1 / 2
始まり
しおりを挟む
エスペランサは、ふぅと溜め息をつきながら考えていた。
グスマン伯爵家の娘として生まれ、どこに出ても恥ずかしくないように育てられた。親が望む結婚をするのが当然だし、そのために努力もしてきた。
しかし、今になって思うのだ。
(王子の何人目かの側室として生き、死んでいくなど、私の人生は一体何だったのだろう?)
逃れる方法は、どこかに無いのだろうか?
大好きな踊りも自由に踊れない。
恋もしてみたかったし、危ない経験も少しはしてみたかった。
後悔ばかりが募っていく中、遂に我慢できなくなって、気づけば塀をよじ登っていた。
スカートは捲れ上がり、中の下着がチラと見えてしまっている。教育係がこの場にいれば、なんて下品な…品格がどうのと、すぐさま手を鞭で叩いたことだろう。
だが、今はいない。
大人しく従順な娘がいなくなるなど、誰も思うまい。監視の目もない。
今しかないという思いが、彼女を駆り立てていた。
屋敷を抜け出し、伯爵家の者しか知らない抜け道を通ると町の裏通りについた。
こんな道も役に立つのねと思いながら、歩を進めようとしたそんな時
「おい、どこに行くんだ?」
男の声が鼓膜を震わせた。
ギクリとして振り返ると、精悍な顔立ちの色男が立っていた。燃えるような赤い瞳が彼女をじっと見つめている。
「あなたに、何か関係ある?」
「関係はねぇけど、あんた、お貴族様だろう?そんな格好で外に出りゃすぐ身ぐるみ剥がされるぜ」
「そんなまさか…」
信じようとしない彼女を呆れた目で見つめ、男は言った。
「あんた、何にも知らないんだな。国全体が勢いを失って久しい。ここ伯爵領も例外じゃないんだぜ。生活が苦しい者は何だってする」
国が苦しい状況にあるのは知ってはいた。
愚かな王子が国庫を食い潰す勢いで散財し、女を侍らせ、毎晩のように夜会を開いているというのは有名な話だ。
苦言を呈す有能な家臣は、とうに追い出されたとも聞く。市民が暴動を起こすのも時間の問題かもしれないと、男の話を聞いてエスペランサは思った。
「ご忠告感謝するわ。でも、私は…」
彼女が言い淀んでいると、男は頭をガシガシと掻きながら、仕方ねえなと言った。
「?」
「危なっかしくて見てられねぇ。
それで、お嬢さまは何がしたいんだ?」
問われて考える。
ただ漠然と逃げ出したかっただけなのだ。
その気持ちのままに答える。
「外の空気を吸いたくて…」
「変わってんな、あんた。
だが、俺と会えるなんて運がいい!
そういうことなら任せとけ。いいとこに案内してやるよ」
「普通の観光案内なら結構よ」
エスペランサは、鼻をつんと上げてそう言った。
男はそれに気を悪くした様子もなく、笑顔で近づいてきたかと思うと、彼女の耳元で囁いた。
「─お嬢さんが、行きそうにないところに連れてってやるよ」
☆*
着いたのは、薄暗い店だった。
大柄な男たちが酒を飲みながら、ガハハハと下品な笑い声をたてている。
エスペランサは、踏み入れた瞬間帰りたくなった。今は男が、馴染みの女から手に入れた町娘の格好をしている。
知らずギュッと服の裾を掴んでいた。
男は彼女のそんな様子に気づいているのかいないのか、どんどん奥に入っていってしまう。
(こんな怪しい男についていくなんて、どうかしてた。もう帰…)
女が出口に向かおうとすると、パッと店内の一部が明るくなった。
「な、何?」
驚いて見ると、際どい格好をした、きらびやかな女達が身体をくねらせ踊り始めていた。
「どこ行ってたんだよ?ちゃんと、ついてこい」
男はそう言うと、無理やりエスペランサを近くの椅子に座らせた。
彼女が何か言う前に、男が手振りで近くで踊っている女を呼んだ。
装飾品のシャラシャラという音と共に、きれいな女が笑顔でやってくる。
「ここ、何なの?」
「見て分からないか?男たちの夢の楽園だよ」
「……私、いてもいいわけ?」
「まあ暗いし大丈夫だろ」
男は軽い口振りでそう言うと、踊っている女に手を近づけた。
「ま、まさか触るつもり?」
「チップだチップ。お触りもありだが、今ここではしねえよ。お前さんもいるしな」
別のテーブルを見ると、にやけ顔の男が女の胸を揉んでいる。
とんでもない場所に連れてきてくれたものだ。エスペランサは憤った。
そして、何を思ったかいきなり立ち上がり、舞台へと向かう。
パンパン
手を打ち鳴らすと、ダンダンと足を踏み鳴らした。
そして、ひらりひらりと蝶のように踊り始める。激しく情熱的に。
周囲の人間も初めは、いきなり登場した女に戸惑ったようだったが、すぐに口笛を吹き始めた。
音楽に合わせて彼女は舞う。時に飛びはね、回転し、指の先まで優雅に。
舞い終わって一礼する。
ワァァァ
荒い息を整え、前を見ると席を立った客たちが乱暴に拍手を送ってくれていた。
その中には、熱い眼差しでこちらを見つめる色男の姿もあった。
これまで感じたことのない不思議な達成感を感じながら、彼女はニコリと微笑んだ。
☆*
「お嬢さんすげえじゃねえか…!俺、感動したよ」
男が興奮ぎみに言う。
「ありがとう」
照れたようにエスペランサが言うと、男がいきなり自身の名前を告げてきた。
「俺、クラウディオってんだ。」
「はぁ」
「そんな呆れた目で見るなよ。自己紹介は大事だろ?」
今さらだなとは思ったが、女も名乗った。
「エスペランサよ」
この出会いが、後の彼女の運命を変えることになるとは…誰も想像できなかったに違いない。
グスマン伯爵家の娘として生まれ、どこに出ても恥ずかしくないように育てられた。親が望む結婚をするのが当然だし、そのために努力もしてきた。
しかし、今になって思うのだ。
(王子の何人目かの側室として生き、死んでいくなど、私の人生は一体何だったのだろう?)
逃れる方法は、どこかに無いのだろうか?
大好きな踊りも自由に踊れない。
恋もしてみたかったし、危ない経験も少しはしてみたかった。
後悔ばかりが募っていく中、遂に我慢できなくなって、気づけば塀をよじ登っていた。
スカートは捲れ上がり、中の下着がチラと見えてしまっている。教育係がこの場にいれば、なんて下品な…品格がどうのと、すぐさま手を鞭で叩いたことだろう。
だが、今はいない。
大人しく従順な娘がいなくなるなど、誰も思うまい。監視の目もない。
今しかないという思いが、彼女を駆り立てていた。
屋敷を抜け出し、伯爵家の者しか知らない抜け道を通ると町の裏通りについた。
こんな道も役に立つのねと思いながら、歩を進めようとしたそんな時
「おい、どこに行くんだ?」
男の声が鼓膜を震わせた。
ギクリとして振り返ると、精悍な顔立ちの色男が立っていた。燃えるような赤い瞳が彼女をじっと見つめている。
「あなたに、何か関係ある?」
「関係はねぇけど、あんた、お貴族様だろう?そんな格好で外に出りゃすぐ身ぐるみ剥がされるぜ」
「そんなまさか…」
信じようとしない彼女を呆れた目で見つめ、男は言った。
「あんた、何にも知らないんだな。国全体が勢いを失って久しい。ここ伯爵領も例外じゃないんだぜ。生活が苦しい者は何だってする」
国が苦しい状況にあるのは知ってはいた。
愚かな王子が国庫を食い潰す勢いで散財し、女を侍らせ、毎晩のように夜会を開いているというのは有名な話だ。
苦言を呈す有能な家臣は、とうに追い出されたとも聞く。市民が暴動を起こすのも時間の問題かもしれないと、男の話を聞いてエスペランサは思った。
「ご忠告感謝するわ。でも、私は…」
彼女が言い淀んでいると、男は頭をガシガシと掻きながら、仕方ねえなと言った。
「?」
「危なっかしくて見てられねぇ。
それで、お嬢さまは何がしたいんだ?」
問われて考える。
ただ漠然と逃げ出したかっただけなのだ。
その気持ちのままに答える。
「外の空気を吸いたくて…」
「変わってんな、あんた。
だが、俺と会えるなんて運がいい!
