魔女はパン屋になりました。

月丘マルリ(12:28)

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1巻

1-3

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 うーん。でも、飽きられる前に新作を考えるべきかなぁ。今度、魚をフライにしてみようかな。タルタルソースの作り方なんて知らないけど。
 新作パンの構想を練りながら、大きなバスケットにサンドイッチを詰めていく。第二騎士団からの注文のおかげで、店にお客さんが来なくても困らない。売り上げは以前より少し落ちたけれど、節約すればなんとかなる。
 グランシオいわく、そのうち向こうの方が店を閉めるか、通常の値段に戻すだろうとのことだから、きっと大丈夫。そうなったら今度は別の嫌がらせが始まるかもしれないけど、そのときはそのとき考えよう。不安になってばかりじゃ、精神が持たない。…………割と切実に。

「それじゃあ行ってくるね」

 騎士団にサンドイッチを届けるのはグランシオの役目だ。
 鋭い目をした男より、地味でも女の子である私に配達してほしいという要望があったのだけれど、『可愛いご主人を、どうして野郎どもの巣窟そうくつに行かせなきゃいけないの?』と、グランシオに真顔で却下されたのだった。


     * * * *


「ヤミン、これ、たくさんもらったからアーヤちゃんにも持っていっておあげ」

 うちの食堂の裏で仕込みをしていると、母がリンゴの入ったかごを持ってきた。野菜をおろしてくれる商人に愛嬌あいきょうをふりまいたらオマケしてくれたんだよね。母からかごを受け取ると、「あんまり無駄話してくるんじゃないよ」と釘を刺された。わかってるって!
 ベイラーパン屋に行ったら、お店はがらんとしていた。すぐに人でいっぱいになってしまう小さな店が、こんな時間に空いているなんて珍しい。それに、いつもなら朝の段階で売り切れているはずのパンが売れ残っていた。

「何かあったの?」

 アーヤに聞いてみたら、近くに商売敵しょうばいがたきが店を開いたらしい、かなり安く売っているからお客さんを取られたみたいだと教えてくれた。なんて陰険なやり方!


 初めてアーヤと会ったのは、私が父の食堂で野菜の皮むきを手伝うようになった頃だ。会ったというか、見かけたと言うのが正しい。
 その日も食堂の裏で皮むきを手伝っていると、ちょっと離れたところをベイラーさんの奥さんが小さな子供の手を引いて歩いていた。
 それは黒髪の女の子で、奥さんに手を引かれるから仕方なく足を前に出しているような感じだった。歩くたびに首がカクカクと揺れて、頭が落っこちちゃうんじゃないかと心配した記憶がある。
 誰だろうと思って父に聞くと、ベイラーさんが引き取った子だと教えられた。おしゃべりするどころか、自分から動こうとすることもないという。

『可哀想に。ここに来る前、よほど恐ろしい目に遭ったんだろうな』

 そのときは、ふぅん、と思っただけだった。
 数日後、ベイラーさんの店にパンを買いに行くと、店の中にあの女の子がいた。以前はテーブルがあって、そこに花を生けた花瓶が置かれていたのだけれど、テーブルがなくなって、代わりに椅子が置かれていた。
 その椅子にちょこんと座っている姿は、お人形さんみたいだった。

