竜の庵の聖語使い

風結

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エーレアリステシアゥナ学園

門と並木道  新たな出逢い

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 ……へこ
 ……へこ

 そんな足音でも聞こえてきそうです。
 到頭、遣って来てしまいました。

「ティ~ノ~、ティ~ノ~、ティノティノティ~ノ~」
「はぁ~」

 昨日、これでもかというほど、アリスに凹まされたティノですが。
 あんなものは序の口、というか、竜の口。

 容赦、という言葉を焼き尽くしたアリスは。
 「凹凹凹へっぽこ」と品字様ひんじようにしたくなるくらい、ティノを打ちのめしました。
 あれからも「説明」という名の「お説教」は続いて。
 純朴な少年は、生きる気力を失ってしまいました。

 でも、悲しいことに、それでも人間は生きてゆかなければいけません。
 背中の、「イオリ袋」に入っているイオリは、いつも通りに元気いっぱい。
 肩に引っついているマルは、最近のぐうたら生活がたたって、まだ眠たそうです。

「ねぇ、マル。何か、『エーレアリステシアゥナ学園』とか書いてあるんだけど」
「この地はかつて、『エーレアリステシアゥナ盆地』と呼ばれておったからの。気になどしておらんと本竜は言うておったが、丸わかりじゃなーーと、人が来たで、ここからは仔犬になるかの、ワンっ」

 開け放たれた門から、ティノは入ってゆきます。
 門も、見える範囲にある建物も、これまで見たことがないくらい豪華なものでした。
 正直、人間があんなものを造れるなんて、ティノには信じられません。
 アリスかマルが「幻影」でティノを騙し、嗤っているのかもしれません。

 アリスの「説明」によると。
 学園の敷地は、「庵」がある「結界」の三倍ほど。
 「聖域テト・ラーナ」の北側。
 多少、不便な位置にあります。

 「八創家」や「議会」、主要施設などは西側にある為、干渉されにくい場所を選定。
 東側には研究施設などがある為、こちらにも近づかないほうが良いとの判断です。
 南側が、「八創家」や有力者以外の人々の住居。
 中央には多くの者が必要とする、商店や役所などがあります。

 それから北には。
 「開拓地」と呼ばれる辺鄙な場所が広がっています。
 人口が増えたので、言葉通り、「聖語」を上手く扱えない者たちが「開拓」をしています。
 ティノは、この「開拓地」の出身ということになっています。

「僕って、場違いじゃないかな?」
「ワンっ、ワンっ。ーー目立つな、というのは無理だからの。開き直って堂々としておれ」
「ごめん。無理」

 マルの最後の助言も、意味がなかったようです。
 マルは「聖語」をかいすることができないので。
 ここからは本当に、「仔犬」のふりです。

 ティノは、「感知」で周囲を探りました。
 に五人。

 無駄、とも思えてしまう広い通路。
 「聖域」にある「学園」として見栄えも重要なファクターとなるのですが、それを理解するだけの心の余裕はティノにはありません。
 通路の真ん中を歩く度胸などティノにはないので、さりげなく、それでいて目立たない範囲で端に寄ってゆきます。

「ティ~ノ~、ティ~ノ~、ティノティノティ~ノ~」

 でも、それも無駄な努力でした。
 見慣れない人々を見て、イオリは大はしゃぎ。
 五人の学園生の視線がすべて、ティノに注がれます。

 肩には仔犬。
 袋に入れた子供を背負っている学園生。
 これで人目を引かないはずがありません。

 ただ、注目を集めている理由の一つに、ティノの容姿もあるのですが。
 学園生たちと目を合わせないようにしているティノが、気づけるはずもありません。

 ティノは、どうしようか迷いました。
 「聖技場バナー・ラス」で入園式が始まるまで、もう少し時間があります。
 隠れているのか、或いは時間を潰しているのか。
 見えない場所ーー並木道の樹の後ろに居る、六人目。

 毎夜、「感知」を使い続けてきたティノ。
 無意識に発動できるようになるまで慣れ親しんだ「感知」で、六人目の意識の流れを感じ取ります。
 敵意、とは違うようですが、まるで獲物を狙っているかのような、こわい感情。

