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6話
しおりを挟む「……多分、ここであってるよな? 頼むからここに居てくれよ、千晃君」
天候の影響だって受けるし、予期せぬ事故とかだってあるかもしれない。
とにかく建設予定なんて、大幅に納期が遅れることはあまり無いとは言っても、多少のズレはあるものだ。
千晃君の現場もそういう場所だったのかもしれない。
待ちに待った三か月だったが、その月に近場で大きな工事と言うのは無かった。
それらしい現場の話を聞いたのは、それから更に一か月が過ぎた頃。
俺の職場から歩いて行けるオフィス街の中心にある、古くなった商業ビルの建て替え工事が開始されたと言う情報を聞きつけた。
下見に訪れた時には、工事予定の看板と周辺に柵があるだけだったが、今日は建物らしき場所に足場が組まれてビニールが張られていた。
ツナギを来た作業員の人たちも大勢集まっていて、俺は逸る気持ちを抑えて遠目から顔を確認していった。
「千晃君は背がデカイからすぐ分かるって思ったけど、皆大きいな」
千晃君の柄の悪さの方がまだマシってくらい、迫力のある人が沢山いる。
大声で話しながら屯たむろして、煙草を吹かしている人たちに俺の足が竦む。
「でも訊いてみなくちゃ。ここに千晃君がいるかって」
俺は千晃君に会いたい一心で、一番道路側にいたまだ若そうな集団に「あの」と声をかけた。
「あ? 何」
視線があっただけで、思わずビクっと肩が跳ねる。
「あの、ここに大高千晃さんはいらっしゃるでしょうか?」
「おおたかちあき?」
「あー、チアキな。いるいる」
「あの不愛想なガキな」
周りと会話しながらギャハハと笑った雰囲気が、なんとなく嫌な感じがする。
どうもこの人たちは千晃君とあまり関係が良くないようだ。
声をかける相手を間違ったな、と思う。
「何。オニーさん、チアキのお友達?」
集団の中から、一番面倒そうなのが俺の前に立つ。
「まあ、そんなものです」
「ふーん?」
値踏みするような上から見下ろす視線に、俺の逃げたい恐怖がふつふつと湧き上がる。蛇に睨まれた蛙のように、激しい恐怖で俺は指一本動かせなかった。
「俺昨日煙草投げ捨てたのアイツに親方にチクられて、すっげー絞られたんだわ」
「そ、れは普通に貴方が悪いんじゃ……」
ギロっと睨みつけられて、俺はキュっと口を閉じる。
「そういうのはさ、黙っとくのが先輩への礼儀っつーモンだろうが! 親方に気に入られてるかなんか知らねーけどアイツ態度デカくてムカつくんだよなァ!!」
怖い怖い怖い怖い。
こういう理不尽な怒りをぶつけてくる無駄にデカイ奴は俺の一番苦手なタイプだ。
そいつは身を屈めると、俺の顔の前でスンと鼻を鳴らした。
そして大きくて獰猛な口の端を、ニヤリと歪な形に引き上げた。
「へぇ、あんたSubか。そう言やアイツはDomだったな。ちなみに俺もDomな」
まあ仲良くしようぜ、と俺の肩をガっと掴む。
「ひぇっ」
なんだこの距離感。
恐ろしすぎて、息がつまる。
パートナーのいないSubから漏れ出るフェロモンは、Domにいとも簡単に嗅ぎ取られる。特にDomとしての性質が強い相手に対する効果は覿面てきめんで、微量であったとしても相手の支配欲を暴走させてしまう。
「なるほど、お友達じゃなくてアンタは大高のソッチのお相手ってワケだ」
俺のことを振り回すみたくして、肩を掴んだままガクガクと俺の頭を揺さぶる。
Domの高圧的なフェロモンと、物理的な衝撃で俺は吐き気を覚える。
「や、違っ……俺と千晃君はそんなんじゃ……」
「アァ? 会いに来たっつーことはそういうことだろ。DomとSubが会ってやることなんざ一つじゃねえか。あー、アンタ欲求不満なんだ? 俺が相手してやってもいいぜ? 大高より絶対よくしてやる」
「やめろって! イヤだ!! 怖い、怖いってば!」
「なんだよ、怯えた素振りなんてしてさ。Subってやつはいつもそうだ。本当は乱暴に扱って欲しくてたまんねぇんだろ?」
分かった風な口調で俺を抑えつけようとしてくるのが本当に腹立たしい。この本気の抵抗がただのフリに見えてるんだったら、一度眼科に行ってこいって思う。
「ホントに無理だから! 離してくれ!!」
「”うるせぇ”! ”動くな”!!」
「ひッ」
怒声と共に、俺の動きがピタリと止まる。
これはコマンドだ。どうあがいても逆らえない、圧倒的な支配。
「よし、止まったな。”Kneel”!」
「あ、やだ……イヤだ」
言われるままに、ぺたりのその場に座り込んだ俺を眺めて、男は満足そうに笑う。
「随分とコマンドの入りやすい身体だな。いいオモチャになりそうだ」
ガタガタと歯が震え出して、ボロボロと涙が勝手に零れる。
イヤだ、怖い。
こんなに心は拒絶してるのに、俺の身体はちっとも言うことを聞いてくれない。
千晃君のコマンドと、全然違う。
今になって、本当の意味で君のプレイを理解した気がする。
君は俺を、とても大事にしてくれていたんだね。
「う、うう……もう、やめてください。千晃君に会わせて。千晃君、どこ」