『この子ね、アーヤっていうの。仲良くしてあげてね。ヤミンちゃん』

 ベイラーさんの奥さんにそう言われて一応うなずいたけど、人形みたいな女の子相手にどう仲良くしたらいいのか、ちっともわからなかった。
 そっと近づくと、不意に目が合った。綺麗な黒い瞳には、驚きもおびえも何もなかった。少し前まで一緒に遊んでいたサンジャは、家業の織物を手伝うようになってからあまり外で遊ばなくなったし、お金持ちの娘で自慢ばかりするマイラのことは好きじゃない。でもこの子なら、私と遊んでくれるだろうか。
 それから私は、時間があればアーヤのところへ通った。ぼんやりしていることが多いけれど、遊びに行くとき手を繋ぐと一緒に来てくれるようになった。
 時々サンジャが加わって、たまに男の子たちとも遊んだけれど、アーヤは男の子が苦手みたいで、そんなときはいつも私やサンジャの後ろでジッとしていた。
 あるとき、サンジャと三人で遊んでいると、大人の男に声をかけられた。行商でこの街に来たという男は、『いい物あげるから一緒に行こう』と誘ってきた。いい物ってなんだろうと興味を引かれたけど、サンジャがよく知らない人にはついていけないと断った。
 なのに『いいから来い』と腕を引っ張られ、痛みに声を漏らしたそのとき、アーヤが突然男の…………その、脚の間を蹴り上げた。
 アーヤが素早く動いた――――! というか、攻撃した!?
 股間を押さえてうずくまる男よりも、そちらの方が私たちには大事件だった。
 その頃のアーヤは、こちらからうながせばのろのろと行動に移せたけれど、自分から動いたのは初めて見た。ベイラーさんにそのことを話すと、ちょっと考えてから『大事なお友達を守ろうとしたのかな?』と言ってくれたので、私たちは嬉しくなって笑った。
 そうやって何年もかけて一緒に過ごすうちに、ようやくアーヤが笑うようになった。会話も少しずつできるようになっていって、ちょっと見た目はちんまいけど、普通の女の子になってきたなぁ、というときに。
 ベイラー夫妻が亡くなった。馬車の事故だった。
 訃報ふほうを聞いたアーヤは悲鳴をあげて倒れた。目を覚ますと泣いて、泣き疲れて眠って、の繰り返し。このままじゃ、また心が壊れてしまうんじゃないかと心配でたまらなかった。
 葬儀を準備する間も、なるべくアーヤのそばにいた。昼間は私やサンジャがそばにいて、夜は近所のおばさんたちが交代で付き添った。
 ベイラー夫妻がどれだけアーヤを大事にしていたか、三人がどんな風に家族になっていったか、みんな知っていたから、慰めるための言葉なんてなかった。私は、アーヤがベイラーさんたちの後を追ってしまうんじゃないかと気が気じゃなかった。
 お葬式が済んでもアーヤの目には光が戻らなかった。

『あの家で一人で暮らすなんてアーヤちゃんにはこくじゃないかしら…………』
『誰かが引き取った方が安心かもねぇ』

 大人たちが色々と話し合っているうちに、ある日突然アーヤはお店を開けた。数は少なかったけれど、店先にはちゃんとパンが並んでいた。
 周囲の驚きなんて全然気にも留めないで、泣きはらした目でなんでもないように笑って。
『大丈夫なの?』と月並みな言葉しか言えなかった私に、アーヤはにっこり笑ってみせた。その胸に手をおいて、笑ったの。

『大事なものはぜーんぶここにあるから、私は大丈夫だよ』

 どこかの家に引き取られたら、どうしてもそこの家業を手伝うことになる。だからベイラーさんのパン屋を継ぐなら、一人で暮らしていくしかない。当時、アーヤがそこまで考えていたのかどうかはわからない。働いていないと悲しくて仕方なかったからかもしれない。
 でも私は自分の友達が誇らしかった。外見は幼く見えるけど、アーヤは見た目よりもずっとしっかりしていて、頑固で、そして強いのだ。


 アーヤから商売敵しょうばいがたきのことを聞いた後、急いで家に帰って父に伝えると、うちの食堂で使うパンをベイラーパン屋から仕入れようと言ってくれた。アーヤが一人でお店を始めたときにもそんな話が出たけど、店頭で売る分を作るだけで精いっぱいだからと実現しなかったのだ。
 早く教えてあげたくて急いで引き返すと、グランシオさんが店先をき清めていた。

「こんにちは、ヤミンさん。そんなに急いでどうしました?」

 グランシオさんはベイラーさんの遠い親戚で、今はアーヤの保護者役でもある。近所の大人たちの中で、グランシオさんがアーヤの婿むこ候補にされているのは、アーヤには内緒だ。
 保護者役といっても普通、年頃の男女が一つ屋根の下に住むことはない。アーヤは自分の結婚なんて視野に入れていないから、まったく気にしていないみたいだけど。
 グランシオさんが一軒一軒、丁寧に挨拶あいさつして回った結果、近所の年配者たちはグランシオさんをアーヤの婿むこ候補として認めるようになった。うちの父なんかも、『あれはなかなかしっかりした男だ』と褒めていたから、いったいどんなことを話したのか気になる。
 アーヤをいつまでも一人にさせていることに、みんな落ち着かない気持ちでいたけれど、本人が頑固なせいもあって、ずっとそのままだった。そんなアーヤが保護者役として受け入れたばかりでなく、一緒に住むことに同意したグランシオさんは、かなり期待できるとにらんでいる。

