです。この世界をより美しく、理想的にしたい。その願いがあるのにどうして滅ぼすなんて愚行を挟む必要があるのでしょう?」
その通りだ。
何も知らない大衆が世界の置かれた状況を知ってしまったなら、レガリアという犠牲を簡単に容認して差し出すだろう。その過程に何人の犠牲が出ようが、構いもせずに。
セラフィとてレガリアだけに犠牲となれと言いたいわけではない。単に、良くないことを企んでいるのならば止めて欲しい。それだけなのだ。
今この時、ソフィアはレガリア復活のための準備を進めているはずだ。それが一体どのようなものなのかは皆目見当がつかないが、それが叶ってしまったら――彼女が救われることはないだろう。
セラフィにとってイミタシアは、幼い頃からの同士だった。自分は孤独ではないと、そう思いたいが為の仲間だった。フェリクスと出会う前は彼らに少しばかり執着していたため、離ればなれになった際は絶望したものだ。
今は違う。フェリクスと出会って、彼らへの執着心も薄れ……そのうちぽつぽつと再会し始め、新しい生活を送っていることを知った。途中で色々なことがあったが、それも解決してきた。
彼らそれぞれがそれぞれの道を、希望を持って歩み始めている。
残るはソフィアだけなのだ。
彼女だけが、前を向けずにいる。
だからこそ、ソフィアやアクアの考えには賛同しかねる。
他の道だって、きっとあるはずだ。諦めてしまうにはまだ早い。
「……僕はそれを認めない。誰かを犠牲にしてまで成り立つような世界で、本当の意味でみんなが幸せになれるとは思わない」
「あらあら、非合理的なこと。でしたら、世界を救うにはどのような手段があるとお考えで? ……まさか」
完全な嘲りを囀ってみせた。
「人間全員が改心すればいいなんて、そんな夢物語をおっしゃるつもり?」
「それは……」
「その通りだ」
その時、別の足音が響き渡る。
セラフィとアクアは同時に声の主を見る。
冠で飾った金赤色の髪と、ほんのりと発光する石榴石の瞳。手には輝く旗が揺らめく。セラフィが主と仰ぐ少年、フェリクスだ。
「お久しぶりですね、シアルワの神子」
「こちらこそ。……貴女は忘れたのか? 俺がビエントとどんな約束を交したのか」
「えぇと、貴方が世界を変えてみせるんでしたっけ? 人々が瘴気を生み出さなくても済むような、そんな世界に」
「まぁざっくり言ってしまえばそう。だけど、貴女もそれを認めてくれたよな? だから力を貸してくれたんだろう?」
「そんなこともありましたわね……」
散らばったガラスが歩く度に割れてパキパキと音を立てる。
セラフィの横に並んだフェリクスは、親友の肩をぽんと叩くと大精霊に向き直る。
「殿下……いえ、陛下。大精霊アクアとソフィアはレガリアという偽神を目覚めさせようとしているようです。それと今回の騒ぎは、その、彼女が起こしてしまったみたいで」
「そんなに不安にならなくても良いよ、セラフィ。ここからどうするべきか考えるんだ」
「……はい」
フェリクスはセラフィがソフィアを気にかけていることを知っていた。大親友としての気遣いもあり、慎重に言葉を選んでいた。
それを感じ取ったセラフィは申し訳なさそうに目を伏せ、それからアクアを見た。
何やら思案していた彼女だが、ふと豊満な胸の間に埋まった青色のコアを撫でた。それからフェリクスの方を見て、赤いステンドグラスへ視線を移し、そして笑みを深めた。
「……考え直しました」
そう言うと精霊は青白い腕を指揮のように動かす。
音楽を奏でているかの如くリズミカルに、周囲の空気に含まれる水分から氷の塊が精製される。それはひとりでに形を変えて、やがて剣になる。精緻な彫刻が施された、透明な剣。それがアクアの背後に数十本は現れる。切っ先は寸分の違いなくセラフィたちの方へと向いていた。
彼女がこちらを害そうとしているのは、どう見ても明らかなことであった。
「……何をする気だ?」
「あなた方が邪魔だと、そう考え直したのですよ。消してしまいましょうか、この城ごと」
「「……!!」」
「レガリアと、彼を目覚めさせる鍵を持つ彼女は保護いたしますのでご安心を。それに、神子は死にません。別に困ることはないでしょう」
何が安心しろだ馬鹿野郎、と言いたくなるような完璧な笑顔に舌打ちをする。
咄嗟にセラフィはフェリクスの前に出て、銀の槍を今度こそ振るう。間髪を入れず飛んできた剣の数々をなんとか叩き、あるいは凪いで弾き、守るべき主君に当たらぬように砕く。
「あぁ、なんとかなると思ったんだけどなぁ! ごめんセラフィ!」
「でん……陛下をお守りするのは誉れある騎士の役目! ですからね!」
「かっこいい!」
「ありがとうございます!」
