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夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手
30 姉弟
しおりを挟む声は止めどなく溢れ、止むことなく纏わり付く。
空気の流れは風として感じないが、服や髪は何故か揺れている。こつ、とミセリアが拳をフェリクスの胸に当ててやれば、力強い笑みが返ってくる。頭がおかしくなりそうな恐怖や怨嗟などの感情の渦など気にも留めていない笑みだ。
フェリクスは握っていた旗を軽く持ち上げ、そして石突を床に叩きつける。こん、と硬質な音が響き渡ると同時に優しい金色が足下からあふれ出した。緩やかにはためく旗からあたたかな陽の光を連想させる光が二人へと伝わってきた。
どこか神がかった雰囲気すら纏うフェリクスはただ真っ直ぐに語りかける。暗闇の向こうで蹲っている姉に向けて声を張り上げる。
その声に反応して黒い靄に包まれたベアトリクスは手で覆われている顔を上げた。指の間から覗く瞳には絶望が鈍く輝き、光――フェリクスの方を眩しそうに見て、美麗な眉を歪ませる。
「姉さん、俺は姉さんを助けたいよ。みんなも姉さんも笑顔で暮らせるようにしたい」
「でも、貴方はそこの女を選ぶのでしょう? そして私を断罪するんだわ」
次いでベアトリクスは恨めしそうにミセリアのことを見る。それに対してフェリクスが口を開く前に制止し、ミセリアは一歩前に出た。月を連想させる瞳が本物よりも爛々と輝きを放つ。フェリクスを立ち直らせることができた今、飲み込まれていたはずの怒りはなりを潜めている。彼女はただ正直な気持ちを言葉に乗せて、王女へ向けた。
「……お前もなんとなく分かっているだろうが、私はフェリクスに助けられた身だ。こいつはこの国だけでなくラエティティアでもお人好しを発揮していた。だからこいつを信じて助けようと思ったんだ。私はまだフェリクスを理不尽に苦しめたお前を完全に許してはいないが、こいつがお前を姉として大切に思っていることを知っている。だからこそ、お前には前を向いて幸せになって欲しいと言っておくよ。……それに」
ミセリアは首に下げていたペンダントを外すと、フェリクスに少々雑に押しつける。夜華祭りにてこれを手にベアトリクスへ渡すことを夢見ていた彼を思い出し、優しく微笑みながら。
「私にも姉がいたから、フェリクスがお前を救いたいと思うその気持ちも理解できる。――でも私にはお姉ちゃんを救うことはできなかった」
怨嗟の声の中、小さく息を呑む音が聞こえる。それが姉のものか弟のものかミセリアには判別できない。
「だからフェリクスにはお前を救ってもらわないと困るんだ。さぁ、行ってやれフェリクス。お前の出番だぞ」
フェリクスは薄く笑んでいるミセリアに向かって頷き、お返しだと言わんばかりに旗を渡す。素直に受け取った彼女を通り越してベアトリクスの元に歩み寄った。ミセリアは旗が守ってくれるだろう。老若男女様々な声はうるさいままだが、か細い姉の声を聞き逃す不安は一切なかった。
「姉さん、これを」
「……?」
姉の首に手を回し、ペンダントの留め具を留める。ベアトリクスは虚ろな瞳に花を模したガラス細工を映した。フェリクスが放つほんのりと優しい光に反射してキラキラと輝くそれは、あの日に夜空を彩っていた夜華にそっくりだ。
「前から姉さんにあげようと思っていたんだ。よく似合ってる」
「……」
「それに、土産話も沢山あるんだ。俺が見てきたこと、知ったこと、沢山沢山話したいよ。そしてゆくゆくは俺が見た綺麗なものを姉さんにも見て欲しい。今まで暗い所にいた分、明るい世界で生きて欲しい」
す、と手を差し伸べる。自分から手を引くことはしない。この手を取るか取らないか、その判断を姉に委ねてフェリクスはただ訴えた。
「生きよう、姉さん」
ベアトリクスの両目から涙が流れる。温かく透明なそれは彼女の滑らかな両頬を伝い、顎から滴り落ちて地面へ落ちる。
「フェリクス――貴方は私に光を見せてくれるのね。例え私が貴方に対して醜い感情を抱いて、酷い仕打ちをしたとしても」
ひとつため息をついて、ベアトリクスは薄く笑んだ。