「あのっ、アーヤから新しいパン屋のこと聞いて! 困ってるなら、うちの食堂でパンを仕入れるよって父が………………」

 グランシオさんはちょっとまばたきした後、困ったように笑って教えてくれた。
 アーヤが新しいサンドイッチを作ったところ、騎士団が定期的に購入してくれることになったので、生活する分には困らないのだという。

「…………なんだ…………」

 私が一人で焦って走り回っていただけで、あの子は自分でとっくに解決してしまったみたい。ホッとしたのと、徒労とろうに終わって気が抜けたのとで、思わずふふっと笑いがこぼれた。

「アーヤって、見かけは子供だし、普段は頼りないけど、こういうとき結局自分でなんとかしちゃうんですよね」

 ちょっとは頼ってくれてもいいのになぁ、なんて思っていると、

「そうですね。もっと頼ってくれていいのにね」

 私の気持ちとまったく同じことを言うその声に、とっても実感がこもっている気がして、私はまじまじとグランシオさんを見つめてしまう。
 赤茶色の髪の毛に、ちょっと鋭いけれど綺麗な琥珀こはく色の目。顔立ちはすっごく整っているってわけじゃないけど、どちらかというと格好いい方だと思う。
 背が高くてがっしりしている身体は丈夫そうで、病気とは無縁に見える。――――合格。
 アーヤと一緒に働く姿を見ても、文句一つ言わずになんでもやってる。――――合格。
 休日はアーヤの買い出しに付き添って荷物持ちとかしてるし、裏庭でまき割りとかしている姿も見かける。――――合格。
 野菜を洗ったり切ったりするアーヤと穏やかに話をしている様子は、傍から見ていて微笑ましい。――――合格。
 それに何より、グランシオさんはアーヤを大事に想ってくれている。総合的に考えて、文句なしの合格だ。
 まぁ、ちょっと年齢は離れているし、見た目も大人と子供って感じだけれども。お揃いで三つ編みしているのも、アーヤの方はベイラーさんの奥さんをしのんでいるだけって私は知ってるけれども。なかなかお似合いのカップルだ。
 グランシオさんがお婿むこになるなら、アーヤがどっかの家に嫁入りして遠くへ行くこともないだろうし…………なんて打算も働く。
 アーヤは結構にぶいから、グランシオさんには頑張ってほしい。
 とりあえず心の中で応援して、私は父に事の次第を伝えに行くことにした。



   二 自称番犬はやっぱり駄犬な気がします


 近所に激安パン屋ができても、なんとか生計を立てていけることにホッとした。
 騎士さんや兵士さんが見回りがてら立ち寄ってくれるようになって、警備的な観点からも心強い。だけどそう言ったら、『俺がいるのに…………』とグランシオがねた。
 …………ねるだけにして! 見回りの人に因縁いんねんつけようとしないでぇぇぇっ!
 あらゆる面で着実に数字を減らしにかかってくるグランシオに、それでもどうにか慣れてきたような気がしないでもない、そんなある日のこと。