そういうことなら任せとけ。いいとこに案内してやるよ」
「普通の観光案内なら結構よ」
エスペランサは、鼻をつんと上げてそう言った。
男はそれに気を悪くした様子もなく、笑顔で近づいてきたかと思うと、彼女の耳元で囁いた。
「─お嬢さんが、行きそうにないところに連れてってやるよ」
☆*
着いたのは、薄暗い店だった。
大柄な男たちが酒を飲みながら、ガハハハと下品な笑い声をたてている。
エスペランサは、踏み入れた瞬間帰りたくなった。今は男が、馴染みの女から手に入れた町娘の格好をしている。
知らずギュッと服の裾を掴んでいた。
男は彼女のそんな様子に気づいているのかいないのか、どんどん奥に入っていってしまう。
(こんな怪しい男についていくなんて、どうかしてた。もう帰…)
女が出口に向かおうとすると、パッと店内の一部が明るくなった。
「な、何?」
驚いて見ると、際どい格好をした、きらびやかな女達が身体をくねらせ踊り始めていた。
「どこ行ってたんだよ?ちゃんと、ついてこい」
男はそう言うと、無理やりエスペランサを近くの椅子に座らせた。
彼女が何か言う前に、男が手振りで近くで踊っている女を呼んだ。
装飾品のシャラシャラという音と共に、きれいな女が笑顔でやってくる。
「ここ、何なの?」
「見て分からないか?男たちの夢の楽園だよ」
「……私、いてもいいわけ?」
「まあ暗いし大丈夫だろ」
男は軽い口振りでそう言うと、踊っている女に手を近づけた。
「ま、まさか触るつもり?」
「チップだチップ。お触りもありだが、今ここではしねえよ。お前さんもいるしな」
別のテーブルを見ると、にやけ顔の男が女の胸を揉んでいる。
とんでもない場所に連れてきてくれたものだ。エスペランサは憤った。
そして、何を思ったかいきなり立ち上がり、舞台へと向かう。
パンパン
手を打ち鳴らすと、ダンダンと足を踏み鳴らした。
そして、ひらりひらりと蝶のように踊り始める。激しく情熱的に。
周囲の人間も初めは、いきなり登場した女に戸惑ったようだったが、すぐに口笛を吹き始めた。
音楽に合わせて彼女は舞う。時に飛びはね、回転し、指の先まで優雅に。
舞い終わって一礼する。
ワァァァ
荒い息を整え、前を見ると席を立った客たちが乱暴に拍手を送ってくれていた。
その中には、熱い眼差しでこちらを見つめる色男の姿もあった。
これまで感じたことのない不思議な達成感を感じながら、彼女はニコリと微笑んだ。
☆*
「お嬢さんすげえじゃねえか…!俺、感動したよ」
男が興奮ぎみに言う。
「ありがとう」
照れたようにエスペランサが言うと、男がいきなり自身の名前を告げてきた。
「俺、クラウディオってんだ。」
「はぁ」
「そんな呆れた目で見るなよ。自己紹介は大事だろ?」
今さらだなとは思ったが、女も名乗った。
「エスペランサよ」
この出会いが、後の彼女の運命を変えることになるとは…誰も想像できなかったに違いない。
2
あなたにおすすめの小説
“いつまでも一緒”の鎖、貴方にお返しいたします
柊
ファンタジー
男爵令嬢エリナ・ブランシュは、幼馴染であるマルグリット・シャンテリィの引き立て役だった。
マルグリットに婚約が決まり開放されると思ったのも束の間、彼女は婚約者であるティオ・ソルベに、家へ迎え入れてくれないかというお願いをする。
それをティオに承諾されたエリナは、冷酷な手段をとることを決意し……。
※複数のサイトに投稿しております。
悪役令嬢に相応しいエンディング
無色
恋愛
月の光のように美しく気高い、公爵令嬢ルナティア=ミューラー。
ある日彼女は卒業パーティーで、王子アイベックに国外追放を告げられる。
さらには平民上がりの令嬢ナージャと婚約を宣言した。
ナージャはルナティアの悪い評判をアイベックに吹聴し、彼女を貶めたのだ。
だが彼らは愚かにも知らなかった。
ルナティアには、ミューラー家には、貴族の令嬢たちしか知らない裏の顔があるということを。
そして、待ち受けるエンディングを。
悪役令嬢カテリーナでございます。
くみたろう
恋愛
………………まあ、私、悪役令嬢だわ……
気付いたのはワインを頭からかけられた時だった。
どうやら私、ゲームの中の悪役令嬢に生まれ変わったらしい。
40歳未婚の喪女だった私は今や立派な公爵令嬢。ただ、痩せすぎて骨ばっている体がチャームポイントなだけ。
ぶつかるだけでアタックをかます強靭な骨の持ち主、それが私。
40歳喪女を舐めてくれては困りますよ? 私は没落などしませんからね。
愚者による愚行と愚策の結果……《完結》
アーエル
ファンタジー
その愚者は無知だった。
それが転落の始まり……ではなかった。
本当の愚者は誰だったのか。
誰を相手にしていたのか。
後悔は……してもし足りない。
全13話
☆他社でも公開します
家族から苛められていた私が、大会の賞品に選ばれてしまった結果
しきど
恋愛
幼い頃、男爵家の養子となった私は、血の繋がらない家族から煙たがられる存在でした。
鬱屈とした日々を過ごしていたある日、資金難に苦しんでいた義父は領土内での剣術大会の開催を発案します。
「優勝者には、ルミーナを妻に与えよう」
──私が、賞品ですか?
家族からすればお金儲けが出来て、疎ましく思っている私を家から追い出す事も出来る、一石二鳥の作戦と言えるでしょう。
でも私は、ならず者のような腕自慢のお嫁さんになるなんて絶対嫌。
そうまでされるのであれば、私にも考えというものが御座います──。
やり直しの王太子、全力で逃げる
雨野千潤
恋愛
婚約者が男爵令嬢を酷く苛めたという理由で婚約破棄宣言の途中だった。
僕は、気が付けば十歳に戻っていた。
婚約前に全力で逃げるアルフレッドと全力で追いかけるグレン嬢。
果たしてその結末は…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる