めぐる風の星唄

風結

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炎の凪唄

ベルニナ・ユル・ビュジエ 4

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 ここからが、本番。
 街で一泊して、十分に日が昇ってから出発。
 思った以上に、人気ひとけがない。
 街から、獣国への国境へと向かう街道。
 歩きながら、地図を取り出して、確認する。
 ーー北側の山の、どこから入るのがいいのかしら。
 国境に近づくほど、山での、移動距離が少なくなる。
 いっその事、獣国に入国してしまったほうが、いいような気もしてくる。
「お嬢さんっ、お嬢さんっ、そのまま歩いてくるとね、ぶつかっちゃうんだよ~」
「えっ?」
 人がいるとは思っていなかったので、慌てて顔を上げると。
「ーーっ」
 一歩、退しりぞいてしまった。
「大丈夫っ、大丈夫っ! 可愛い兎さんだよ~、怖くなんてないんだよ~」
兎人メソルチーナ……?」
 言葉通りに、可愛い兎さんがいた。
 子供くらいの背丈で、大きな兎が立ち上がったような姿。
 何より、ふわふわの……。
「あ、えっと、服は……、着ていないのですね?」
 体の底から湧き出してきた、衝動を誤魔化すために、気になったことを聞いてみた。
「うん! あたしはね、獣人ニヨンの中でも獣寄りだから、服って苦手なんだよ~。服を着なくてもいいって、許可証もね、ちゃんと持ってるんだよ~」
「ということは。他の獣種は、服を着ないと駄目ってことなのかしら?」
「そうなんだよ! だと捕まっちゃうんだよ~。でもでも~、習慣ってやつでね、獣人が酔っ払って開放的になるくらいなら、見逃してもらえちゃったりするんだよ~」
 幼年期の兎さんかと思ったけれど、青年期のふわふわなのかもしれない。
 声音も、喋り方も子供っぽいけれど、法についての知識もあるようだし、見た目からでは判断できない。
「それよりもっ、それよりもっ、あたしのこと、兎人だと、呼び方を知ってるなんてね、お嬢さんっ、只者じゃないんだよ~?」
「え、その……」
「服装と、振る舞いからして、貴族のご令嬢でしょう」
 山側からの男性の声に、無意識に短剣に手を遣ってしまった。
「おっと、驚かせてしまったようで、申し訳ございません」
「いえっ、こちらこそ、ごめんなさい。……その、あたし、貴族にーー見えますか?」
 見れば、優し気な、三十半ばくらいの男性。
 旅慣れた感じがするけれど、商人のようには見えない。
「はは、私は、様々な方と会っていますので、貴族の娘、役人の娘、商人の娘の、振る舞いの違いくらいなら、見分けることができます」
「そうなんだよ~。お嬢さんはね、自覚がないようだけど、お嬢さんが街を歩いてるだけでね、目立っちゃうんだよ~」
 そうだったんだ……。
 普通にしているつもりだったのに。
 街中での視線は、そういうものも含んでのことだったのね。
「はい。でも、伯爵家の娘というだけで、あたし自身は、まだ何者でもありません」
「やっ、やっ、いいねっ、いいねっ、あたしはね、貴族っぽくない娘さんなら、大丈夫なんだよ~」
 二人は、貴族との付き合いも多いのか、正体を明かしても、特段の変化は見られない。
 警戒は、しないといけないけれど、し過ぎるのは、やめたほうが賢明ね。
 そうなると、俄然、彼らの正体が気になってくる。
 あたしの好奇心を察した、兎さんは、その場でぴょんっと跳躍して、体を丸めると。
「なにもかくさないっ!」
 どばんっ、と手足を広げる。
 着地すると、左手は腰に、右の人差し指は頬に、右の爪先を上げて、やや後ろに反ってポーズを決める。
「ネーラだよ?」
 最後に、片目をつむるウインク
「ーーーー」
 ーーそう、あれは、あたしが七歳の頃だった。
 初めての、我が儘。
 四英雄の、爆雄ーーサッソ・コルバロの、魔王を倒した、その後の物語だった。
 たぶん、創作なのだろうけれど、あたしは、可愛い兎さんメソルチーナの物語に夢中になった。
 「ベルニナ」になろうとしていた、「あたし」。
 我が儘なんて、いけないことだと思っていた。
 でも、そうじゃなかった。