フェリクスもフェリクスで槍のように長い旗を上手く使い、セラフィが打ち漏らした氷の剣を交したり叩き落としたりしていたが、戦い慣れぬ彼にいつまで続けられるかは分からない。そもそもこの世界の希望を傷つけるわけにはいかない。
どうするか。考えている間にもアクアの周りに次々と剣が精製されていく。まるできりがない。
アクア自身をなんとかしなければ、この危機を脱することはできない。
「――」
「陛下?」
ふいに息を呑んだフェリクスが、セラフィの腕を掴んで引く。
「来る」
何が、と聞く前に閃光が視界を覆い尽くした。
無我夢中でフェリクスの頭を抱え込み、地に伏せる。
激しい爆音と共に、衝撃が王の間一体を飲み込んだ。
身体すれすれの位置を爆風が通り抜けていく。不思議なことに、熱さも痛みも感じなかった。
すんでのところで瞼を閉じたのが功を奏し、瞼を持ち上げても視界が眩むことはなかった。
慎重に起き上がった先、どんな惨状が待ち構えているかと覚悟を決めるも、その必要はなかったようだ。その代わりと言わんばかりに異様な光景が広がっていた。
セラフィが見る限り、王の間の壁や床、天井を覆い尽くす赤い文様。何かの文章のようにも見えるが、人間が使う言語ではないことは明らかだ。それが大理石の床の中央から湧き出ては蠢き、不気味に空間を包み込んでいるのだ。それが結界の役割でも果たしたのかもしれない。
異様なのはそれだけではない。
セラフィ、フェリクス、アクアの他にもう一つの影が浮かんでいた。
所々に深紅のラインが走る、漆黒の軍服。同じ色の髪に、そこから覗く尖った耳。深紅の飾りがついたイヤリングが揺れていた。
セラフィには見覚えがあった。
「大精霊テラ――どうしてここに」
「え、あれがテラ……?」
セラフィの下からもぞもぞと抜け出したフェリクスが、強張った手で旗の柄を握り直した。
大精霊テラ。
少なくとも十年は人間の前に姿を見せなかった謎の大精霊。“神のゆりかご”を根城とし、何故かそこから出ようとしないことくらいしかセラフィは知らない。
そのテラが何故今ここに現れ、そしてアクアの首を絞めているのだろうか――?
「あっ……がっ……テ、ラ」
「黙れ。お前は今、神の怒りに触れようとした」
「あぐっ」
テラの凄絶なまでに研ぎ澄まされた低い声が、怒りを孕んで轟く。
細い首を絞める手から文様が伸び、青き大精霊の豊満な身体に這っている。
それはアクアの身体を容赦なく締め上げ、瀟洒なドレスが裂けたり皺が寄ったりと酷い有様を作りだしていく。ただでさえ青白い顔が紫色へと変貌し、あの余裕綽々の表情はどこへやら。
「なに……どういう……」
「失せろ。余計なことをする前に、先に消しておくべきだった」
「あ……いや……」
パキン、と軽い音がした。
きらきらとこぼれ落ちていく青い欠片たち。どこから零れたのだろうと思えば、それはぐったりと力の抜けたアクアの胸からだった。
あのコアに大きなヒビが入り、ボロボロと砕けていたのだ。
精霊にとってあのコアは命同然のもので、生命線。壊れてしまうことは、すなわち人間が心臓を貫かれることと同義。
つまり、それは。
「精霊が精霊を、殺した……!?」
そんなことがあり得るのか。
セラフィもフェリクスも、この世に生きる人間全員は「精霊は結託して人間を脅かしている」と認識していた。それも人間に大きな怒りを抱く大精霊とあろう存在が、同朋を殺すなんて。幾千年という時を共に過ごしてきたのではなかったのか。
命を失ったアクアの肢体は、イミタシアのそれのように光と溶けていく。
それを冷たく見届けたテラは、深紅の瞳で人間二人を見下ろした。光のない赤色は、レガリアの双眸と似ているようで、違う意志を感じさせた。
「陛下は傷つけさせない……!」
「駄目だセラフィ、ここは……」
「……」
テラは小さくため息をつくと、長い裾をはためかせてながら背を向けた。空気へと溶けゆく長身。同時に、王の間を覆い尽くす文様も消え去った。
嘘のような静寂が帰ってくる。シャンデリアの残骸と、アクアの剣が床の一部を抉った跡だけが残された空間に二人は取り残される。
ハッと我に返ったセラフィは、フェリクスに訴えかけた。
「あの、ソフィアが宝物庫の方へ向かったんです。レガリアが何か国の秘宝を狙っているのかもしれません」
「あ、あぁ。分かった。すぐに行こう――鍵は持ってきたんだけど、要らないかな」
宝物庫と禁書庫へ続く扉は見るも無惨な有様だ。
「大丈夫だ、セラフィ。きっとソフィアさんにも考えがあるはず。今は急いで向かおう。俺も着いてるから」
「は、はい。ほんと陛下はお優しい」
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