花は咲く

柊 仁

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中学生編

例大祭

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「璃都くん遅いよー」

 茹だるような暑さの中息を切らす僕の目の前で、いつもとは見慣れない法被姿のショートヘアーが頬を膨らませた。
 目に染みる汗でぼやける視界の中、リスのように膨れる彼女のシルエットと、その後ろにどんと聳え立つ大きな鳥居が、万華鏡を覗いたように混じり合って複雑に見える。遠くからは祭囃子のような音が甲高く聞こえてきた。

 結局、彼女と待ち合わせをしたこの神社に着いたのは、あのトンネルを出てから約一時間ほどのことだった。
 青々としていた空にもすっかり朱色が混じり、五感をかき消すかのようにやかましく鳴いていたアブラゼミも、疲れてしまったのか、代わりにヒグラシがカナカナカナと情緒深くその声を響かせていた。

「集合時間に三十分も遅れてるよ? 一体何やってたの?」

「……」

 足をパタパタ貧乏ゆすりさせながら湿気混じりの視線を送ってくる少女、門崎彩恵の質問に、僕は何も答えられなかった。

 普段のテンションであれば、いや待て、僕にも言い分はあるんだ的な反論はしていたのだが、五キロ以上歩いたせいで身体はもうヘトヘト。反論する気にもならなかった。
 東京であれば優雅に電車だのバスだの使っただろうに。この村には公共交通機関という概念が存在しないのだろうか。つくづく不便な村だ。毎度場所と時間だけ指定されて長時間歩かされるこっちの身にもなってほしい。

「まぁいいけど。とにかく、山車だし始まっちゃうから行くよ。二人分空けてもらってるんだから」

 彼女はそう言うと、疲労困憊で立つことすらままならない僕の手を容赦なく掴み、そのまま明かりの灯る喧騒の中へと突っ込んでいった。

「えっ、ちょ……」

 ——まだ何の説明もされてないんだけど……。



***



「戸田さーん!」

「おう! よぐ来たな彩恵!」

 屋台の立ち並ぶ通りを抜けて大きな櫓やぐらが中央に建つ広場までたどり着くと、彩恵と同じ格好をした老人が目をギラギラさせてこちらに手を振っていた。

「ごめん遅れちゃった! 山車だしまだ始まってないよね?」

「おう! 一番前空いてるから入ってきな!」

「やった! ありがとう!」

「お? おめぇがこの前彩恵が言ってたやつか!」

 目を合わせるだけで火傷してしまいそうな暑苦しい視線が、カッと僕の方に向いた。
 その迫力に押されて、つい仰け反りそうになってしまう。

「え? あ、あの……どうも」

「なんだ元気ねーな坊主! せっかくの祭りってのによ!」

 ま、祭り……?

「あの、状況が掴めないんですけど……」

「そういえば璃都くんに説明してなかったね」

 いつもよりテンション高めなショートヘアー少女が、長いまつげをぴょこぴょこ揺らす。

「今日璃都くんを呼んだのは、この地域で昔からやってるお祭りがあるからなんだよ」

「はぁ」

「ここ着いた時点で気づかなかった? 屋台とかいっぱいあったでしょ?」

 ——あぁ、だからこんなに人が多いのか。

「……璃都くんってもしかして、お祭り行ったことない?」

 彩恵は何か触れてはいけなかったものを触れてしまったかのようにハッと手を口に当て、憐れみの視線を僕に向けた。

 よくよく考えてみれば、確かに僕は祭りなんか行ったことないし、小さい頃に親に連れていってもらった記憶もない。
 一つ心当たりがあるとすれば、昔町内会でやっていた盆踊り大会的なものをベランダから眺めたくらいだろう。普通の子供であれば祭りは絶対に行きたい重大イベントだろうが、その頃の僕はどうしても行く気にはならなかった。
 いくつもの土地を転々としていたせいか、その地域の行事などは全く興味がなかったし、一緒に行くような友達もいなかったのだ。いつの間にか、祭りというものは僕にとって、遠い存在になっていた。

「ここの祭りが最初の祭りたぁ、なかなかツイてるじゃねぇか坊主!」

 岩よりもゴツゴツした手が、僕の左肩を強く叩いた。

「いつもは静かなこの町だけどよぉ、祭りの季節になると町中の人間が一気にここに集まるんだ。大人子供関係なく皆んなで、三日通し騒ぎまくるんだ。もう楽しいのなんのって。青森のねぶたがあるなら、九戸の山車だしってもんよ! ガッハッハッハ!」

 町中の人が集まる……。
 僕は、道中山の上から見た光景を思い出した。こんな田舎でもあれだけの人が来たら、そりゃ騒がしいよな……人混みに酔わないといいけど。

 それにしてもさっきからこの人も彩恵も言ってるダシ?とは何だろう。神輿のようなものなのだろうか。
 その時、向こうの方に派手な屋台ばかりの会場内の中でも、一際異彩を放っている何かがあることに気がついた。

