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魔触
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十階層の崖の手前。
頭上の、四つの「光球」が僕たちを照らしている。
昼間と遜色のない明るさだが、崖の向こうの闇を打ち払うことは出来ない。
それだけ三本目の竜道は巨大なのだろう。
温かな料理が配られると、待ち切れないとばかりに、みーが汁物を口に運ぶ。
炎竜だけあって熱いものは平気なのか、ごくごくと飲み下していく。
「うーうっ、うーまーいーのーだー!」
みーはユミファナトラが気に入ったのか、地竜の膝の上に座ってご満悦。
「おしおき」継続中のようで、リシェの膝の上にはラカールラカ。
僕の膝の上に座ろうとしたミャンは、横に置いた。
ヴァレイスナは、両手を広げて準備万端のユルシャールを無視して、ホーエルとナードに視線を向ける。
動揺したホーエルに、苛めっ竜のヴァレイスナの食指が動いたのは仕方がないこと。
ホーエルの膝の上に座ってから、ヴァレイスナは自身で作った料理を食べ始めた。
「この味は『雷爪の傷痕』の? もしかして、ヴァレイスナ様が作ってるんですか?」
何かしないではいられなかったのか、ホーエルは言葉を選びながらヴァレイスナに尋ねた。
汁物に炒め物。
単調な料理に、食材も良いとは言えない。
だが、パンですら美味しい。
「そーいえばリシェさんが、宿のご飯は『それなりの食事』って言ってたけど、めっちゃ美味しくて、毎日しわわー」
ワーシュはみーの気を引いてから、自身の膝を叩く。
みーは、ワーシュとユミファナトラを交互に見て、地竜を選んだようだったが、ユミファナトラに耳打ちされると、ワーシュの膝の上に移動した。
ワーシュの笑顔が仔炎竜で溶けていたので、皆はヴァレイスナに視線を向けた。
そのヴァレイスナの視線は、父親と風竜に。
リシェにご飯を食べさせてもらっているラカールラカに、嫉妬の冷気を撒き散らしながら、不機嫌さを隠さずリシェに振った。
「これらには面倒が含まれているので、父様に任せますわ」
「『それなりの食事』というのは、悪い意味ではなく、良くも悪くも、といった意味です。スナの趣味の一つが、料理です。その範囲は、通常の料理だけでなく、魔法料理も含まれます。言ってしまうと、実は『雷爪の傷痕』の料理は、大陸で最先端の料理でもあるんです。なので、知り合いの商人に頼んで、向上心のある若手の料理人を三人、招聘しました。まぁ、悪い言い方をするなら、皆さんには実験台になってもらっています」
「美味しい料理を食べられているのだから、実験台という言葉はともかく、ヴァレイスナ様や料理人には感謝している。だが、リシェ殿のことだから、氷竜の我が儘を聞いているだけーーということはないのだろう?」
以前とは異なる、エルムスの踏み込んだ発言に、リシェは笑顔を浮かべる。
一見、好意的な笑顔。
短い付き合いだが、僕でもわかる。
笑顔で誤魔化している間に、リシェの内心では炎竜と氷竜が激闘を繰り広げている。
「そうですね、言ってもいいんですが、影響力が大き過ぎるので、今は秘密にしておきます。国家機密どころか、大陸機密、とでも造語を作りたい気分なので。ぶっちゃけてしまうと、スナ料理を含んだこれらの一件は、アランからの依頼ーーというか頼み事です」
「アランらんらん? って、誰のことかみー様は知ってるかな~?」
「ほーう、しってるのだー。『へんなやつ』なんだぞー」
リシェを真似て、みーにご飯を食べさせていたワーシュが何気なく尋ねると、みーは元気よく答えた。
皆は「アラン」の正体に気付いたが、状況的にワーシュを止めることが出来なかった。
しかし、リシェではなくユミファナトラが話し始めたので、事無きを得る。
「アランとは、アラン・クール・ストーフグレフ王のことです。因みに、リシェ殿は、アランの親友です。リシェ殿はもう、サクラニルがストーフグレフに来たことを知っているです。なら、予想出来るはずです。サクラニルから、自らの力の根源を聞いたアランは、『神魔混合』をやったです。それから『風壊事件』で、『竜化』している魔獣種の一竜を打っ飛ばしたです」
「……えっと、もしかして竜を倒したんですか?」
「そこまではいかないです。ただ、策を用いれば、リシェ殿と同じことが出来るかもしれないです。今は国内を漫遊しているアランですが、遠くない未来に、グリングロウ国を再訪するです」
「……僕、死にたくないです」
「風業地得です。遣って来たアランが、『闘ろう』と言ったら、リシェ殿は断れるです?」
「無理……です」
「それまでにリシェ殿は、竜に踏まれても大丈夫なようにしておくです」
無慈悲にリシェの願望を斬って捨てるユミファナトラ。
強さに拘泥するナードとしては、捨て置けない話題だったのか、二竜に尋ねた。
「若しや、侍従長とストーフグレフ王の力は、スタイナーベルツを超えているのか?」
「ま、そう見るのが無難ですわ。今のところ、頂点の一角は父様ですわ」
「何を言っているです。今はアランのほうが、一歩先にいるです。頂点の一角はアランです」
「……ひゃふ?」
「……です?」
氷竜地竜勃発かと思ったが、ーー風竜の風が一吹き。
風の隙間から「風剣」を取り出すラカールラカ。
僕たちの真上に現れた巨大氷と巨大岩を、リシェが投げ付けたラカールラカが一刀両断にする。
「ぴゅー!」
爆発して淡い粒子を撒き散らす。
宛ら天を焦がす光竜の乱舞。
皆は一瞬の、奇跡のような光景に見入る。
荒々しい巨氷と巨岩を魔力に還元すると、満足気なラカールラカは「風剣」を風の内側に仕舞った。