 「聖域」に知り合いなど居るはずがないのに。
 ここまでの強烈なものを向けられてしまうと、どうにも気になってしまいます。

「気づかなかったことにしよう」

 話しかける。
 そんな小さな勇気さえ搾りだせなかったティノは。
 そのまま歩き続けようとしてーー。

「君。少し、良いかな」

 聞こえなかったことにしよう。
 そんな勇気も持てなかったので、仕方がなくティノは足をとめました。

「っ!」

 ティノは驚いてしまいました。
 樹の後ろから現れた、同周期の少年。
 これまで見てきた村の少年たちとは異なる、ーー何か。

 ティノには、「何」が異なっているのか、明確には言葉にできませんでしたが。
 先ほど見た、五人の学園生。
 彼らともまた、違います。
 気配、或いは雰囲気でしょうか。
 昔、「書庫」で読んだ物語の登場人物ーー「王子」のような少年でした。

 ーー惜しい。
 そう思った瞬間、ティノは冷静になってしまいました。
 もう少し、男っぽいほうが。
 ティノの理想に、あと一歩でした。

 歩き続けた先の、未来で。
 なりたいと思っていた自分。

 イオラングリディアの横に立つ、理想の姿。
 その姿に似てはいるのですが。
 でも、やはり少しだけ違うのです。

 彼は、ちょっと、顔が整いすぎていました。
 周期頃の少女たちから、黄色い悲鳴が上がるのかもしれませんが。
 ティノの理想である「男っぽさ」を、彼から感じることができません。

「何ですか?」

 残念な気持ちが、言葉の響きに反映されてしまったようです。
 ぶっきらぼうに返され、見るからにキョドった少年は、オブラートに包むことなく疑問をそのまま口にしてしまいました。

「き、君は、女の子……だよね?」
「は?」

 とりあえず、顔面をぶん殴りたくなりました。
 でも、ティノは我慢しました。
 どこぞの炎竜のようになってはいけません。

 ティノはまだ、「聖域」のことをほとんど知りません。
 もしかしたら、見知らぬ人に会った場合、性別を尋ねるのが「聖域」での礼儀作法なのかもしれません。

「僕が女だったら、何?」
「いや、その、君が女の子だったら、恋人候補で……。男だったら、親友候補……というか何というか……」

 どうしたものでしょう。
 腑抜けた顔ーーという自覚はありましたが。
 村長のように冗談というわけでもなく、正面からこんなことを聞かれたのは初めてだったので、対処の方法がわかりません。

「僕、スカート穿いてないけど」
「いや、スカートを穿くかどうかは個人の自由だと聞いている」

 学園の制服は男女兼用。
 ゆったりとした瀟洒な服で、機能性にも優れています。
 高そうだ。
 芸術分野に疎いティノの感想はそんなものでしたが、金の刺繍や意匠などアリスの趣味の良さが反映されています。

 女子にはスカートも支給されていて、彼の言う通り、穿くかどうかは自由。
 動き易さを重視する女子生徒なら、男子と同じ格好ということもあり得ます。

 アリスは。
 なぜかティノにスカートを渡してきました。
 手渡してきたときの、アリスの朗らかな笑顔を思いだし、ティノはげんなりしてしまいます。

 ティノの表情を見て、誤解した少年は泣きそうな顔になりました。
 何だか、いじめているような気分になってしまったティノは。
 面倒なので、竜も頷くくらい断言することにしました。

「僕は、男だ。何だったら、触って確かめて……ひっ!?」
「つっ!」

 手を伸ばして。
 本当に確かめようとしてきたので、思わずティノは魔力を纏った手で、少年の手を叩き落としてしまいます。
 かなり痛かったはずですが、少年はわずかに声を漏らしただけでした。
 やせ我慢は見事なものです。

 でも、この痛みが功を奏し、少年は普段の冷静さを取り戻しました。
 優雅な立ち居振る舞いで、ティノに頭を下げます。

「すまない。君を見て、動揺してしまった。数々の非礼、どうか許して欲しい」
「えっと、まぁ、僕もちょっと悪かったかもしれないから、許してはあげるけど。それで、何で僕を見て、動揺したのかな?」
「ぅ……、その、私は嘘が嫌いだ。君に嫌われたくないが、嘘は言いたくない。正直に言っても良いだろうか?」
「は?」

 経験不足のティノでは、彼が何を言っているのか理解できませんでした。
 そんなわけで、あっさりと許可をだしてしまいます。

「あー、うん。僕も嘘は嫌いだから、言っていいよ」
「そうか、では、愚痴っぽく聞こえるかもしれないが、聞いてくれ。ーー私は、生まれて初めて『一目惚れ』というものをした。まるで世界が、色鮮やかに輝いたかのようだった。……だというのに、君は自分が『男』だと言う。惚れた相手が『男』だったと知ったときの私の気持ちを少しは考えてくれ!」

