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第二十六話 シグルド・レーヴェ -1
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シグルド・レーヴェは竜騎士である。
正確には帝国軍中央司令部所属航空飛竜部隊所属の竜飛行士だ。
竜飛行士とは、その名のとおり竜に騎乗し空を飛ぶ者たちのことをいう。けれどもシグルドたち竜飛行士は百年前と同じく竜騎士と呼ばれることの方が圧倒的に多かった。
かつて皇帝より叙任された帝国の誉れ高き竜騎士たちで組織された竜騎士団。それを前身とした航空飛竜部隊は、騎士という身分がなくなり帝国の一軍人となった今でも馴染みのある竜騎士という呼び方で親しまれているのだ。
シグルドはその中でも中央司令部預かりで、主な任務は激戦地の制空権確保であった。
通常、四騎一組で部隊を組む竜騎士であるが、シグルドは他の竜騎士たちとは違い部隊を組むことはない。その理由は簡単で、シグルドの騎竜アーベントだけが他の竜とは種類が違うからだ。
大陸に生息する竜種はいくつかあるが、その中でも比較的大人しく人に慣れやすいのがフリューゲル種という竜だ。苛烈で攻撃的な竜種の中では相対的に温和な性格のものが多く、騎竜として扱いやすいため大陸の竜騎士のほとんどがフリューゲル種に乗っている。
その中で、アーベントはカタストローフェ種という種類の竜だった。
カタストローフェ種はフリューゲル種よりも体躯が大きく、その強靭な四枚の羽根で力強く空を飛ぶ。フリューゲル種とは違い性格が荒いため、捕らえても騎竜にまで慣らせることは滅多にない竜種だった。
それでもカタストローフェ種を騎竜にすることができれば、その速さと強靭さで他の竜たちを圧倒する最強の空の王者となるのだった。
各地で戦争をしている帝国は、竜を――とりわけ、カタストローフェ種を重用する傾向にあった。一応は士官学校を出てはいるものの、成績も平均程度だったシグルドが中央司令部所属になれたのも、全てはアーベントのおかげだ。
シグルドとアーベントの出会いは南部の小さな基地だ。捕らえられたアーベントに、まだ専用の騎竜を持たない新人飛行士だったシグルドが引き合わせられたのが始まりだ。そこに特別なことなど何もなかったが、何故かアーベントはシグルドを気に入り騎竜となってくれたのだった。
空の王者カタストローフェ種は前評判以上の働きをしてくれた。
一度空を飛べばフリューゲル種など敵ではなく、あっと言う間に敵を制圧してその場の支配者になってくれる。激戦だった南方戦線が半年で停戦に持ち込めたのも、アーベントが南方三国の所有していた騎竜の大半を墜としたからだ。
だからこそシグルドはアーベントとともに、常に最前線に送られることになる。
アーベントに選ばれ、帝国で竜騎士をしている以上それは仕方のないことではあるが、それでも凡人であるシグルドには耐えきれないほどの疲れを感じるときがあった。
最初は違和感でしかない感覚だったそれは、竜騎士として数年を過ごすうちに無視できないものになっていった。
初めて「夢」を見たのはそんなときだ。
戦闘で人を殺したその夜はひどい孤独感に苛まれて眠れなくなることが多くなっていた。浅い眠りについても、昼間命を奪った相手の姿が瞼の裏に浮かぶのだ。恐ろしくて苦しくて、何度も汗みずくになって飛び起きる。そんなことを繰り返していたある日、突然夢に見知らぬ誰かが出て来た。
夢の中でシグルドは現実と同じように竜に乗っていた。
どこまでも広がる澄んだ青い空と地面に広がる麦穂の波。その中で、空を飛ぶシグルドを待つその人は輝く金髪と、空と同じ青い瞳を持っていた。見知らぬどこかの国の軍服を着た彼は、いつも空を見上げてシグルドの帰りを待っていた。
それを見下ろしながら、夢の中の自分は絶対に彼の元に帰らなければいけないと強く思うのだ。
彼が夢に出てくるのは、シグルドが必ず人を殺した日の夜だった。
辛い心を慰めるように微笑んでくれるその人に会いたいと思ったのは、とても自然なことだったと思う。
けれども、会いたいと思って会える相手ではないと実感したのは、彼を探し始めてからすぐのことだった。
そもそも、シグルドの周囲に金髪碧眼の人物がいないのだ。
出身地である帝国南部の人々は鮮やかな赤や橙色といった華やかな髪や目の色をした者が多い。金髪や亜麻色といった薄い色の髪は北部の特徴で、士官学校時代の同窓生に数人いたが、夢の中の彼ほど見事な金髪を持った者はいなかった。
幼い頃の知り合いなのかと思い、両親に聞いても見つからず、ひょっとしたらあれは狂いかけた自分が作り出した幻なのかもしれないと思い始めた頃、シグルドは娼館で女を買うことを覚えた。
元々男所帯の軍基地の近くには、娼館が多く立ち並んでいる。戦闘後の興奮を女を抱くことで発散させる兵士も少なくないからだ。
それをきっかけにして、誰かの温もりが孤独や恐怖を和らげてくれることを知った。
一度知ってしまえば、その好意は手軽に夜を過ごすためのひとつの手段になった。
相変わらず彼の夢は見たが、所詮彼は触れることも言葉を交わすことも出来ない相手だ。求めても手に入らず、ひどい焦燥感だけが募っていく。
彼の元に帰らなければいけない。そんな気持ちだけがシグルドの心を捕えて離さなかった。
幸いなことにシグルドは中央司令部所属で、常に激戦地を渡り歩く生活をしていた。
四方八方で戦争をしている帝国は、国境のほぼ全てが前線基地だ。常にどこかしらが開戦中で、シグルドは様々な土地を移動することになった。新しい土地に移動するたびにシグルドは夢の中の彼を探した。けれども、やはり見つからない。
そのうち自然と金髪碧眼の娼婦を買うことが多くなり、たまに男娼も抱いた。夢の中の彼がまだ幼さを残す少年だったからだ。
やはり、彼はシグルドが作り出した幻なのかもしれない。無意識のうちに自分の理想を脳が形作り、自分の都合のいいように動かしている。現実にはいない人間で、だからこれほど探しても見つからないのだろうか。
冷静な理性ではそう思うのに、シグルドには彼を諦めることが出来なかった。
夢の中で彼は様々な表情を見せてくれる。優しく微笑んでいることがほとんどではあったが、時折苦しげにシグルドを見つめてくることがあった。泣きながら、絶対に帰って来てほしいと懇願してくることすらあるのだ。
見たことも会ったこともない相手の姿かたちを、これほど鮮明に思い描くことが出来るとは思えなかったからだ。彼に関する全てが曖昧なのに、その顔だけははっきりとしている。
待っていると彼は繰り返しシグルドに言う。
――会いに行かなければ。
シグルドは何年もずっと、彼を探し続けていた。
正確には帝国軍中央司令部所属航空飛竜部隊所属の竜飛行士だ。
竜飛行士とは、その名のとおり竜に騎乗し空を飛ぶ者たちのことをいう。けれどもシグルドたち竜飛行士は百年前と同じく竜騎士と呼ばれることの方が圧倒的に多かった。
かつて皇帝より叙任された帝国の誉れ高き竜騎士たちで組織された竜騎士団。それを前身とした航空飛竜部隊は、騎士という身分がなくなり帝国の一軍人となった今でも馴染みのある竜騎士という呼び方で親しまれているのだ。
シグルドはその中でも中央司令部預かりで、主な任務は激戦地の制空権確保であった。
通常、四騎一組で部隊を組む竜騎士であるが、シグルドは他の竜騎士たちとは違い部隊を組むことはない。その理由は簡単で、シグルドの騎竜アーベントだけが他の竜とは種類が違うからだ。
大陸に生息する竜種はいくつかあるが、その中でも比較的大人しく人に慣れやすいのがフリューゲル種という竜だ。苛烈で攻撃的な竜種の中では相対的に温和な性格のものが多く、騎竜として扱いやすいため大陸の竜騎士のほとんどがフリューゲル種に乗っている。
その中で、アーベントはカタストローフェ種という種類の竜だった。
カタストローフェ種はフリューゲル種よりも体躯が大きく、その強靭な四枚の羽根で力強く空を飛ぶ。フリューゲル種とは違い性格が荒いため、捕らえても騎竜にまで慣らせることは滅多にない竜種だった。
それでもカタストローフェ種を騎竜にすることができれば、その速さと強靭さで他の竜たちを圧倒する最強の空の王者となるのだった。
各地で戦争をしている帝国は、竜を――とりわけ、カタストローフェ種を重用する傾向にあった。一応は士官学校を出てはいるものの、成績も平均程度だったシグルドが中央司令部所属になれたのも、全てはアーベントのおかげだ。
シグルドとアーベントの出会いは南部の小さな基地だ。捕らえられたアーベントに、まだ専用の騎竜を持たない新人飛行士だったシグルドが引き合わせられたのが始まりだ。そこに特別なことなど何もなかったが、何故かアーベントはシグルドを気に入り騎竜となってくれたのだった。
