久遠のプロメッサ 第一部 夜明けの幻想曲

日ノ島 陽

文字の大きさ
96 / 115
夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手

32 人間と精霊

しおりを挟む


 良く晴れた展望室は静謐な空気に満たされていた。そこへ、涼しい風がそっと吹き込む。
 フェリクスが一度瞬くと、そこには体格の良い男の姿が現れていた。青漆の髪と瞳、長い耳。胸に埋め込まれた宝石。大精霊ビエントが、そこに立っていた。ゆったりと整った顔に笑みを浮かべて、腰に手を添えてリラックスしている様子だ。

「まったく、アクアに何を吹き込まれたことやら。まぁいいさ、この場でお前達との決着をつけるとしよう」

 ビエントはやれやれ、と肩をすくめる。アクアが介入していることは察しているらしい。それでも何も焦ってはいないようだ。
 フェリクスは一歩前に歩み出る。それとともにふわ、と大きな旗が揺れた。

「アクアに聞いたよ。人間が知らなかった、この世界の真実を」
「そうか。……で? それでお前達はどうするんだ?」

 ビエントは自嘲気味に笑う。

「瘴気を消すことはできない。あのお方ですら抑え込むことで精一杯だ。人間がいる限り瘴気はどんどん増え続けるだけ。いずれあの方が限界を迎えて溢れれば世界を蝕んで滅ぼすことだってあり得る。それでお前達に何ができるというんだ?」

 怒りを滲ませた問いかけに、フェリクスも希望を滲ませた言葉で返答する。

「確かに人間は感情に揺さぶられやすい生き物だ。時に醜い感情を抱くことだってある。それが積み重なって瘴気になるというのなら、止める手段はないだろう。だって、それが人間なんだから」

 ビエントの顔から笑みが消える。それでもフェリクスは続ける。

「それでも。それでも人間は醜い感情だけで生きているワケではない。俺は今まで綺麗で尊いものも見てきたよ」
「……」
「それならば、さ」

 言い淀むことはない。
 昔からそうだった。無謀な言葉であったとしてもそれは真っ直ぐで、みんなの太陽であり続ける。

「希望に満ちた感情を増幅させることができたなら、醜い感情を少しずつでも減らすことができるんじゃないかな」

 まるで夢物語だ。この世界の人間全てを幸せにしてやる、というのだ。あまりにも無茶で無謀すぎる言葉――今の世界でそんなことを口にする人間がいようとは。
 一度は冷めかけていたビエントも、これには笑うしかない。
 小さく肩を震わせてくつくつと笑む。こんな変な人間と初めて出会ったかもしれない。

「面白いな、お前。ここ数千年の間、誰も達成することができなかった――それでも夢に描いたものをそういとも簡単に口にするとは。本当の馬鹿だ。……良いだろう、俺を笑わせたお前にチャンスを与えてやる」

 ビエントは指を鳴らす。パチン、という音と同時に黄緑色の光を纏った風が集まり、一本の剣と化す。柄をしっかりと握りしめて、切っ先をフェリクスへと――人間へと向けた。
 馬鹿にしたからといって視線は逸らさない。精霊に向かって戯れ言を言ってのけた勇気に対する敬意は示すべきだろう。

「お前がそんな世界を創ると言うのなら、人間達をそう導けると言うのなら。俺にその覚悟を見せてみろ、人間」

 フェリクスの後ろでミセリアとベアトリクスがひっそりと顔を見合わせ、頷き合う。二人併せて軽くフェリクスの背中を小突く。フェリクスが振り向けば、確かな信頼をその表情から感じ取ることができた。

「私たちはお前を信じるよ、フェリクス。好きにぶつかれ。私も……」
「ミセリアは姉さんを頼むよ。ここは喧嘩を売った俺が行く」
「……任された」
「フェリクス、貴方の語った言葉は嘘偽りにはならないわ。でもどうか無事でいて」

