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夜明けの幻想曲 2章 異端の花守
18 異端の花守
しおりを挟む少年は下を見下ろした。
青々とした芝の上には次々と瓦礫が降り注ぎ、景観を乱している。朧気な思い出の中に浮かぶ美しい場所とは似つかない醜い有様だ。
少年はチリ、とした痛みを感じて自らの頬に触れた。ざらつく。何かが頬を這っているかのような……例えるならば植物の根のような。そんなものが貼り付いている。しかし、特に気にすることもなく、少年は意識を頬から逸らした。
「――!!」
何かが聞こえる。自分を呼んでいるのだろうか。
少年は両腕を広げる少女を見た。瓦礫の雨の中よく無事だったな、という淡泊な感想が過ぎる。少女は桃色の髪を揺らして、翠玉の瞳をこちらに向けている。
少年は吸い寄せられるように下に降りていた。
つま先が地に着く。少し慎重に自分が立てていることを確認し、改めて少女を見た。
***
崩れ去った塔はすべて地に落ち、瓦礫の山となって積み重なっている。もう降ってくる瓦礫はない。
フェリクスは倒れていた身体を起こす。
(あれ)
瓦礫の雨から逃げるために走っていたフェリクスだが、途中からの記憶が曖昧だ。
(確か、誰かに押されて――?)
「殿下、ご無事ですか?」
「あぁ、セラフィ。ミセリアは――ミセリア!?」
フェリクスの隣で顔を覗き込むセラフィは、沢山の小さな傷はあったものの命に別状はないようだった。それにホッとしたフェリクスだったが、もう一人の同行者を見るなり顔を青ざめさせた。
ミセリアは気を失っていた。その頭には見慣れぬ包帯が巻かれている。
「セラフィ、ミセリアは――」
「殿下に降りかかった瓦礫と衝突してしまったのです。応急手当はしましたが、いつ目覚めるかまでは……」
「そんな、俺のせいで」
「いいえ。それは違います。僕が気をつけていたのなら……」
「今は祈るしかないのか?」
ミセリアの胸は規則的に上下している。人間に必要不可欠な行為、生きている証である呼吸を確認する。その顔はただ眠っているかのようにも見えるが、巻かれた包帯にじわりと赤が滲んでいる様はフェリクス達に不安を誘う。
「しかし、殿下。いつまでもここに居るわけにはいきません。ここにはビエントも、そしておそらくは伝説の花守もいるのです。早急に離脱を――」
「そうだ、シエルさんも連れて行かないと!」
フェリクスは立ち上がる。
「俺、様子を見てくる。セラフィはミセリアを看ていてくれ」
「お、お待ちを!それなら僕が行きますから殿下はここに居てください!」
「ごめんセラフィ。俺、行かなきゃいけない。それが一番良い結果を導く――そんな気がする。それに、ここで何かがあった場合ミセリアを守れるのはセラフィしかいないだろ?頼んだ!」
「殿下!!」
そう言うとフェリクスは駆けだした。何かに導かれているかのように、一心に。
セラフィは不審に感じ追いかけようとするが、ミセリアが視界に入り足が止まる。怪我を負っているミセリアをここで放っておくわけにはいかない。かと言って主君を単身行かせるわけにもいかない。
その時だった。
「行け」
「――起きたのですか」
「たった今、な。少々痛むが私なら気にしなくて良い。少し休むが、危険なら勝手に逃げさせてもらうから」
「しかし」
「あいつはお前の主だろう。さぁ早く」
鋭い視線に射貫かれてセラフィは唇をかんだ。セラフィにとってフェリクスは大切な主だった。大きな影響力を持つ人物であった。しかし、ミセリアはケセラが可愛がっていた人物。彼女を置いていくことにためらいも感じる。
「早く」
「……ええ、分かりました。行ってきます」
もう一度強い口調で言われ、セラフィは顔を上げた。
「随分と、強くなりましたね」
ふと、初めて相対したときのミセリアを思い出し、セラフィは微笑んだ。あのときは暗殺者らしさの欠片もなく感情的に叫んでいた彼女が、自分を省みずセラフィの背を押すとは。ミセリアの言葉も待たずにセラフィはかけ出した。
「強く、か」
ミセリアは身体を起こす。頭に傷を負ったとはいえ、そうたいしたものでもない。暗殺組織で訓練中に負った傷の方が痛かった。それも、シアルワの地下でセルペンスの力によって跡形もなく消えてしまっているが。
「まだだ。フェリクスを助けると誓ったが、それはお前ばっかりが担っているじゃないか、セラフィ」
僅かな嫉妬とともにミセリアは微笑する。
分かっている。セラフィの方がフェリクスとの付き合いも長いし、その覚悟もできている。それに比べてミセリアは少し前に知り合っただけの女だ。短い間でフェリクスに救われ、彼を助けると誓ったはいいが、今の状況でそれを果たせるかどうか。
モヤモヤと渦巻く消極的な思いを押し殺し、ミセリアはナイフを握りしめた。
