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夜明けの幻想曲 2章 異端の花守
23 貴方が私を守る理由
しおりを挟む「ん……」
「あ、気がつきましたか?痛みはどうです?」
「あ、そっか。俺怪我して……痛みはないよ」
「痛み止めを持ってきて正解でした。今は休んでください」
レイが睫毛を震わせながら目を覚ましたのは応急手当が終わって五分も経たない頃だった。アルが飲ませた痛み止めのせいか苦しげな表情は消えていたが、出血したせいか顔は青白い。
「ビエントは……」
「今はゼノ様が押さえてくださっていますが、いつまで持つかは……」
「なんとかしないと」
「レイさんは駄目ですー!」
ものすごい勢いで身を乗り出し、少し頬を膨らませているアルにレイは頷かざるをえない。薬の効果もあって全く動けないというわけではない。
(いざとなったらシャルロットとアル君を抱えて逃げよう……多分できる。あの精霊さんは飛べるみたいだしなんとかなるかな)
アルに止められてもそんな思考をするレイ。そこまで考えてようやく自分の身体に視線を落とした。
怪我をした腕と胴には白い包帯が巻かれている。若干血が滲んでいるが、しっかりと止血をしてもらったということが分かる。「ありがとう」と感謝の言葉を述べようとしたところで、レイは自分の素肌がかなり露出していることに気がついた。
普段他人に見せることのない素肌に刻まれた痣の数々。誰にも言わなかった痕は、手当をしてくれた二人には見られているはずで。お世辞にも綺麗とは言えない身体を見て二人は不快に思ってしまったのではないか、と眉をひそめた。
黙りこくったままのシャルロットをレイは見る。うつむいているシャルロットの顔は暗い。何かを思い詰めているようだ。
「シャルロット」
「ねぇ、レイ。聞いてもいいかな」
シャルロットが顔を上げた。泣いてこそいなかったが、悲哀と憐憫に瞳が僅かに揺れた。
「その傷……いつから?痛くなかったの?」
「……」
空気を読んでかアルが黙り込む。
小さく深呼吸した後、レイは穏やかに微笑んだ。
「もう忘れたよ。痛くないから安心して。何も心配することなんてないから」
「心配するよ……。だってレイはいつも私の側にいてくれて、守ってくれた。今だってそうでしょう?」
シャルロットはレイの側に寄り、横たわるレイの頭を軽く撫でる。
「嬉しかったの。これは本当の気持ち。多分、私は今レイがいないと何もできない弱い子なの。レイに守られてばかりの、無力な子」
「そんなことは……」
「だから教えてよ。あの森で何があったのか。……話を聞くくらいだったら、きっと私にもできるから」
シャルロットとレイの脳裏に青い葉が茂る森が浮かんだ。
「……」
「住人さんたちだよね。何もしていないレイに掴みかかったあの人たち。あの時レイは抵抗しなかった。あのまま事が進んでいたらきっと、レイは……」
シャルロットには、レイの傷跡の原因は森で暮らす人々であるとしか考えられなかった。彼等はレイに対して恫喝をしていたのだ。それ以上の暴力をレイが受けていたことは簡単に想像が出来る。
「君が庇ってくれたじゃないか」
レイは住人からの暴力を否定しなかった。
再び下を向こうとしていたシャルロットの頬へ手を伸ばす。そっと添えられた手は巡る血が少ないはずなのに温かかった。
「君が想像している通りだよ。確かに俺は、あの人達がする行為に抵抗しなかった。受け入れてしまっていた。だから人には見せられないような痕が残ってしまっているけれど」
「ソフィアには言わなかったの?彼女だったらきっとレイを助けられたのに」
レイは困ったように眉を下げて、一瞬視線を逸らした。
「……言えなかったよ。ソフィアはソフィアでやるべきことがあった。心配かけるようなことはしたくなかった」
「そんな……!」
