91 / 115
夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手
28 キンモクセイの君へ
しおりを挟む「さぁフェリクス。彼女を捕らえなさい。出来なければ殺したって構わないわ」
甘い甘い果実の蜜が溢れるのを音で表しているかのような声だった。フェリクスにしなだれかかったベアトリクスは視線だけをミセリアに向けていた。嘲笑だ。ミセリアを嘲笑っているのだ。
――この太陽に救われるのは私なのよ。貴女は救われなくても良い。
黙って見ていたミセリアはペンダントに触れ、そしてベアトリクスに向けて笑んだ。嘲笑とは違う、自身に満ちた微笑みを。
「お前は分かっていない。そんなことをしなくてもフェリクスはお前もちゃんと救ってくれるさ。私を変えてくれたように、お前も太陽の下へ導いてくれる」
「知ったような口を聞かないで。私にあの場所で救われるのを待ち続けろと言うの?あのまま待ち続けて私は本当に救われるのかしら? ――いいえ、いいえ。待っているだけじゃ私は自由になれなかったわ」
「そうかもしれない。ただ暗闇の中で待っているだけが正解ではないとは思う。……だが」
それからミセリアは目を細めてベアトリクスを睨み付けるようにした。研ぎ澄まされたナイフのように、鋭い金色がベアトリクスを射貫く。
「そのために、こんな方法を取るべきではなかった」
静かな一言にベアトリクスは無言でフェリクスから離れる。ミセリアを睨む彼女の周りを白い煙が少しずつ舞い、覆っていく。
「フェリクス、お願いよ」
怒りを滲ませながら王女は白へと溶けていく。
普通に考えるならば不自然な現象にミセリアは尋ねた。あくまで冷静に。
「これはお前の力か? フェリクス」
「……」
小さく首が横に振られる。どうやら簡単な質問には答えられるらしかった。
肩をすくめたミセリアはしっかりと持っていたナイフをフェリクスの足下に投げてよこす。カラン、と軽い音をたてて落ちたそれはフェリクスの靴に当たって動きを止める。それを拾い上げるフェリクスに向けて、ミセリアはその場から一歩も動かないまま両腕を広げた。
「その旗じゃあ私を殺すのは難しいだろう。殺したいのなら、それを使え。かつて私がお前にしたように」
ミセリアはあの日のことを後悔はしていなかった。フェリクスの暗殺依頼を引き受けたからこそ出会えたのだから。――もちろん、殺そうとしたことに対しての罪悪感は今でも胸の奥底に燻っているのだが。
フェリクスはナイフを手にミセリアに歩み寄る。迷うこと無く近づいてきた彼はミセリアと人一人分の空間を空けた場所で立ち止まる。こてん、と幼子のように首を傾げて今度はフェリクスの方から尋ねた。
「君は、殺されたい? それが望み?」
「いや。当たり前だが殺されたくない。でも、お前が望むのならばお前にしてきたことの償いは受けようと思う」
ミセリアは腕を伸ばしてフェリクスの腕を指す。
「私はお前のここを刺した。そのナイフで、私の意志で。それを許せないと思うのならば私の腕を同じように刺しても良い」
それは暗殺組織が根城にしていた地下遺跡でのことだった。姉ケセラが傷つけられる様に焦り、頭領に命じられるままにミセリアはフェリクスを傷つけた。深い傷だった。そんな傷を負わせたミセリアにフェリクスは何をしたか。
フェリクスはナイフを持った手を自らの胸の前まで持ち上げる。
ベアトリクスに操られているはずのフェリクスだ。すぐに刺してきてもおかしくはない。
(信じているよ、お前は――)
カタカタと刃が震える。石榴石の瞳が揺れている。まるで何かに耐えているかのように。
それを見たミセリアはやっぱりな、と眉を下げる。
「どこまでも優しいやつだ」
次の瞬間、ミセリアはフェリクスの手首を掴んだ。有無を言わせずナイフを握った手を引き寄せた。その刃はミセリアの左腕へと吸い込まれていく。
フェリクスの目が大きく見開かれた。それを見てミセリアは確信する。
フェリクスはまだ抗っているのだ。勝手に動く身体とままならない意識の中、それでも自由になろうと足掻いている。ミセリアの血を見て確かな動揺を見せたのがその証だ。この王子は誰かが傷つく姿を見ることを望まない。本来の意識が浮上しかけている。
深々とナイフが刺さった箇所から痛いというよりは熱を感じる。ミセリアはフェリクスの目を見つめ続けた。フェリクスはミセリアが流す血を呆然と見つめ、口を開きかけた。
「ミセリア」
「さぁ、そのままよ。そのまま心臓を貫いて――」
なんてことを、と紡ごうとしたフェリクスへどこからか呪縛の言葉が降り注ぐ。
「いっ……」
容赦なく引き抜かれたナイフに、ミセリアは思わず顔をしかめる。ベアトリクスの言葉はミセリアにも聞こえていた。鮮血が舞うのを見てフェリクスは顔を青ざめさせた。何の感情もなかった顔に漸く色が戻ってきたところだったのに。ミセリアは舌打ちをする。
振り下ろされたナイフを避ける。痛む左腕は使い物にならない。ミセリアはフェリクスによる攻撃を何度か避ける。フェリクスの意識が戻りつつあるからかベアトリクスの操り方が拙いのか、その動きは少々雑だ。避けるのは簡単だった。
