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放課後
しおりを挟む月が変わり二月となった福井の冬は教室の中からも十分に寒さを感じられ、クラスに一つ設置されているヒーターを点けてもその寒さは身が凍えるほどだった。
冬は日が落ちるのも早くなるため放課後になるとすぐにオレンジ色の光が教室全体を包み込む。
その光景はまさに絵画の一部を切り取ったように幻想的で、放課後の静けさをより一層際立たせていた。
クラスメイト達はもう家に帰ったらしく、残っているのは僕と拓と佐藤くんと鈴木くんのいつもの四人。
普段ならもう外に出て駄菓子屋かコンビニに行ってるはずだけど何故か今日は「教室にいろ」と拓に言われ今ここにいる。
「よし。他の奴らはもう帰ったな」
教室の後方にある背面ロッカーに乗っかって漫画を読んでいた拓が軽い動きで飛び降りた。
「……今日は外じゃないの?」
「あぁ。今日はここでやる」
拓は手に持っていた漫画を一番近くにあった机に投げ捨てる。
「小鳥遊くんは今日が何の日か知ってる?」
背面ロッカーに持たれかけながらポテトチップスの袋に手を突っ込んでいる佐藤くんがおっとりと聞いてきた。
「うーん。いや、分からないなぁ」
「ほら。今日って月始めでしょ~? ということは?」
「?? 月始めってなんかあったかなぁ……」
一体何のことを言っているのか頭を絞って考えていると背後からボソッと小さな声が僕の耳に微(かす)かに届いてきた。
「先月の給食費の回収だよ……」
「鈴木くん……! そういえば今日回収したね」
一時間目が始まる前の朝の会で先生が集めていたのを思い出した。
給食費がどうかしたんだろうか……。もしかして……。
「もしかして、給食費を盗むなんて……言わないよね」
「盗むよ……」
「え?」
「まぁそういうことだ。そしてそれが今ここにある」
拓はニヤリと不敵な笑みを浮かべると背面ロッカーにある先生用のスペースを指差す。
そこにはランドセル一個分の小さなスペースにクラス全員の給食費が一つの布袋にまとめられて置かれていた。
本当にこんな量の給食費を盗むのだろうか。
「ねぇ拓……。これ全部盗むの?」
「そんな事したらばれるに決まってるだろ。一つだ一つ」
「全部盗むだなんて小鳥遊くんは欲張りだな~」
「そんなの頭の悪い奴のすることだ……」
拓達に当たり前のように否定されると、少しムッとした。
一つと言ったって盗みをしているのは同じじゃないか。
これは親が汗水垂らして働いて稼いだお金。
一人親家庭で育てられてきた僕だからこそこのお金を稼ぐために親がどれだけの努力をしているかを理解している。
今までは物だったから我慢して拓達に合わせたけど、さすがにお金自体は僕は盗めない。盗みたくない。
「ごめん拓。これは僕には盗めないよ……」
「なんだって?」
「だから……これは僕には盗めない!!」
四人だけの教室に重い沈黙が流れる。
またあの時と一緒だ。僕の頭の中に駄菓子屋での出来事が蘇る。拓はまたあの目で僕を睨みつけるのだろうか。怖くて目を合わすことが出来ない。
すると沈黙の中拓が口を開いた。
「そうか……」
たった三文字の短い一言。
拓が一体どんな表情をしているのかは分からない。ただ拓の今の声にはあの時の静かな殺気は感じられなかった。
僕は恐る恐る顔を上げる。
正面を見ると拓は無表情のまま僕を見つめていた。
見つめたまま何も言ってこない。一体何を考えているのだろう。何か言った方がいいかな……。
再び訪れた沈黙をどうかしなければと佐藤くんと鈴木くんに目配せで助けを求める。
その佐藤くんはというと僕らには全く気にしもせず黙々とポテトチップスを食べている。
鈴木くんは僕らのことを見ているが腕を組んだまま何も話そうとはしない。
この二人に頼ることは出来ないと察した僕は仕方なく拓に目線を戻す。
拓は変わらず無表情で僕を見つめていた。
このままだと何が起こるか分からない。
無表情というのはもしかしたら睨まれるよりも怖いものかもしれない。
相手が何を考えているのか分からない上に顔を合わせるのも気まずい。急に暴力でも振られたらどうしよう。何か話をそらさなければ。
そう思った矢先だった。
「ばれることが嫌なら気にすんな!俺がやったことにしてやるからよ」
さっきまで無表情だった拓が急にニカっと歯を見せて陽気に笑った。
分からない。拓は一体何を考えているんだ……。
いきなりコロッと変わる拓の態度に僕は戸惑いを隠せなかった。
「いや、そのばれるからとかではなくて……その親が働いて稼いだお金を盗みたくは……」
そう言って拓の表情を恐る恐る伺うとさっきの笑顔のまま。でも、目だけは笑っていなかった。
もうダメだ。怖い。拓には何を言っても勝てる気がしない……。
「……分かった。やるよ……」
僕はとうとう給食費を盗むことを了承してしまった。
「それでこそ俺の友達だ!」
拓は満面の笑みで僕の肩にぽんと手を置いてもう片方の手でグッドポーズを作る。
もう言ってしまったからには逃げられない。
結局僕は拓に反論することも、自分の意見を貫き通すことも出来ない。
頭の片隅にある″トモダチ″という肩書きに振り回されながら僕はきっとこれからもこの地獄を徘徊していくんだ。
盗んでしまえばもうおしまい。たとえ盗むことに否定的な考えがあったとしても自分が盗んでしまえばそれはもう泥棒の仲間入り。
周りから見られる目は百八十度変わる。そんな事を僕は今からしてしまうわけだ。
ゆっくりと背面ロッカーに一歩歩み寄る。
誰のを盗ることになるかは分からないけど、一生懸命働いたお金に変わりはない。
盗ったお金はカツカツのなか生活費を削ってまで払っている家族のものかもしれない。
誰のものだとしても申し訳なさに変わりはない。
ごめんなさい……。ごめんなさい……。
心の中で何度も謝り、僕は布袋の中に手を入れ給食費の入った封筒を一つだけ抜き取った。
「盗ったか?」
「うん……」
「よし、じゃあそれは小鳥遊が保管してろ。絶対手放すなよ。そしたら土曜日に公園に集まって分けるぞ」
「うん……」
「心配すんなって絶対ばれないから。もしばれたとしても何も知らないって言えばいいんだ」
拓はにししっと笑い僕の肩に手を回すとそのまま教室を出ようと歩き出す。
僕はそれに釣られるがままに歩幅を合わせて足を進めながら、丁寧にランドセルに封筒を入れた。
***
こうして僕は法の向こう側に足をもう一歩踏み入れてしまった。
ばれたら少年院行きかどこか遠い町に引っ越すかのどっちかだろう。迷惑がかかるなんてものじゃない。
絶対にそんな事にはなりたくない。父さんだけにはお金を盗んだという事実と今までの嘘を知られたくない。
どうかばれないで……。頼むから……。
だがこの時まだ僕は知らなかった。ここからが本当の地獄の始まりだということに——。
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