「たった独りで生きていた私にとって、貴方の存在は羨望そのものだったわ。明るい場所にいていつも誰かに囲まれている貴方が羨ましかった。私に向けられる優しさに嫌悪を抱いたこともあった。――それでも私は貴方に縋ることしかできなかった。それであんなことをしてしまった。それでも私に手を差し伸べてくれるのね。……ねぇ、フェリクス」
ペンダントを撫で、それからおずおずと手が伸ばされる。
「――私は日の差すところで生きてもいいですか?」
「もちろん」
姉弟の手が重なる。今まですれ違っていた二人の感情がようやく向き合えた瞬間だった。
ベアトリクスの冷え切っていた感情に温度が戻りつつあるからだろうか、黒い怨嗟の声は徐々に落ち着き、やがて消えていく。それに伴って黒い靄も薄れていった。相変わらず白い煙は立ちこめているが、彼等がいる場所は随分と明るさを取り戻していた。
「ありがとう」
フェリクスに手を引かれて立ち上がったベアトリクスは、自ら涙を拭って微笑んだ。そこに今まで見せていた運命を呪う狂気も憎悪もなく、素直な喜びがそこにあった。
こうして結ばれた絆をミセリアは微笑ましく見守っていた。
ミセリアが叶えられなかった“姉”という存在の救済をフェリクスはここに見せてくれた。この姉弟が幸せに居てくれるのはフェリクスの幸せであり、フェリクスの幸せはミセリアの望みでもある。少々痛い目に遭ったが、全て丸く収まるのならば万々歳だろう。
「さぁ、姉さん。シャーンスがめちゃくちゃになっていることが事実である以上、建て直しは必須だよ。父さんにも聞かなきゃいけないことがあるし……。俺はこの国のみんなが本当に幸福で暮らせる国を作りたい。協力してくれる?」
「私にできることがあるのならば。でも精霊と契約を結んでしまっている以上、彼等に脅かされてしまうのではないかしら。今までは契約があったからこそシャーンスは襲われずに済んだのよ? それが破られた今、精霊――特にビエントが何をするか分からないわ」
「それならきっと大丈夫。俺がなんとかするよ」
フェリクスの言葉にベアトリクス、そしてミセリアは目を丸くした。あまりにも無謀すぎやしないだろうか。相手は人間を一瞬で塵にすることも可能な存在だというのに。
「俺、一度は精霊の血を体内に入れたからかな、前より女神様が何かを訴えている声がはっきりと聞こえたんだ。女神様はあのたくさんの声に苛まれながら俺に伝えてくれたよ。ビエントは精霊の中でも特に世界を想ってくれているんだって。それを思い出してもらおうと、俺はそう思ってる」
そこまで聞いて、ベアトリクスは一度瞬きをして「そうだわ」とフェリクスを肯定した。
「彼、世界を救うためにイミタシアとやらを生み出そうとしている、と言っていたわ。このままだと洒落にならないことになる、とも」
「――ええ、その通りですわ。今この世界はあのお方によってかろうじて存在できている、危うい状態ですの」
ふと知らない声が響き、フェリクス達は身を寄せて警戒する。
見知らぬ声の主はくすくすと笑いながら白い煙から溶け出すようにその姿を晒した。青白く滑らかな肌の頬には雫を模したペイントが施され、豊満な胸元には深い海色を湛えた石が埋め込まれている。美しい肢体には青色を基調としたマーメイドドレスにはキラリと細かな装飾。長く豊かな淡い水色の髪は膝辺りまで伸び、頭には銀色のヘッドドレスが輝いている。精霊の証である長い耳に髪をかけ、その存在は薄い唇で弧を描いた。
「精霊……」
「えぇ。こうしてお会いするのは初めてですわね。わたくしはアクア。あなた方にお伝えしたいことがあり、この空間を作らせていただきました」
突如現れた大精霊アクアは優雅に長い指をくるりと回した。それと同時に白い煙がゆったりと旋回を始める。彼女の意に沿っているかのように。
「それじゃあ、この白い煙はお前が?」
「そうですわ。この場にビエントを寄せ付けたくはなかったので、勝手ながら介入させていただいた次第です。少し、お話をしましょうか」
そう言ってアクアは紺碧の目を細めた。
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