 嬉しくてフェリクスは頷いた。こうして信じてくれる人がここにいるのだから、なんだってできる気がする。
 手にした旗をビエントへと向ける。そして視線もまた、かの精霊へと。
 人間と精霊が対等に向き合った、初めての瞬間だったのかもしれない。

「ビエント。俺は、俺たちはお前に示してみせる。お前が望む覚悟ってやつを」
「せいぜい足掻けよ」

 二人の視線の鋭さが増す。ミセリアがひゅ、と息を吐き出した時には既に始まっていた。
 深いことは考えずに本能で動いているのだろうか。それとも、マグナロアでレオナに教わった動きが身に染みているのだろうか。フェリクスは迷うことなくビエントへと向かっていく。まるで戦いなれていない箱入りの王子とは思えない動きだ。
 長い旗を槍のように握りしめてビエントの懐へと間合いを詰める。
 一方のビエントは薄く笑んだまま剣で旗の攻撃を防ぐ。魔法による遠距離攻撃はしないつもりなのか、そういった気配はない。薄緑の残像が弾け、金属同士がぶつかり合う甲高い音が展望室に響き渡った。空気さえも震えているような気がする。
 ビエントが攻撃する対象はフェリクスだけのようだった。ナイフを握りしめてベアトリクスを守るように立つミセリアへ視線と殺気が飛んでくることはない。それでも警戒は怠らないようにする。いつでもフェリクスの助けになれるよう、細心の注意を払いながら。
 黄金に輝く光の粒子を辺りにまき散らしながらフェリクスは旗を突き出した。純銀で出来た旗頭は鋭利で武器にもなる。姿勢を低くしてそれを避けたビエントはフェリクスの足下を狙う。横に凪ぐ剣の軌跡がフェリクスの脚を切断することはない。その代わり地面に突き立てられていた旗の竿にぶつかり、再び音を立てる。
 フェリクスは咄嗟に立てた旗を支えに上へと跳躍していた。長いマントがふわりと舞い、ビエントの身体を影で覆う。
 ふと上を見上げたその先で爛々と輝く石榴石に、意図的に鎮めていた気分が高揚してしまいそうだった。この対峙に楽しさを感じるべきではないと分かってはいるが。
 ――ここまで真っ直ぐにビエントを睨み付けてきた人間は過去にいなかった。
 人間がビエントを見るときは崇拝していたか、恐怖に歪んでいたか、憎しみに染まっていた時だけで。こんなに純粋に向かい合った人間なんて記憶にはない。
 だからこそ、正々堂々と向かい合ってみたかった。
 ビエント本来の性質が無意識のうちに引き出されていく。

「――感謝するぜ、人間」

 上を舞うフェリクスを待ち構えながらビエントはただただ笑う。

「自分で言うのも可笑しいかもしれないが……お前、本当に昔の俺にそっくりだなぁ」

 何度も何度も剣戟の音が響く。何度も何度もぶつかり合う。対等な関係で、互いに卑怯な真似をすることもなく。
 それがしばらく続いていた。――そして。
 再び金属音。
 それと同時に世界が歪んだ。ゆらゆら、ゆらり。アズ湖の地下遺跡やラエティティアの花畑で見た光景とまったく同じ、過去に引きずり込まれる感覚。
 それを感じたのはフェリクスとビエントだけだ。普段は交わったりぶつかったりすることがないはずの二種族が生み出した波紋が、視界を歪めていく。世界を映し出していく。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

公爵令嬢は結婚式当日に死んだ

白雲八鈴
恋愛
 今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。 「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」  突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。 婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。  そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。  その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……  生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。  婚約者とその番という女性に 『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』 そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。 *タグ注意 *不快であれば閉じてください。

生きるために逃げだした。幸せになりたい。

白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。 2020/9/19 第一章終了 続きが書け次第また連載再開します。 2021/2/14 第二章開幕 2021/2/28 完結

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

処理中です...