久遠のプロメッサ 第一部 夜明けの幻想曲

日ノ島 陽

文字の大きさ
47 / 115
夜明けの幻想曲 2章 異端の花守

18 異端の花守

しおりを挟む

 少年は下を見下ろした。
 青々とした芝の上には次々と瓦礫が降り注ぎ、景観を乱している。朧気な思い出の中に浮かぶ美しい場所とは似つかない醜い有様だ。
 少年はチリ、とした痛みを感じて自らの頬に触れた。ざらつく。何かが頬を這っているかのような……例えるならば植物の根のような。そんなものが貼り付いている。しかし、特に気にすることもなく、少年は意識を頬から逸らした。

「――!!」

 何かが聞こえる。自分を呼んでいるのだろうか。
 少年は両腕を広げる少女を見た。瓦礫の雨の中よく無事だったな、という淡泊な感想が過ぎる。少女は桃色の髪を揺らして、翠玉の瞳をこちらに向けている。
 少年は吸い寄せられるように下に降りていた。
 つま先が地に着く。少し慎重に自分が立てていることを確認し、改めて少女を見た。


***


 崩れ去った塔はすべて地に落ち、瓦礫の山となって積み重なっている。もう降ってくる瓦礫はない。
 フェリクスは倒れていた身体を起こす。

(あれ)

 瓦礫の雨から逃げるために走っていたフェリクスだが、途中からの記憶が曖昧だ。

(確か、誰かに押されて――?)
「殿下、ご無事ですか?」
「あぁ、セラフィ。ミセリアは――ミセリア!?」

 フェリクスの隣で顔を覗き込むセラフィは、沢山の小さな傷はあったものの命に別状はないようだった。それにホッとしたフェリクスだったが、もう一人の同行者を見るなり顔を青ざめさせた。
 ミセリアは気を失っていた。その頭には見慣れぬ包帯が巻かれている。

「セラフィ、ミセリアは――」
「殿下に降りかかった瓦礫と衝突してしまったのです。応急手当はしましたが、いつ目覚めるかまでは……」
「そんな、俺のせいで」
「いいえ。それは違います。僕が気をつけていたのなら……」
「今は祈るしかないのか?」

 ミセリアの胸は規則的に上下している。人間に必要不可欠な行為、生きている証である呼吸を確認する。その顔はただ眠っているかのようにも見えるが、巻かれた包帯にじわりと赤が滲んでいる様はフェリクス達に不安を誘う。

「しかし、殿下。いつまでもここに居るわけにはいきません。ここにはビエントも、そしておそらくは伝説の花守もいるのです。早急に離脱を――」
「そうだ、シエルさんも連れて行かないと!」

 フェリクスは立ち上がる。

「俺、様子を見てくる。セラフィはミセリアを看ていてくれ」
「お、お待ちを!それなら僕が行きますから殿下はここに居てください!」
「ごめんセラフィ。俺、行かなきゃいけない。それが一番良い結果を導く――そんな気がする。それに、ここで何かがあった場合ミセリアを守れるのはセラフィしかいないだろ?頼んだ!」
「殿下!!」

 そう言うとフェリクスは駆けだした。何かに導かれているかのように、一心に。
 セラフィは不審に感じ追いかけようとするが、ミセリアが視界に入り足が止まる。怪我を負っているミセリアをここで放っておくわけにはいかない。かと言って主君を単身行かせるわけにもいかない。
 その時だった。

「行け」
「――起きたのですか」
「たった今、な。少々痛むが私なら気にしなくて良い。少し休むが、危険なら勝手に逃げさせてもらうから」
「しかし」
「あいつはお前の主だろう。さぁ早く」

 鋭い視線に射貫かれてセラフィは唇をかんだ。セラフィにとってフェリクスは大切な主だった。大きな影響力を持つ人物であった。しかし、ミセリアはケセラが可愛がっていた人物。彼女を置いていくことにためらいも感じる。

「早く」
「……ええ、分かりました。行ってきます」

 もう一度強い口調で言われ、セラフィは顔を上げた。

「随分と、強くなりましたね」

 ふと、初めて相対したときのミセリアを思い出し、セラフィは微笑んだ。あのときは暗殺者らしさの欠片もなく感情的に叫んでいた彼女が、自分を省みずセラフィの背を押すとは。ミセリアの言葉も待たずにセラフィはかけ出した。

「強く、か」

 ミセリアは身体を起こす。頭に傷を負ったとはいえ、そうたいしたものでもない。暗殺組織で訓練中に負った傷の方が痛かった。それも、シアルワの地下でセルペンスの力によって跡形もなく消えてしまっているが。

「まだだ。フェリクスを助けると誓ったが、それはお前ばっかりが担っているじゃないか、セラフィ」

 僅かな嫉妬とともにミセリアは微笑する。
 分かっている。セラフィの方がフェリクスとの付き合いも長いし、その覚悟もできている。それに比べてミセリアは少し前に知り合っただけの女だ。短い間でフェリクスに救われ、彼を助けると誓ったはいいが、今の状況でそれを果たせるかどうか。
 モヤモヤと渦巻く消極的な思いを押し殺し、ミセリアはナイフを握りしめた。


***


 フェリクスは足を止めた。
 目の前でシエルと少年が言い争いをしているようだった。といっても、声を荒げているのはシエルのほうで少年は淡々と無表情で言葉を紡いでいるだけだったが。
 その様子を退屈そうにビエントが見ている。大きめの瓦礫の上にあぐらをかいていた。

「どうして!?どうして駄目なの!?」
「君が人間だから」
「そんなの関係ないわ!お願いだから――」

 泣き出しそうな声で訴えるシエルを、少年は感情の読めない瞳で見下ろした。
 少年の格好は無垢な白。病的なほどに白い肌……左の頬には黒い根のような文様が刻まれている。癖のない髪は透明感のある白。微かに七色の光を帯びている。どこかで見たことのあるような、そんな色合いだった。長い睫毛が影を作る瞳は冷たいアンティークゴールド。息を呑むほどに整った容姿を持っていた。
 そんな少年に、シエルはすがりつくように懇願する。

「お願い、貴方の血を飲ませて――」

 フェリクスの脳裏によぎるのは、エメラルドグリーンの髪を持つ女性の言葉。

『イミタシアは神様になれなかった人間たちの末路。交わることのできない人間と精霊を、血を混ぜ合わせることによって掛け合わせた存在』

 そして、この国に伝わる昔話の一説。

『この国に災厄が降り注ぐ時、花守の少年は“白の精霊”として蘇り、国を害する存在に再び牙をむくだろう』

 そこから導き出される考えはひとつ。

「待ってくれ、シエルさん!精霊の血を飲んだら――」
「おっと、邪魔しちゃいけないぜ」

 イミタシアになってしまう、と言いたかった言葉はあぐらをかいていたはずのビエントによって封じられた。ビエントはいつの間にかフェリクスの背後に回り、その身体を地面に押さえつけた。

「!?」

 両手首をひとくくりに掴まれ、体重をかけられる。体格の差もあって身動きができない。

「せっかく神子が自ら身体を差し出してくれるっていうんだ。ゼノの完成度も知りたいし、お前はじっとしてな」
「くっ」
「安心しろ、お前を殺しはしない。なんたって大事な神子だからなぁ。お前の力が目覚めきった頃に精霊の血を飲ませてやるよ。血を加工した池に沈ませてもいいかもな?神の属性を持つ神子なら、完成度も高くなる可能性が高いからな。いいだろう?お前の大切な騎士とオソロイさ」
「いいわけないだろう!」

(お願いだ、誰も傷つけないでくれ――!!)