「ご主人」
「うーん…………」
「ああ、寝姿も可愛い…………ずっと見ていたい…………でもそろそろ起こさなきゃ…………ねえ、起きて、ご主人様」
「うん…………?」

 ぱちりと目を開ければ、目の前には琥珀こはく色の瞳。

「ぐらん…………?」

 ここは私の寝室で、おまけにまだ辺りは暗い。
 ぼんやりしながらも戸惑う私の目を見つめながら、グランシオの口角が嬉しそうに上がった。

「侵入者を捕まえたんだよ!」

 褒めて褒めて、と言わんばかりの上機嫌なセリフに、眠気がどこかへ吹っ飛んだ。
 グランシオに案内されて一階に下りると、縛り上げられた男が二人、床に転がっていた。

「こいつら、ご主人の店に火をつけようとしていたんだよぉ。ひどいよねぇ。生きてる価値ないよねぇ」
「ひ、火ぃ!?」

 とんでもない話である。おののいている間に、グランシオが一人の男の肩をぐっと踏みつけた。

「おい――――――――誰に頼まれた?」

 唇を引き結ぶ男たち。グランシオは笑みを深めた顔を私に向ける。

「安心して。ちゃぁあんと色々聞き出してから、きれーいに後始末するからね?」

 ちっとも安心できませんけど!?
 もちろん放火未遂は許せないけど、命を奪うほどのことではない。

「兵士の詰め所に突き出します」

 キッパリ言えば、グランシオが絶句した。

「なっ………………!」

 ………………私、常識的なことしか言ってないよね? 犯罪者をしかるべき場所に突き出すって言っただけだよね?

「これくらい、俺が始末つけてあげるよ!」
「いえ、結構です」

 そこはかとなく危ない気がするから。

「ご主人…………」

 グランシオの顔が一気にゆがむ。
 ………………あれ? もしかして、下僕スイッチ押しちゃった?
 目をく私の前で、自称番犬はすらりと長剣を抜いた。

「ふふふっ…………兵士なんぞに、手柄を横取りさせるわけにはいかないよねえ。お前ら覚悟はいい? いいよね? 身体の端からちょっとずつ切り刻んでやるよ。雇い主の情報を早く吐いた方は、褒美ほうびとして一思いに殺してやるぞ? 優しいだろ?」
「いやぁあああ! お願いだからやめてぇええええ!!」

 我が家で流血沙汰ざたなんて御免こうむりますぅうう!
 必死にすがりつけば、グランシオは舌打ちしつつも剣をさやにしまう。
 ごっそり削られて回復しない私の精神力を他所よそに、白々しらじらと夜が明けた…………


 兵士の詰め所は、フュレインの王城の城門近くにある。何があってもいいように常時十名ほどが詰めているらしい。正直に言うと、体格がよくて声も大きい男の人だらけなので、ちょっと入りにくい。だけどグランシオだけに任せるのは不安しかない。
 グランシオが縛られた男二人を引っ張ってきたのを見て、詰め所の兵士さんたちは目を丸くした。でも男たちを捕まえた経緯を私がつっかえつっかえ説明すると、一気に同情された。

「そうか…………それにしても無事でよかったなぁ」
間一髪かんいっぱつで、その、うちの従業員が気づいてくれて、事なきを得たので………………」

 取調室で事情聴取されている私の横では、グランシオがにこにこしている。褒められて嬉しいとその顔に書いてあった。

「ベイラーのサンドイッチがないと、第二騎士団の人たちがガッカリするだろうから」
「そうそう。俺たちもたまにご相伴しょうばんにあずかるんだよ。美味うまいよなぁ」

 兵士さんたちの言葉に、強張こわばっていた身体からちょっと力が抜けたとき、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。

「パン屋は無事かっ!!」

 突然響き渡った大声に、部屋中の人がびっくりしていた。銀灰色ぎんかいしょくの髪と碧色へきしょくの目をした大柄な男性がずんずんと部屋に入ってきて、キョロキョロ周りを見回す。

「おい、パン屋の店長が来ていると聞いたが? どこへ行った?」

 …………私なら、すぐ目の前にいるのだけれど?

「イザーク団長、どうしてここに…………? それに、ベイラーの店長なら目の前にいるじゃないですか」

 戸惑い気味な兵士さんに言われて、ようやく彼は私に視線を落とした。その顔に困惑が広がる。

「あそこの店長は行き遅れの女だと聞いているぞ? この子はまだ成人してないだろう!」

 周囲の男性からの視線を感じて、カッとほおに熱が集まるのがわかった。
 確かに、私は行き遅れと呼ばれる年齢だ。それなのに背が低くて幼い顔立ちをしているから、年下に見られるのにも慣れている。慣れてはいるけど傷ついた。視界の隅で数字が減ったから、まぎれもなく傷ついた。

「イザーク団長! 失礼ですよ!」
「いや、しかし…………」
「すまんね、店長さん…………」

 兵士さんが謝ってくれたけれど、私は目を合わせることもできずに「お店に戻らなきゃ」とかなんとかゴニョゴニョ言って詰め所から飛び出した。
 でも恥ずかしさと情けなさにさいなまれたのは、ほんの少しの間だけ。グランシオが「ちょっと戻ってやっつけてくるからね! 安心して!」と貼り付けたような笑顔で戻ろうとするので、それをなだめるのに必死だったからだ。
 銀灰色ぎんかいしょくの髪をした男性は第二騎士団の団長さんで、イザーク・ハウゼントというご立派な名前を持つお貴族様だと知ったのは、その翌日のこと。くだんの団長が自ら店を訪れたからだった。


「昨日は失礼なことを言ってすまなかった」

 きりりとした真面目そうな団長さんが真摯しんしに謝罪してきた。

「…………いえ、もうお気になさらないで…………」

 緊張のあまり声が小さくなっていき、最後の方は口の中で消えてしまった。そわそわとして落ち着かない。小さなパン屋の店内に、騎士服をまとった団長さんと、団長補佐のアルベルトさんがいる。
 大柄な男性が二人もいると、店がとても狭く感じられた。外から、「騎士が来たよ!」「ここに入っていった!」と騒ぐ子供の声が聞こえてくる。間違いなく近所でうわさになり、後でヤミンたちから質問攻めに遭うことだろう。

「いつも美味おいしいパンを作ってくれているアーヤさんに失礼なことをしたと聞いて、驚きましたよ。私の方からも、きっちりおきゅうをすえておきましたからね」

 アルベルトさんにジロリとにらまれた団長さんが、大きな肩をすくめて「だから反省しているだろう…………」とつぶやいたので、つい噴き出してしまった。それと一緒に、緊張も吹き飛んでしまった気がする。

「団長様と補佐様は、謝罪するためだけにいらしたのですか?」

 保護者役仕様のグランシオが丁寧な口調で尋ねたら、ゴホンと団長さんが咳払せきばらいした。

「いや、それだけでなく…………トルノーという男と揉めているとの報告は受けたが、他に恨まれるような心当たりはないのか確認したくてな」

 トルノーさんから嫌がらせを受けている、という話は兵士さんにも説明したけれど、店の権利やレシピを得たいだけなら火をつけたりしないのでは? と首を傾げられた。
 そうだよね、トルノーさんはレシピが目当てなんだろうし…………放火なんて、そこまでやるかな。かといって、他に心当たりはないかと聞かれてすぐ出てくるものでもない。
 うーんと首をひねっていると、横からグランシオが口を挟んだ。

「あいつらが使おうとしたのは、煙とすすが大量に出るガリンという木でした。ガリンは対象を建物からあぶり出したいときによく使用されますから、店を燃やそうとか店長を殺そうとか、そういう意図があったわけではないかと…………」

 にこにこしながら告げられた内容に、思わずグランシオを凝視ぎょうしする。

「…………それはまだここにあるのか」
「ええ、そのまま置いてありますよ」
「後で部下に取りに来させよう。…………そうなると、煙であぶり出したパン屋をどこかへさらおうとしたとも考えられるか…………」

 あごに手を当ててつぶやかれたセリフに、今更ながらぶるりと震える。
 グランシオがいなかったら、どうなっていたんだろう…………

「意外とパン屋ではなく、そちらの男に用があったのかもしれないがな」
「これでも一応、きれいな身でこの国に来ましたから、心配には及びません」

 丁寧に答えるグランシオを、目を細めて一瞥いちべつすると、団長さんは私に顔を向けた。

「あー…………ところでパン屋」

 どことなく歯切れの悪い口調でイザーク団長が切り出した。

「お前の作るサンドイッチは美味うまい。その…………もう少し多く注文しても構わないだろうか」
「数が足りていませんでしたか?」

 首を傾げて団長さんを見上げると、彼は慌てて顔の前で手を振った。

「いや、第二騎士団の中で評判がよく、それを聞いて団員以外の者も食べたいと言い出してな…………」

 美味おいしいと言われるのは嬉しいけれど、今でも相当な数を作っていて、正直ギリギリだ。これ以上増えると手が回らなくなる恐れがある。

「申し訳ありません…………、できれば今のままでお願いしたいです…………」

 お断りすると、「そうか……」と目に見えて団長さんは項垂うなだれた。けれどすぐにアルベルトさんに脇をつつかれ、ハッと表情を引き締める。

「…………とにかく、あれが食べられなくなるのは困る。くれぐれも自衛するように」

 四六時中、兵士さんや騎士さんに守ってもらうことなんてできない。自衛するしかないんだから、私も気を引き締めよう。


 放火未遂があってからというもの、グランシオはやたらと過保護になった。彼が配達に行くときには決して店から出ないようにと釘を刺し、私が買い出しに行くときは彼も必ずついてくる。二軒隣の八百屋やおやに行くときさえついてくるのだ。
 一方の私はといえば、割と落ち着いていた。
 それは、グランシオがそばにいてくれるから。魔女の力で支配して利用して、前の大陸に置き去りにしたというのに、こうしてまた利用している彼がいるからだ。
 彼は、人の命を奪うことを躊躇ちゅうちょしたりしない。当時私を殺そうとしたのは、誰かにそう命じられたからであり、それ以上のことは覚えていないと彼は言う。あの大陸ではあちこちで内乱が起きていて、人の売り買いもその処分もよくあることで、当時の自分にとってはただの仕事だったんじゃないかと、他人事のようにあっけらかんと言ったりもする。
 そんな彼をそばに置いていて平気なのは、私の中の魔女である部分が知っているからだ。
 魔女の力で縛り上げている限り、彼が裏切ることなどないのだと――――――

「ご主人、次は何をする?」

 グランシオの声で、ハッと物思いから覚める。見下ろす先にある自分の手は、卵を持ったまま止まっていた。

「え、と…………、じゃあ裏から小麦粉持ってきて、ほしい、かな…………?」
「はーい。行ってくるねー」

 明るく返事をして裏口から出ていくグランシオ。その背中を無言で見送った。
 思い悩んでいたって仕方がない。先のことを考える方がよっぽど大事だって、頭では理解していた。理解できていても、時折湧いて出る罪悪感にさいなまれる。
 視界の端で減る数字に自分の弱さを再認識させられて、更に気持ちが沈む。

「…………ほんと、嫌になるなぁ…………」

 小さくつぶやいて、手の中の卵を割った。


 不穏な状況下ではあるけれど、街ではいちが開かれている。年に数回しか開かれないいちに行かないという選択肢はない。普段行き来のない小さな村で作られたバターやジャム、他国から輸入された塩など、このときにしか手に入らないものがたくさんある。
 心配するグランシオに、そう熱く主張して、いちに行くことをどうにか許してもらえた。さすがに人目がある場所で何かされたりはしないだろうという考えがあってのことだけれど、人で混み合う場所にわざわざ行くだなんて、守る立場のグランシオからすれば迷惑以外の何物でもないだろう。
 それを申し訳なくも思っていた…………のだけれど。

「…………ご主人様に付き従い、荷物を持たせてもらう。はぁ…………、これこそ下僕として正しい姿だよねぇ…………」

 後ろからついてくるグランシオのつぶやきが不穏だ。だが幸いにして小さな声だったので聞こえないふりをしておいた。
 …………下僕の正しい姿というのがなんなのかとか、気にしたら負けだと思う…………
 人ごみの中をグランシオと二人で歩く。珍しい品に浮足立ってあちこち見て回るうちに、だんだん日が暮れてきた。

「あ、あの、ごめんね? その、買いすぎちゃって…………」

 欲しい物がたくさんあって、気づけば結構な荷物になっていた。申し訳なくて自分で持つと言ったのだけれど、にっこりと却下される。

「俺は今、とぉーっても幸せなの。これらが今どうしてこの手の中にあるんだと思う? それはね、俺があんたの下僕だからだよ? この重さは何を表しているんだと思う? それはね、俺があんたのモノだっていう、いわばア・カ・シなわけ。だって俺があんたの下僕じゃないと成り立たない状況だからね! あぁもう最高っ………………!」

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