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夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手
22 投獄
しおりを挟む住宅街に存在する鉄製の蓋をセラフィとエルダーの二人がかりで持ち上げる。内側から開ける際にはさほど力は必要ないのだが、外から空ける際には相当な力を要する仕掛けが施されているのだ。内部から王族の逃走を助け、外部からの侵入をできる限り防ぐためのものであろう。
住宅街に人の姿はない。騎士達による誘導が行われ、人々は崩壊した住宅街にはいない。セルペンスやノアも教会に残り、民のカウンセリングに努めてくれている。獣たちによる爪痕が痛々しく残る住宅街が元の美しさを取り戻すには幾らか時間がかかるだろう。
地下に広がる水道の役割を果たす遺跡は、ミセリアが見た時と何一つ変わっていないようだった。流石の獣たちもここまでは入ってこなかったらしい。相変わらず下水の臭いはするが、敵の気配は一切ない。
遺跡の構造を知り尽くしているセラフィとエルダーがいるため、迷いなく進むことができた。
「懐かしいですね、ミセリア」
「……」
「ん? ミセリアもこの場所について知っているのか?」
「私は、その」
「暗殺者騒ぎに巻き込まれてうっかり迷い込んでしまったところを殿下と偶然出くわしたんですよ。殿下を助ける手伝いをしてもらったようで」
返答に困るミセリアに、その状況を作ったセラフィ自身が助け船を出す。王子暗殺のために侵入したなど、口が裂けても言えない。特にこのエルダーには。そうかそうかと笑うエルダーにほっとしつつ、ミセリアはセラフィを睨み付けた。セラフィはくすりと笑う。
「緊張しないでください。頑張りましょうね」
「……当たり前だ」
しばらく歩けば、地上へ続くための階段が見えてきた。この先は巨大城の城壁の中らしい。
様子を窺いながら外へ出る。暗い庭に人の気配はない。
「……色々大変なことがあったとは言え、一国の城はこんなに警備が薄いものなんでしょうか」
「いや。普段なら厳戒態勢を敷くはずだ。一体どうしたというのか……気を付けながら進もう」
「予想通りに動いてくださり、ありがとうございます」
「え……?」
男の声と同時に微かに草を踏みしめる音が響く。それはミセリアたちの誰でもない音だ。ミセリアは気を張り詰めて一歩前に歩み出ようとしたが、それよりも先にカシュン、という軽い音が聞こえ、次いでどさりと誰かが倒れる音がした。慌てて振り返れば、シャルロットが意識を失い倒れていた。
「シャルロット――うっ」
シャルロットを助け起こそうとしたレイの背後に甲冑を纏った男が現れ、素早い動きで何かをレイの首に押し当てた。そして再びカシュン、という音。レイは膝から頽れ、綺麗に整えられた芝が生える地に手をつく。シャルロットと違い意識までは失っていないようだ。
「麻酔!?」
シャルロットとレイが受けたのは小型の――クロウが持っていた銃にも似た器具だった。その器具の先から麻酔針が飛び出す仕組みらしい。
「一番厄介な大神子の動きは封じました。後は力尽くでも構いません、捕らえなさい」
金赤色の髪を持つ男が歩み寄り、麻酔銃を持つ騎士に命じた。その騎士だけではない。周りからぞろぞろと同じような騎士たちが囲むようにして現れた。
「おい、止めろ」
エルダーが低い声で命じるが、騎士達はそれに応じない。騎士団長の命令に誰一人として反応しない。それどころかじりじりと歩み寄り、追い詰めてくる。逃げようにも無駄のない動きで麻酔銃を首筋に押し当てられ、ミセリアは身動きがとれなくなった。セラフィ達にも同じような状況だ。シャルロットとレイの側には剣を抜いた騎士が控え、人質だと言わんばかりに白銀の刃を煌めかせている。
シャルロットが完全に意識を失い、レイもまともに動けない状況の中逃げるのは困難だ。騎士達の数は多い。動けない二人を抱えてこの包囲網を突破するための策を講じる余裕などなかった。