それから竜速を超えた白竜速でリシェの胸の中に帰還。
「ゆゆゆゆゆゆゆゆぅ~~~~っっ!!」
リシェがラカールラカにご褒美の風を注ぎ込むと、人目も憚らず風竜を甘やかすリシェ。
喜びが液状化したような表情のラカールラカは、幸せの転寝。
「幸風」を浴びたヴァレイスナは言わずもがな、ユミファナトラの顔も曇り空になっていく。
みーの顔までどんよ竜な曇り空。
こちらは、一人と一竜を見て、コウのことを思い出したからだろう。
代わりの魔法娘に背面すりすりをして、炎を慰めていた。
「あの風っころは、もう『風剣』を制御しやがったですわ」
「風竜に『風剣』です。何であんな『風剣』をラカールラカに上げたです?」
「成り行きですわ。それ以外のものなんて、炎竜に喰わせてやりますわ」
色々なものがどっちらけになってしまったので、そろそろ頃合いかと、炎を食べたような渋々顔のヴァレイスナに振る。
「ヴァレイスナ。他に話があるのなら、して欲しい」
リシェは話を、ヴァレイスナに委ねた。
ユルシャールは、ヴァレイスナの話は中途だと言っていた。
僕の考えが間違っていなければ。
ワーシュの次は、僕。
「ワーシュの魔臭で、竜が近寄らなかったのと同様に、ライルにもみーや風っころは近寄らなかったのですわ」
「え? あ、そういえば、ライルに竜はくっ付いていなかったかな?」
思い出しながらホーエルが尋ねると、エルムスが答える。
「ミニレムだけかと思っていたが、確かに。竜の方々は、ライルと接触していなかった。それには理由があり、それをヴァレイスナ様が説明して下さるということか」
「ふふりふふり、研究の発表会みたいなものですわ。『知恵の極』である私が、研究をしないと解明できなかった、ライルの能力の話ですわ。ーーというわけで、父様」
思わせ振りに語ると、ヴァレイスナはリシェに求めた。
想定済みだったのか、リシェは直ぐに口を開く。
「染まる、同調、といったものとも違うし、語呂も悪いので、触れるーー『魔触』でいいんじゃないかな」
「ひゃっこい。そういうわけで、ライルの能力は『魔触』に決定ですわ」
名を付けることで、明確に認識、定義出来るようにしたのだろう。
ーー能力。
触れる、ーー確かに、触れてきたのだろう。
そして、揺れてきた。
揺らしてきた。
触れるごとに響いてきた。
王都で見上げた、あの空に。
放った、或いは置き忘れてきたもの。
「わかり易いのが、ライルの『光』ですわね。『光』を見た者は、これを高等魔法と思うでしょうが、実態はそんなものではないのですわ。詳説すると、概要だけで一星巡り掛かるので成る丈、簡単に説明するですわ」
ヴァレイスナの表情を見るに、深刻ではなさそうではあるが、人と竜の価値観は異なる。
僕にもわからなかった、僕の能力。
それを他人に、もとい他竜から聞かされるという事実に、不可思議を抱きながら耳を傾ける。
「人は、魔力を浴びて生きてきたのですわ。そうしてそれは、生命維持にまで影響が及びますわ。わかり易く言うと、魔法に使える魔力と、生命維持に用いる魔力は別の魔力なのですわ」
「んー? そーいえば昔、読んだことがあるかもー。肉体の根幹を成す魔力を操れれば、減魔症を回避出来るかもしれないってー」
「ワーシュの言う通り、減魔症を回避することは可能ですわ。但し、生命維持、と言ったことからもわかる通り、失敗すれば減魔症の軽減どころか命を落としますわ。ライルの『魔触』が危険なのは、肉体だけでなく精神の魔力も用いているからですわ。治癒魔法以外で、ライルが『光』しか使えないのは、ライル自身が『魔触』が危険なものであると無意識に理解しているからですわ」
「ヴァレイスナ様のお話に矛盾はないように感じられますが。何かーー、隠されているのではないでしょうか?」
ユルシャールは疑問の形を取ったが、確信があるようだ。
一行には魔法使いが七人居るが、知識面で最も優れているのはユルシャールかもしれない。
「相変わらず、魔法にだけは目敏いですわね。根幹魔力を用いるだけなら、『魔触』などという名を付けないのですわ。ライルは根幹魔力を、状況に応じて体外に放出していますわ。魔法使いでも、これらの行為の意味がわかる者は殆ど居ないのですわ」
ヴァレイスナは氷の微笑を浮かべながら、七人の魔法使いに諮る。
ミャンが先程から大人しいので見てみると、何かを紙に書き込んでいた。
三人娘は早々に諦めて、リャナに期待を籠めた視線を向ける。
「魔力の状態、使い方でしょうか? 魔力を纏う場合、体外に留まらせます。あたしが使う魔力操作も、知覚できないだけで、魔力的に繋がっていると思います」
「ひゃふふのふ、そこまで見通しているなんて、『聡明の魔法使い』の称号を呉れてやるですわ。その先まで見通したら、『聡氷の魔法使い』ですわね」
「さすが『魔聖』様ですわ!」
「『光輝九命』に次ぐ『魔聖』様の伝説に、新たな一ページが!」
「これは皆にも知らせなきゃ!」
氷竜の称号授与に、盛り上がる三人娘とは裏腹に、リャナは帽子を両手で掴んで頭を振った。
「いーやーっ、いーやーっ!」
ワーシュやユルシャールは考え中。
誰もリャナのことを気にしていないので、落ち着くように背中を撫でてあげる。
お祖母さんに倣ったのだが、この度は間違えたようだ。
リャナは持病を発症してしまった。
「これは譬えるのが難しいのですが、根幹魔力を体外に放出するということは、剥き出しの神経を刺激されるようなものなのですわ。もっと碌でもないのは、そんな状態の魔力で相手に『触れる』ことですわ。あの娘の『杖』に感謝しておけですわ。『終末の獣』の魔力に直接、触れていれば人の薄っぺらい精神など吹き飛んでいますわ」
どうやらコウ、だけでなく「魔法王の杖」を持っていたミャンも、僕の命の恩人らしい。
ミャンにお礼をしようかと思ったが、ヴァレイスナの眼差しから逃れることは敵わなかった。
「ライル。正直に答えるですわ。『魔触』が使えるようになったのが何時か、そして『魔触』で手放したことがあるかどうか、答えるのですわ」
ヴァレイスナは、僕にしかわからない言葉で命令してきた。
ああ、そうか。
僕はあのとき、手放してしまったのか。
王都の噴水で空を見上げていた。
誰も僕に気付かず。
行く先は、何処にも繋がっていない。
そこに居ながらそこに居ない、あの場所で。
もう必要のないものだと。
僕は、あの空に「触れて」。
手放してーー託してしまった。
「ーーそうか。幽閉されていた、噴水の、見上げていたときに、失ってしまった。気付かず、こうして何度も、『触れて』きてしまった」
正しく言葉に出来ていないが、ヴァレイスナは追求してこない。
深過ぎて、底がなくて、恐怖さえ覚える、透徹たる氷眼。
そんな氷竜の魔力で掬い上げられるかのように、一繋がりになっていく。
「自覚があるようですから、あとの判断は父様に任せますわ。ーー残りは、ホーエル。この機会を逃せば、逃したままのほうが良くなりますわ。父様のように、隠し事だらけで生きることになるのは勧めないのですわ」
ヴァレイスナがジト目で父親を見ると、素知らぬ顔のリシェ。
リシェは氷業氷得だから、放っておいていい。
膝の上の、ヴァレイスナの氷髪を見下ろすホーエル。
自然な動作で、ホーエルの冷たい眼差しが僕に向けられる。
「ライルは、知ってるのかな」
「クラスニールから旅立つ前、何故かはわからないが、僕は皆の父兄から色々と頼まれたーー託された。特にワーシュの親父さんは、泣きながら頼んできた」
「ふぎぎ~っ、魔法狂いの癖にっ、人の心配なんてしてる場合じゃないでしょーに!」
凸凹師妹だったワーシュと親父さん。
ワーシュの才能と気質に、誰よりも心を配ってきた。
ワーシュは否定するが、似た者親子だった。
「ルクスは、ホーエルを理解してやれなかったことを最後まで悔いていた。だから僕は、ホーエルの母親のことしか聞いていない。ーーホーエルは『氷翼』を使うことが出来た。それを可能とした何かがあるのだろうとは思っていた。何があったのかはわからない。ただ、その結果として、ホーエルは攻撃をーー他者を傷付けることが出来なくなったのではないかと推量した」
「異議っ! 異議イギありありっありまくりっっ!! これまでホーエルはあたしの頭を玩具にしてきたわ! 女の子の頭はもっと大切に扱うべきよ!」
多少ずれてはいるが、ワーシュの指摘は尤もである。
だが、それが真実を解き明かす切っ掛けとなったことに、ワーシュは気付かない。
「そうだね。ワーシュの頭を乱暴に扱うことはあったかもね。でも、知ってたかな? そのとき、冷や汗を掻いて、吐き気を催して、心臓は悲鳴を上げてたんだ。攻撃するときは、大盾で攻撃するって言ってたけど、……駄目なんだ。皆に嘘を吐いてた……、俺はーー皆の盾になることしか出来ないんだよ」
「『蜘蛛王』との戦いのときの、ホーエルの言葉。何かあるだろうとは思っていた。自身から傷付こうとする、あの行為は、ホーエルの優しさとは異なるものだった」
歯止めになろうとしたのか、エルムスは言葉を滑り込ませる。
しかし、逆効果だったかもしれない。
エルムスの優しさに、応えないホーエルではない。
「母さんは、繊細で優しい人だった。子供だったから、何が原因かはわからない。母さんは、俺に暴力を振るった、振るい続けた。ーーワーシュ、覚えてるかな? 小さい頃、魔力操作が苦手だったワーシュは、何か言われなかった?」
「ほ? ……思い出したわ。あの糞親父、事あるごとに『ホーエルを見習え』とか『ホーエルに比べて』とか言ってやがったのよ」
「自覚はなかったんだけどね、幼い頃から魔力操作を無意識に行ってたみたいなんだ。魔法はからっきりだったけど、魔力操作だけは得意だった。だからーー、傷付くのは俺じゃなくて母さんのほうだったんだ。どれだけ自分が傷付いても、自分が傷付くだけだったとしても、母さんは止めなかった。俺は、それを見てるだけだった。自分は傷付かず、母さんが傷付くのを見てるだけだった……」
次第に背中が丸まって、下がっていくホーエルの頭。
それを許さないヴァレイスナは、ホーエルに寄り掛かった。
「父さんは、母さんが居なくなるその日まで、気付くことが出来なかった。ーー克服しようとしたこともあるんだけどね。父さんに手伝ってもらって、剣を振るって……。吐いて漏らして呼吸困難で、死に掛けた。色んな液体と汚物に塗れたけど、無理だったんだ」
ホーエルは世界の果ての、万周期氷のような触れ難い、神妙、ではなく竜妙な氷髪を撫でる。
融けないはずの氷塊が、砕ける音を聞いたのかもしれない。
「ヴァレイスナ様。ありがとうございます」
「あら、気付いたのですわ?」
「勘、ですけど、ヴァレイスナ様の魔法陣は、魔力の暴走を抑える効果があるんじゃないかと思ってます」
「正解ですわ。ホーエルが克服しない限り、その傷を抱え続け、苦しみ続ける限り、『氷翼』を使うことが敵うのですわ」
心臓を鷲掴み、いや、竜掴みにされた気分だ。
ホーエルと親しい僕たちですら気付かなかったことを、ヴァレイスナは看破していたのだ。
ホーエルが選ぶだろう未来の、答えをも見通していた。
星霜を跨ぐ、超軼絶塵たる存在。
人を、軽々と超えていく竜。
見上げることしか出来ない憧憬。
竜は恐ろしい存在だが、今やっと、その本当の意味に気付いたのかもしれない。
そしてーー。
これから向かおうとしている「終末の獣」も、竜に引けを取らないはず。
この世界の始まりに、「終末」として配置された「獣」。
滅びを司る、ただそれだけの存在。
「それでは『終末の獣』について……」
「ふかーっ! 思い付かないのだ!!」
ヴァレイスナの話が終わったことを見て取ると、リシェは本題に入ったーーところで、ミャンが噴火した。
話をそっちのけにして何かを書いていたが突然、立ち上がって紙を投げ捨てた。
リシェは、好奇心丸出しの視線を僕に向けてきた。
時間をくれるようなので、先ずはリャナを止めることから始める。
「リャナ、大丈夫、ちょっと待って。ーーそれで、ミャン。ずっと何をしていたんだ?」
「新しい聖語を考えていたのだ! ふぬぬっ、行き詰まってしまったのだ!!」
落ちた紙を拾うと、リャナが手伝ってくれる。
紙の文字は聖語ではなく、現代の文字。
「聖語が漏洩しないように、魔法以外では聖語を用いないようにしています」
リャナの言葉を聞いた僕は、竜にも角にも厳然たる事実を突き付けることにした。
「字が汚い」
「そんなことわかっているのだ! 清書するときはリャナにやってもらうから問題ないのだ! そんなことよりもっ、ここなのだ! ここのっ、最後! 世界の破滅な感じな文をっ、ライルも考えてくれっなんだぞ!!」
ギザマルが這いずったような字だが、書かれている内容は美しい。
リャナがミャンのことを「自然派の寵児」と言っていたが、ミャンの素直な部分が文字の形を取って奏でているようで、非常に好感が持てるものだった。
「ライル~、ライル~」
頭を使い過ぎた所為なのか、ミャンは猫のように甘えてくる。
期待されているようなので、やってみることにする。
ミャンの書いた文章を読んで、心に浸す。
いつもなら考えて答えを出すが、今必要なのは別のことだろう。
ミャンが生みだした言葉。
そこに僕を浮かべる。
「今、死にたいとは思わない。だが、この瞬間、世界が滅びを迎えるというのなら、共に滅びよう」
言葉が溢れてきた。
まるで愛の告白のようにミャンに差し出すと、ミャンは猫から人間に進化して有頂天竜になった。
「それっ、いただきなのだ! さすが我の篭絡対象! 次っ、次なのだ! 次はっ、永遠な恋愛な感じで頼むんだぞ!!」
天竜のように舞い上がったミャンは、仔炎竜のように甘えてくる。
期待されているようだが、専門外というか無茶振り。
人には向き不向きというものがある。
「適任が居る」
僕は好奇心丸出しの視線をリシェに向ける。
それだけでは勿論、足りないのでヴァレイスナを見る。
ヴァレイスナの口元が緩んだ、刹那。
僕が持つ紙が風に乗って旅立ち、リシェの手元に到着。
「リシェは〝目〟だ。そういうことに慣れている」
「そうでもないですよ。そういう意味で〝目〟には二種類。僕は、教えられなかったほうです」
リシェは受け取った紙の文章を読んでいく。
創作した文章を読まれるのは大抵、羞恥心を伴うものだが、ミャンには関係ないようだ。
「当事者の気分を味わうということで、ポンさんはこっちにーーそうですね、好敵手のマホフーフさんの隣に」
リシェはミャンを風で縛ると、マホフーフの横に連れていく。
マホフーフは嫌がる素振りを見せたが、リシェの手前、表情に出さずに耐える。
「あとは、と」
「ぴゅ~?」
転寝中のラカールラカを起こすと、ホーエルの膝の上のヴァレイスナを片手で持ち上げた。
安堵の溜め息を吐いたところをヴァレイスナに見られて、ホーエルは引き攣った笑顔を浮かべる。
リシェはヴァレイスナの背中にラカールラカをくっ付けると、二竜をミャンとマホフーフの間に詰め込む。
これで、準備完竜。
ゆっくりと二人と二竜の正面に移動してから、リシェは目を閉じた。
須臾ーー何かが揺動した。
目を開いた、そこに居たのは、僕の知らないリシェだった。
「一瞬と永遠が、同じ音色を奏でていたから。それを偽りなく信じられたから。この道を、共に歩こう」
リシェは、僕が持っていない何かを、掌に乗せて差し出した。
直後、みーが「ぼっかん」した。
「ぎゃーう! ひーがむりゅむりゅちゅーちゅーなのだー! みーちゃんこりごりこりこりっ、ふぁはぁ!?」
「ちょろ火は少し、黙るですわ」
「ぽぇ~、ですわよ~」
「きゃあ! マホフーフ!?」
「むー?」
「ひゅー」
「ほわっ!?」
色々と大変なことになっているが全部、リシェが悪いのだろう。
「ひー」とは、百竜のことだろうか。
みーが騒ぎ出して、それを奇貨としてヴァレイスナが照れ隠しに仔炎竜を構う。
炎竜になって倒れるマホフーフを、ケイニーとパンが駆け寄って支える。
納得がいかないのか、理解できないのか、無風なミャンとラカールラカ。
ラカールラカを背中にくっ付けたヴァレイスナが、みーの背中にくっ付いて、三竜の魔力にワーシュが仰け反る。
三竜重ねを堪能する余裕はないらしい。
「尻尾にも鱗にも、義務のような感じがするので、僕も行ってくるです」
堅い性格かと思いきや、そうでもなかったようで、ユミファナトラも加わってーー四竜重ね。
限界を超えてしまったようで、ワーシュが白目を剥いて悶絶。
先程の、竜の遼遠のような姿は何処へやら、崩れ捲ったリシェ。
こちらも、貴公子然とした姿は何処へやら、壊れ捲ったユルシャール。
「リャナ。一緒にやろう」
「はい」
リャナは真剣な表情で、添削を行っていた。
器用な面と、不器用な面。
どちらも、リャナの一途さが生み出したもの。
「初めて『触れた』のが、リャナで良かった」
「……え? 何か言いましたか?」
「いや、何でもない。続きをやろう」
僕は場が落ち着くまで、ミャンの文章についてリャナと語らうことにした。
頭上の、四つの「光球」が僕たちを照らしている。
昼間と遜色のない明るさだが、崖の向こうの闇を打ち払うことは出来ない。
それだけ三本目の竜道は巨大なのだろう。
温かな料理が配られると、待ち切れないとばかりに、みーが汁物を口に運ぶ。
炎竜だけあって熱いものは平気なのか、ごくごくと飲み下していく。
「うーうっ、うーまーいーのーだー!」
みーはユミファナトラが気に入ったのか、地竜の膝の上に座ってご満悦。
「おしおき」継続中のようで、リシェの膝の上にはラカールラカ。
僕の膝の上に座ろうとしたミャンは、横に置いた。
ヴァレイスナは、両手を広げて準備万端のユルシャールを無視して、ホーエルとナードに視線を向ける。
動揺したホーエルに、苛めっ竜のヴァレイスナの食指が動いたのは仕方がないこと。
ホーエルの膝の上に座ってから、ヴァレイスナは自身で作った料理を食べ始めた。
「この味は『雷爪の傷痕』の? もしかして、ヴァレイスナ様が作ってるんですか?」
何かしないではいられなかったのか、ホーエルは言葉を選びながらヴァレイスナに尋ねた。
汁物に炒め物。
単調な料理に、食材も良いとは言えない。
だが、パンですら美味しい。
「そーいえばリシェさんが、宿のご飯は『それなりの食事』って言ってたけど、めっちゃ美味しくて、毎日しわわー」
ワーシュはみーの気を引いてから、自身の膝を叩く。
みーは、ワーシュとユミファナトラを交互に見て、地竜を選んだようだったが、ユミファナトラに耳打ちされると、ワーシュの膝の上に移動した。
ワーシュの笑顔が仔炎竜で溶けていたので、皆はヴァレイスナに視線を向けた。
そのヴァレイスナの視線は、父親と風竜に。
リシェにご飯を食べさせてもらっているラカールラカに、嫉妬の冷気を撒き散らしながら、不機嫌さを隠さずリシェに振った。
「これらには面倒が含まれているので、父様に任せますわ」
「『それなりの食事』というのは、悪い意味ではなく、良くも悪くも、といった意味です。スナの趣味の一つが、料理です。その範囲は、通常の料理だけでなく、魔法料理も含まれます。言ってしまうと、実は『雷爪の傷痕』の料理は、大陸で最先端の料理でもあるんです。なので、知り合いの商人に頼んで、向上心のある若手の料理人を三人、招聘しました。まぁ、悪い言い方をするなら、皆さんには実験台になってもらっています」
「美味しい料理を食べられているのだから、実験台という言葉はともかく、ヴァレイスナ様や料理人には感謝している。だが、リシェ殿のことだから、氷竜の我が儘を聞いているだけーーということはないのだろう?」
以前とは異なる、エルムスの踏み込んだ発言に、リシェは笑顔を浮かべる。
一見、好意的な笑顔。
短い付き合いだが、僕でもわかる。
笑顔で誤魔化している間に、リシェの内心では炎竜と氷竜が激闘を繰り広げている。
「そうですね、言ってもいいんですが、影響力が大き過ぎるので、今は秘密にしておきます。国家機密どころか、大陸機密、とでも造語を作りたい気分なので。ぶっちゃけてしまうと、スナ料理を含んだこれらの一件は、アランからの依頼ーーというか頼み事です」
「アランらんらん? って、誰のことかみー様は知ってるかな~?」
「ほーう、しってるのだー。『へんなやつ』なんだぞー」
リシェを真似て、みーにご飯を食べさせていたワーシュが何気なく尋ねると、みーは元気よく答えた。
皆は「アラン」の正体に気付いたが、状況的にワーシュを止めることが出来なかった。
しかし、リシェではなくユミファナトラが話し始めたので、事無きを得る。
「アランとは、アラン・クール・ストーフグレフ王のことです。因みに、リシェ殿は、アランの親友です。リシェ殿はもう、サクラニルがストーフグレフに来たことを知っているです。なら、予想出来るはずです。サクラニルから、自らの力の根源を聞いたアランは、『神魔混合』をやったです。それから『風壊事件』で、『竜化』している魔獣種の一竜を打っ飛ばしたです」
「……えっと、もしかして竜を倒したんですか?」
「そこまではいかないです。ただ、策を用いれば、リシェ殿と同じことが出来るかもしれないです。今は国内を漫遊しているアランですが、遠くない未来に、グリングロウ国を再訪するです」
「……僕、死にたくないです」
「風業地得です。遣って来たアランが、『闘ろう』と言ったら、リシェ殿は断れるです?」
「無理……です」
「それまでにリシェ殿は、竜に踏まれても大丈夫なようにしておくです」
無慈悲にリシェの願望を斬って捨てるユミファナトラ。
強さに拘泥するナードとしては、捨て置けない話題だったのか、二竜に尋ねた。
「若しや、侍従長とストーフグレフ王の力は、スタイナーベルツを超えているのか?」
「ま、そう見るのが無難ですわ。今のところ、頂点の一角は父様ですわ」
「何を言っているです。今はアランのほうが、一歩先にいるです。頂点の一角はアランです」
「……ひゃふ?」
「……です?」
氷竜地竜勃発かと思ったが、ーー風竜の風が一吹き。
風の隙間から「風剣」を取り出すラカールラカ。
僕たちの真上に現れた巨大氷と巨大岩を、リシェが投げ付けたラカールラカが一刀両断にする。
「ぴゅー!」
爆発して淡い粒子を撒き散らす。
宛ら天を焦がす光竜の乱舞。
皆は一瞬の、奇跡のような光景に見入る。
荒々しい巨氷と巨岩を魔力に還元すると、満足気なラカールラカは「風剣」を風の内側に仕舞った。
それから竜速を超えた白竜速でリシェの胸の中に帰還。
「ゆゆゆゆゆゆゆゆぅ~~~~っっ!!」
リシェがラカールラカにご褒美の風を注ぎ込むと、人目も憚らず風竜を甘やかすリシェ。
喜びが液状化したような表情のラカールラカは、幸せの転寝。
「幸風」を浴びたヴァレイスナは言わずもがな、ユミファナトラの顔も曇り空になっていく。
みーの顔までどんよ竜な曇り空。
こちらは、一人と一竜を見て、コウのことを思い出したからだろう。
代わりの魔法娘に背面すりすりをして、炎を慰めていた。
「あの風っころは、もう『風剣』を制御しやがったですわ」
「風竜に『風剣』です。何であんな『風剣』をラカールラカに上げたです?」
「成り行きですわ。それ以外のものなんて、炎竜に喰わせてやりますわ」
色々なものがどっちらけになってしまったので、そろそろ頃合いかと、炎を食べたような渋々顔のヴァレイスナに振る。
「ヴァレイスナ。他に話があるのなら、して欲しい」
リシェは話を、ヴァレイスナに委ねた。
ユルシャールは、ヴァレイスナの話は中途だと言っていた。
僕の考えが間違っていなければ。
ワーシュの次は、僕。
「ワーシュの魔臭で、竜が近寄らなかったのと同様に、ライルにもみーや風っころは近寄らなかったのですわ」
「え? あ、そういえば、ライルに竜はくっ付いていなかったかな?」
思い出しながらホーエルが尋ねると、エルムスが答える。
「ミニレムだけかと思っていたが、確かに。竜の方々は、ライルと接触していなかった。それには理由があり、それをヴァレイスナ様が説明して下さるということか」
「ふふりふふり、研究の発表会みたいなものですわ。『知恵の極』である私が、研究をしないと解明できなかった、ライルの能力の話ですわ。ーーというわけで、父様」
思わせ振りに語ると、ヴァレイスナはリシェに求めた。
想定済みだったのか、リシェは直ぐに口を開く。
「染まる、同調、といったものとも違うし、語呂も悪いので、触れるーー『魔触』でいいんじゃないかな」
「ひゃっこい。そういうわけで、ライルの能力は『魔触』に決定ですわ」
名を付けることで、明確に認識、定義出来るようにしたのだろう。
ーー能力。
触れる、ーー確かに、触れてきたのだろう。
そして、揺れてきた。
揺らしてきた。
触れるごとに響いてきた。
王都で見上げた、あの空に。
放った、或いは置き忘れてきたもの。
「わかり易いのが、ライルの『光』ですわね。『光』を見た者は、これを高等魔法と思うでしょうが、実態はそんなものではないのですわ。詳説すると、概要だけで一星巡り掛かるので成る丈、簡単に説明するですわ」
ヴァレイスナの表情を見るに、深刻ではなさそうではあるが、人と竜の価値観は異なる。
僕にもわからなかった、僕の能力。
それを他人に、もとい他竜から聞かされるという事実に、不可思議を抱きながら耳を傾ける。
「人は、魔力を浴びて生きてきたのですわ。そうしてそれは、生命維持にまで影響が及びますわ。わかり易く言うと、魔法に使える魔力と、生命維持に用いる魔力は別の魔力なのですわ」
「んー? そーいえば昔、読んだことがあるかもー。肉体の根幹を成す魔力を操れれば、減魔症を回避出来るかもしれないってー」
「ワーシュの言う通り、減魔症を回避することは可能ですわ。但し、生命維持、と言ったことからもわかる通り、失敗すれば減魔症の軽減どころか命を落としますわ。ライルの『魔触』が危険なのは、肉体だけでなく精神の魔力も用いているからですわ。治癒魔法以外で、ライルが『光』しか使えないのは、ライル自身が『魔触』が危険なものであると無意識に理解しているからですわ」
「ヴァレイスナ様のお話に矛盾はないように感じられますが。何かーー、隠されているのではないでしょうか?」
ユルシャールは疑問の形を取ったが、確信があるようだ。
一行には魔法使いが七人居るが、知識面で最も優れているのはユルシャールかもしれない。
「相変わらず、魔法にだけは目敏いですわね。根幹魔力を用いるだけなら、『魔触』などという名を付けないのですわ。ライルは根幹魔力を、状況に応じて体外に放出していますわ。魔法使いでも、これらの行為の意味がわかる者は殆ど居ないのですわ」
ヴァレイスナは氷の微笑を浮かべながら、七人の魔法使いに諮る。
ミャンが先程から大人しいので見てみると、何かを紙に書き込んでいた。
三人娘は早々に諦めて、リャナに期待を籠めた視線を向ける。
「魔力の状態、使い方でしょうか? 魔力を纏う場合、体外に留まらせます。あたしが使う魔力操作も、知覚できないだけで、魔力的に繋がっていると思います」
「ひゃふふのふ、そこまで見通しているなんて、『聡明の魔法使い』の称号を呉れてやるですわ。その先まで見通したら、『聡氷の魔法使い』ですわね」
「さすが『魔聖』様ですわ!」
「『光輝九命』に次ぐ『魔聖』様の伝説に、新たな一ページが!」
「これは皆にも知らせなきゃ!」
氷竜の称号授与に、盛り上がる三人娘とは裏腹に、リャナは帽子を両手で掴んで頭を振った。
「いーやーっ、いーやーっ!」
ワーシュやユルシャールは考え中。
誰もリャナのことを気にしていないので、落ち着くように背中を撫でてあげる。
お祖母さんに倣ったのだが、この度は間違えたようだ。
リャナは持病を発症してしまった。
「これは譬えるのが難しいのですが、根幹魔力を体外に放出するということは、剥き出しの神経を刺激されるようなものなのですわ。もっと碌でもないのは、そんな状態の魔力で相手に『触れる』ことですわ。あの娘の『杖』に感謝しておけですわ。『終末の獣』の魔力に直接、触れていれば人の薄っぺらい精神など吹き飛んでいますわ」
どうやらコウ、だけでなく「魔法王の杖」を持っていたミャンも、僕の命の恩人らしい。
ミャンにお礼をしようかと思ったが、ヴァレイスナの眼差しから逃れることは敵わなかった。
「ライル。正直に答えるですわ。『魔触』が使えるようになったのが何時か、そして『魔触』で手放したことがあるかどうか、答えるのですわ」
ヴァレイスナは、僕にしかわからない言葉で命令してきた。
ああ、そうか。
僕はあのとき、手放してしまったのか。
王都の噴水で空を見上げていた。
誰も僕に気付かず。
行く先は、何処にも繋がっていない。
そこに居ながらそこに居ない、あの場所で。
もう必要のないものだと。
僕は、あの空に「触れて」。
手放してーー託してしまった。
「ーーそうか。幽閉されていた、噴水の、見上げていたときに、失ってしまった。気付かず、こうして何度も、『触れて』きてしまった」
正しく言葉に出来ていないが、ヴァレイスナは追求してこない。
深過ぎて、底がなくて、恐怖さえ覚える、透徹たる氷眼。
そんな氷竜の魔力で掬い上げられるかのように、一繋がりになっていく。
「自覚があるようですから、あとの判断は父様に任せますわ。ーー残りは、ホーエル。この機会を逃せば、逃したままのほうが良くなりますわ。父様のように、隠し事だらけで生きることになるのは勧めないのですわ」
ヴァレイスナがジト目で父親を見ると、素知らぬ顔のリシェ。
リシェは氷業氷得だから、放っておいていい。
膝の上の、ヴァレイスナの氷髪を見下ろすホーエル。
自然な動作で、ホーエルの冷たい眼差しが僕に向けられる。
「ライルは、知ってるのかな」
「クラスニールから旅立つ前、何故かはわからないが、僕は皆の父兄から色々と頼まれたーー託された。特にワーシュの親父さんは、泣きながら頼んできた」
「ふぎぎ~っ、魔法狂いの癖にっ、人の心配なんてしてる場合じゃないでしょーに!」
凸凹師妹だったワーシュと親父さん。
ワーシュの才能と気質に、誰よりも心を配ってきた。
ワーシュは否定するが、似た者親子だった。
「ルクスは、ホーエルを理解してやれなかったことを最後まで悔いていた。だから僕は、ホーエルの母親のことしか聞いていない。ーーホーエルは『氷翼』を使うことが出来た。それを可能とした何かがあるのだろうとは思っていた。何があったのかはわからない。ただ、その結果として、ホーエルは攻撃をーー他者を傷付けることが出来なくなったのではないかと推量した」
「異議っ! 異議イギありありっありまくりっっ!! これまでホーエルはあたしの頭を玩具にしてきたわ! 女の子の頭はもっと大切に扱うべきよ!」
多少ずれてはいるが、ワーシュの指摘は尤もである。
だが、それが真実を解き明かす切っ掛けとなったことに、ワーシュは気付かない。
「そうだね。ワーシュの頭を乱暴に扱うことはあったかもね。でも、知ってたかな? そのとき、冷や汗を掻いて、吐き気を催して、心臓は悲鳴を上げてたんだ。攻撃するときは、大盾で攻撃するって言ってたけど、……駄目なんだ。皆に嘘を吐いてた……、俺はーー皆の盾になることしか出来ないんだよ」
「『蜘蛛王』との戦いのときの、ホーエルの言葉。何かあるだろうとは思っていた。自身から傷付こうとする、あの行為は、ホーエルの優しさとは異なるものだった」
歯止めになろうとしたのか、エルムスは言葉を滑り込ませる。
しかし、逆効果だったかもしれない。
エルムスの優しさに、応えないホーエルではない。
「母さんは、繊細で優しい人だった。子供だったから、何が原因かはわからない。母さんは、俺に暴力を振るった、振るい続けた。ーーワーシュ、覚えてるかな? 小さい頃、魔力操作が苦手だったワーシュは、何か言われなかった?」
「ほ? ……思い出したわ。あの糞親父、事あるごとに『ホーエルを見習え』とか『ホーエルに比べて』とか言ってやがったのよ」
「自覚はなかったんだけどね、幼い頃から魔力操作を無意識に行ってたみたいなんだ。魔法はからっきりだったけど、魔力操作だけは得意だった。だからーー、傷付くのは俺じゃなくて母さんのほうだったんだ。どれだけ自分が傷付いても、自分が傷付くだけだったとしても、母さんは止めなかった。俺は、それを見てるだけだった。自分は傷付かず、母さんが傷付くのを見てるだけだった……」
次第に背中が丸まって、下がっていくホーエルの頭。
それを許さないヴァレイスナは、ホーエルに寄り掛かった。
「父さんは、母さんが居なくなるその日まで、気付くことが出来なかった。ーー克服しようとしたこともあるんだけどね。父さんに手伝ってもらって、剣を振るって……。吐いて漏らして呼吸困難で、死に掛けた。色んな液体と汚物に塗れたけど、無理だったんだ」
ホーエルは世界の果ての、万周期氷のような触れ難い、神妙、ではなく竜妙な氷髪を撫でる。
融けないはずの氷塊が、砕ける音を聞いたのかもしれない。
「ヴァレイスナ様。ありがとうございます」
「あら、気付いたのですわ?」
「勘、ですけど、ヴァレイスナ様の魔法陣は、魔力の暴走を抑える効果があるんじゃないかと思ってます」
「正解ですわ。ホーエルが克服しない限り、その傷を抱え続け、苦しみ続ける限り、『氷翼』を使うことが敵うのですわ」
心臓を鷲掴み、いや、竜掴みにされた気分だ。
ホーエルと親しい僕たちですら気付かなかったことを、ヴァレイスナは看破していたのだ。
ホーエルが選ぶだろう未来の、答えをも見通していた。
星霜を跨ぐ、超軼絶塵たる存在。
人を、軽々と超えていく竜。
見上げることしか出来ない憧憬。
竜は恐ろしい存在だが、今やっと、その本当の意味に気付いたのかもしれない。
そしてーー。
これから向かおうとしている「終末の獣」も、竜に引けを取らないはず。
この世界の始まりに、「終末」として配置された「獣」。
滅びを司る、ただそれだけの存在。
「それでは『終末の獣』について……」
「ふかーっ! 思い付かないのだ!!」
ヴァレイスナの話が終わったことを見て取ると、リシェは本題に入ったーーところで、ミャンが噴火した。
話をそっちのけにして何かを書いていたが突然、立ち上がって紙を投げ捨てた。
リシェは、好奇心丸出しの視線を僕に向けてきた。
時間をくれるようなので、先ずはリャナを止めることから始める。
「リャナ、大丈夫、ちょっと待って。ーーそれで、ミャン。ずっと何をしていたんだ?」
「新しい聖語を考えていたのだ! ふぬぬっ、行き詰まってしまったのだ!!」
落ちた紙を拾うと、リャナが手伝ってくれる。
紙の文字は聖語ではなく、現代の文字。
「聖語が漏洩しないように、魔法以外では聖語を用いないようにしています」
リャナの言葉を聞いた僕は、竜にも角にも厳然たる事実を突き付けることにした。
「字が汚い」
「そんなことわかっているのだ! 清書するときはリャナにやってもらうから問題ないのだ! そんなことよりもっ、ここなのだ! ここのっ、最後! 世界の破滅な感じな文をっ、ライルも考えてくれっなんだぞ!!」
ギザマルが這いずったような字だが、書かれている内容は美しい。
リャナがミャンのことを「自然派の寵児」と言っていたが、ミャンの素直な部分が文字の形を取って奏でているようで、非常に好感が持てるものだった。
「ライル~、ライル~」
頭を使い過ぎた所為なのか、ミャンは猫のように甘えてくる。
期待されているようなので、やってみることにする。
ミャンの書いた文章を読んで、心に浸す。
いつもなら考えて答えを出すが、今必要なのは別のことだろう。
ミャンが生みだした言葉。
そこに僕を浮かべる。
「今、死にたいとは思わない。だが、この瞬間、世界が滅びを迎えるというのなら、共に滅びよう」
言葉が溢れてきた。
まるで愛の告白のようにミャンに差し出すと、ミャンは猫から人間に進化して有頂天竜になった。
「それっ、いただきなのだ! さすが我の篭絡対象! 次っ、次なのだ! 次はっ、永遠な恋愛な感じで頼むんだぞ!!」
天竜のように舞い上がったミャンは、仔炎竜のように甘えてくる。
期待されているようだが、専門外というか無茶振り。
人には向き不向きというものがある。
「適任が居る」
僕は好奇心丸出しの視線をリシェに向ける。
それだけでは勿論、足りないのでヴァレイスナを見る。
ヴァレイスナの口元が緩んだ、刹那。
僕が持つ紙が風に乗って旅立ち、リシェの手元に到着。
「リシェは〝目〟だ。そういうことに慣れている」
「そうでもないですよ。そういう意味で〝目〟には二種類。僕は、教えられなかったほうです」
リシェは受け取った紙の文章を読んでいく。
創作した文章を読まれるのは大抵、羞恥心を伴うものだが、ミャンには関係ないようだ。
「当事者の気分を味わうということで、ポンさんはこっちにーーそうですね、好敵手のマホフーフさんの隣に」
リシェはミャンを風で縛ると、マホフーフの横に連れていく。
マホフーフは嫌がる素振りを見せたが、リシェの手前、表情に出さずに耐える。
「あとは、と」
「ぴゅ~?」
転寝中のラカールラカを起こすと、ホーエルの膝の上のヴァレイスナを片手で持ち上げた。
安堵の溜め息を吐いたところをヴァレイスナに見られて、ホーエルは引き攣った笑顔を浮かべる。
リシェはヴァレイスナの背中にラカールラカをくっ付けると、二竜をミャンとマホフーフの間に詰め込む。
これで、準備完竜。
ゆっくりと二人と二竜の正面に移動してから、リシェは目を閉じた。
須臾ーー何かが揺動した。
目を開いた、そこに居たのは、僕の知らないリシェだった。
「一瞬と永遠が、同じ音色を奏でていたから。それを偽りなく信じられたから。この道を、共に歩こう」
リシェは、僕が持っていない何かを、掌に乗せて差し出した。
直後、みーが「ぼっかん」した。
「ぎゃーう! ひーがむりゅむりゅちゅーちゅーなのだー! みーちゃんこりごりこりこりっ、ふぁはぁ!?」
「ちょろ火は少し、黙るですわ」
「ぽぇ~、ですわよ~」
「きゃあ! マホフーフ!?」
「むー?」
「ひゅー」
「ほわっ!?」
色々と大変なことになっているが全部、リシェが悪いのだろう。
「ひー」とは、百竜のことだろうか。
みーが騒ぎ出して、それを奇貨としてヴァレイスナが照れ隠しに仔炎竜を構う。
炎竜になって倒れるマホフーフを、ケイニーとパンが駆け寄って支える。
納得がいかないのか、理解できないのか、無風なミャンとラカールラカ。
ラカールラカを背中にくっ付けたヴァレイスナが、みーの背中にくっ付いて、三竜の魔力にワーシュが仰け反る。
三竜重ねを堪能する余裕はないらしい。
「尻尾にも鱗にも、義務のような感じがするので、僕も行ってくるです」
堅い性格かと思いきや、そうでもなかったようで、ユミファナトラも加わってーー四竜重ね。
限界を超えてしまったようで、ワーシュが白目を剥いて悶絶。
先程の、竜の遼遠のような姿は何処へやら、崩れ捲ったリシェ。
こちらも、貴公子然とした姿は何処へやら、壊れ捲ったユルシャール。
「リャナ。一緒にやろう」
「はい」
リャナは真剣な表情で、添削を行っていた。
器用な面と、不器用な面。
どちらも、リャナの一途さが生み出したもの。
「初めて『触れた』のが、リャナで良かった」
「……え? 何か言いましたか?」
「いや、何でもない。続きをやろう」
僕は場が落ち着くまで、ミャンの文章についてリャナと語らうことにした。
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