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2章 アルバイト開始

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「腰が抜けてしまったかな」
 くすりと笑っているが、誰のせいだと思っているのか。
 耳元で囁かないで!と叫びたいが、淑女は叫んではいけない。
 床に座りかけている私を、更に抱え込むようにする。ユーゴの腰は痛くないのだろうか?
 屈む体制は、とてつもなく辛いのに。そのまま、ひょいっと抱き上げられイスに座らされる。
 後ろにいるユーゴを見上げれば「大人しく座っていろ」と顔に書いてあるので、大人しく待つことにした。
「すぐに、お茶を淹れるから待っていて」
 テーブルに置かれたティーセットを弄りはじめたから、どうやらユーゴが淹れてくれるみたいだ。
 慣れたその動作を「あまり、注目されると恥ずかしいな」と言っているが、顔が全く恥ずかしそうじゃない。
「ユーゴはよくお茶を淹れるの?」
「毎日、淹れさせられているからね」
 疑問を投げかけてみたが、毎日とはどういうことなのだろう。
 ハミルトン家で金銭トラブルが話は聞いたことはない。けれど、オリヴィア様がグラッチェで働いていたのを、先程みてしまったから、の文字が頭に過った。
 もしも、没落してしまったらユーゴとの婚約も無くなってしまう。ユーゴの気持ちはわからないけれど、それでもユーゴとの婚約が無くなってしまうと考えると、焦る自分がいる。
 ソワソワしていると、何かを察したようだ。
「ジェード殿下の執務室は、女性立ち入り禁止なんだ。侍女を含めて」
 だから、先程の侍女はユーゴに話し掛けられたことで、接点を持てることに喜んでいたのだろう。だけれど、見たこともない私のような女が同室していたことが気に入らなかった。
 視線の理由が何となくだけどわかった気がする。
 女性立ち入り禁止とは何かと不便だと思うが、ジェード殿下の周りにいる者たちは各家の嫡男だったりするから、王城に奉公している間にお近づきになりたいと思っている者たちが多いい。それを警戒してのことだろうに。それに、ジェード殿下自身にもまだ婚約者はいないから職務中に色目など使われたりされたら困るからか。
「でも、何でユーゴが?」
「一番下だから…かな。でも、僕が入るまではグレンがしていたみたいだからね」
 目が笑っていない。というか、どこか遠い場所をみている気がする。
 ユーゴの前がグレン様。では、次は誰なのだろうと考えてみるが、同年代にユーゴ以上に有能な人がいるのかと思ってしまう。ミーシャは有能だけれど女性だから、関係ないか。
 蒸らし終わった紅茶がカップに注がれる。
「これでも、前よりは巧くなったから美味しいとは思うけど、少し自信がないな」
「ありがとう。時期侯爵様に振舞ってもらえる女性なんて、きっと私だけでしょ」
「そうだよ。それに、次期侯爵夫人アンが望めばいつでも淹れるよ」
「ダメよ。だったら、私もユーゴのために淹れてあげる」
 香りはすごくいい。先程、テイラー様に振舞われた物と同じくらいに。
 グラッチェで働いていることは秘密だけれど、練習すれば私もユーゴに振舞うことは出来る。旦那様に振舞う方は多いと聞いている。
 いままで、嫁ぐことに対して深く考えたことはないがユーゴが私のために振舞ってくれたのだから私もそのお返しをしたいと思った。
「冷めてしまうと、あまり美味しくないかもしれないから、冷める前に此方もいただこうか」
 そう言いながら、料理長に渡された袋から取り出された物は―――ベーコンにトマト、レタスが挟まっていたクラブサンド。
 抱き締められて潰されたため、トマトの汁が無残にも垂れている。
 それでも、グラッチェのクラブサンドは初めて食べるのでどのような味がするのか楽しみで仕方がない。
「ユーゴ。はやく食べましょう」
「そうだね。いただこうか」
 うんうんと、頷きながら昼食に手を伸ばす。
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