竜の庵の聖語使い

風結

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対抗戦

研究室  欠場と裏切り

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 ーー不運。

 ディズルはそう思っていましたが。
 実際には、幸運でした。

 血液の代わりに、なまりでも流し込んだかのような倦怠感。
 体が罅割れるような、いえ、引き裂かれるような激痛。
 寝れば治る。
 そう信じ込み、男子寮へと。
 感覚に乏しい、他人のような手足を動かしていたとき。

 最も見つかってはいけない人物と鉢合わせしてしまいました。
 抵抗など無意味。
 有無を言わさず、ディズルは研究室まで連れてゆかれました。

 汚いーーとは言えないくらいに室内は散らかっています。
 ベズの性格や人柄からすると、意外です。
 本来なら、几帳面なディズルは眉を顰めるところですが。
 不思議と、居心地は悪くありません。

 やはりベズへの信頼が大きいようです。
 ベズ・ランティノール。
 父親のようにはなれないディズルの、目標。
 彼のような懐の深い人物になりたいと、ディズルは憧れていました。

 その、憧れの人物の口から。
 最も聞きたくない言葉が放たれようとしたときーー。

「このっ、バカチン! 新しく何かするときは、私かベズに相談してからだって言っておいたでしょう!」
「うひっ、あひっ!? アリス先生っ、耳っ、耳っ?! 引っ張りゃにゃいで~~!!」

 ノックもせず、勢いよく扉が開きます。
 学園の生徒数は少ないので、接点が少ないディズルでも二人が誰か、すぐにわかりました。

 アリスに耳を引っ張られながらも、体勢を崩していないメイリーン。
 ディズルではそうはいきません。
 父親が言っていたように、「聖拳」の使い手は体術にも優れているようです。

 どうやら、彼女ーーメイリーンも、ディズルと同様の理由で連れてこられたようです。
 ディズルもまた、ベズに相談することなく「聖語」の鍛錬を行ってしまいました。

 まるで二人が遣って来るのがわかっていたかのように、ベズは動揺することなく「治癒」の「聖語」を刻み始めました。
 質実剛健の、かがみのような男。
 「聖語」の光が掻き消えると、ベズは正面から言い放ちます。

「明日の『対抗戦』、棄権しなさい」
「いえ! ベズ先生っ、私は……」
「私の言い方が悪かったようだ。ーーディズル君。君を『対抗戦』に出場させることはしない。これは決定事項であり、命令だ。決して覆らない」

 到頭、下ってしまいました。
 頭を、下げてはいけません。
 たとえ愚かなことであっても、自分の行いを否定するわけにはいきません。

 リフとの対戦。
 望んでいた、敗けられない戦い。
 高揚すると同時に、心に灯った一抹の不安。

 リフとの対戦に備え、習得した「聖語」。
 でも、それを完全に使いこなすことができていなかったのです。
 万全を尽くす。
 そう言い訳し、ほんの少しの不安さえ、打ち消そうと無理をした結果。

 ディズルは。
 リフを裏切ってしまいました。

 涙を流す資格などありません。
 膝に爪を立て、歯を食い縛ります。

「竜にも角にも、メイリーンもベズに『治癒』られなさい!」
「おひぁあっ!?」

 よほど腹に据えかねているのか、先ほどからアリスの言葉が乱れています。
 実は、露出度が高いアリスを、ディズルは苦手としていました。
 良いか悪いかは措くとして、ディズルは古い考えを持った人間です。
 真面目が服を着て歩いている。
 そう評されるディズルは、服も真面目に着ないといけないと思っているのです。

 その場で、腕の力だけでメイリーンを押すアリス。
 それだけで、女性の中では大柄なメイリーンが弾き飛ばされます。
 飛ばされた彼女の先には、立ち上がったベズ。

「おぴゅわぶこぽるちぇごりっぱぁ……」

 アリスも酷なことをします。
 メイリーンが好意を寄せている相手。
 そんな相手に向かって投げつけられたのですから、メイリーンが壊れた「聖人形ワヤン・クリ」のようになってしまうのも致し方ないことです。

 一向に気にした素振りを見せることなく、「治癒」を施すベズ。
 「治癒」中のベズには聞けないので、やむを得ずディズルはアリスに尋ねました。

「あの、学園長。ベズ先生はなぜ、ストーフグレフさんを抱擁ほうようしているのですか?」
「あぴょりんがるほぷえっさぁ……」

 抱擁とは、親愛の情をもって抱き抱えること。
 他に、抱き締めて愛撫すること、という意味もあります。
 「親愛の情」があるかどうかはともかく、ディズルには「抱擁」しているように見えました。