「ラック様」
苦々しく呟いたセラフィの言葉を聞き、ミセリアは金赤色の髪を持つ男を見上げた。色彩はフェリクスと全く同じ。顔立ちもなんとなく似ている。フェリクスの上の兄で第一王子のラックだった。緩めに結われた髪を指で弄りながら、ラックは微笑んだ。意地の悪い笑みではなく、ただ空虚な笑み。光のない石榴石の瞳がやけに不気味に見えた。
「大神子と黒髪の騎士、侍女はそれぞれ別室で拘束、監視しておくように。残りは地下牢にでも放りこんでおきなさい。こちらの監視も怠らないように」
「はっ」
「この者達は陛下が治める国の邪魔となります。くれぐれも逃がさないこと」
どうしようもない。切れてしまうほどに唇を噛みしめてミセリアはセラフィに言った。
「必ず、必ず逃げ出してやる。そうしたら助けに行く。待っていろ」
「ふふ、頼もしいことで。僕らも僕らで悪い状況を打開してみせますから」
「どうか無事で」
口では強気だが、セラフィの顔も緊張に張り詰めている。今この時は為す術もなく、ミセリア達は騎士に引きずられるようにして連れられるしかなかった。
***
目を覚ます。
しんしんと冷たい床が頬に触れている。どうやら無造作に床に転がされていたようだ。暗殺組織に囚われていた子供時代を思い出して苦い顔をする。あんなところはもうごめんだ。
身体を起こし、状況を確認する。窓のない黒々とした壁面は岩が向きだしで湿り気がある。
(地下か)
気を失う前、ラックが言っていた地下牢に閉じ込められたのだ。地下牢に入れられる前に麻酔を打たれたようだ。あれからどれから時間が経ったのかも分からない。
持っていたナイフは没収されたようだが、ペンダントは無事だった。そのことに安心してミセリアは小さくため息をついた。
この牢から脱出するには鉄製の扉をどうにか開いて監視の騎士を突破する他にないようだ。ラックが言っていた通りになっているのなら、レイとエルダーは近くの独房に入れられているはずだ。ミセリアは扉のノブを回す。案の定開かない。
岩の壁を削るにも方法がない。
ミセリアは独房の中を見回した。――本当に何もない。机もベッドも、何もかもがない。このままここに居れば狂ってしまうのではないか、と思ってしまうほどに何もない。脱出するのに役立ちそうなものがないと分かった瞬間、ミセリアは拳を握りしめた。
(こうなったらもう、暴れるしか)
騒いで暴れて、大きな音を立てていれば騎士達が様子を見に来るかもしれない。そうして扉が開かれた瞬間に逃げてしまおう。子供のように暴れ回ってやろう。今まで騒ぎ立てるようなことは一切してこなかったため、恥ずかしい思いも確かにあるのだが仕方ない。
叫ぶために大きく息を吸い込んだその時だった。
ガシャーン、という騒音がミセリアの耳に届いた。突然のことにミセリアは驚き咽せてしまうが、すぐに落ち着きを取り戻し、扉から離れる。
「ここですかね? ボス」
「そんなこと考えなくてもいいさ! 片っ端から開けていきな! 鍵束はあるんだから」
聞き覚えのある声に、ミセリアは目を見開いた。この張りのある声の持ち主は。
ガチャン、と重厚な扉が開かれる。
ズカズカと入ってきた赤褐色の髪と臙脂色の瞳を持つ女性を目にした瞬間、ミセリアは大きく息を吐いて脱力した。女性――レオナは慌ててミセリアを支えると、勝ち気そうな顔に不思議と人を安心させる微笑みを浮かべた。
「待たせたね、ミセリア」
「あぁ……」
「安心しな、これからはアタシたちも手助けするよ」
レオナの後ろにはマグナロアの人々が立っていて、みな頼もしい笑みを浮かべていた。手には各々の武器を持っている。ミセリアは安心して頷き、レオナの手を借りながら立ち上がった。
「ありがとう。……悪いが、助けてくれないか。みんなを――フェリクスを」
「もちろんさ」
大人というものはこうも頼れるものなのだ、とミセリアは人生の中で初めて感じた。
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