 間違えていたのは、あたしのほう。
 二人の、笑顔。
 あのとき、本当の家族になれたのかもしれない。
 人種アオスタは、獣種を不快にさせないためなのか、ペットを飼わないようにしている。
 実際のところは、どうなのかわからないけれど、父様と母様は、大きな兎のぬいぐるみを誕生日にーー二人と出逢った日に、プレゼントしてくれた。
 もちろん、兎の名前は、サッソ。
 毎日、抱いて寝たわ。
 ……あれは、あたしが十五歳のときだった。
 父様の、知り合いの貴族が訪ねてきた。
 その貴族には、娘がいて、慥かーー五歳だったかしら。
 一緒に遊んでいたら。
 当然、女の子は、サッソを気に入ってしまった。
 あたしも、もう、十五歳。
 ぬいぐるみなんて、卒業しないといけない年齢。
 父様と母様に許可をもらって、女の子にプレゼントすることにした。
 女の子は、すごく喜んでくれた。
 ーーその日の夜。
 あたしは、涙で枕を濡らした。
 卒業なんて、嘘。
 今でも、ときどき、夢にみる。
 でも、きっと、サッソは、新しい友達と楽しく過ごしているはず。
 走馬灯のように、思い出してしまったけれど。
 それも、そろそろ、限界で……。
「…………」
 ……何かしら、この可愛い生き物はーー。
「ーーっ!」
 がばっと抱き締めて、このふあふあな生き物を、撫で回したい!
 でもでもっ。
 駄目よ、あたし!
 あたしは、ビュジエ家の娘だもの!
 父様と母様の顔に、泥を塗るようなことなんて、なんてっ!!
「こっちの、アンリちゃんはね、幻想団の副団長なんだよ~」
「えっ!?」
 これは、素直に驚いた。
 と同時に、納得した。
 旅慣れていて、知り合いが多く、不思議な雰囲気を纏っている。
 言われてみれば、それ以外に、答えなんてなくて。
「何を隠そう、こちらの可愛い……かもしれない、ネーラさんは、団の事務方の、トップです」
「……?」
「あ、いえ、ネーラさんを、『可愛い』と断言してしまったら、妻に、伝わってしまうので……」
「そうなんだよ! ルススちゃんはね、アンリちゃんのことが、大好きすぎるんだよ~。場合によってはね、殺されちゃうんだよ~」
「……それでも、ネーラさんは、伝えてしまうのですね」
「はい。ネーラさんは、『なにもかくさない』ので」
 可愛い兎さんは、市井しせいでは浮いてしまいそうだけれど、幻想団では、普通ーーなのかしら?
「う~んっ、もうっ! なんかね、駄目~、ダメ~、だめ~っ!」
 お腹が痛い、わけではないと思うけれど、ネーラさんは、ぐぐっと丸まると。
「ぴょ~~んっ!!」
 あたしに向かって、跳ね上がった。
「お嫌でしたら、かわしてください」
 アンリさんが、言ってくれたけれど。
 そんなこと、死んでも有り得ない。
 彼の、溜め息交じりの言葉を、あたしは傲然と踏みつけて、ふあふあな兎さんを迎え入れる。
「ふゆふゆ~~ぅ、ふゆふゆ~~ぅ」
 堪らない心地の、温かなふあふあが、密着して、頬擦りをしてくる。
 くすぐったい、おひげに、ぴんっと立った、お耳が目の前に。
 理性が壊れる音を、あたしは、初めて聞いたかもしれない。
「撫でても……いいのかしら……?」
 それでも、何とか、最後に、貴族の矜持として、それだけ、聞くことができた。
「実はねっ、実はねっ、ネーラはね、ラクンちゃんが家出してから、ご無沙汰だったんだよ~」
「ラクンちゃん?」
 聞き返しながら、もう、手は止まらない。
 わかる、わかるわ。
 体中が、喜んでいる。
 心が、喜んで、空を舞っている。
 サッソには、悪いけれど、兎人ほんものは、比べ物にならない。
 ーーどうしよう。
 このまま、可愛い兎さんを、連れて帰りたくなってしまった。
「ラクンちゃんはね、あたしの弟みたいな子なんだよ~。何かね、悩んでいたのは知ってたんだよ~。む~む~む~むぅ~っ、お姉ちゃんにはね、何も相談しないで、どろんっ、しちゃったんだよ~!!」
 家出したことよりも、相談されなかったことに怒っているらしい。
「ネーラさんは、その『ラクンちゃん』以外には、撫でさせてあげなかったのかしら?」
「んっふっふ~、ラクンちゃんはね、『撫師ナデストロ』なんだよ~。でもでも~、あたし以外にもね、浮気してたみたいなんだよ~」
 なですとろ?