***
フェリクスは足を止めた。
目の前でシエルと少年が言い争いをしているようだった。といっても、声を荒げているのはシエルのほうで少年は淡々と無表情で言葉を紡いでいるだけだったが。
その様子を退屈そうにビエントが見ている。大きめの瓦礫の上にあぐらをかいていた。
「どうして!?どうして駄目なの!?」
「君が人間だから」
「そんなの関係ないわ!お願いだから――」
泣き出しそうな声で訴えるシエルを、少年は感情の読めない瞳で見下ろした。
少年の格好は無垢な白。病的なほどに白い肌……左の頬には黒い根のような文様が刻まれている。癖のない髪は透明感のある白。微かに七色の光を帯びている。どこかで見たことのあるような、そんな色合いだった。長い睫毛が影を作る瞳は冷たいアンティークゴールド。息を呑むほどに整った容姿を持っていた。
そんな少年に、シエルはすがりつくように懇願する。
「お願い、貴方の血を飲ませて――」
フェリクスの脳裏によぎるのは、エメラルドグリーンの髪を持つ女性の言葉。
『イミタシアは神様になれなかった人間たちの末路。交わることのできない人間と精霊を、血を混ぜ合わせることによって掛け合わせた存在』
そして、この国に伝わる昔話の一説。
『この国に災厄が降り注ぐ時、花守の少年は“白の精霊”として蘇り、国を害する存在に再び牙をむくだろう』
そこから導き出される考えはひとつ。
「待ってくれ、シエルさん!精霊の血を飲んだら――」
「おっと、邪魔しちゃいけないぜ」
イミタシアになってしまう、と言いたかった言葉はあぐらをかいていたはずのビエントによって封じられた。ビエントはいつの間にかフェリクスの背後に回り、その身体を地面に押さえつけた。
「!?」
両手首をひとくくりに掴まれ、体重をかけられる。体格の差もあって身動きができない。
「せっかく神子が自ら身体を差し出してくれるっていうんだ。ゼノの完成度も知りたいし、お前はじっとしてな」
「くっ」
「安心しろ、お前を殺しはしない。なんたって大事な神子だからなぁ。お前の力が目覚めきった頃に精霊の血を飲ませてやるよ。血を加工した池に沈ませてもいいかもな?神の属性を持つ神子なら、完成度も高くなる可能性が高いからな。いいだろう?お前の大切な騎士とオソロイさ」
「いいわけないだろう!」
(お願いだ、誰も傷つけないでくれ――!!)
なんとか首をひねってビエントを睨み付ける。
ただ必死になって、恐怖を押し殺した睨みではあったが、ビエントはフェリクスの表情を見て肩眉を上げる。
「大神子の力も受けて少しは強くなった、か。でもまだまだだな。大神子共々もう少し泳がせておくか」
ブツブツとなにかを呟いたが、フェリクスには何を言っているのか聞き取れない。
(大神子。ゼノ。大事そうな言葉だけど意味がさっぱりだ。でも、コイツは)
口ぶりからしてビエントの目的がなんとなく見えてきた。
ビエントは、フェリクスとシエルをイミタシアの材料にするつもりなのだ。
ビエントの手の力は弱まらない。殺される訳ではないようだが、身の危険は変わらない。どうしようかと考えを巡らせる。このままでは動けない。下手に動くとビエントに何かされかねない。
シエルはまだ何かを訴えているようだし、セラフィとミセリアはこの場にいない。
頼みの綱は、あの白い少年が動き出してくれることだ。
「お願いだ、花守の人!シエルさんを止めてくれ!」
ダメ元で叫ぶ。今この場で味方にできそうな存在は彼だけだ。フェリクスの叫びにビエントは片眉を上げることで反応するが、興味深そうに見ているだけでそれ以上は何もしてこない。
白い少年はフェリクスの声に気がついて視線をよこした。
感情の起伏が感じられない視線だったが、数秒の沈黙の後でシエルに向き直る。
「君が誰なのかは僕には分からないけれど、血を飲ませるわけにはいかない」
少年の声に硬さが宿る。先ほどまでの無感情の拒絶とは違い、はっきりと意思を込めた拒絶だった。
それを感じ取ったシエルは涙に濡れた目を見開いて、一歩二歩、よろよろと後ずさりをする。信じられない、と言わんばかりに首を振り、青ざめた唇は言葉も紡げず震えるだけだ。
「……と…ら、あのとき……に…ねば…よか…」
シエルらしくない弱々しい態度にフェリクスは戸惑いつつも彼女から目が離せなかった。
「それじゃあ、僕はあの人を助けないといけないから君は――」
「ねぇ、貴方は――ではないのね?」
ふいに空気が冷え込む。
一瞬で震えを止めたシエルは、うつむいたまま少年に問いかけた。
「……」
「そう。なら」
女王の目には、もう涙は浮かんでいなかった。
「貴方は私の花守ではない」
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