 遠くから見てもその大きさは十分確認できるが、最も異質なのはその造形だった。

 形自体は神輿に似ているが、土台より上の「堂」の部分が僕の知っているそれとは全く違く、階段のような二段構造になっていて、上段にはウサギやキツネ、羽衣を纏った天女など、木彫りで作られた人形が色華やかに飾られていた。
 下段には子供たちが祭囃子に合わせて楽しそうに小太鼓を叩く姿が見える。

 ”何か”を凝視し続ける僕を見て察したのか、彩恵がそれに向かってむん、と指を差した。

「あれがこれから私達が押す山車だよ。すごいでしょ」

「へぇ。なんていうか、すごい派手だね……ん? 今なんて?」

「いや、だからあれを引っ張って運ぶの。私達が」

 彩恵は、さも当たり前のことのように真顔でこちらを見つめてくる。
 その純粋無垢な瞳を前にして、疲弊しきった身体を何とか支えている残りの微弱な力が、僅かな高揚感と共にスゥーっと消えていくのを、ただ朦朧と感じた。

「運ぶってどこまで」

 大きな不安を胸に、彼女に問うてみる。

「んー、どこまでっていうか、町内は一周するかな」

「……」

 不安は、絶望に変わった。

 町内と言えばさほど範囲の広くないものを想像するかもしれないが、それは都会だけの話である。九戸のようなもはや辺境の地に近いような田舎では、土地自体が広いため町の面積もその分広くなる。町だけで東京二十三区に匹敵する場所もあるくらいだ。
 そんな所をこの体育会系活発少女は、今から練り歩こうと言うのである。しかもあの山車とやらを運びながら。疲れ果てたこの足で。
 一体何を食べたらそんな体力無尽蔵になれるのだろうか。田舎にしか伝わらないスーパーフードなるものがあるのなら、ぜひ教えてもらいたい。

「ほら、坊主もこれ着な!」

 すると、戸田さんは自分の着ている法被と同じ物を胸の前に広げた。
 真っ赤な布のど真ん中に書かれた「祭」の文字が視界にでかでかと映る。

「これ……僕も着るんですか?」

「当たり前だべ。祭りは法被がなきゃ始まんねぇだ」

「そうだよ! 璃都くんも一緒に着ようよ!」

 彩恵はどこか楽しげにキャッキャと飛び跳ねる。

「えー……」

 別にここの文化を知っているわけでもないよそものが、いきなりこんなものを着てしまっていいのだろうか。場違いではないだろうか。戸田さんや彩恵はものすごい着こなしててそれっぽいけど、僕が着ると家電量販店の店員みたいになりそうで怖い。

「……」

 僕は数秒考え込んだ後、もう一度彩恵の方をちらと見た。
 ビー玉みたいなキラキラした目と、視線がぶつかった。コクコクと招き猫のように頷く彼女の顔には、期待の文字が浮かんでいた。

 そんな目で見ないでくれ……余計断りづらくなるじゃないか。

「……分かりました。着ますよ」

 半分やけくそに、僕は戸田さんから法被を受け取った。

「お、似合ってるじゃねーの! これでお前も立派なお祭り男だんべ」

 誰かと同じ格好をするというのは、これが初めてだった。
 周りを見渡してみても皆自分と同じで、さっきまで汗だくの白Tシャツを着ていた僕は、いつの間にかいなくなっていた。不思議な気持ちだ。何で少しだけ、胸が温かくなるのだろう。何で戸田さんの言葉が、妙に照れ臭く感じるのだろう。

 答えは明確だった。
 僕はきっと、嬉しかったんだ。誰かに自分という存在を認めてもらえたことが。こんな無口で仏頂面な僕でも、彩恵と変わらない態度をとってくれる。まるで、昔から知り合いだったかのように。
 思い返せば、おばさんや源三さん、健一さんもそうだった。彼らと話しているときは何故か言葉が自然と出てくる。上辺じゃなく、心の奥底からの言葉。
 今まで人に合わせてきた僕が、自分らしく、自分の言葉で話すことが出来たのは、間違いなく彼らのおかげだった。
 これは彼らが特別なんじゃなく、ここの住民全員が、無意識のうちにそうしてきたのだ。
 人が少ないからこそ、今いる人との繋がりを大切にする。誰かが困っていたら、寄り添って助け合う。
 村や町全体がまるで一つの家族であるかのようにお互いを思い合っているからこそ、きっとこんな風に話せるのだろう。この祭りは、そんな思いやりを持つ九戸村の人々を表す、象徴なのかもしれない。

 恥じらいや悦楽、止めどなく湧き上がってくる感情から逃げるように、僕は彩恵へと視線を移した。
 彼女は僕の法被姿をボーッと下から上まで舐め回すように見た後、今までに見たことのないような満面の笑みを浮かべた。

「おそろいだね」

「……うん」

 もうどこを見たらいいか分からなくなった。
 色んな感情がごちゃ混ぜになって、心臓の鼓動を余計に早まらせる。

 そんな内情もお構いなしに、彩恵は僕の腕をギュッと掴んだ。

「じゃあ、行こっか!」

 嬉しそうに声を弾ませて走り出す彼女の後ろ姿は、いつもよりも幼く見えた。
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