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3章 紅炎の巫覡

18 復活宣言

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 ばくばくと心臓が煩いのに、その分血の巡りがいいはずの手足は氷のように冷え切っていた。
 気を抜いてしまえば今にも意識が吹き飛んでしまいそうだ。しかし、今そうなってしまえば全てが水の泡になる。
 深淵から湧き出る黒泥の如く重苦しい罪悪感に見て見ぬふりをしながら、ソフィアは宝物庫を注意深く探し回る。
 ここまで辿り着くまでに、様々な罠が襲ってきた。火やガスのようなものが壁から吹き出したり、古風な鉄柵――刺さればひとたまりもない――が降ってきたり。その全てをレガリアが張ってくれた結界で凌ぎながらここまでやってきた。ソフィアはただ歩いていただけで、罠は全く掠りもしなかった。
 未だ眠っている状態であるというレガリア。それでもなお精霊に匹敵する奇術を扱うことが出来るのだから、封印という意味を問いただしたくなる。

「貴方が目覚めたらどうなるの?」
『どうなるのって……神様になってあげるんだよ。今の僕は実体を持たないただのお化けだからねぇ、用意した器になんとか定着しないと本気が出せない。瘴気の浄化には身体が必要なんだよね。身体が濾過器で、魂がその原動力って感じでね。実体があった方が他にも便利なことたくさんあるんだよ。それよりもほら、多分あっちだよ』
「用意した器っていうのは」
『君は時間稼ぎがしたいのかな? まぁ、しばらくしたらあの赤い騎士様が来て止めに来てくれるかもしれないからね。あぁ、あとアクアに関しては心配しなくても良いよ。万が一暴れたとしても保険があるから。それに――いや、止めておこう。僕と君の仲だ、言葉なんて要らないよね』


***


 ソフィアとレガリアが出会ったのは、もちろん“神のゆりかご”の中だ。
 白一色の建造物の中、出来損ないのイミタシアとレガリアは完璧に隔離されていた。だからこそレガリアの姿はイミタシアの誰も見ていないし、声を聞いた者もいない。――彼が唯一接触を望んだソフィアを除けば。
 ある日のこと、点滴される前に実験室で独り待っていた時に姿を現した少年に、ひどく驚いた。白金の髪と深紅の瞳、透き通るような白皙の容貌は、身に纏う純白の衣装も相まってどこか神聖なものを感じさせた。ソフィアと年も変わらぬ子どものくせに、明らかに作られた完璧な微笑み。
 もしかして精霊だろうか、と疑ったのをよく覚えている。だがその耳は尖っていないし、胸にコアらしきものもない。とっても綺麗な、人間だ。
 浮世離れした美しさに呆気にとられていると、少年は軽い足取りで近づいてきてソフィアの赤い髪を指で梳く。

『こんにちは、可哀想な人』

 それが二人の出会いだった。

 レガリアとの交流はソフィアと二人きり、精霊が血の準備を終えるまでの僅かな時間のみで繰り返されてきた。
 特に何か特別な密談をするわけでもなく、夢物語を語られたり彼が描いた絵を一方的に見せられたり、それだけだ。少年は“成功体”であること、彼は空の蒼が好きであること、分かったのはこの二点のみ。ソフィアはほとんど聞き相手になっていただけで、会話の主導権はほとんどレガリアが握っていたのだ。
 そんな交流を続けてしばらく経ち、仲間のイミタシアたちが“神のゆりかご”から脱出するという無謀な計画をたてている時のことだった。
 レガリアはこう持ちかけてきた。

『僕はね、少し休みたい。退屈な生活も煩わしい痛みも、もう飽きた。だから眠るよ。丁度いいや。この脱出ゲームに協力するからさ、君に協力して欲しいことが大きく二つあるんだ。ひとつは僕が起きるべき時がきたら手伝って欲しいということ。あと、それと……』

 この時には既にイミタシアたちへ情が湧いていたソフィアに、選択肢などないに等しかった。幼かったせいもあるかもしれない。明るい未来に希望を抱いてしまったせいかもしれない。彼女は食い気味に頷いてしまった。

 それが、彼女にとって地獄に繋がるとは思いもせずに。


***


 指し示された棚へ近づき、目当ての物と思われる小箱を確認する。丁寧に整理された宝の列、その最奥に置かれていたのがこれだ。
 赤銅色の小箱。大きさはソフィアの両手に丁度ぴったりな程度。
 そっと蓋を押し上げれば、中には黄味の強い石榴石のような、透明度の高い宝石が鎮座していた。

 最後の、神の石。

 他の二つはどういう原理かソフィアの身体の中に溶けている。これが同じように吸収されたとしたら、一体どうなるのだろう。レガリアはこれらを用いてソフィアを助けることが出来るのだと、いつかの夢で言っていた。
 無言の圧力を背に、ソフィアは曇り一つないそれを手に取った。少し持ち上げた瞬間に霧散し、身体へと吸収されていく粒子たち。仄かに発光する身体は、けれどすぐにその光を収める。

