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三竜と魔獣
空 「設定」と世界の真実
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「竜とは思えぬ所業。氷竜に告げ口してやるかの」
「何よ。スグリにもイオラングリディアにも手伝ってもらえないことが決定したのよ。少しは察しなさいよ」
マルの愚痴に、同じく愚痴で返すアリス。
スグリにフラれてしまい、衝撃でマルのことを素で忘れてしまったアリスと。
追い駆けたものの、追いつけないことがわかったので「氷柱」を放ったマルと。
どちらに非があるでしょうか。
「スグリは魔力の流れを制御することができるから、次は会っても大丈夫よ」
「今回それを知ったということは、ーーティノが聞きだしたのかの?」
お互いに非があるということで、アリスとマルは和解したようです。
建設的な話に移行しました。
普通の人種であるのに。
何をするかわからない。
ティノに関し、二人の見解は一致しています。
「そうよ。まぁ、色々と役に立ってくれたわ。見ての通り、イオリは『移譲』を使いこなせなかったから、イオリのままよ」
「どうすれば良いかわかっただけ、収穫はあったようだの」
マルはティノの背中を登って、頭の上に乗りました。
それから肩に移動し、次は後頭部にくっつきました。
「えっと、何をしてるのかな、マル?」
「学園に行ったら、ティノに乗ることも多くなるかの。最適な場所を探しておる」
「できれば、頭はやめて欲しいかな。マルは軽いけど、ちょっと重い」
「頭の後ろに引っつくのが、しっくりとくるのだがの」
「今やってるのと同じ体勢で、肩に引っつけば良いじゃない。お腹も隠せるし、イオリ対策にもなるわよ」
「ぱーやー」
「イオリ袋」に入っているイオリは、さっさく「日向ぼっこ」状態に移行。
アリスの角に、がっつりのティノ。
またしても、先が思い遣られます。
「さて、マルっころの定位置も決まったようだし、『聖域』と『僻地』の外の世界について話すのだけれど。今、話すのと、明日の夜明けくらいに話すのと、どちらが良いかしら?」
「ぎりぎりで話されると、心の準備ができないかもしれないので、今でお願いします。ーーと、思いだしました」
「どうかしたの?」
「あ、いえ、大したことではないんですけど、アリスさんとスグリは、同じ髪形をしていましたよね? あれって、アリスさんが真似をしたんですか?」
「……っ」
ぼっ、とアリスが燃え上がりました。
お空に、もう一つの太陽が出来上がりました。
二つの太陽。
この天変地異で、今まさに戦争を開始しようとしていた二国が撤退することになるのですが。
彼らは、そんな事情など知る由もありません。
角につかまって目を閉じていたティノですが。
すでに音だけで、何があったかわかるようになってしまった彼は仰天しました。
「ひぃぃっ!?」
「落ち着くかの。わしがくっついている間は、魔力で守ってやろう」
「え、あ……、ありがとう、マル」
「ぱーうー」
肩の上に乗って、安心させるように。
マルはティノの頬に顔を擦りつけます。
ティノも感謝を籠め、マルを優しく撫ぜます。
そんな一人と一獣、あと能天気な一竜を見て、何だか虚しくなってしまった炎竜は。
早々に鎮火しました。
スグリと同じ髪形。
無意識に真似をしてしまっていたアリス。
追究されるのは非常によろしくないので、何事もなかったかのように話を進めることにしました。
「先ず、『セレステナ聖地』は天然の要害となっているわ。盆地である『セレステナ聖地』の中心にある小高い丘の上に、『聖域』がある。人口は一万人を超えたところよ」
「一万って……、多いですね」
村の人口が200人くらいなので。
ざっと、50倍ほどです。
そんな途方もない人数、ティノには想像もできません。
「逆じゃな。事実上、大陸を統治しておる中心地に、一万しか住んでおらんのは少なすぎるかの」
「ま、そうね。『聖域』の南にある穀倉地帯の国の首都には、20万人が住んでいるわよ」
「は……? 20万……ですか?」
村の人口の、1000倍。
「聖域」の人口の、20倍。
無理でした。
ティノはもう、考えることを放棄しました。
ティノも、大まかな歴史は本を読んで知っていました。
「亜人戦争」の混乱が収まってのち、主導権を握ったのは、亜人と戦った戦士ではなく、後方支援を担っていた商人たちでした。