 逆恨み。
 それ以外の何物でもありません。
 自分の容姿の「腑抜け具合」に疎いティノは、少年が何を言っているのか理解できませんでした。

 男を好きになる男。
 ティノにそんな趣味はありません。
 ティノの宝物。
 求めるのは、イオラングリディアだけです。

 そういえば。
 イオリが静かなので後ろを見てみると、マルが仕事をしてくれていました。
 イオリのお口が、マルの尻尾で塞がれています。

「あと、私は気になったことを聞かないと、我慢ができない性質タチだから聞くのだが」
「えっと、何?」
「君が背負っている子供と、肩にいる仔犬は『聖人形ワヤン・クリ』なのか?」

 そろそろ会話を打ち切りたいと思っていたティノですが。
 彼の言葉で、心臓が脈打ちました。

 さっそくきました。
 一つ目の試練です。
 イオリやマルと一緒に学園で過ごす為に、ここで失敗するわけにはいきません。

 もし失敗したら。
 アリスさんに頼んで脅してもらおう。
 そう決めてから。
 ティノは慎重に、言葉を選びながら肯定しました。

「うん、そう。イオリは『お爺さん』が造った『聖人形』で、マルは僕が造った『聖人形』」
「そうなのか。少し、見せてもらう」
「え?」
「ワヲっ!?」

 好奇心旺盛なのか、少年はもう、マルしか見ていませんでした。
 無遠慮に、いきなり尻尾をつかまれたマル。
 それだけでなく、尻尾を上に、肛門を確認されてしまいます。

「なるほど。『聖人形』だから、排泄はしない、と。尻尾の感触は、本物以上。そうか、そこまで本物に似せる必要はないから、部分部分、異なっていても構わないということか」
「ふっさ~、ふっさ~、マジュマジュ、もっふ~、もっふ~」
「歌が下手なのは、あえてそうしているのか。完璧にするということは、機能を無駄にするのと同義。それでもここまでの『聖人形』を造れるなど、君の『お爺さん』は凄い」
「ふー、せっ!」
「かはっ……」

 今度は魔力を纏いませんでした。
 きっちり、お腹に一発入れてから、離れます。

「僕の許しがある前に、『三歩以内』に近づいたら、一生口を利かない」
「ティ~ノは~、おかんむり~、しらんぷり~、ほっかむり~」

 ティノに手抜かりはありません。
 「感知」で周囲の状況を探ってあるので。
 腹パンは、誰にも見られていません。

 狙ったのは、みぞおち。
 弱い魔物相手で確かめてきたので、お腹のどの部分を、どのくらいの強さで殴れば良いか、おおよそ理解しています。
 もう一度、同じ場所を殴れば、失神させることも可能でしょう。

「な……何で…?」
「え? もしかして説明が必要なのかな。どうもこの人は危険人物のようだから、ここで止めを刺したほうが全人類の為かもしれない。どう思う、マル」
「ワンっ!」
「マルも頷いてくれているし、何も問題はないようだね」
「おー! しょっけい~、しょっけい~、しょりしょり、しょっぱ~い」

 イオリも賛成してくれています。
 そんなわけで、「イオリ優先」のティノは。

 判決、私刑。

「わ…私は……、ぅ…クロウ・ダナ…だ。き…君の名を……ぼ…教えて欲しいっ!」
「ダナ……?」

 少年ーークロウ・ダナはがんばりました。
 呼吸がしづらいでしょうに、しっかりと自分の名前を発音し、正解を引き当てました。

 「ダナ」とは、「八創家」の一家です。
 昨日、アリスから聞いていたので、何となくですが、ティノは覚えていました。
 クロウは、命拾いをしました。

 初日から「八創家」の学園生を抹殺するのは不味い。
 ティノの理性が、正常に働いてくれました。

「ーーティノ」
「てぃ……ティノ。何と麗しい響き……」
「何か言った?」
「いいえ、何も言っていません」

 やっとこクロウは、普通に話せるようになるまで回復しました。
 それと同時に、危機感にさいなまれました。

 ここで別れれば、「変な人」とティノに認識されてしまいます。
 それだけは避けなければいけません。
 このままでは、「八創家」という地位を振りかざす「嫌な奴」になってしまうかもしれないのです。

「わ、私は! やしきとその敷地からでたことがなかったのだ! それゆえ、不快な行動を取ってしまったかもしれないが、許して欲しい!」
「でたことがない?」

 ティノの表情から、険しさが抜けました。
 「結界」と「村」。
 それだけがティノの世界でした。

 クロウも同じだと。
 自分と同じように「小さな世界」から飛びだし、学園に来て不安を抱えていたのだと知って。
 彼に冷たく当たってしまった自分を、ティノは恥じました。

