男爵令嬢アデリナの仇討ち

ぴぴみ

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日常

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母は、いつも優しく笑っていた。
穏やかで笑顔が可愛らしい人。

ウェルズリー男爵のご迷惑になることは、決して、してはダメよというのが口癖で、私はその言い付けをしっかり守ってきた。

目立たぬよう息を潜めて、働いた。冬になれば、あかぎれが痛み、危険な薬草を採取するため切り傷は絶えない。いつも娘の手とは思えぬほどにボロボロだったが、私は気にしなかった。

─側に母がいたから。

私たちは、男爵家の厄介者だった。何度、母に逃げ出そうと言ったか知れない。しかし母はいつも悲しげに首を振った。

外の世界では生きてはいけない、あなたはまだ恵まれている。
そして最後に決まってこう言うのだ。

「私たちが生きていけるのは、獣人保護法のおかげなの…」

獣人保護法─それは、この国シェラードで二十年前に施行されたもの。
当時シェラードは、有り余る武力を用い領土を拡大し続けていた。捕虜として、征服した国の民を持ち帰り、奴隷として働かせた。

そこには、母の祖国ベスティエも含まれた。
ベスティエの民は、シェラードの民と違い、獣の耳や尾を持っているのが特徴だった。

身体能力も高く、戦闘奴隷や愛玩奴隷として高値で取引された。ただし、酷使され死亡する者も多く、数は徐々に減っていった。

死なせず上手く活用できれば、国は更に発展するのではないか。
そう考えた国王が、獣人を保護するとは建前の『一家に一獣』を推奨するという法律を施行したのだ。

この法律のおかげなのか、獣人の死亡率はぐんと下がった。獣人がいる家は税が優遇され、貴族の家でも獣人を使用人として雇うのが世の習いとなった。

母が、ここウェルズリー男爵家に連れてこられたのもそんな頃だ。

熊の獣人であった母は、耳と尻尾がある以外は、ここシェラード国の民の者となんら変わらず、娘の私が言うのもなんだが色白で儚げな美女だ。

メイドとして働く傍ら、私を大切に育ててくれた。

しかし、大変な思いをしてきたのだと言われずとも分かる。今もあまり状況が変わっていないが、獣人に対する差別は未だ根強い。

嫌がらせは日常茶飯事で、食べるものも満足な量とは言えなかった。

終始お腹がすいていたが、文句は言えなかった。母が自分の分まで私に与えようとしてくれたから。

私は、いつの頃からか知っていた。
自分が母と誰の娘なのかを。

使用人が噂しているのを聞いてしまったり、私を視界に入れてしまったときの男爵夫人やアオイ様の態度、母の表情からなんとなく感じとっていた。

─私は男爵の娘なのだ、と。



「ほら、さっさと起きな。グズグズするんじゃないよ」

まだ日が昇りきらない内に、一切の躊躇なく叩き起こされた。

いつもより更に早く起こされたようで、寝入ってからまだ数時間しか経っていない。

慌てて準備を始めた私と母を嘲笑いながら、使用人の女が言う。

「私はもう一眠りするからそれまでに朝の仕事を全て片付けとくんだよ」

女は、『っとになんで私がこんな早くに』とぶつぶつ文句を言いながら去っていった。

「母さん、身体の調子、良くないんでしよう?私がやっとくから、少し眠って」

「心配性ねアデリナは。私なら大丈夫」

そうは言うものの、母の顔色は悪く、大丈夫なようには、とても見えなかった。

「やっぱり、この前から母さんが命じられてやってる、薬草採取がいけないんじゃない?私も手伝うから」

「あれは本当に危険だから、あなたは近づかないで」

母の珍しいほど真剣な顔に、私は何も言えなくなった。

「それに、奥様からの直々のご命令よ。止めることはできないわ」

悲壮な決意さえも感じるほど強く、母はそう言った。



朝の仕事を済ませると、運悪くアオイ様と遭遇してしまった。すぐさま脇に寄り、頭を下げる。

何事もなく通りすぎてくれることを祈ったが、やはりそれは甘い考えのようだった。

「やだ、くさいと思ったら獣がいたのね!通りで臭うわけだわ」

鼻を手でつまむ仕草をしながら、私を軽蔑しきった目で見ている。この少女─男爵家の正式な娘であるアオイ様は、私を目の敵にしている。

血が繋がっているということを、知っているからなのかは分からない。だが、見つかれば嫌味を言われるのはまだ優しい方で、必ず手を出されていた。

「あら、あら?あなたのお耳はどこ?」

そう言って、私の頭の上に手を置いて、下へ下へと力を込める。

「母親と同じ熊の耳がないわよ?どこに隠しているの?」

私は、人と獣人の両方の血を引き、たまたま人の血が濃く出たためか、外見は完璧に人のそれと一緒だ。

熊の耳など元から持ちはしない。それを当然分かっているだろうに、アオイ様はどこからそんな力が、と驚くほどに強く髪を引っ張ってくる。

いつものことなので、目を瞑りながら黙って耐えていると

「こんなところに、いらないものが…」

耳に跡がつくほど爪を立てられた。

「…っ…」

思わず声が出そうになるが、唇を噛んで、
なんとか我慢する。

「─ふん」

飽きたのかアオイ様はそう言って去っていたが、ぼそりと言い捨てた言葉はしっかり私の耳に入っていた。

「汚らわしい、獣が…。」


直接言われるより、ずっとずっと、抜けない刺のように胸に残った。



    
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