その後、傲慢に振る舞うようになった商人たちから人々を解放したのが、「聖語使い」。
台頭した「聖語使い」は、人々に「恩恵」を与えることで、百周期の間、君臨することとなりました。
「ティノ。あなたが学んだ『歴史』と『聖域』で語られている『歴史』は、別のモノよ。誰かに聞かれたら、『わからない』と答えなさい」
「えっと? 言うのも駄目なんですか?」
「まぁ、その気持ちはわかるわ。歴史っていうのはね、『ただそこにあるだけのもの』なのよ。正しいかどうかではなく、重要なのは、そこに居るモノたちが何を信じているか、なの。あなたが学んだ『歴史』には、捏造ーー間違いが含まれていて、それ以上に都合よく改定したのが、『聖域』の『歴史』というわけよ」
「エーレアリステシアゥナよ。ティノにはむずかしすぎるかの」
アリスが魔力で『視て』みると。
笑顔で誤魔化している、というか、笑顔のまま固まっているティノの姿。
鼻息を吐いたアリスは、言い直すことにしました。
「今のティノには、何が真実かなんて判断できるだけのモノがないのだから、『歴史』とは『そういうもの』だと思っておけば良いのよ。『聖域』では『そういう歴史』が信じられている。それを『聖域』で学びなさい」
「えっと、はい、何となくわかったような気がします」
非常に危なっかしいことこの上ありませんが、これ以上言ったところで炎竜に炎をぶつけるようなもの。
まだまだ注意事項はたくさんあるので、アリスは次を語ることにしました。
「ティノは、『聖人形』というのを聞いたことがあるかしら?」
「いえ、初めて聞きました。似たような感じのものは、『お爺さん』から聞いたことがあったような気がします」
さすがファルワール・ランティノール。
彼のことを兆すのはまだ早いと、喉元まで遣って来た称賛の言葉をアリスは呑み込みました。
「歴史」と同じく、今は「ランティノール」のことも、やんわりと注意喚起しておく程度に留めておいたほうが良いでしょう。
「今、『聖域』ではね、人種にそっくりの『聖人形』が現れたと噂になっているのよ」
「え……? 『人形』がもう、実現しているんですか……? やっぱり、『聖域』って凄いんですね」
「早合点しないで。噂だって言ったでしょう」
「噂、ということは、もう少しで完成するんですか?」
「だから、違うって。以前にも言ったことだけれど、もう少し、竜……と人種の話は注意深く聞きなさい」
アリスと親しくなった分だけ、叱られてしょんぼりとしてしまうティノ。
自分の判断は間違っていなかった。
マルは、ティノの足りない部分を補うことにしました。
「その『聖人形』とやらは、話からして偽物じゃな。大方、『聖人形』の振りを人種がしたのかの」
「正解。不思議なことに、こんな簡単なペテンに引っかかるのも、人種の特徴というヤツね」
そう、蓋を開けてみれば、実際にはあべこべ。
人間のような「人形」、ではなく、「人形」のような人間。
人間が「聖人形」の振りをしていたという、単純な答え。
「ついでに言うと。そのペテン師を懲らしめたのも、エーレアリステシアゥナかの」
「そっちも正解。『聖人形』を造れるだけの技術。学園の教師として勧誘しようと捜しだしてみたら。ーーあまりにもお粗末で、ただ、『聖人形』に対する情熱だけは燃え盛っていたから、私の管轄下において研究させているわ」
「亡くなった妻か子を、再現しようとしておるのかの」
「マルっころ。そういうことはわかったとしても口にすべきではないわ」
ずっと「独り」だったマル。
確かに、配慮が足りなかったようです。
人種の事情を暴き立ててしまいました。
それを聞いたティノは。
今度はしんみりとしてしまいます。
そんな少年の姿を見て、一竜と一獣はますます心配になってきました。
「ここまで話しても、ティノは気づいていないみたいよ」
「そこはエーレアリステシアゥナの、期待のしすぎじゃな。ティノはティノで、十分に頑張っておるかの」
「えっと、僕が駄目なのは自分でもわかっているので、わかり易くしていただけると助かります」
積極的なのか消極的なのか、わからない言葉。
ランティノールのような「天を焦がす才能」ーーの片鱗をまったく見せることのない普通の少年。
それでいて、幾度となく竜や魔獣を驚かせるような突飛な行動を取る人種。
そんな少年を、アリスとマルは気に入ってしまったのですから、本当に竜生も獣生もわからないものです。
「『聖人形』の噂はまだ流布しているから、それを利用させてもらうのよ。イオリは『お爺さん』が造った『聖人形』で、マルっころはティノが造った『聖人形』ということにするわ」
「なるほどの。それであれば、イオリの『角痕』や硬い体の感触なども誤魔化せるということじゃな」
「そう、イオリの『設定』は、『角無し』になって力を失った地竜。まぁ、そのまんまね。マルっころは、普通に仔犬で良いわ。一応、『裏設定』として、『封印』された魔獣ってことにしておきましょう」
「『封印』の解除があるかもしれんからの。『幻影』で『聖語』を使っておるような偽装を鍛錬しておこう」
「ぱーほー」
ティノは、まったく口を挟めませんでした。
何とか、ここまでは理解できていたティノですが。
話は、ここで終わりではありません。
容赦なく、次に移ります。
「次に重要なのは、『魔力』のことね。以前、『聖語使い』は『魔力』のことを知らないと話したことは覚えているわよね?」
「はい。それは、もちろん。実は、アリスさんが嘘を吐いているのではないかと、今でも疑っています」
「言ってくれるわね」
尖った言葉とは裏腹に、アリスは楽し気に笑います。
竜に反抗的な人種。
正体を知って尚、アリスと対等に接してくるなど、本当に「面白い」にも程があります。
不遜な人種。
竜の本能から生じる、「焼きたい」衝動を抑えることすら楽しく感じてしまいます。
「私の言葉が信用できないのなら、マルっころにも聞いてみなさい。『魔力』はね、『魔毒』と呼ばれているのよ」
「『魔毒』……って、えっと、何ですかそれ、というか、本当なの、マル?」
「本当じゃよ。ティノには耳が痛い話かもしれんの。大陸では、『魔力』のことは『魔毒』と認識され、方術のような力を使う『魔毒者』は処刑されておる。『魔毒』は、病ーー伝染病のようなものじゃと、発覚する前に、秘密裏に『処理』されることも多いと聞くかの」
「そんな……」
ティノは耳を疑いました。
そんなことが現実に起こっているなどと、到底信じられません。
でも、マルの言葉に、アリスも頷いています。
嘘であって欲しい。
そんな儚い願いは、サクラニルを始めとした神々に届くことなく、無残に散ってゆきます。
「……ど、どうにかできないんですか」
「できるわよ」
「へ……?」
ティノの、懇願に近い問いかけに。
アリスはあっさりと肯定の返事。
そして、同じくあっさりと。
世界の、すべての空気に重さが具わったかのような竜の言葉を、ティノに差しだしました。
「私ならできる。でも、竜である私がそんなことをしても良いのかしら? 人種のことは人種が決めるべきよ。竜である私が、その『領域』まで介入しても良いと、ティノが保証してくれるの?」
「そ、それは……」
「これは『予測』だけれどね、『魔毒者』を処刑することで、犠牲の羊にすることで、治安が保たれているのよ。『魔毒者』を放っておけば、処刑した『魔毒者』とは比較にならないくらいの犠牲が人種にでるでしょう。『聖語使い』と『下界』の人々の関係。今の統治体制なら、『悪くない』手段ね」
「……っ」
アリスの言葉は正しくない。
いえ、アリスが語った人間たちの行いは正しいものではありません。
では、ティノは。
正しい「答え」を持っているかといえば、そんなことはありません。
でも、認めるわけにはいきませんでした。
ティノの内側が軋んでいます。
イオリーーイオラングリディアと過ごす、穏やかな世界。
そんな小さな世界だけを、ティノは望んでいました。
それ以外のことなんて、どうでも良いはずでした。
わかっていたことです。
ティノは、自分が如何に弱い存在であるかを思い知らされます。
「『下界』」
「え?」
アリスは、もう一度、繰り返しました。
顔を上げたティノに、もう一つの現実を突きつけます。
「『聖域』の『聖語使い』たちはね、『セレステナ聖地』の外の世界のことを『下界』と呼んでいるの。でも、彼らに悪意はないわ。ティノが魔力のことを『常識』として知っていたように、彼らもまた、生まれたときからずっと『下界』と呼んできたのよ。これからあなたが行くのは、そういう場所よ」
「……僕も、『聖域』では『下界』と呼ばないといけないんですか?」
「まさか。強要なんてしないわよ。これまで『聖語使い』ーー『八創家』は、『下界』の優秀な者を密かに受け入れてきた。『聖語』だけでは足りないモノを、それで補ってきたのよ。でも、それも終わり。『八創家』の政治的な駆け引きも終了。今、戸籍調査をやっているから、『聖域』に潜り込む最後の者が、ティノ、あなたよ」
「『庵』に……、帰りたくなってきました」
「ぱーふー」
外の世界。
そこには、希望だけが転がっているわけではありません。
ティノも、そのことは重々わかっているつもりでした。
村の人々とのつきあいで、学んできたつもりでした。
アリスは、優しくありませんでした。
いえ、優しいからでしょうか。
ティノが考えた瞬間に。
明確に言葉にされてしまいました。
「ティノ。あなたは、いずれ『僻地』から旅立つつもりだった。旅立って、様々な困難に打ち勝ちながら、終には。イオラングリディアと再会する。ーーハッピーエンドってヤツね」
ただの気紛れ。
お節介だなどと、そんなことはあり得ない。
一々、言い訳していることを馬鹿らしく思いながらも、アリスは押し黙ったままのティノに。
正面から言葉を紡ぎました。
「でも、今のあなたは、まだ何もしていない。何者でもないのよ。そんな何者でもないヤツが、ーーイオラングリディアの隣に立つつもりなのかしら?」
「っ!」
「私は嗤ってやるわよ。もちろん、嗤う対象はイオラングリディア。そんなつまらない男と一緒にいるなんて。見下げ果てた女だと、魂が燃え尽きるまで軽蔑し続けてやるわ」
「っ……」
「あなたには何もない。だから、私に言い返すこともできない。あなたは何も知らない。世界を知らなければ、世界を創ることもできない。あなたは竜が何者かわかっていない。そんなあなたが、イオラングリディアを『解放』できるのかしら?」
「ぱーんー」
ティノを見ることなく。
正面から穿たれた、アリスの言葉。
イオリの言葉に隠れ、風に囁いたティノの想いは。
世界の片隅で、虚しく散っていくばかりでした。
「何よ。スグリにもイオラングリディアにも手伝ってもらえないことが決定したのよ。少しは察しなさいよ」
マルの愚痴に、同じく愚痴で返すアリス。
スグリにフラれてしまい、衝撃でマルのことを素で忘れてしまったアリスと。
追い駆けたものの、追いつけないことがわかったので「氷柱」を放ったマルと。
どちらに非があるでしょうか。
「スグリは魔力の流れを制御することができるから、次は会っても大丈夫よ」
「今回それを知ったということは、ーーティノが聞きだしたのかの?」
お互いに非があるということで、アリスとマルは和解したようです。
建設的な話に移行しました。
普通の人種であるのに。
何をするかわからない。
ティノに関し、二人の見解は一致しています。
「そうよ。まぁ、色々と役に立ってくれたわ。見ての通り、イオリは『移譲』を使いこなせなかったから、イオリのままよ」
「どうすれば良いかわかっただけ、収穫はあったようだの」
マルはティノの背中を登って、頭の上に乗りました。
それから肩に移動し、次は後頭部にくっつきました。
「えっと、何をしてるのかな、マル?」
「学園に行ったら、ティノに乗ることも多くなるかの。最適な場所を探しておる」
「できれば、頭はやめて欲しいかな。マルは軽いけど、ちょっと重い」
「頭の後ろに引っつくのが、しっくりとくるのだがの」
「今やってるのと同じ体勢で、肩に引っつけば良いじゃない。お腹も隠せるし、イオリ対策にもなるわよ」
「ぱーやー」
「イオリ袋」に入っているイオリは、さっさく「日向ぼっこ」状態に移行。
アリスの角に、がっつりのティノ。
またしても、先が思い遣られます。
「さて、マルっころの定位置も決まったようだし、『聖域』と『僻地』の外の世界について話すのだけれど。今、話すのと、明日の夜明けくらいに話すのと、どちらが良いかしら?」
「ぎりぎりで話されると、心の準備ができないかもしれないので、今でお願いします。ーーと、思いだしました」
「どうかしたの?」
「あ、いえ、大したことではないんですけど、アリスさんとスグリは、同じ髪形をしていましたよね? あれって、アリスさんが真似をしたんですか?」
「……っ」
ぼっ、とアリスが燃え上がりました。
お空に、もう一つの太陽が出来上がりました。
二つの太陽。
この天変地異で、今まさに戦争を開始しようとしていた二国が撤退することになるのですが。
彼らは、そんな事情など知る由もありません。
角につかまって目を閉じていたティノですが。
すでに音だけで、何があったかわかるようになってしまった彼は仰天しました。
「ひぃぃっ!?」
「落ち着くかの。わしがくっついている間は、魔力で守ってやろう」
「え、あ……、ありがとう、マル」
「ぱーうー」
肩の上に乗って、安心させるように。
マルはティノの頬に顔を擦りつけます。
ティノも感謝を籠め、マルを優しく撫ぜます。
そんな一人と一獣、あと能天気な一竜を見て、何だか虚しくなってしまった炎竜は。
早々に鎮火しました。
スグリと同じ髪形。
無意識に真似をしてしまっていたアリス。
追究されるのは非常によろしくないので、何事もなかったかのように話を進めることにしました。
「先ず、『セレステナ聖地』は天然の要害となっているわ。盆地である『セレステナ聖地』の中心にある小高い丘の上に、『聖域』がある。人口は一万人を超えたところよ」
「一万って……、多いですね」
村の人口が200人くらいなので。
ざっと、50倍ほどです。
そんな途方もない人数、ティノには想像もできません。
「逆じゃな。事実上、大陸を統治しておる中心地に、一万しか住んでおらんのは少なすぎるかの」
「ま、そうね。『聖域』の南にある穀倉地帯の国の首都には、20万人が住んでいるわよ」
「は……? 20万……ですか?」
村の人口の、1000倍。
「聖域」の人口の、20倍。
無理でした。
ティノはもう、考えることを放棄しました。
ティノも、大まかな歴史は本を読んで知っていました。
「亜人戦争」の混乱が収まってのち、主導権を握ったのは、亜人と戦った戦士ではなく、後方支援を担っていた商人たちでした。
その後、傲慢に振る舞うようになった商人たちから人々を解放したのが、「聖語使い」。
台頭した「聖語使い」は、人々に「恩恵」を与えることで、百周期の間、君臨することとなりました。
「ティノ。あなたが学んだ『歴史』と『聖域』で語られている『歴史』は、別のモノよ。誰かに聞かれたら、『わからない』と答えなさい」
「えっと? 言うのも駄目なんですか?」
「まぁ、その気持ちはわかるわ。歴史っていうのはね、『ただそこにあるだけのもの』なのよ。正しいかどうかではなく、重要なのは、そこに居るモノたちが何を信じているか、なの。あなたが学んだ『歴史』には、捏造ーー間違いが含まれていて、それ以上に都合よく改定したのが、『聖域』の『歴史』というわけよ」
「エーレアリステシアゥナよ。ティノにはむずかしすぎるかの」
アリスが魔力で『視て』みると。
笑顔で誤魔化している、というか、笑顔のまま固まっているティノの姿。
鼻息を吐いたアリスは、言い直すことにしました。
「今のティノには、何が真実かなんて判断できるだけのモノがないのだから、『歴史』とは『そういうもの』だと思っておけば良いのよ。『聖域』では『そういう歴史』が信じられている。それを『聖域』で学びなさい」
「えっと、はい、何となくわかったような気がします」
非常に危なっかしいことこの上ありませんが、これ以上言ったところで炎竜に炎をぶつけるようなもの。
まだまだ注意事項はたくさんあるので、アリスは次を語ることにしました。
「ティノは、『聖人形』というのを聞いたことがあるかしら?」
「いえ、初めて聞きました。似たような感じのものは、『お爺さん』から聞いたことがあったような気がします」
さすがファルワール・ランティノール。
彼のことを兆すのはまだ早いと、喉元まで遣って来た称賛の言葉をアリスは呑み込みました。
「歴史」と同じく、今は「ランティノール」のことも、やんわりと注意喚起しておく程度に留めておいたほうが良いでしょう。
「今、『聖域』ではね、人種にそっくりの『聖人形』が現れたと噂になっているのよ」
「え……? 『人形』がもう、実現しているんですか……? やっぱり、『聖域』って凄いんですね」
「早合点しないで。噂だって言ったでしょう」
「噂、ということは、もう少しで完成するんですか?」
「だから、違うって。以前にも言ったことだけれど、もう少し、竜……と人種の話は注意深く聞きなさい」
アリスと親しくなった分だけ、叱られてしょんぼりとしてしまうティノ。
自分の判断は間違っていなかった。
マルは、ティノの足りない部分を補うことにしました。
「その『聖人形』とやらは、話からして偽物じゃな。大方、『聖人形』の振りを人種がしたのかの」
「正解。不思議なことに、こんな簡単なペテンに引っかかるのも、人種の特徴というヤツね」
そう、蓋を開けてみれば、実際にはあべこべ。
人間のような「人形」、ではなく、「人形」のような人間。
人間が「聖人形」の振りをしていたという、単純な答え。
「ついでに言うと。そのペテン師を懲らしめたのも、エーレアリステシアゥナかの」
「そっちも正解。『聖人形』を造れるだけの技術。学園の教師として勧誘しようと捜しだしてみたら。ーーあまりにもお粗末で、ただ、『聖人形』に対する情熱だけは燃え盛っていたから、私の管轄下において研究させているわ」
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確かに、配慮が足りなかったようです。
人種の事情を暴き立ててしまいました。
それを聞いたティノは。
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「そこはエーレアリステシアゥナの、期待のしすぎじゃな。ティノはティノで、十分に頑張っておるかの」
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積極的なのか消極的なのか、わからない言葉。
ランティノールのような「天を焦がす才能」ーーの片鱗をまったく見せることのない普通の少年。
それでいて、幾度となく竜や魔獣を驚かせるような突飛な行動を取る人種。
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「なるほどの。それであれば、イオリの『角痕』や硬い体の感触なども誤魔化せるということじゃな」
「そう、イオリの『設定』は、『角無し』になって力を失った地竜。まぁ、そのまんまね。マルっころは、普通に仔犬で良いわ。一応、『裏設定』として、『封印』された魔獣ってことにしておきましょう」
「『封印』の解除があるかもしれんからの。『幻影』で『聖語』を使っておるような偽装を鍛錬しておこう」
「ぱーほー」
ティノは、まったく口を挟めませんでした。
何とか、ここまでは理解できていたティノですが。
話は、ここで終わりではありません。
容赦なく、次に移ります。
「次に重要なのは、『魔力』のことね。以前、『聖語使い』は『魔力』のことを知らないと話したことは覚えているわよね?」
「はい。それは、もちろん。実は、アリスさんが嘘を吐いているのではないかと、今でも疑っています」
「言ってくれるわね」
尖った言葉とは裏腹に、アリスは楽し気に笑います。
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「私の言葉が信用できないのなら、マルっころにも聞いてみなさい。『魔力』はね、『魔毒』と呼ばれているのよ」
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「本当じゃよ。ティノには耳が痛い話かもしれんの。大陸では、『魔力』のことは『魔毒』と認識され、方術のような力を使う『魔毒者』は処刑されておる。『魔毒』は、病ーー伝染病のようなものじゃと、発覚する前に、秘密裏に『処理』されることも多いと聞くかの」
「そんな……」
ティノは耳を疑いました。
そんなことが現実に起こっているなどと、到底信じられません。
でも、マルの言葉に、アリスも頷いています。
嘘であって欲しい。
そんな儚い願いは、サクラニルを始めとした神々に届くことなく、無残に散ってゆきます。
「……ど、どうにかできないんですか」
「できるわよ」
「へ……?」
ティノの、懇願に近い問いかけに。
アリスはあっさりと肯定の返事。
そして、同じくあっさりと。
世界の、すべての空気に重さが具わったかのような竜の言葉を、ティノに差しだしました。
「私ならできる。でも、竜である私がそんなことをしても良いのかしら? 人種のことは人種が決めるべきよ。竜である私が、その『領域』まで介入しても良いと、ティノが保証してくれるの?」
「そ、それは……」
「これは『予測』だけれどね、『魔毒者』を処刑することで、犠牲の羊にすることで、治安が保たれているのよ。『魔毒者』を放っておけば、処刑した『魔毒者』とは比較にならないくらいの犠牲が人種にでるでしょう。『聖語使い』と『下界』の人々の関係。今の統治体制なら、『悪くない』手段ね」
「……っ」
アリスの言葉は正しくない。
いえ、アリスが語った人間たちの行いは正しいものではありません。
では、ティノは。
正しい「答え」を持っているかといえば、そんなことはありません。
でも、認めるわけにはいきませんでした。
ティノの内側が軋んでいます。
イオリーーイオラングリディアと過ごす、穏やかな世界。
そんな小さな世界だけを、ティノは望んでいました。
それ以外のことなんて、どうでも良いはずでした。
わかっていたことです。
ティノは、自分が如何に弱い存在であるかを思い知らされます。
「『下界』」
「え?」
アリスは、もう一度、繰り返しました。
顔を上げたティノに、もう一つの現実を突きつけます。