 撫で、と、巨匠マエストロ、を掛け合わせた、造語かしら?
「『ナデスター』のほうが良いと思いますが……」
「アンリちゃんはね、演奏は神懸かってるんだけど、こっち方面の感性はね、ボロボロなんだよ~」
「…………」
 自覚があるのか、反論しない、渋い顔の副団長さん。
 撫で、と、名匠マイスターーーかしら?
「撫でてほしい人はいるんだけどね、意中の、その人はね、ネーラの魅力に、メロメロになってくれないんだよ~」
 ネーラさんの誘惑に、耐え切るなんてーー。
 その人は、鋼の精神を持っているに違いない。
「その、ネーラさんの、意中の人は、あちらの山の中で、苦しんでいるところです。私は、周囲に危険がないか見回ってきた、というわけです。彼は、強く、護衛も兼ねているので、こうして三人で移動しています」
「右にね、二歩、ずれてみるんだよ~」
 兎さんのお願いなので、撫で撫で、は継続しながら横に動くと。
 緩やかなカーブの先に、樹につながれている、二頭の馬が見えた。
 二頭とも、あぶみは通常の位置なので、アンリさんの言ったように、もう一人、いるのだろう。
「苦しんでいる、その方は、お腹を壊してしまったのかしら?」
 幾つか持ってきた、薬の中に、胃痛や腹痛に効くものはない。
「それなのですが。お嬢さんは、ミュスタイアの王都ユングフラウに現れたという、魔雄様の噂は、ご存知でしょうか?」
「はい。乗合馬車の中でーー」
 そこまで言って、一つの可能性に思い至った。
 只者ではないらしい、「偽魔雄」。
 同じく、才能の、きわみのような、幻想団。
「まさか、煮込みツヴィングリを食べたのは、山にいる、男性なのですか?」
「いえいえ、そこは誤解があります」
「そうなんだよ~。ユングフラウで魔雄様の噂があってね、件のお店で、獣種の団員がツヴィングリのね、一番極まってないやつを食べたんだよ~。それでねっ、それでねっ、よせばいいのに、一口ね、食べちゃったんだよ~」
 どうやら、軽率な、ネーラさんの意中の人は、人種らしい。
 ーー恋する兎さんも、可愛い。
 と、そこまで考えて。
 これまで、誰かに恋したことのない、あたし。
 いえ、今、気づいたのは、そんなことじゃなくて。
 これまで、あたしには、結婚話なんてなかった。
 伯爵家のーービュジエ家の娘なのに?
 どういうことかしら。
 父様と母様はーー。
「それでねっ、それでねっ、ラクンちゃんのことなんだけどね、知らないんだよ~?」
「ーーえ? えっと、ここまで来るまでに、会っては、いません」
 いけないいけない。
 芽生えた、疑惑は、今は胸の中に仕舞っておく。
 兎族と会ったのは、初めてだし、幻想団の団員なら、偽名だったとしても見分けられるような気がする。
「その『ラクンちゃん』が家出したのは、団員になれなくて、才能がなかったから……」
「才能がないなどとっ、とんでもありません!」
「っ!?」
「こ~らこらっ、アンリちゃ~ん? 女の子を怖がらせるなんてね、ネーラだって怒っちゃうんだよ~?」
「こっ、これは失礼いたしました! どうかどうかっ、平にご容赦をっ!」
 アンリさんは、がばっと頭を下げる。
 あー、たぶん、「なにもかくさない」ネーラさんから、ルススさんに「怖がらせたおそった?」ことが伝わって、大変なことになるのかもしれない。
「あたしのほうこそ、事情を何も知らないのに、軽率な発言でした」
「ラクンちゃんはね、ネーラの、自慢の弟なんだよ~」
 ネーラさんは、アンリさんの顎に足を当てて、ぐいっと頭を上げさせる。
 通常なら屈辱的な行いも、兎さんがやると、可愛く見えてしまうから、不思議。
大陸ルツェルンに、二人といない、天才を超えた、『神才』とも言える、才能の持ち主です」
「んっふっふ~、アンリちゃんはね、ラクンちゃんに、ぞっこんなんだよ~」
 幻想団の、副団長がそこまで言うなんて、どんな兎さんなのかしら。
 きっと、ふあふあのーー。
 ーーではなくて。
「でも、そうなると。幻想団から抜け出した理由とか、書き置きとかなかったのですか?」
「んー、思春期だったのかな~? ネーラにもね、わからないんだよ~」
「思春期というより反抗期でしょうか。仲の良かった、団員の一人に言伝ことづてして、旅立ったそうです。う~む、自分探しの旅とか、年頃なのでしょうか……」
 近くにいた、二人にわからないのなら、あたしにわかるはずがない。
 だけれど、少し、イラっときてしまった。
 ーーあたしが、自身の命を懸けて、旅出ったというのに。
 もしも、出逢うことがあったら、可愛い兎さんだったとしても、ちょっとだけ、いじめてしまおう。
 旅の目的が、一つ追加されると、何故だか、胸が温かくなった。
 ーーそれだけ張り詰めていたのかしら。
 死が、迫っている。
 怖くないなんて、そんなこと、あるはずがない。
 それでも、恐怖に囚われては、駄目。
 自分の運命は、自分で切り開くしか、ないのだから。
「御二人は、『魔雄の遺産』を、ご存知でしょうか?」
 危険は、ある。
 それでも、危険をいとっていては、成し遂げることはできない。
 二人は、幻想団に所属している。
 遺産を狙うとは思えないし、何より、大陸を巡っている。
 書物を読んだだけの、あたしとは違った情報を、持っているかもしれない。
「『魔雄の遺産』? そんなものがあるんだよ~?」
 知らなくて、当然。
 「なにもかくさない」ネーラさんの言葉なら、信用できる。
「『魔雄の遺産』……ですか」
「何か、知っているの!?」
 仕舞った。
 年上の相手だというのに、詰め寄ってしまった。
「ああ、思わせ振りな言い方をしてしまって、申し訳ない。遺産については、知りません。ただ、魔雄ハビヒ・ツブルクについてなら、少しばかり、話せることがあります」
「それでも構いません。ほんの少しでも、手掛かりになるかもしれないのならーー。聞かせてください」
 そんなつもりはなかったのに。
 隠し切れない、生への、渇望が。
 ーー身の内が、かれて。
 睨むように、正面から見詰めてしまっていた。
「ーーそうですね。貴女あなたになら、話しても、問題ないでしょう。その、美しい、燃えるような瞳……」
「恥ずかしいならね、やらなければいいんだよ~」
「ぐっ……、ですが……」
「せめてね、炎神ペレですら見惚れる輝き、とか、炎の、純粋な成分を集めたような、とか、それくらいのことは言えないとね、駄目なんだよ~」
 ネーラさんの駄目出しに、凹んでしまう副団長。
 確かに、美しい、とか、燃えるような瞳、とか、捻りのない言葉。
 これまで、口説かれたことはないけれど、それらの言葉は、心に響かない。
 そういった言葉は、誰に言われたのか、が重要だと思う。
「ま、そういうことだからね、あたしから話すんだよ~」
「っ!」
 あ、あ~、兎さんが、可愛い、ふあふあが。
 あたしの腕から、するりと抜け出してしまう。
「これはねっ、これはねっ、あたしのお爺ちゃんがね、子供のときに、お父さんから聞いた話なんだよ~」
 お爺さんのお父さんということは、曾祖父の話ということね。
 兎さんの感触を、名残惜しく思っている場合じゃない。
 雑念を、炎神ペレに焼いてもらい、緩んだ頭を、熱で焦がす。
「でもでもっ、その前にね、兎国のことは知ってるんだよ~?」
「物語で読んだことが正しいのなら、保護国になっているのですよね」
「そうっ、そうっ、古代期はね、荒れてたから、弱小種の兎族は大変だったんだよ~。そこでね、絶雄様が国を造るって噂を聞いて、迫害されてた獣種がね、集まってきたんだよ~。でもねっ、でもねっ、集まってきた半分以上はね、兎族だったから、このままじゃ兎族の王様になっちゃうってね、絶雄様が困ってたんだよ~」
「となると。そこで絶雄様は、魔雄様に相談したのかしら?」
「大っ正~解~っ! 兎国を造ってね、保護国にすればいいって提案してくれたんだよ~。それだけじゃなくってね、兎族では、教育を重視してね、優秀な者を、文官として各国に派遣するようにってね、指導してくれたんだよ~」
「ーー以前、読んだ本に書いてあったわね。獣種は、統治には向いていない、と」
「うん! それからっ、それからっ、もう一つ! 魔雄様はね、言ったんだよ~。派遣された国にはね、命懸けで仕えろって、それは絶対守れってね、お願いされたんだよ~」
 命懸けなんて、こくなように聞こえるけれど。
 それは裏を返せば、決して裏切らないということ。
 兎族が、それを積み重ねてきたのなら、為政者からも信用されたはず。
 戦争などで、国が滅びたとしても、兎族の役割を知っていれば、生還できる確率も上がったかもしれない。
「魔雄様はね、ほんと~に凄いんだよ~。獣国が荒れてる理由の一つはね、統治が下手だったからなんだよ~。そこで兎族を派遣してね、あ~ら不思議っ! なんかいい感じにね、国々が回り始めたんだよ~。兎族を守りながら、兎族の立場も確立してね、更には更にはっ、大陸の安寧まで計っちゃうんだからね、四大神も吃驚びっくりなんだよ~」
 魔雄ハビヒ・ツブルクの話は、これまで、飽きるほど聞いてきたけれど。
 実は、誇張されていたと思っていた噂は、逆に、魔雄の伝説の、一部分に過ぎなかったのかもしれない。
「それでねっ、それでねっ、ここからが重要かもしれないね、話なんだよ~!」
 びしっと指を突きつける、お茶目な兎さんに、心が蕩けそうになったけれど。
「ぅ……」
 炎神で、駄目なら。
 風の女神ラカにも、精神を打擲ちょうちゃくしてもらう。
 両手で自分を抱き締めて、ふあふあを堪能したい衝動を、必死に抑え込む。
「お爺ちゃんお父さんはね、兎国の、結構偉い人だったみたいでね、魔雄様と色々話したみたいなんだよ~」
「話を……?」
 そうだった。
 人種にとって、千年は、遥かな昔だけれど、獣種からすれば、祖父や曾祖父の時代なのよね。
 ーー何より。
 四英雄の一人である、絶雄カステル・グランデは、存命なのだ。
 よわい千三百を数えるというのだから、もう、想像を絶している。
 人種からすれば、星を数うる如し、ね。
「お爺ちゃん父さんはね、魔雄様を絶賛したんだよ~。そしたら、魔雄様はね、こんなことを言ったんだよ~」
 ネーラさんの、やわらかな表情が、くすんで。
 恐らくは、魔雄の、古びた、微笑を宿す。
「『逆ですね。四英雄ぼくたちは、必要以上に、世界に影響を及ぼさないようにしています。僕が、魔法を、知識を、敷衍ふえんしてしまえば、この世界の発展に、文明に、多大なる貢献をしてしまいます。ーーこの世界には、あるべき姿と、段階や手順があると思います。そうなると、四英雄は、この世界の、異物なのかもしれませんね』」
 声は、子供っぽい、ままなのに。
 厳かな、兎さんの姿に、魔雄の苦悩が垣間見えた。
 ーーというか、ネーラさん。
 普通に喋ることも、できたのね。
「もしもっ、もしもっ、魔雄様の遺産があったらね、この世界を一変させちゃうくらいの、すんっごいものだったりしちゃうのかもしれないんだよ~?」
 可愛い兎さんに戻った、ネーラさんは、小首を傾げて、予想を語った。
 ーー遺産は、魔雄の魔力。
 もしかしたら、それは。
 この世界のために、遺したものなのかもしれない。
 それを、あたしは。
 自分自身の、欲望のために、使おうとしている。
 ーー許される、ことなのかしら。
 まだ、魔雄の遺産が、あるかどうかすら、わからないのに。
 どうして。
 どうして、あたしは、こんなにも弱いのかしら……。
「それでは、次は、私の番ですね」
 心は、ぐちゃぐちゃのままなのに。
 あたしを試すかのように、間を置かず、アンリさんが話し始める。
「毎年、ミュスタイアの建国祭で、幻想団は、絶雄と剣雄の物語を演じています。団長と、副団長の私と、ネーラさんの三人で、毎回、挨拶に伺っているのですが、絶雄ーーカステル様は。『民が望んでいるのはわかっているが、そろそろ、演目を変えてくれないか』と仰っていました」
「んっふっふ~、カステル様はね、ああ見えて、恥ずかしがり屋さんなんだよ~。そこでねっ、そこでねっ、ウーリちゃんが言ったんだよ~」