「気がついたらこれが日常になっていて。俺がこうなってるってソフィアに知られたら、集落にはいられなくなってしまう。あの集落は彼女にとっても離れたくない事情があったみたいだし……彼女一人置いて逃げるわけにもいかないし」
どこまでも穏やかな顔で、自分が理不尽に受けてきた被害などなんでもないのだ、とレイは笑う。
「……君が光に見えた。あの時、君に庇ってもらえて俺、なんて言ったらいいのかな。本当に嬉しかったんだ。初めて俺を助けてくれた人……。初めて俺を連れ出してくれた人……。だから俺は、シャルロットを助けようと思ったんだ。君が元の生活に戻れる日まで。……ただ単に俺が一緒に居たかっただけっていうのも否定はしないけど」
シャルロットはレイの手を自分の手でぎゅっと握りしめる。気を遣って少し弱い力で握られたレイの手はシャルロットの頬から離れ、彼女の額へと運ばれる。その姿はまるで祈りのようだった。
「ごめんね」
震える唇から発せられたのは短い懺悔。
レイは小さく目を見開いた。
シャルロットの瞳は閉じられ、声は悲しげだったが。
刹那、瞼が開いて翡翠の瞳が顕わになった。つい先ほどまで揺れていた弱々しさは薄れており、力強い眼差しがレイをまっすぐに見つめていた。
「私、決めたよ」
もはやそこに迷いはない。
「少し前にレイは言ったね。私は私の望むことをしたらいいって。――私の望み、正直よく分かっていなかったけれど。今、ようやく分かったような気がするの」
もう一度、レイの手を握りしめる力を強める。自分の存在を示すように。
「私ね、これからもレイと一緒にいたいな。ルシオラお兄ちゃんを止めて、セラフィお兄ちゃんを助けて、その後もずっとずっと」
「……」
「レイのお料理美味しかったから、コツを教えて欲しい。レイは優しいから、お兄ちゃんたちもきっと受け入れてくれる。私たちはみんな家族を失ってしまっているから、レイ達が来てくれると生活がもっと楽しくなると思うの」
「……」
「だから、ね。レイ。――これからもずっと一緒にいてください」
レイの瞳の中で光が揺れた。
その光はキラキラと輝いていて、どこまでも温かかった。
レイは思い出す。
あの森にいたときのこと。ソフィアがいない独りの時。勢いよく開け放たれる扉と、罵声と共に入ってくる足音。自分の腕を強引に掴んで引きずり出し、暗い場所へ放り混む大人達。彼等はソフィアには知られたくないらしく、執拗に胴体や肩など服で隠せる場所を叩いた。殴った。蹴った。中には焼こうといた大人もいた。
ただの憂さ晴らしだ。彼等は皆、年若い人間ばかりを狙う精霊に巻き込まれ元の生活を奪われた犠牲者なのだから、時々恐怖と怒りがフラッシュバックしてしまうのかもしれない。それは仕方のないことだ、と当時十歳を迎えて間もなかったレイは考えた。そのまま、黙っていた。
レイが目を覚ますと、いつもそこは暗い場所だった。光の差さない場所で痛む身体を起こすのが日常と化していた。
今、目の前にいるのは今まで感じたこともない温かな光。あまりにもまぶしい光に、レイは思わず目を眇める。
「――」
あの日もそうだった。彼女の華奢な背中に守られて、レイは純粋に嬉しかったのだ。だから誓った。彼女が元の生活に戻れるまで守ろうと。それがきっと恩返しになるのだと。
レイは小さく頷いた。
言葉は上手く出なかった。
シャルロットはしっかりと僅かな肯定を受け取って、微笑んだ。やはりそこにはこれまでの弱々しさはない。
「約束だよ、レイ」
(ああ、こんなにも嬉しくて仕方がないのに。嬉しくて嬉しくて、こんなにも目が熱いのに。――俺、いつから泣けなくなってしまったんだろう)
いつから壊れてしまったのか、歓喜で赤く染まった目頭に涙が浮かぶことはなかったけれど。
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