「『聖域』の『聖語使い』たちはね、『セレステナ聖地』の外の世界のことを『下界』と呼んでいるの。でも、彼らに悪意はないわ。ティノが魔力のことを『常識』として知っていたように、彼らもまた、生まれたときからずっと『下界』と呼んできたのよ。これからあなたが行くのは、そういう場所よ」
「……僕も、『聖域』では『下界』と呼ばないといけないんですか?」
「まさか。強要なんてしないわよ。これまで『聖語使い』ーー『八創家』は、『下界』の優秀な者を密かに受け入れてきた。『聖語』だけでは足りないモノを、それで補ってきたのよ。でも、それも終わり。『八創家』の政治的な駆け引きも終了。今、戸籍調査をやっているから、『聖域』に潜り込む最後の者が、ティノ、あなたよ」
「『庵』に……、帰りたくなってきました」
「ぱーふー」
外の世界。
そこには、希望だけが転がっているわけではありません。
ティノも、そのことは重々わかっているつもりでした。
村の人々とのつきあいで、学んできたつもりでした。
アリスは、優しくありませんでした。
いえ、優しいからでしょうか。
ティノが考えた瞬間に。
明確に言葉にされてしまいました。
「ティノ。あなたは、いずれ『僻地』から旅立つつもりだった。旅立って、様々な困難に打ち勝ちながら、終には。イオラングリディアと再会する。ーーハッピーエンドってヤツね」
ただの気紛れ。
お節介だなどと、そんなことはあり得ない。
一々、言い訳していることを馬鹿らしく思いながらも、アリスは押し黙ったままのティノに。
正面から言葉を紡ぎました。
「でも、今のあなたは、まだ何もしていない。何者でもないのよ。そんな何者でもないヤツが、ーーイオラングリディアの隣に立つつもりなのかしら?」
「っ!」
「私は嗤ってやるわよ。もちろん、嗤う対象はイオラングリディア。そんなつまらない男と一緒にいるなんて。見下げ果てた女だと、魂が燃え尽きるまで軽蔑し続けてやるわ」
「っ……」
「あなたには何もない。だから、私に言い返すこともできない。あなたは何も知らない。世界を知らなければ、世界を創ることもできない。あなたは竜が何者かわかっていない。そんなあなたが、イオラングリディアを『解放』できるのかしら?」
「ぱーんー」
ティノを見ることなく。
正面から穿たれた、アリスの言葉。
イオリの言葉に隠れ、風に囁いたティノの想いは。
世界の片隅で、虚しく散っていくばかりでした。
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「いっすん坊」てなんなんだ
こいちろう
児童書・童話
ヨシキは中学一年生。毎年お盆は瀬戸内海の小さな島に帰省する。去年は帰れなかったから二年ぶりだ。石段を上った崖の上にお寺があって、書院の裏は狭い瀬戸を見下ろす絶壁だ。その崖にあった小さなセミ穴にいとこのユキちゃんと一緒に吸い込まれた。長い長い穴の底。そこにいたのがいっすん坊だ。ずっとこの島の歴史と、生きてきた全ての人の過去を記録しているという。ユキちゃんは神様だと信じているが、どうもうさんくさいやつだ。するといっすん坊が、「それなら、おまえの振り返りたい過去を三つだけ、再現してみせてやろう」という。
自分の過去の振り返りから、両親への愛を再認識するヨシキ・・・
極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。
猫菜こん
児童書・童話
私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。
だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。
「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」
優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。
……これは一体どういう状況なんですか!?
静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん
できるだけ目立たないように過ごしたい
湖宮結衣(こみやゆい)
×
文武両道な学園の王子様
実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?
氷堂秦斗(ひょうどうかなと)
最初は【仮】のはずだった。
「結衣さん……って呼んでもいい?
だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」
「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」
「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、
今もどうしようもないくらい好きなんだ。」
……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。
グリモワールなメモワール、それはめくるめくメメントモリ
和本明子
児童書・童話
あの夏、ぼくたちは“本”の中にいた。
夏休みのある日。図書館で宿題をしていた「チハル」と「レン」は、『なんでも願いが叶う本』を探している少女「マリン」と出会う。
空想めいた話しに興味を抱いた二人は本探しを手伝うことに。
三人は図書館の立入禁止の先にある地下室で、光を放つ不思議な一冊の本を見つける。
手に取ろうとした瞬間、なんとその本の中に吸いこまれてしまう。
気がつくとそこは、幼い頃に読んだことがある児童文学作品の世界だった。
現実世界に戻る手がかりもないまま、チハルたちは作中の主人公のように物語を進める――ページをめくるように、様々な『物語の世界』をめぐることになる。
やがて、ある『未完の物語の世界』に辿り着き、そこでマリンが叶えたかった願いとは――
大切なものは物語の中で、ずっと待っていた。
レイルーク公爵令息は誰の手を取るのか
宮崎世絆
児童書・童話
うたた寝していただけなのに異世界転生してしまった。
公爵家の長男レイルーク・アームストロングとして。
あまりにも美しい容姿に高い魔力。テンプレな好条件に「僕って何かの主人公なのかな?」と困惑するレイルーク。
溺愛してくる両親や義姉に見守られ、心身ともに成長していくレイルーク。
アームストロング公爵の他に三つの公爵家があり、それぞれ才色兼備なご令嬢三人も素直で温厚篤実なレイルークに心奪われ、三人共々婚約を申し出る始末。
十五歳になり、高い魔力を持つ者のみが通える魔術学園に入学する事になったレイルーク。
しかし、その学園はかなり特殊な学園だった。
全員見た目を変えて通わなければならず、性格まで変わって入学する生徒もいるというのだ。
「みんな全然見た目が違うし、性格まで変えてるからもう誰が誰だか分からないな。……でも、学園生活にそんなの関係ないよね? せっかく転生してここまで頑張って来たんだし。正体がバレないように気をつけつつ、学園生活を思いっきり楽しむぞ!!」
果たしてレイルークは正体がバレる事なく無事卒業出来るのだろうか?
そしてレイルークは誰かと恋に落ちることが、果たしてあるのか?
レイルークは誰の手(恋)をとるのか。
これはレイルークの半生を描いた成長物語。兼、恋愛物語である(多分)
⚠︎ この物語は『レティシア公爵令嬢は誰の手を取るのか』の主人公の性別を逆転した作品です。
物語進行は同じなのに、主人公が違うとどれ程内容が変わるのか? を検証したくて執筆しました。
『アラサーと高校生』の年齢差や性別による『性格のギャップ』を楽しんで頂けたらと思っております。
ただし、この作品は中高生向けに執筆しており、高学年向け児童書扱いです。なのでレティシアと違いまともな主人公です。
一部の登場人物も性別が逆転していますので、全く同じに物語が進行するか正直分かりません。
もしかしたら学園編からは全く違う内容になる……のか、ならない?(そもそも学園編まで書ける?!)のか……。
かなり見切り発車ですが、宜しくお願いします。
独占欲強めの最強な不良さん、溺愛は盲目なほど。
猫菜こん
児童書・童話
小さな頃から、巻き込まれで絡まれ体質の私。
中学生になって、もう巻き込まれないようにひっそり暮らそう!
そう意気込んでいたのに……。
「可愛すぎる。もっと抱きしめさせてくれ。」
私、最強の不良さんに見初められちゃったみたいです。
巻き込まれ体質の不憫な中学生
ふわふわしているけど、しっかりした芯の持ち主
咲城和凜(さきしろかりん)
×
圧倒的な力とセンスを持つ、負け知らずの最強不良
和凜以外に容赦がない
天狼絆那(てんろうきずな)
些細な事だったのに、どうしてか私にくっつくイケメンさん。
彼曰く、私に一目惚れしたらしく……?
「おい、俺の和凜に何しやがる。」
「お前が無事なら、もうそれでいい……っ。」
「この世に存在している言葉だけじゃ表せないくらい、愛している。」
王道で溺愛、甘すぎる恋物語。
最強不良さんの溺愛は、独占的で盲目的。
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