 おおむね事実であることを言葉にされてしまったので、炎竜になって暴れるメイリーン。
 そんなことをすれば、ベズの拘束がさらに強まるだけなので逆効果なのですが、混乱の極みにあるメイリーンには言わぬが竜。

「それは、症状の違いね。今はまだ、症状を説明したところで理解できないでしょうから、わかり易く言うわ。ーーディズル。あなたの体には『罅』が入ったのよ。通常、そんなことはできないというのに、ティノに及ばないとはいえ、『努力』のし過ぎ。『罅』が治る前に無茶をしたから、体に変調をきたしたのよ。今、無理をすれば、『聖語』が使えなくなるだけでなく、身体機能にも異常がでる。全身の『罅』が治るまでの一巡り、『聖語』は禁止よ」

 アリスの説明は聞こえていましたが。
 心にまでは届きませんでした。

 地竜組、父親、そしてリフ。
 自分の行為が、どれだけの迷惑を引き起こしたのか。
 心に現実が沁み込んだことで、ディズルは罪悪感に苛まれます。

「メイリーンのほうは何ともないように見えるけれど、ヤバいくらい深刻。言うなれば、体にでっかい穴が開いたようなモノ。命に係わるような事態。ただ、単純でわかり易いがゆえに、治し易い。今後、『必殺技』ーーではなく、新しいことをやるときは私かベズに相談すると確約するなら、明日の『対抗戦』、出場しても良いわよ」
「やうやうやうやうやうっ! ほやうっ!? ほ…本気でござりまするか?? というか、『対抗戦』で『必殺技』もおけおけっ?!」

 ベズに抱擁されているということを差し引いたとしても、反省が足りていないようです。
 気色きしょく、ではなく、喜色満面の笑顔で、八竜の息吹ぜっこうちょう

 「対抗戦」に出場できる。
 羨ましい。
 そんなことを考えてしまう自分を、ディズルは嫌悪しました。

 明暗。
 そのように見えますが、今回の件、もう少し複雑でした。
 少しだけ、ティノに似ている少年。
 らしくないと思いながら、アリスはのことを語りました。

「ディズル・マホマール。顔を上げるだけでなく、こころざしを掲げなさい」
「え……?」
「あなたはベズの管理下にあった。そうであるというのに、『欠場』という憂き目を見た。どうしてそうなったのか、わかって?」
「いえ、……いいえ、わかりません」

 心が痺れ、頭が考えることを拒否しています。
 どうやったところで、自分の責任なのです。
 他人に責任を押しつけるような、楽な方向に流れるのは最低の行為。
 どれだけ惨めな思いをしようと、それだけはしてはいけません。

「それはね、ベズの予想を超えたからよ」
「予想を、超え……?」
「あなたもわかっているでしょう。『聖休』までに基礎を学び、一人も脱落することなく、『その先』に皆が食らいついてきた。今、あなたたちは『聖語』の、この時代の最先端にいる。これまでに必要だった『才能』と、これから必要な『才能』は別のモノ。ーーわかるかしら? クロウはまだ、ベズの『予想』は超えていないのよ」

 クロウ・ダナ。
 その背中は、遠ざかるばかりでした。
 「努力」で補えない「才能」。

 クロウと共に学ぶことを誇りに思いながら、生まれて初めて自分の「正しさ」に疑問を抱きました。
 「八創家」にとって、「聖語」は一つの手段に過ぎません。
 それでも、思うのです。
 「聖語」とは、その人物の生き様そのものではないかと。

 友人ーーそう、ディズルはクロウの友人です。
 自分は馬鹿だ。
 彼の背中を追いかけ続ける限り、ディズルはどうしても認めることができないのです。

 クロウを認めている自分と、自分を認められないディズル。
 クロウが認めているディズルと、クロウが認めている自分を認められないディズル。
 ディズルは。
 やっと答えが見つかりました。

 ーー「聖語」の申し子。
 あの光り輝く少年の隣に立ち、同じ眼差しを未来にーー。

 最悪です。
 苦痛なら、どれだけ積み重なろうと耐える自信はあったというのに。
 たった一つ。
 希望をぶら下げられただけで、この有様です。

「コラ、メイリーン。好い女なら、男が泣いているのを、そんなまじまじと見るものではなくてよ」
「え、あ…う……」
「今回のことは、私の落ち度だ。だが、学園長が言っていたように、私に相談をしなかった君にも責がある。私は、ディズル君が学園に在籍する間、正しく導くことで失点を挽回しよう。ーー君はマホマールだ。君の思う『正しさ』を貫きなさい」
「ーーはい」