 ただ、譲れない、というか、線引きは必要なので。
 条件を突きつけました。

「とりあえず、話は聞く。それによって『三歩以内』を解くかどうかを決める」
「わ、わかった。聞いてくれ。ーー私の母は、流行り病にかかった。私を産めば、命を落とすかもしれない。それでも母は、私を産んでくれた。……母は、助からなかった。愛する妻を喪った父。優しかった母を喪った二人の兄。そんな父と兄たちは私のことを、ーー溺愛したのだ」
「……ん?」

 ティノの許しを得ようと焦燥に駆られたクロウは、つたないながらも一生懸命に説明しました。
 しかし、懸命さが報われないことなど、世の中にはよくあること。
 ティノは最後通牒を突きつけました。

「僕はあまり頭がよくないんだ。僕がわかるように説明してくれなかったら、入園式にしてあげる」
「は…、はい」

 氷竜もかくやという、冷たい声音でした。
 クロウの短い人生で、これほどの恐怖を感じたのは初めてのことです。
 取り繕うのは無理だと諦め、クロウは事実だけを並べてゆくことにしました。

「使用人から聞いた。母が言っていたそうだ。自分が死んだあと、クロウを愛さなければ、地の国から呪ってやる、と。母は優しく、闊達な人だったようだ。父と兄たちは、自身も悲しいだろうに、私を愛してくれた。ただ、皆は、私を愛し過ぎる、というか、過保護、というか、目の届かない邸の外などに行こうとすると、泣いて悲しむので敷地の外にでたことがなかったのだ」
「えっと? あー、それは、うん、そこまではわかった。それで、よく家族が学園に通うことを許してくれたね」
「そこは、色々あった。父は、『八創家』でも『筆頭』の地位にあり、二人の兄は『天才』。父も兄たちも褒めてくれるが、皆に及ばないことは誰よりも私がわかっている。私にできることは『努力』しかなかった。父や兄たち、何より家族を大切にしていた母に、恩返しをしたくても、……私には何もなかった。このままでは駄目だと思った。だが、どうして良いかわからなかった。そんなとき耳にしたのが、学園のことだ。『八創家』は学園のことを放っておけない。放っておかない。これだ! と飛びついた。ダナ家の跡継ぎになれない私なら適任。周期も問題ない。もし認めてくれないのなら、もう一生頭を撫でさせてあげない、と最終手段を使い、すったもんだの挙げ句、学園行きを勝ち取った」
「……ん?」

 「学園」とは、「聖域」に落とされた一石でした。
 投げ込まれた石の大きさは、人それぞれ。
 ティノが、クロウがそうであるように、大なり小なり、学園生は事情を抱えて「学園」に遣って来ました。

 最も大きな石。
 落とされた石の、波紋の大きさを理解していないティノは。
 多くのことを置き去りにしたまま。
 「三歩以内」を解いてあげました。

「あ、ありがとう! これで私たちは親友だな!」
「は? 何を言っているのかな? クロウは、友達候補だよ?」
「こ……候補? そ…それはそれで一考の余地があることだとして……。ーーでは、『聖技場バナー・ラス』に向かおうか」

 この短い時間の間に多くの経験を積んだクロウは、内心の動揺を隠し、優雅な動作で手を差しだしました。
 そして。
 魔力を纏ったティノの手で、叩き落とされました。

「ぐぉ……」
「ねぇ、クロウ。クロウは『学習』という言葉を知らないのかな? その手は何? 僕は『お姫さま』じゃないよ。ーー僕は男。僕は男。僕は男。はい、復唱」
「てぃ、ティノは…男……。ティノは…男。ティノは男…」

 涙声で、言われるままに復唱するクロウ。

「わかってくれたならいいよ。じゃあ、はい、よろしくね」

 ティノはクロウの手を取って、握手。
 よくも悪くも、クロウはティノの緊張をほぐしてくれました。
 友達。
 それも悪くないか。
 無駄に格好良いクロウを見ながら、ティノは。
 不思議な予感を抱きました。

「ああ! ティノっ、よろしく頼む」

 純粋に、喜びの笑顔を浮かべるクロウ。
 彼に応えるように、ティノも笑顔で。
 ティノの手の甲を、逆の手で「撫で撫で」してきたクロウの手を叩き潰したのでした。
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