空の王者カタストローフェ種は前評判以上の働きをしてくれた。
一度空を飛べばフリューゲル種など敵ではなく、あっと言う間に敵を制圧してその場の支配者になってくれる。激戦だった南方戦線が半年で停戦に持ち込めたのも、アーベントが南方三国の所有していた騎竜の大半を墜としたからだ。
だからこそシグルドはアーベントとともに、常に最前線に送られることになる。
アーベントに選ばれ、帝国で竜騎士をしている以上それは仕方のないことではあるが、それでも凡人であるシグルドには耐えきれないほどの疲れを感じるときがあった。
最初は違和感でしかない感覚だったそれは、竜騎士として数年を過ごすうちに無視できないものになっていった。
初めて「夢」を見たのはそんなときだ。
戦闘で人を殺したその夜はひどい孤独感に苛まれて眠れなくなることが多くなっていた。浅い眠りについても、昼間命を奪った相手の姿が瞼の裏に浮かぶのだ。恐ろしくて苦しくて、何度も汗みずくになって飛び起きる。そんなことを繰り返していたある日、突然夢に見知らぬ誰かが出て来た。
夢の中でシグルドは現実と同じように竜に乗っていた。
どこまでも広がる澄んだ青い空と地面に広がる麦穂の波。その中で、空を飛ぶシグルドを待つその人は輝く金髪と、空と同じ青い瞳を持っていた。見知らぬどこかの国の軍服を着た彼は、いつも空を見上げてシグルドの帰りを待っていた。
それを見下ろしながら、夢の中の自分は絶対に彼の元に帰らなければいけないと強く思うのだ。
彼が夢に出てくるのは、シグルドが必ず人を殺した日の夜だった。
辛い心を慰めるように微笑んでくれるその人に会いたいと思ったのは、とても自然なことだったと思う。
けれども、会いたいと思って会える相手ではないと実感したのは、彼を探し始めてからすぐのことだった。
そもそも、シグルドの周囲に金髪碧眼の人物がいないのだ。
出身地である帝国南部の人々は鮮やかな赤や橙色といった華やかな髪や目の色をした者が多い。金髪や亜麻色といった薄い色の髪は北部の特徴で、士官学校時代の同窓生に数人いたが、夢の中の彼ほど見事な金髪を持った者はいなかった。
幼い頃の知り合いなのかと思い、両親に聞いても見つからず、ひょっとしたらあれは狂いかけた自分が作り出した幻なのかもしれないと思い始めた頃、シグルドは娼館で女を買うことを覚えた。
元々男所帯の軍基地の近くには、娼館が多く立ち並んでいる。戦闘後の興奮を女を抱くことで発散させる兵士も少なくないからだ。
それをきっかけにして、誰かの温もりが孤独や恐怖を和らげてくれることを知った。
一度知ってしまえば、その好意は手軽に夜を過ごすためのひとつの手段になった。
相変わらず彼の夢は見たが、所詮彼は触れることも言葉を交わすことも出来ない相手だ。求めても手に入らず、ひどい焦燥感だけが募っていく。
彼の元に帰らなければいけない。そんな気持ちだけがシグルドの心を捕えて離さなかった。
幸いなことにシグルドは中央司令部所属で、常に激戦地を渡り歩く生活をしていた。
四方八方で戦争をしている帝国は、国境のほぼ全てが前線基地だ。常にどこかしらが開戦中で、シグルドは様々な土地を移動することになった。新しい土地に移動するたびにシグルドは夢の中の彼を探した。けれども、やはり見つからない。
そのうち自然と金髪碧眼の娼婦を買うことが多くなり、たまに男娼も抱いた。夢の中の彼がまだ幼さを残す少年だったからだ。
やはり、彼はシグルドが作り出した幻なのかもしれない。無意識のうちに自分の理想を脳が形作り、自分の都合のいいように動かしている。現実にはいない人間で、だからこれほど探しても見つからないのだろうか。
冷静な理性ではそう思うのに、シグルドには彼を諦めることが出来なかった。
夢の中で彼は様々な表情を見せてくれる。優しく微笑んでいることがほとんどではあったが、時折苦しげにシグルドを見つめてくることがあった。泣きながら、絶対に帰って来てほしいと懇願してくることすらあるのだ。
見たことも会ったこともない相手の姿かたちを、これほど鮮明に思い描くことが出来るとは思えなかったからだ。彼に関する全てが曖昧なのに、その顔だけははっきりとしている。
待っていると彼は繰り返しシグルドに言う。
――会いに行かなければ。
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