久遠のプロメッサ 第一部 夜明けの幻想曲

日ノ島 陽

文字の大きさ
95 / 115
夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手

31.5 霧の中で/血の妙薬

しおりを挟む


「どこまで進んでも霧だらけ。やっぱり精霊絡みだろうなぁ」

 大きなため息をついてクロウは肩をすくめる。それを聞いたシャルロットが分かりやすく顔を青ざめさせた。

「どどど、どうしよう! ここから出られなくなっちゃったら……」
「まぁ大丈夫だろうよ。多分足止めしたかっただけだろうから」
「何を根拠にそう言うんだい?」

 ぷるぷると震えているシャルロットの頭をぽんぽん叩くクロウには、焦っている様子などどこにもない。それを不審に思ったレオナが問いかければ、面倒くさそうに返される。

「この煙だか霧だか分からないものは大精霊アクアのものだろう。俺はこれを見たことがある、ほぼ間違いない。アクアは無駄が嫌いな奴だ、俺たちをここに閉じ込めてしばらく何もしてこないのはおかしい。この部屋にはフェリクス達もいるんだろう? 多分用があるのはそっちさ。俺たちは邪魔だから来るなってだけだと思うぜ」
「アンタ、どうしてそう言い切れるんだい? まさか」

 クロウは「どうしてだろうな」と意味深そうな笑みを浮かべる。二人が疑心暗鬼に陥ってしまってもおかしくはない場面だが、彼の予想とは違う方向へレオナの感情は揺れ動いたようだった。
 背の高いクロウの肩をがっしりと掴み、僅かに潤んだ瞳で見上げられる。ぎょっとしたクロウに対して向けられたのは彼への心配だった。

「アンタもなんだね、情報屋――いや、クロウ。よくここまで頑張ってきたんだねぇ……」
「え、えっと……おう。どうも」

 一瞬だけ視線を合わせてクロウは頷いた。次いで背中をバシバシと叩かれ、どう反応するべきか困る。チラリとシャルロットを見れば、彼女は彼女で何かを察したらしく、余計なことは言うまいと口を閉ざして両手を組んでいる。二人の関係者であるセラフィやソフィアがイミタシアであることを知っているせいだろうか、察しは良いようだ。

「それじゃあ、何もせずじっと待っていれば良いってことかい?」
「多分。少なくとも俺たちを殺そうとかそういった事はしてこないはずだ。かと言って俺たちにできることは待つことくらいだ」
「分かった。信じて待つよ」


***


 気絶した騎士や従者たちを集めてあちこちに横たえ、容態を確認し終えたセルペンスは小さくため息をついた。ベッドの数は足りないため床に寝て貰っている状態だが、重傷を受けている者はいないため大丈夫だろう。気絶しているだけなため大した治療は必要なかった。
 そこへ、ドタドタと騒がしい足音。ノアだ。

「兄ちゃん、急患急患!! シェキナとセラフィ!!」
「え……?」

 騎士団長エルダー、そしてソフィアとレイに連れてこられた仲間の姿を見て軽く目を見張る。気丈で強い二人が青ざめた顔でセルペンスの前へと連れてこられる。
 大きな傷は見当たらないものの、荒い息を吐き出しているセラフィが鋭い眼差しをセルペンスに向ける。

「僕は、いいから、まずはシェキナを。あとセルペンス、治療した後でいいから話したいことが……」
「あ、あぁ。分かったよ。だからこれ以上しゃべらないで、まずはじっとしていて。すぐに行くから」

 あまりにも強い眼光に逆らえずセルペンスはシェキナの元に向かう。こちらも大きな外傷はなさそうだった。どちらかと言えば、シェキナを連れてきたエルダーの傷が大きい。縄で緩めに縛られた彼女は完全に気を失っており、目覚める気配はない。
 シェキナを柔らかな絨毯の上に横たえたエルダーはセルペンスに向き合って状況を説明する。それを聞きながら脈や瞳孔を確認し、異常がないことを確信したセルペンスは次にエルダーの傷を診る。急所は外れているため治療するのに特に問題はなさそうだ。
 エルダーはエメラルドグリーンの光を物珍しげに見つめている。

「傷がこんなに早く癒えるとは……貴殿は一体?」
「俺については口外しないでくださいね。少し事情がありまして」
「そうか、失礼した。……すまないが、セラフィも診てやってくれ」
「はい。お任せを」

 薄い笑みを浮かべてセルペンスはエルダーの治療を終える。もう傷跡も残っていないはずだ。
 横たわらずに壁にもたれかかるセラフィに近寄る。連れてきたレイは部屋の隅まで引き下がり、大人しく立っている。一方ソフィアはセラフィの横で愁眉を寄せ、ただ黙って座り込んでいる。