「――ソフィア!」

 そこへ駆け寄ってくる足音が二人分。
 どこか夢見心地な、ふわふわとした意識の中でなんとか振り向いた。寒かったはずの身体は熱く燃えるようで、息苦しい。
 赤い服を着た男の人が二人、立っていた。
 からん、と箱が手から滑り落ちた。

「――炎姫は再来する。滅びしフィアンマの復活を成し遂げるために」

 フィアンマ。それは、いつかも分からぬ昔に滅びた炎姫の国。
 神子カルディナの子孫が治めていた国。

「私が、炎姫になる」

 そこまで言って、ソフィアはハッと我に返る。
 自分は今なんと言った? 思ってもいなかったことが自分の意志に反して溢れていく。口を押さえても止まらない。

「ソフィア、君は」
「女神に代わる神が告げたわ。この世界は生まれ変わるべきだと。私は、その奇跡を見届ける巫覡になる」

 あぁそうか、とどこかで合点がいく。
 ヴェレーノから奪ったラエティティアの石は、他人の記憶に干渉する力を秘めていた。ならばシアルワの石は心そのものに干渉する力を秘めているのかもしれない。
 レガリアほどのひとなら、ソフィアの中にある石を利用することだって可能だろう。彼はソフィアを、完全な支配下に置きたいのだ。

「レガリア! お前、彼女に何をした――!?」

 セラフィの罵声も遠くなる。
 自分の意識が遠くなる。
 死ぬのは本望だ。だが、セラフィが、みんなが無事に救われるのを確かめる前に死ぬのは嫌だ。
 浅く呼吸を繰り返す。唇を切れるほどに噛みしめ、じくじくとした痛みで意識を保つ。ソフィアは白い肌に血を垂らしながら背後にいる悪魔を見上げた。

「レガ、リ……」
『大丈夫、安心しなよ。君の願いは叶うさ――上手くいけば、ね』

 少年の姿のままの、白く無垢な手がソフィアの両肩に添えられる。
 ほら、と言われるままに前を向けば、こちらに駆け寄ってくる黒髪の彼の姿が視界に移った。焦燥に駆られたようにこちらに伸ばされる手、それに向けて無意識に伸ばした手が互いに触れ合うことはなかった。

『まだ終わっていないよ』

 そんな囁き声と共に、視界が白く染まった。


***


 伸ばした手は空しく、何もない虚空を切り裂いた。
 一瞬にして掻き消えた紫色に、すぐさま思考がレガリアへと向く。この偽神がソフィアをどこかへと転移させたのだ。
 ソフィアの手を取るはずだった手で、未だ残る白い光を掴もうとするも遅い。

『次は夢で会おう』

 そう言い残して、赤を内包したレガリアもまた消えていった。
 初めて聞いたその声は少し高く、同年代は思えなかった。しかし、狂気をも感じさせるほどの穏やかさは明らかにただの少年のものではなかった。
 舌打ちをし、急いで辺りを見回してもフェリクス以外に誰もいない。

「くそっ」

 感情のままに石造りの壁に拳を叩きつける。
 事態の理解をしようと考え込んでいたフェリクスが、難しい顔をしながら近寄ってきたその時だった。


 再びシアルワ城を――否、大陸中を地震が襲う。
 低い地響きの後、立っていられないほどの揺れと共に異変は起きた。
 シアルワ城とラエティティア城、ふたつの城を結ぶ対角線の中央辺り。鬱蒼とした森が広がるそこ近辺の空間がぐにゃりと歪んだ。
 歪みから滲むように現れたのは、巨大な城。シアルワのものでもラエティティアのものでもない、ひたすらに真っ白で無機質な、一見美しくも変な城だ。
 しかし白一色だったのもつかの間、巨大なそれをさらに覆い尽くす巨大な幕がどこからともなく降りてくる。城とは違い黒一色のそれは、人の声のようにも聞こえる妙な音をばらまきながら柱状に城を隠してしまった。

 慌てて展望室へと駆け込んだセラフィとフェリクスが見ていたのは、そんな光景だ。
 その一部始終を見ていたセラフィは驚愕に目を瞠る。
 あんな色の城は知る限りひとつしかない。

「“神のゆりかご”……!?」

 脱出してからはいつの間にか行方を眩ましていた大精霊たちの根城。それがあんな所に。

「あ」

 ふいに、身体から力が抜けた。胸が痛い。
 生理的反応から咳をしてみれば、口を押さえた手から鮮血が滴り落ちる。こんな時に限って発作がきてしまった。――隣にはフェリクスがいるというのに。

「セラフィ!? しっかりしろ!! だ、誰か!!」

 主君の絶叫を聞きながら、セラフィは意識を失った。
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