「ちあきちあき、ってうるせえな。”黙れ”! ”黙れ”! ”黙れ”! ”不快”なんだよ!」
「ぐ、う……」
頭がぐらぐらする。
否定のコマンドを立て続けに食らって、絶望で気を失ってしまいそうだ。
俺がどうにか意識を保っていられるのは、ただ千晃君に会いたいという強い想い――それだけが俺を支えてくれている。
でもそれも、もう持ちそうにない。
「千晃君――」
意識を失う寸前だった。
「鹿野さん!! テメェ、鹿野さんから離れろ!!」
ゴウッ、と周囲の空気がざわめくのが分かる程の強い威圧だった。
これは千晃君のグレアだ。
自身のSubを傷つけられた時にDomが見せる、強い威嚇行為。
千晃君は俺を守るように背後に隠して、男の前に立ちはだかる。
ビリビリと肌が焼けるような、強い恐怖感が俺の足元から這い上がって来る。
まずい、これって俺も――。
「千晃君、待って。グレアが強すぎる……これだと俺も、耐えらえな……」
俺に向けられたものじゃないと分かっていても、Subがこんなものに当たったらたまったものではない。
でもすっかり頭に血が上ってしまっている千晃君の耳に、俺の声は届かなかった。
「テメェ! 汚ねぇコマンドで鹿野さん傷つけてんじゃねぇ!! この人はな、痛いのが嫌いなSubなんだよ。Subだからって皆が皆、乱暴されんのが好きとか思ってんなよ!!」
「ハッ、偉そうに。お前だって似たようなモンじゃねえか。その凶悪な目つき。俺に限らず周り中にグレアまき散らしやがって、いかにもDomらしいな? そのお前の大事な”カノサン”がどうなってるのか見て見ろや」
「え……」
振り返った千晃君が、俺の顔を見てサっと顔色を変える。
「鹿野さん!! 大丈夫っすか? 鹿野さん!!」
「う……うぅ……」
千晃君の心配そうな声。
会えない間、何度も夢に見た大好きな人にやっと会えたって言うのに、俺は何やってんだろう。
大丈夫だよ、って言ってあげたい。
千晃君は何も怖くない。そう言いたい、のに。
「うぐ……"コワイ"、怖かった、千晃君――"コワイ"」
「――うっ」
突然ぐらりと、俺を抱きかかえていた千晃君の頭が揺らぐ。
パタり、と倒れてしまった千晃君を見て、俺は自分の発した言葉の重大さにようやく気付いたんだ。
Subが唯一Domの行動を制御できる言葉――セーフワード。
初めてプレイした時に決めた言葉が、よりによって今発動してしまったのだ。
「あ、違う。千晃君、俺、君が怖い訳じゃない。ねえ、応えてよ……」
ギュウ、と力なくうなだれている千晃君の巨体を抱きしめる。
俺も気分は最悪で、今にも泣きだしてしまいそうなほど情緒がグチャグチャだったけど、今腕の中にある体温だけは離すまいと必死にしがみつく。
「――あの、取り敢えず休憩室あるんで。大高と一緒に貴方もそっちで休んでてください」
遠巻きに見ていた人の中から進み出た、責任者らしき年配の人が声をかけてきた。
「すみません。お邪魔します」
その人の肩を片方借りて、まだ意識の戻らない千晃君を担いで簡易ベッドのある救急用のテントに連れて行く。
「貴方は大丈夫なんですか?」
「ああ、ハイ。彼が守ってくれましたから」
結局のところ、DomとSubの間に起こる事象の多くは、一般の人には理解出来ないことだ。俺がどれだけのダメージを受けているのか、千晃君に何が起こっているのか。バース性の専門の医者や、バース性を持つ当事者でなければ正確に理解するのは難しい。
この人も、俺が気分悪そうにしていたから気にかけてくれただけで、グレアによる影響がSubにどれほどのダメージを与えるのかなんて知りはしないのだ。大体のNomalの人たちにとって、俺たちの争いはちょっとした小競り合い程度にしか見えていなかっただろう。
俺たちに当たり散らしていた男は、その場にいた数人に宥めすかされて事務所に連れていかれたらしい。
荒っぽい現場だ。喧嘩慣れした人々は、今はもう大して気にした風もなく、思い思いに行動している。
「あれだけのグレアを浴びたのに、どうにか意識保てただけでも奇跡だよ」
どうしてこの程度のダメージで済んだのか、そんなこと分かり切っている。
衝動でグレアを放ったように見えた千晃君だったけど、無意識にでも彼の意識は俺を庇ったんだ。
俺に威圧が向かないように。
それはきっと、頭で考えたって出来ない。
頭でなく本能で、彼の優しいDomである性質が、俺の怖がりなSub性を思いやったくれた結果だ。
「君のことを俺が怖がるはずなんてないよ。だから早く目覚めてよ。俺、君に言いたいことが沢山あるんだ」
ベッドで苦し気に目を閉じている千晃君の手を握っていると、それだけで今日受けた心無いコマンドのダメージがじわじわと回復していくようだった。
(やっぱり、あったかい)
久々に触れた大好きな人の体温に、安心したんだろう。長めの瞬きをしたつもりが、俺もいつの間にかすっかり寝入ってしまった。
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