 クロウに認められ、ベズもまた、ディズルを後押ししてくれました。
 瞼の裏に映る姿。
 もう、見失ったりなどしません。

「ふぅ~、そういうわけで、決めないといけないことがあるのよ」
「学園長に一任する」

 アリスの意味深な発言に、先手を打ったベズ。
 「治癒」が終わったようで、メイリーンを解放します。
 それからベズは目を閉じ、置物に早変わり。
 微動だにしません。

 まったく事態を把握できていないメイリーンとディズル。
 二人が顔を見合わせると、まだ涙の跡が残っている彼の顔を見て、メイリーンが顔を逸らし、彼女が顔を逸らしている間に、ディズルは涙を袖で拭い去ります。

 初々しい姿に、炎竜もぽっかぽか。
 でも、時間は有限。
 いつまでも楽しんでばかりもいられません。

 アリスは。
 炎竜らしく火にべることにしました。

「ーーメイリーン、ディズル。二人に聞くわ。ディズルが『欠場』となれば、一人補充する必要がある。地竜組の6位は、ルッシェル。彼女、出場すると思う?」
「あり得ません」
「あー。ルッシェルなら、笑顔で拒絶。それが駄目だとわかったら、明日は仮病かなぁ」

 ある意味、絶大な信頼感。
 ルッシェルという少女は、入園当初からまったくブレていません。
 アリスとも正面から口喧嘩できる、強い女性です。

「私も、ルッシェルを説得するような、炎竜に炎をぶつけるようなことはしたくないわ。そうなると、7~9位の『三創家』の誰かになるのだけれど。ちょっと理由があって、彼らは今回、出場させないことにしているのよ」

 これは、ヴァン、クーリゥ、ゲイムの三家からの申し出です。
 まさかこのような事態になるとは思っていなかったので、アリスは許可してしまいました。

「10位以下でも良いのだけれど。それだと、地竜組の中で納得がいかない者もでてくるし、ーーこれは事実だから言うのだけれど、実力的に劣ってしまうのよね」
「実力的に? ストーフグレフさん、シーソニアさん、……それと一応、リフが強いのは想像がつきますが、残りの二人の選手も地竜組の10位よりも強いのですか?」
「『残りの二人』じゃなくて、ナインとイゴよ。名前くらい覚えなさいよ」
「すまない。彼らの名前は覚えているが、省略してしまった」
「え、いや、そんな……、頭まで下げなくていいからっ」

 仲がよろしい姿に、炎竜もーーとやっている場合ではありません。
 ここからが本懐。
 アリスは。
 ことばを吐きました。

「メイリーン。あなた、裏切りなさい」
「ーーほ?」
「わからない? 『邪聖班』を裏切れって言っているの」
「えっと、アリス先生? 言ってる意味がわからないんですけど?」

 さすが学園ぶっちぎりの最下位。
 物分かりが悪いにもほどがあります。
 とはいえ、メイリーンには気持ち良く戦ってもらわないといけません。
 アリスは懇切丁寧に説明してあげることにしました。

「ディズル。メイリーンとクロウ、戦ったらどちらが勝つと思う?」
「それは……。クロウは善戦すると思いますが、『聖拳』のストーフグレフさんには及ばないかと」

 ディズルは、父親から聞かされていました。
 こと「戦闘」に関し、ストーフグレフほどの馬鹿はいない。
 明らかに私怨が混ざっている言葉でしたが、父親にここまでのことを言わせるのですから、その実力に疑いはありません。

「で。メイリーン。どっちが勝つ?」
「ええ……? あたしに聞くんですか……。それは、まぁ、あんまり楽しめないんじゃないかなぁ~、とか」
「ま、そういうことね。未来のクロウならいざ知らず。でも、現在のクロウなら、メイリーンに瞬殺されるわ」

 そんなわけがない。
 喉元まできた、その言葉は。
 アリスとメイリーン、そしてベズの表情を見るなり、とまってしまいました。
 三人とも「瞬殺」という言葉を、ただの事実として受け容れているのです。

「てなわけで、メイリーン。あなたは『邪聖班』を裏切って、地竜組に。地竜組の五試合目の選手として出場しなさい」
「……ほへ?」
「ほら、ディズル。このスカポンタンのヘッポコピーに、教えてあげなさい」

 嫌なところで水竜を差し向けてきました。
 「裏切り」という言葉がそんなに嫌なのか、メイリーンは巻き込まれただけのディズルまで睨みつけてきます。
 このままではメイリーンに「瞬殺」されてしまい兼ねない。
 ディズルは、アリスのろくでもない企みを暴露することにしました。

「ストーフグレフさんが地竜組の五試合目で出場となれば、炎竜組の五試合目の選手がいなくなる。そうなれば、誰かを補充する必要がある。幸い、『邪聖班』は6人で、一人補欠がいる。ならば、その一人を、炎竜組の五試合目の選手とすれば良い」
「っ!?」
「ま、そういうわけね。ーー炎を炎で削るような、楽しい戦いができるわよ。と戦いたいのなら、『邪聖班』の皆を『裏切り』なさい、メイリーン」
「え…いや、だって……、そんな、えっと……」

 爆炎のごとく乗ってくるかと、アリスは思っていましたが。
 メイリーンは、意外に律儀でした。
 いえ、常識人と言ったほうが良いでしょうか。
 誰も彼もがアリスのように「喧嘩上等」ではないのです。

 メイリーンはお馬鹿さんですが、これでも色々と考えているのですーーたぶん。
 メイリーンは「正義」が大好きなのです。
 そして、「悪」が大っ嫌いです。

 九星巡り、仲間と一緒に過ごしてきました。
 笑い、泣き、苦しみ、落ち込みーー何だかんだで楽しい時間を過ごしてきました。
 皆で挑む「対抗戦」の、その前日に「裏切り」が発覚。
 「邪聖班」の皆はどう思うでしょうか。

「うひ~っ! 無理っ、嫌っ、もっきり『悪役』っ! 竜が頼んできたってお断り!!」

 頼む前から「お断り」されてしまいました。
 そんなわけで、アリスは「頼むおどす」のはやめました。
 アリスは、ティノの価値を。
 メイリーンの良心がぶち壊れるほどに、跳ね上げることにしました。

「良いことを教えてあげるわ、メイリーン。ティノは魔獣と、それからーー竜とも戦ったことがあるのよ」
「ほひ……? ……竜?」
「ーーベズ」
「ああ、学園長が言っていることは、。ティノ君は峻厳しゅんげんなる魔獣と、そして、な竜と戦い、勝てはしなかったが、生き残った」

 最後まで黙っているつもりでしたが。
 ベズは。
 自分から「共犯者」になることにしました。

 メイリーンもディズルも見えていない「」が、ベズには予見できてしまいます。
 それゆえの、アリスへのちょっとした意地悪。
 これくらい、許されても良いでしょう。

「もうお分かり? ティノはね、現在、人類最強なのよ。『対抗戦』は試合。だから、ティノは全力でやってくれる。ーーもしかしたらこんな機会、もう一生巡ってこないかもしれないわよ?」

 メイリーンは馬鹿なので、アリスの言っていることの、すべてを理解することはできませんでした。
 だから、必要なものだけを拾い上げました。
 メイリーンにとって大切なもの。
 学園に遣って来て、幾つも手に入れた宝物。

 メイリーンは、ティノに。
 返せないくらいの恩があります。
 そして。
 これからも恩の大安売りといった感じで、ティノに迷惑をかけることになるでしょう。

 メイリーンにできること。
 こうして考えてみると、それは本当に少なくてーー。

 メイリーンは。
 ティノの笑顔を思い浮かべました。

 それから、あの日の。
 父親に勝ってしまった、見えない階段を上ってしまった、あの、乾いた場所。

 ーーあんなところに。

 ティノが人類最強だというのなら。
 そんな場所に、独りにさせてはいけません。
 そうです。
 あんなところから。

 引き摺り下ろしてあげるのが恩に報いる、いえ、ティノの友達としてメイリーンがやらなければいけないことです。
 そうとなれば、「悪役上等」。

「わかりましたっ、アリス先生! ティノをぶち殺します!!」
「……は?」

 残念ながら。
 人と竜ではわかり合えなかったようです。
 アリスの理解は得られませんでしたが。
 ベズと、人間であるディズルも、メイリーンの思考回路を理解することはできなかったので、そこは気にしなくても良いでしょう。

「はいはい。あとは私たちがやっておくから、二人はしっかりと休みなさい」

 一悶着ありましたが、これでアリスの計画通り。
 今日はまだ、やらなければいけないことが山積しています。
 アリスは「竜」のことを口外しないように二人に約束させてから、とっとと研究室から追いだしたのでした。
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