久遠のプロメッサ 第一部 夜明けの幻想曲

日ノ島 陽

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夜明けの幻想曲 2章 異端の花守

12 真夜中の幻影

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 ゆらりと蠢く影を、白髪の少年は見ていた。
 ゆらり、ゆらり。
 影は歩く。月は雲に隠れ、星の明かりしかない廊下を、協会のカーペットを進む花嫁のように。

***


「ね む れ な い」

 フェリクスは布団の中でごろごろと転げ回る。長いこと眠っていたからだろうか、目を閉じても一向に眠れそうにない。羊を百匹数えても、千匹数えても意識は遠のくことがない。
 フェリクスは布団を蹴飛ばして起き上がる。王子としてあるまじき所作ではあるが、誰も見ていないのだからいいだろうと高をくくる。寝間着の上からえんじ色の上着を羽織り、窓辺に寄る。
 窓の下には庭園が広がっている。月が雲に隠れてしまっているためか、弱々しい星の明かりがほのかに花々を照らしている。あの花畑ほどとは言えないが、ラエティティア王国の庭園も美しい。
 そして、フェリクスはふと気がついた。
 桃色の長い髪が美しい少女が庭園の真ん中で立ち尽くしている。少し上を見上げて、ぼんやりと。
 
(降りてみるか)

 そう思ったフェリクスは静かに窓辺を離れて、部屋を後にした。暗い廊下を歩き、階段を下って庭園への扉を開ける。警備の兵はおそらくはいるのだろうが、フェリクスの外出を咎める気はないらしい。
 庭園に出ると、やはりシエルがそこにいた。
 純白のネグリジェがまぶしい。普段は結ばれている髪が豊かに背を流れている。わずかに波打った髪が風に揺れる様は、女王たる彼女を少女めいて見せていた。

「シエルさん」

 いつものようにフェリクスは声をかけた。フェリクスはシエルがいつものように「あら、フェリクスさん」と声をかけてくれるものだと思っていた。
 しかし、その夜の彼女の様子は違った。
 サァ、と風が吹く。雲に隠されていた月が顔を見せ、少女とフェリクスを冷たく照らした。

「だぁれ?」

 くるりと振り向いた彼女の表情は、酷くあどけなかった。
 口元に浮かんでいるはずの笑みはなく、僅かに開いたそこから紡がれたのは可憐で、そして幼い声。
 フェリクスは何と声をかけて良いか分からず、ぱちりと瞬きをした。
 ――もしかして、人違い?
 ――いや、でもどう見たってシエルさんにしか見えないけど。
 フェリクスにとって気まずい沈黙が流れるが、とりあえず変質者でないことを説明しなければ、など明後日な方向を思考は向く。

「えっと、ごめんなさい。名前を間違えてしまったかも――」
「ううん、合っているよ。わたしはシエル。あなたはだぁれ?」

 少女はゆるゆる首を振る。顔にかかった横髪を耳にかけ、少女は首をかしげる。

「俺はフェリクス。・・・・・・シエルさん?」
「フェリクス、さん。初めましてだね」
「ええと・・・・・・君は、どこから来たんだ?」

 慎重にフェリクスは訪ねる。
 冷静に考えてみても、桃色の髪はラエティティア王家のみが受け継ぐ特徴だ。この少女がフェリクスの知る女王シエルと別人であったとしても、王家の関係者であることは間違いない。

「お城だよ?わたし、お城に住んでいるの。・・・・・・ねぇ、わたし、他の人に会ったのがあなたで二人目なの。最初のひとは教えてくれなくて。だから、聞きたいことがあるの」

 シエルと名乗る少女は両手を組み合わせて胸の前まで持ち上げる。誰かに対する祈りのように。

「青空って、綺麗?」

 青空。この世に生きるすべての存在が一度は仰いだことがあるはずの、ただの自然。深い深い青色は尊ばれるほど愛された色であった。

「綺麗だと俺は思うよ。君は見たことがないのかい?」

 正直にフェリクスは答える。
 フェリクスの答えに少女は「そう」と呟いて目を伏せた。

「わたしは夜しか知らないから。青空はいつもあの人が独り占めして――」

 ふいに、少女の瞳が閉じられた。糸が切れた操り人形のように、白いネグリジェを纏った身体が崩れ落ちる。フェリクスが慌てて受け止めたおかげで頭は打たずに済んだが、ネグリジェに少々砂埃がついてしまった。

「ちょ、シエルさん!?」

 すっかり力を失った少女は起きる気配がない。どうしたら良いのかフェリクスが思案していると、ひとりの少年が物陰から二人のもとへ歩いてきた。
 月明かりに輝く白髪の少年、アルであった。

「フェリクス様、どうかシエル様を寝室までお連れするので手伝ってください」
「アル君、君もいたのか・・・・・・彼女は一体?」
「このお方は確かに“シエル様”です。女王陛下とは違うので混乱するかもしれませんが・・・・・・」

 昼間の無邪気な様子はどこへやら、アルは落ち着いた様子で少女の髪をなでる。そしてすいと顔を上げてフェリクスを見た。長い前髪の隙間から覗く淡黄の瞳はフェリクスが思っていた以上に静かだった。明らかに年下の少年から感じられる確かな威圧感に驚きながらも、フェリクスはアルの言葉を待った。

「フェリクス様は、お身体の調子はいかがですか?」
「身体?もう大丈夫だよ。もうどこも不調はない」
「そうですか・・・・・・。それは良かった」

 言葉の上ではそう言いつつも、アルの表情は晴れない。フェリクスは疑問に思ってそのまま質問を返す。その間に少女の華奢な身体を背負いながら。

「何か気になるのか?」
「・・・・・・声が、聞こえるのです。以前よりも強く」

 アルは王城からも見える白い塔へ顔を向けた。月明かりに照らされた塔は遠くからでも輝いて見えた。

「花畑であの光景を見てから、あのお方が訴えておられるのです。『まだ目覚めたくない』と。シャルロットさんの力が神子に影響を及ぼすと言うのなら、それは――」
「あのお方・・・・・・?神子・・・・・・?」
「あ、いえ、なんでもないのです。・・・・・・いけません、おふたりのお身体が冷えてしまいます。行きましょう、フェリクス様」

 アルは勢いよく首を振り、年相応の笑顔を見せてから城へ入る勝手口を指さした。
 アルに導かれるままフェリクスはシエルを寝室まで連れて行った。その時もまた、警備の兵を見かけることはなかった。

「どうかこのことはご内密に。それでは、部屋までお送りいたします」

 シエルの肩まで布団をかけて、アルはフェリクスの袖を引っ張る。まるで早くここから出て行けと言わんばかりの仕草に、フェリクスはワケも分からず従うしかない。
 部屋に戻ったあとも夜のひとときが忘れられず、余計眠れなくなったのは言うまでもない。
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