久遠のプロメッサ 第一部 夜明けの幻想曲

日ノ島 陽

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夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手

31 契約

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「まずは褒め称えましょう。あの瘴気を抑え込むことは誰にでもできるわけではありません。ただ、全てが消えたわけではありませんけれど」
「瘴気……?」

 アクアの口から出た単語にミセリアが眉をひそめると、頷きが返ってくる。

「聞きましたでしょう? 恨み、妬み、絶望、醜い願望が詰まった数多の声を。あれをわたくし達は瘴気と呼んでいます。特に貴方、シアルワの王子は神子の血が持つ力を色濃く受け継いでいるようですから、あのお方が瘴気を抑え込んでいる様を感じ取っているのではありませんか?」
「……確かに、女神様が苦しんでいるところは見た。お前達精霊に悲しんでいるところも」

 アクアはあまり人間達の前に出ない精霊だ。各地で目撃されているビエントとは違い、かの青い精霊は傍観することしかしないと伝えられており、実際そうだったために見ること自体初めてだった。しかし精霊だ、何をしてもおかしくはない。
 それでもフェリクスはアクアに対して強く睨み付けながら相対した。対する彼女は柔らかな笑みを浮かべて崩さない。

「えぇ、そうですわね。あのお方は誰よりも優しくていらっしゃいます。テラやビエントが推進している計画に対して嘆かれるのも無理はありませんわ。けれど、仕方のないことなのです。それを理解していただければ幸いですわ」
「仕方ない……?」
「瘴気は恐ろしい存在です。あれは、言わば世界にとっての毒。あるだけで大地を害し、長く触れていれば生きるもの全てを腐らせてしまう代物です。――それはかつて繁栄を重ねていった人間たちがやがて欲望を持ち始め、個々の欲望が醜く交差しあって生まれました。あのお方にとって予想外のことだったのでしょうね。愛した世界が、愛した子供たちによって破壊させられるも同然の事態に陥ってしまったのですから」

 そう、とベアトリクスが緊張しつつも呟く。

「それが、女神様がこの世界から姿を消した真相なのね」
「その通りです。あのお方は愛するこの世界を守るために溢れる瘴気を抑え込んでいらっしゃるのです。止むことのない毒に蝕まれながら」

 アクアは静かな、しかしどこか蔑んだような目で人間たちを見据えた。

「テラとビエントは怒っていましたわ。人間達のせいであのお方が苦しむはめになったのだと。――しかし、人間がいないとこの世界が成り立たないのもまた事実。だから人間全てを滅ぼすことなんてできやしなかった。ですから、最低限の間引きをしつつ模索したのです。瘴気を抑え込む方法を。そして五百年前、ラエティティアで起きた事件をきっかけとして見つけたのです」
「イミタシア、か」
「皆さん物わかりがよくて助かりますわ。あのお方の代わりに瘴気を抑え込める新たなる神。それこそわたくし達が生み出そうとしている存在です」

 まぁ、その大抵が失敗作に終わったのですが。という最後の呟きは抑えられ、フェリクス達の耳に届くことはなかった。逆上されてもアクアにとって面倒くさいだけだ。

「テラとビエントはそのことに対して酷く熱心でした……特に最近のビエントはあぁ見えて焦っているようですの。最近の彼は少しやりすぎですわね。わたくしはそう思います。ですから、あなた方の手助けをしましょう」

 妖艶に微笑まれ、フェリクス達は咄嗟に返事をすることができなかった。この精霊はなんと言った? 精霊は人間を搾取し殺す存在になって長いというのに。
 何か別の思惑があるに違いない、とフェリクスは気を引き締める。簡単に心を開いてはならない。慎重に言葉を選びながら真意を探る。

「ビエントの狙いは俺たちをイミタシアにして女神の代わりにしようとしていること……お前はそれを邪魔したい。そういうことか?」
「そうです。あなた方はご存じでしょうか? レガリアという存在を」
「レガリア?」

 問い返したフェリクスにアクアは笑みを消さないままに頷く。

「テラが完成させた――正確に言えば完成間近の――神に最も近いイミタシアです。代償のために今は動けないでいるようですけれど、それも時間の問題。彼という存在があればもう新しくイミタシアをつくり出す必要はありません。はっきり申し上げれば、意味がない。わたくしはビエントに意味のないことをして欲しくはないのです。必要以上に人間達を減らしてしまえば、瘴気を封印する手立てが見つかったとしてもあのお方の迅速な回復には繋がりませんから」
「レガリア……か」
「えぇ。そのためにテラは何もせず待っているのですよ、彼の目覚めを。イミタシアが逃げることを許したのもそういう理由があるからですわ。……さて、お話を戻しましょう」

 白く長い人差し指が立てられる。

「わたくしが望むことは一つだけ。ビエントはこの近くにいるはずです。わたくしは貴方に瘴気から身を守る結界を与えましょう。その間にビエントを説得していただきたいのです。シアルワの神子たる貴方であれば可能だと思いますわ、フェリクス殿下」
「説得……」
「もうイミタシアを作る必要はないのだと。それと、あのお方――女神は悲しんでいらっしゃると。それだけで構いません」

 拒否権はありません、と暗に言っているかのような強い口調だった。フェリクスはチラ、と後ろに控える二人を見やった。二人の目は怯えを宿してはおらず、決意だけが現れている。
 フェリクスは安心させるように微笑んで、旗を強く握りしめた。

「……一旦はその言葉を信じることにするよ、大精霊アクア。俺がビエントの心を動かすことが出来たのなら、もうイミタシアを生み出す……そして人間を苦しめることはしないと誓ってくれるのなら、な」

 挑戦的な視線を向けられてアクアは軽く驚いたようだった。瞼を何度か瞬かせ、そしてくすくすと声に出して笑ってのけた。

「えぇ、えぇ、誓いますわ。あなた方が協力してくださった暁にはビエントにもテラにも人間を故意に苦しめるようなことはさせないと誓いましょう。イミタシアにさせることも、集落を破壊させることも、間引きをすることも……貴方が思っているようなことはさせません。もしもその約束が破られるようなことがあれば、わたくしの命と引き換えにしてでも止めさせますわ」
「その言葉に嘘偽りはないな?」
「あなた方を騙してわたくしに得することはありませんから。そうですわね、誓いの証としてこれを差し上げましょう」

 アクアは胸元に埋め込まれた青い石へと手を伸ばす。ぐ、と力を込めればずぶずぶと指が埋まっていく。フェリクスはその不気味にも見える光景に冷や汗をかきながら黙って見守るしかなかった。埋め込まれた指は何かをつまみながら引き上げられる。つままれていたのは、更に深い青を湛えた丸い雫型の宝石だった。仄かに発光しているそれはアクアの手を離れてフェリクスの前へと浮遊していく。その途中にどこから湧き出たのか細い銀色のチェーンが伸び、その宝石をペンダントへと変貌させる。フェリクスが空いている方の手を伸ばすと、その手のひらに収まった。

「それは私の心臓の一部、とでも言っておきましょうか。力の源です。貴方はそれを破壊することでわたくしを大幅に弱体化させることができます」

 美しいその宝石からは冷たくも強大な何かを感じる。ミセリアやベアトリクスもそれを感じ取っているようで、ごく、と息を呑む音が聞こえる。

「……確かに受け取った」
「では、契約成立ですわね。信じていますわ、シアルワの王子。初代に最も近い、力の強い神子」

 さぁ、と煙が晴れていく。展望台の大きな窓が見え、暗い夜空が見えてきた。その奥は白んできている。――夜明けが、近い。
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