「『考慮しましょう。でしたら、四英雄の、三人について、教えていただけませんか?』と。ーーこのときは、さすがに肝が冷えました」
 魔雄の再来ーーとも噂される、ウーリ・ノウ名誉伯。
 絶雄の、宝物とも言える、四英雄なかまのことを聞くなんて。
 どんな人物なのかは、わからないけれど、ーーその胆力は、正に、英雄級。
「そこでカステル様は、魔雄ハビヒ・ツブルク様のことを語られました。そこで語られた内容は、『魔雄の遺産』とは関係ないので、割愛いたします。ただ、そこで語られた、魔雄様の実像は、驚くべきものでした」
「それはーー、何となく、感じていました。世界を巻き込んで、一つに、纏めてしまえるような人は。たぶん、正しいだけの人では、なかったと、昔から思っていました」
「おっお~っ、ネーラも吃驚だよ~! お嬢さんっ、ラクンちゃんとね、同じくらい聡明なんだよ~」
 ネーラさんの称賛は、きっと、お世辞。
 貴族の娘として相応しくあるために、努力は惜しまなかったけれど。
 「神才」と称えられる、可愛い兎おとうとさんに、匹敵すると思えるほど、自惚うぬぼれてはいない。
「その通りです。カステル様の、昔語りを聞いて、まず思ったのが、ーー油断のならない人物、というものでした。魔雄様は、紛う方なき、偉人です。ですが、一筋縄ではいかない、御方でもあると思います。ーー正直に言わせていただくと、『魔雄の遺産』とやらは、真っ当な代物では、ないと思われます」
 アンリさんは、真摯に、あたしのことを案じてくれている。
 だからこそ、率直に語ってくれた、その所見に、耳を傾けないわけにはいかない。
 確かに、手紙には、「魔力」としか記されていなかった。
 それに、気掛かりが幾つかある。
 一つは、手紙の、最後の一枚。
 専門用語が使われているのか、高度な言い回しなのか、読み解くことができなかった。
 ーー恐らくは、そこにこそ、「魔力」に関する、重要なことが記されているはずなのに。
 それから、真に、重要なのは、こちらかもしれない。
 ーー手紙には、人種への言及が、まったくなかったのよね。
 まるで、人種など、始めから、存在しないかのように。
「アンリちゃ~んっ、アンリちゃ~んっ」
「はいはい、わかりました。ーーよっと」
 ネーラさんが、短い両手を、ばっさばっさと振ると、アンリさんは、彼女の脇に手を入れて、持ち上げた。
「ほんとはねっ、ほんとはねっ、兎の足がいいのかもしれないんだけど、真っ白白~な尻尾はね、ネーラの自慢なんだよ~」
 目の前にある、真ん丸の、純白の、ふあふあ。
 触ってもいいのか、聞く前に、勝手に動いた両手が、その感触を、祝福を、堪能してしまっていた。
「お嬢さんに~、いい出逢いがありますように~、なんだよ~」
 染み渡ってきた。
 ネーラさんは、幸運の兎さんかもしれない。
 ーー願いが叶うように。
 そんな風に、言われていたら。
 人の気も知らないで、と。
 きっと、醜く反発していた。
「あっ、そうそう! 旅はね、色々大変なんだけど、お腹はね、冷やしたら駄目なんだよ~」
「喉と、お腹は、遣られると、辛いですね。彼のように、なってはいけません」
 小枝を踏んだような、小さな音がしたので、三人で、街道沿いの、茂みを見る。
 恥ずかしくて、出てこられないのかもしれない。
 幸せな触り心地に、踏ん切りがつかなかったけれど、丁度良かった。
「あたしがいると、出てこれないようですから。ーーお話、ありがとうございました」
「んっふっふ~、またっ、撫でてねっ、撫でてねっ! 約束なんだよ~!」
 アンリさんの手を振り払うと、着地したネーラさんは、前足、じゃなくて、両手を地面につけた。
「ーーっ!」
 両手を折り畳んで、箱座りで見送ってくれる、可愛すぎる兎さん。
 兎好きな、あたしのために、四大神ですら平伏すはなぢがでるような、ポーズを取ってくれる。
 必ず、もう一度、ふあふあを堪能すると、心に誓って、あたしは、泣く泣くその場を後にしたのだった。
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