 なんとか首をひねってビエントを睨み付ける。
 ただ必死になって、恐怖を押し殺した睨みではあったが、ビエントはフェリクスの表情を見て肩眉を上げる。

「大神子の力も受けて少しは強くなった、か。でもまだまだだな。大神子共々もう少し泳がせておくか」

 ブツブツとなにかを呟いたが、フェリクスには何を言っているのか聞き取れない。

(大神子。ゼノ。大事そうな言葉だけど意味がさっぱりだ。でも、コイツは)

 口ぶりからしてビエントの目的がなんとなく見えてきた。
 ビエントは、フェリクスとシエルをイミタシアの材料にするつもりなのだ。
 ビエントの手の力は弱まらない。殺される訳ではないようだが、身の危険は変わらない。どうしようかと考えを巡らせる。このままでは動けない。下手に動くとビエントに何かされかねない。
 シエルはまだ何かを訴えているようだし、セラフィとミセリアはこの場にいない。
 頼みの綱は、あの白い少年が動き出してくれることだ。

「お願いだ、花守の人!シエルさんを止めてくれ!」

 ダメ元で叫ぶ。今この場で味方にできそうな存在は彼だけだ。フェリクスの叫びにビエントは片眉を上げることで反応するが、興味深そうに見ているだけでそれ以上は何もしてこない。
 白い少年はフェリクスの声に気がついて視線をよこした。
 感情の起伏が感じられない視線だったが、数秒の沈黙の後でシエルに向き直る。

「君が誰なのかは僕には分からないけれど、血を飲ませるわけにはいかない」

 少年の声に硬さが宿る。先ほどまでの無感情の拒絶とは違い、はっきりと意思を込めた拒絶だった。
 それを感じ取ったシエルは涙に濡れた目を見開いて、一歩二歩、よろよろと後ずさりをする。信じられない、と言わんばかりに首を振り、青ざめた唇は言葉も紡げず震えるだけだ。

「……と…ら、あのとき……に…ねば…よか…」

 シエルらしくない弱々しい態度にフェリクスは戸惑いつつも彼女から目が離せなかった。

「それじゃあ、僕はあの人を助けないといけないから君は――」
「ねぇ、貴方は――ではないのね?」

 ふいに空気が冷え込む。
 一瞬で震えを止めたシエルは、うつむいたまま少年に問いかけた。

「……」
「そう。なら」

 女王の目には、もう涙は浮かんでいなかった。

「貴方は私の花守ではない」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

誰からも食べられずに捨てられたおからクッキーは異世界転生して肥満令嬢を幸福へ導く!

ariya
ファンタジー
誰にも食べられずゴミ箱に捨てられた「おからクッキー」は、異世界で150kgの絶望令嬢・ロザリンドと出会う。 転生チートを武器に、88kgの減量を導く! 婚約破棄され「豚令嬢」と罵られたロザリンドは、 クッキーの叱咤と分裂で空腹を乗り越え、 薔薇のように美しく咲き変わる。 舞踏会での王太子へのスカッとする一撃、 父との涙の再会、 そして最後の別れ―― 「僕を食べてくれて、ありがとう」 捨てられた一枚が紡いだ、奇跡のダイエット革命! ※カクヨム・小説家になろうでも同時掲載中 ※表紙イラストはAIに作成していただきました。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~

いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。 地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。 「――もう、草とだけ暮らせればいい」 絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。 やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる―― 「あなたの薬に、国を救ってほしい」 導かれるように再び王都へと向かうレイナ。 医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。 薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える―― これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。 ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ

ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます! 貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。 前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?

不倫されて離婚した社畜OLが幼女転生して聖女になりましたが、王国が揉めてて大事にしてもらえないので好きに生きます

天田れおぽん
ファンタジー
 ブラック企業に勤める社畜OL沙羅(サラ)は、結婚したものの不倫されて離婚した。スッキリした気分で明るい未来に期待を馳せるも、公園から飛び出てきた子どもを助けたことで、弱っていた心臓が止まってしまい死亡。同情した女神が、黒髪黒目中肉中背バツイチの沙羅を、銀髪碧眼3歳児の聖女として異世界へと転生させてくれた。  ところが王国内で聖女の処遇で揉めていて、転生先は草原だった。  サラは女神がくれた山盛りてんこ盛りのスキルを使い、異世界で知り合ったモフモフたちと暮らし始める―――― ※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。

処理中です...