それよりも気を付けるべきは出血多量によって意識を失ってしまうことだ。それよりも先にフェリクスを解放しなければならない。
『これを貴女に預けます』
ふと思い出した。ミセリアは隠し持っていた小瓶を右手で取り出す。中身は無事なようだ。左腕が仕えない以上、どうやって蓋を開けるか一瞬だけ考えた後にミセリアは小瓶を口元に持って行く。ナイフの動きに気を付けながら蓋に噛みつき、引き抜いた。蓋は迷いなく捨てる。早く右手を自由にするために小瓶の中身を呷る。
鉄のニオイ。小瓶の中身を察して思わず吐き出しそうになるが、これを託したセラフィの思いを無駄にすることはできない。用済みの小瓶を投げ捨ててミセリアはフェリクスに意識を戻す。
(覚悟しろ)
心の中でそう言って、自由になった右腕を軸に体勢を低くする。ミセリアの頭があった位置を銀色のナイフが掠めた。ミセリアの真横にはふらついたフェリクスの脚がある。今のフェリクスなら、ミセリアからのどんな攻撃も自らの意志で避けることはしないだろう。そんな確信があった。
それを信じて回し蹴りをする。ミセリアの確信通り、それは見事に命中してフェリクスの体勢を崩す。
後ろへと倒れゆく身体。瞬時に起き上がったミセリアは咄嗟に左腕を伸ばしてフェリクスの腕を掴む。痛みなんて今は気にしていられなかった。ぐい、と力任せに引き寄せる。右手はフェリクスの胸ぐらを掴み、頭突きをするかのように顔を寄せた。
(すまない)
ふわりと微かに甘い香りがした。不快になる香りではなく、よほど近づかなければ感じないであろう微かな香り。誰かを虜にする、優しくも芳醇な香り。
フェリクスは花だ。あたたかな陽の光を浴びてキラキラと輝き、その見た目と香りで人を癒やしていく。ある者はその花を愛でるだろう。ある者はその花に魅了されてしまうかもしれない。ミセリアを含めた仲間達は前者。国王やベアトリクスは後者といったところか。
そんなシアルワが誇る黄金の花へと、ミセリアは噛みついた。
もちろんフェリクスは抵抗しようとはしなかった。鏡のような石榴石の瞳にミセリアを映し瞼を閉ざした。
二人で床に膝をつく。ミセリアは噛みついていた唇から離れ、けほ、と一回咳をした。フェリクスにも共有した口の中の苦さはまだ残っている。
「……」
数秒の沈黙の後、ぴくりとフェリクスの指が動いた。両腕が持ち上げられる。恐る恐る背中へと回されるその腕をミセリアは退けようとはしなかった。その手にはナイフも旗もなく、空っぽの手のひらはミセリアの体温を感じ取ろうとむき出しの背に触れた。
思い切り抱きしめられる形になり、ミセリアはそれに応えた。あの日、初めてフェリクスに抱きしめられた時はできなかった――抱きしめ返すという行為を今はできる。あの時は感じていただけの温もりを、今度は感じさせてやるのだ。
「ミセリア……」
「起きたか?」
小さく呼ばれ、小さく問いかける。フェリクスは閉じていた瞼を開いてミセリアを真っ直ぐに見つめた。その瞳はミセリアが求めたような、キラキラと太陽のような輝きを取り戻していた。一瞬いつもの笑みを浮かべ、すぐ半泣きになって情けない表情になる。
「これ、苦いよ……」
「最初に言うことがそれか、馬鹿」
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない
柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。
目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。
「あなたは、どなたですか?」
その一言に、彼の瞳は壊れた。
けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。
セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。
優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。
――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。
一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。
記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。
これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
生きるために逃げだした。幸せになりたい。
白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。
2020/9/19 第一章終了
続きが書け次第また連載再開します。
2021/2/14 第二章開幕
2021/2/28 完結
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる