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番外編 主を求めた犬の旅路 前編
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魔女との主従の絆が、魔女の嘆きをグランシオに伝えたのはただ一度。
数年経った今はもう魔女が無事だという漠然とした感覚しかない。それでもグランシオはこの目で実際に確認すべく、海を越えて練り歩いた。
◇◇◇◇◇
殺して奪って生きながらえる。物心ついたころから、グランシオはそうして生きてきた。
かろうじて母親だという女がいたような記憶はあるが、子どもらしからぬグランシオを常に厭っていて、いつだったか出ていってそれっきりだ。
嘘を吐いて奪い、誘って殺し、奪って逃げる。国同士の小競り合いでは、敵を殺して金を得た。そうしているうちにグランシオのことを聞きつけたどこぞの金持ちに雇われる運びとなった。
逃げようと思えばいつでも逃げられるし、路地裏で生活するよりは待遇が良かったからしばらくそこにいることに決めた。
グランシオは、大抵のことは一度見ればモノにできる。雇い主である金持ちは用心深い性質なのか決して顔を見せないが、書物でも剣でも潤沢に与えられたので知識は増えた。
興味が向けばなんでもした。毒耐性をつけるために身体を毒で慣らし、他国の言葉を操るようになり、様々な武器にも精通した。
そうして過ごし、そろそろここからとんずらしようかと考えていたとき、与えられた一振りの剣。
それは美しい剣だった。とてつもなく魅力的に思えて、手にとってからはひどく人を斬りたくて仕方なくなった。躊躇や葛藤など元よりあるわけもなく、人を殺さないでいる理由など彼の中には見つからなかった。
剣を揮い、人を殺す。繰り返すうちに他のすべてが曖昧になった。より多くの血を魂を穢れを捧ぐことだけがグランシオの生きる目的となっていた。
その日も、一列に並ぶ女どもを順番に殺した。目の前には最後に残された少女。
剣を振りかぶり、その命を刈り取るはずだった。
だがそのとき、少女の瞳が強い意志に煌き、その身から力の奔流がほとばしった。
私に従え、私の物になれ、と全身全霊で訴えてくるそれがグランシオに纏わりつく。未知の力の誘いに、壊れかけていたグランシオの心は他愛なく屈して頷いた。瞬間、全身に走った衝撃を、なんと表現したらいいのか――――――――――――――今でも、グランシオにはわからない。
世界が、変わる。靄が掛かったようだった意識がクリアになり、同時に、自分の深い部分が書き換えられるのが理解できた。
物理的なものでも、薬でも、魔術師が使う精神干渉でもなく、魂の底から他者に支配される。それは不可思議で、けれど決して不快ではなかった。打算も疑心もなにひとつ挟む余地などなく、支配される喜びというものを始めて知った。
主人となった少女を抱えて、グランシオは駆けた。駆けながら、久方ぶりに自分の意志で身体を動かしていることを自覚した。
とんだ不覚をとったものだと自嘲する。おそらくは正気でいられなかった時間ずっと良いように操られていたのだ。魔女に支配されたことで正気に戻るとはなんとも笑える話だった。
いったいどれほどの年月が経っているのか。落ち着いた頭で己を観察すれば、記憶にあるそれよりも成長していた。背も伸び、体つきもすっかり大人のそれであった。
だがそんなのはグランシオにとっては些末事だ。己のことよりも腕の中の魔女の方に興味が向く。
魔女は人形のように大人しかったが、問いかけ続ければ稀に返事をする。
乱暴な言葉や態度が苦手なようだとすぐに察し、できるだけ砕けた口調を心がけた。
どこへ行きたいのか尋ねれば、帰りたいという。
どこから来たのかと問えば、帰れないと泣く。
何も映していないような黒い瞳から、ほろりと涙が零れる。表面上は泣き叫ぶわけでもないのに、嵐のように揺れ動く感情が伝わってきた。
帰りたい。
もう帰れない。
遠くへ行きたい。
静かに、暮らしたい。
悩んだが、魔女の望みを叶えるのは、グランシオの役目だ。たとえそこに、自分が入ることがなくとも。
名の知れた運び屋に大金と魔女を託す。もっと暖かな大陸に魔女を逃がすために。魔女は良い医者の元で養生する必要があった。
頭の片隅で、魔女と離れたくないと叫ぶ獣の咆哮が聴こえるが、すべて無視した。
ぼぅっとされるがままの幼い魔女は、もしかしたらグランシオのことを忘れてしまうかもしれない。けれどそれでよかった。
感謝なぞ求めたわけではない。ただ、グランシオが勝手に差し出すだけだ。奪い殺し壊すだけの人間が、差し出せるものはとても少ないが。
自嘲気味に唇を歪めていると、ふと、魔女の手が伸びた。微動だにせずその動きを目で追えば、グランシオの赤茶色の髪に触れた。
ゆっくりと、優しく。
何度か繰り返されるそれは、褒美なのだと悟る。
「俺は、グランシオ。…………グランシオだ。俺のご主人」
思わず名を告げていた。告げずにはいられなかった。
じっと自分を映す黒い瞳に、胸が暖かいもので占められる。
それをどうにかして振り切って、小さくなる船をいつまでも見送った。
暖かい土地で、魔女は護られ、世話をされて少しずつ健康を取り戻すはずだ。
魔女を失って、ぽっかり空いた穴を埋めるように、ちょうどよい暇つぶしを兼ねて、元いた組織を潰すことにした。もう二度と、魔女以外の誰かに支配されるつもりはない。特に魔術師は徹底的に始末した。あの金持ちも潰しておきたかったが、やはりというべきか情報は集まらなかった。
不思議なことに、剣はどこかへ置き去りにしてもいつの間にか戻ってくる。魔術的な何かが働いているのか。考えてはみたが、別に問題ないので放っておいた。
魔女の様子を伺うなどという愚挙は犯さない。万が一にでも魔女の存在を知られ、傷つけられでもしたら、たぶん耐えられない。
どうにも魔女と同じくらいの年齢の子供を殺す気になれず、食い物と寝る場所だけ与えていたら、恩返しだとかで配下となった。
そうして何年も経った頃、稀に魔女の感情が伝わってくることがあった。それは微かで、意識を向けなければすぐに霧散してしまうようなものだったが、じんわりと暖かいものだった。
そんな日は、海の向こうに想いを馳せた。魔女の幸せだけを、ただ願った。
数年経った今はもう魔女が無事だという漠然とした感覚しかない。それでもグランシオはこの目で実際に確認すべく、海を越えて練り歩いた。
◇◇◇◇◇
殺して奪って生きながらえる。物心ついたころから、グランシオはそうして生きてきた。
かろうじて母親だという女がいたような記憶はあるが、子どもらしからぬグランシオを常に厭っていて、いつだったか出ていってそれっきりだ。
嘘を吐いて奪い、誘って殺し、奪って逃げる。国同士の小競り合いでは、敵を殺して金を得た。そうしているうちにグランシオのことを聞きつけたどこぞの金持ちに雇われる運びとなった。
逃げようと思えばいつでも逃げられるし、路地裏で生活するよりは待遇が良かったからしばらくそこにいることに決めた。
グランシオは、大抵のことは一度見ればモノにできる。雇い主である金持ちは用心深い性質なのか決して顔を見せないが、書物でも剣でも潤沢に与えられたので知識は増えた。
興味が向けばなんでもした。毒耐性をつけるために身体を毒で慣らし、他国の言葉を操るようになり、様々な武器にも精通した。
そうして過ごし、そろそろここからとんずらしようかと考えていたとき、与えられた一振りの剣。
それは美しい剣だった。とてつもなく魅力的に思えて、手にとってからはひどく人を斬りたくて仕方なくなった。躊躇や葛藤など元よりあるわけもなく、人を殺さないでいる理由など彼の中には見つからなかった。
剣を揮い、人を殺す。繰り返すうちに他のすべてが曖昧になった。より多くの血を魂を穢れを捧ぐことだけがグランシオの生きる目的となっていた。
その日も、一列に並ぶ女どもを順番に殺した。目の前には最後に残された少女。
剣を振りかぶり、その命を刈り取るはずだった。
だがそのとき、少女の瞳が強い意志に煌き、その身から力の奔流がほとばしった。
私に従え、私の物になれ、と全身全霊で訴えてくるそれがグランシオに纏わりつく。未知の力の誘いに、壊れかけていたグランシオの心は他愛なく屈して頷いた。瞬間、全身に走った衝撃を、なんと表現したらいいのか――――――――――――――今でも、グランシオにはわからない。
世界が、変わる。靄が掛かったようだった意識がクリアになり、同時に、自分の深い部分が書き換えられるのが理解できた。
物理的なものでも、薬でも、魔術師が使う精神干渉でもなく、魂の底から他者に支配される。それは不可思議で、けれど決して不快ではなかった。打算も疑心もなにひとつ挟む余地などなく、支配される喜びというものを始めて知った。
主人となった少女を抱えて、グランシオは駆けた。駆けながら、久方ぶりに自分の意志で身体を動かしていることを自覚した。
とんだ不覚をとったものだと自嘲する。おそらくは正気でいられなかった時間ずっと良いように操られていたのだ。魔女に支配されたことで正気に戻るとはなんとも笑える話だった。
いったいどれほどの年月が経っているのか。落ち着いた頭で己を観察すれば、記憶にあるそれよりも成長していた。背も伸び、体つきもすっかり大人のそれであった。
だがそんなのはグランシオにとっては些末事だ。己のことよりも腕の中の魔女の方に興味が向く。
魔女は人形のように大人しかったが、問いかけ続ければ稀に返事をする。
乱暴な言葉や態度が苦手なようだとすぐに察し、できるだけ砕けた口調を心がけた。
どこへ行きたいのか尋ねれば、帰りたいという。
どこから来たのかと問えば、帰れないと泣く。
何も映していないような黒い瞳から、ほろりと涙が零れる。表面上は泣き叫ぶわけでもないのに、嵐のように揺れ動く感情が伝わってきた。
帰りたい。
もう帰れない。
遠くへ行きたい。
静かに、暮らしたい。
悩んだが、魔女の望みを叶えるのは、グランシオの役目だ。たとえそこに、自分が入ることがなくとも。
名の知れた運び屋に大金と魔女を託す。もっと暖かな大陸に魔女を逃がすために。魔女は良い医者の元で養生する必要があった。
頭の片隅で、魔女と離れたくないと叫ぶ獣の咆哮が聴こえるが、すべて無視した。
ぼぅっとされるがままの幼い魔女は、もしかしたらグランシオのことを忘れてしまうかもしれない。けれどそれでよかった。
感謝なぞ求めたわけではない。ただ、グランシオが勝手に差し出すだけだ。奪い殺し壊すだけの人間が、差し出せるものはとても少ないが。
自嘲気味に唇を歪めていると、ふと、魔女の手が伸びた。微動だにせずその動きを目で追えば、グランシオの赤茶色の髪に触れた。
ゆっくりと、優しく。
何度か繰り返されるそれは、褒美なのだと悟る。
「俺は、グランシオ。…………グランシオだ。俺のご主人」
思わず名を告げていた。告げずにはいられなかった。
じっと自分を映す黒い瞳に、胸が暖かいもので占められる。
それをどうにかして振り切って、小さくなる船をいつまでも見送った。
暖かい土地で、魔女は護られ、世話をされて少しずつ健康を取り戻すはずだ。
魔女を失って、ぽっかり空いた穴を埋めるように、ちょうどよい暇つぶしを兼ねて、元いた組織を潰すことにした。もう二度と、魔女以外の誰かに支配されるつもりはない。特に魔術師は徹底的に始末した。あの金持ちも潰しておきたかったが、やはりというべきか情報は集まらなかった。
不思議なことに、剣はどこかへ置き去りにしてもいつの間にか戻ってくる。魔術的な何かが働いているのか。考えてはみたが、別に問題ないので放っておいた。
魔女の様子を伺うなどという愚挙は犯さない。万が一にでも魔女の存在を知られ、傷つけられでもしたら、たぶん耐えられない。
どうにも魔女と同じくらいの年齢の子供を殺す気になれず、食い物と寝る場所だけ与えていたら、恩返しだとかで配下となった。
そうして何年も経った頃、稀に魔女の感情が伝わってくることがあった。それは微かで、意識を向けなければすぐに霧散してしまうようなものだったが、じんわりと暖かいものだった。
そんな日は、海の向こうに想いを馳せた。魔女の幸せだけを、ただ願った。
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