「何があったの?」

 軽く容態を確認しつつソフィアに尋ねれば、普段クールな彼女にしては珍しく震える声で答えが返ってくる。と言っても良く聞けば震えていると分かるだけで、彼女をよく知らない人間からすれば感情を覗き見ることは難しい声音だ。

「王子の暴走に巻き込まれていたから少し活を入れただけよ。特に怪我もさせていないし、肺を傷つけるようなこともしていない。彼も自傷している様子はなかったわ。けれど突然吐血した。呼吸も安定していないみたい」
「そう」

 横たえていないのは吐血により気道が塞がれてしまうのを防ぐためだろう。それを察する。セラフィの胸の辺りに手を添えて力を発動させる。目に見えない内臓の治療でも、なんとなく状態は察することができる。セラフィの肺の様子を探れば、どうやらボロボロになっているようだった。これは日々の積み重ねによるものであり、ソフィアのせいでないことは明らかである。それを精神的に参っているらしい彼女に伝える。

「これはソフィアのせいではないよ。セラフィが気づかないうちから肺がこうなり始めていたみたいだから」
「そう……」

 それでもソフィアの表情を覆う暗さは消えることはない。
 いくらか血の気を取り戻した顔を上げ、セラフィが瞬く。

「ありがとう。しゃべりやすくなったよ」
「あぁ。でも無理はしないで。上辺を回復させただけに過ぎないから、無理をすればまた吐血するよ」
「了解。まったく、いつの間にやら不便な身体になってしまったね」

 困ったように笑って、口元に残った血の痕を拭う。そして声を潜めてセラフィは語る。

「伝えたいことがある。順を追って話すよ」

 真っ直ぐに見つめられ、思わず背筋を伸ばす。沈黙することで先を促した。

「少し前から体調は優れなかったのは分かっていたんだ。その理由もさっき確信した。――シャーンス襲撃が始まってしばらくしてからのことだ。ケセラに似た女の子に刺された」
「ケセラに……?」
「そう。僕たちがあの場所にいた時の――八年前の彼女と瓜二つだったように見えた。その辺はシェキナに聞いても同じことを言うと思うね。それで、だ。その女の子は僕にこう言った。『貴方の血は妙薬だ。哀れな精霊の犠牲者たちを元にもどしてあげられる。ただし、それをできる時間はそんなにないけれど』みたいなことをね」
「それって、つまり」
「考えたよ、シェキナの痛覚が戻ってきた理由を。あの女の子が言うことを照らし合わせてもこれしか考えられなかった。――僕の血を体内に入れれば、イミタシアから人間に戻れる。これが僕のイミタシアとしての力だ」

 静かな寝息を立てているシェキナを見やる。

「外で彼女も怪我をしていた。そして僕も怪我を負った。多分その時に傷口から僕の血が入ったんだろうね。この仮説が本当ならば、みんなが苦しんできた代償も消せるかもしれない」

 表情もなく固まってしまっているセルペンスの横でソフィアは疑問に思っていた。
 どうして笑っていられるの?
 セラフィの顔には笑みが浮かんでいた。翡翠の双眸を僅かに細めて、拭ってもなお血が残る薄い唇はゆったりと弧を描いて。見つけられないでいた無くし物を見つけて安心した子供のような無垢な微笑みが。

「あぁそうだ、その女の子についてなんだけど――」

 お構いなしに話を切り替えようとするセラフィを見ていられなくて、ソフィアは何も言わないままに立ち上がる。それには流石に口を閉ざして驚いた様子の彼から逃げるようにしてソフィアは退室した。
 誰も居ない、暗いだけの廊下に出てすぐ扉へともたれかかる。


 かつて苦楽を共にした仲間から逃げるようにして八年間生きてきた。それでも、それでも彼等のことを嫌うなんてことは決してなく。むしろ心配しない日なんてなかった。
 もう会えない仲間もいる。代償に苦しみながら、いつ壊れてしまうか分からない日々を送っていくのだと思っていた。それが変わらないのだと思い込もうとしていた。
 けれど違うのだ。
 精霊の血を入れて変貌してしまった身体。唯一その様子が見られなかった彼もやはり例外ではなかった。

(あの言葉が本当だとするならば)

 ――彼に残された命の炎は徐々に弱くなっているということだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

公爵令嬢は結婚式当日に死んだ

白雲八鈴
恋愛
 今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。 「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」  突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。 婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。  そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。  その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……  生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。  婚約者とその番という女性に 『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』 そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。 *タグ注意 *不快であれば閉じてください。

生きるために逃げだした。幸せになりたい。

白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。 2020/9/19 第一章終了 続きが書け次第また連載再開します。 2021/2/14 第二章開幕 2021/2/28 完結

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

処理中です...