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第二章 天使
(一)
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一人の少年が森の入り口の前にへたりこんでいた。金色の髪の毛は強い日差しに照らされて輝いている。だがそのきらめきとは対照的に、少年の深紅の瞳は泣き腫らして暗い褐色になっていた。顔面は蒼白で生気を失い、唇は紫がかっている。肩は激しく上下し、苦しそうに喘ぐ。木々は不気味にざわめき、地に手をついて苦痛に耐えている少年を嘲笑うよう。
顔を上げる。高い空を見上げた。瞳から頬へ涙が伝う。少年は地面に崩折れた。森の中から吹く風は、残酷にも真冬のように冷たい。
周りの空気は蒸すような暑さだというのに。
帰り道、ララナはティナと別れて市場の方へと向かっていた。森に面した道を通り、その向こう側にある中央市を目指して足を急がせる。ララナの店が注文していたものを受け取りにお遣いを頼まれたのだが、何しろ食べ物だ。鮮度が一番である。少しでもいい状態で父が調理できるよう、早めによく冷えた家の貯蔵庫に入れてやりたかった。
今日は妙に暑い。祭りの準備期間のため授業が減ったおかげで下校時刻が夕方ではなく昼間なせいもあるかもしれないが、それにしたって意識が遠のきそうな異常な気温だ。街路樹の下を通っているのに、せっかくの日陰もほとんど役に立たない。走って噴き出す汗が制服をじっとりと濡らしていく。
少し先に逃げ水が見え、消えた。
そしてその先に、白く輝くものが目に入った。
翼だった。形は鳥の羽に似ていた。だが、それよりもずっと大きい。真白なそれは、真昼の陽の下で銀色に輝く。その周りがぼんやりと宝石みたいな銀の粒で包まれているようだった。太陽の光に照らされて光っているとは思えず、羽根の一枚一枚が自ら光を発しているように見えた。
——私、暑さでどうにかしてるんだ……
そう思った。目の錯覚だと思った。今にも倒れそうな気温の中で走ったからだ、と考えてみた。しかし、まるで幻想世界のもののようなのに、消えた逃げ水とは違って、美しく輝くそれはララナの視界から消えてくれないのだった。
ララナの足が、一歩、また一歩と大きな翼に引き寄せられていく。銀の光に少しだけ触れてみたかった。輝きが言葉では表せないくらい綺麗で、ララナには到底現実のものだとは信じられなかった。けれども、幻に見えるそれに触れることが不可能だとは思わなかった。頭の中は真っ白で、地に足がついているのかどうかもわからなかったけれど、目はずっと一点を見つめたままで動かなかった。
いや、目を離すことも、瞬きをすることさえもできなかったのだ。
触れられるぎりぎりの位置まで近づいて、そっと手を伸ばす。翼は何かを包み込んでいるようだった。何も考えず、ただ手が動くままに翼をずらし、中にあるものを見る。
——少年だった。
ララナと同じくらいの背の、幼い顔をした少年。金色の髪の毛は白銀の翼に抱かれて暖かくきらめいていた。透き通るような肌に、うっすらした色の唇。
清らかだと思った。この世の醜いものなど寄せ付けない、そう息を呑むような。
急に寒気がして我に返る。妙に冷たい風が周りで鳴いている。さっきまでうっとうしく感じていた暑さが嘘のようだ。頬を凍らせるような風。
気づけば、ララナの立っているのは森の入り口だ。噂に聞く冷風とはこのことだったのかと、驚くと同時に納得した。だが悠長に感嘆している場合ではない。確かに異常だ。こんな日中の、しかもこんな暑い日にここまで冷たい風が吹くはずがない。
苦しそうな息遣いがララナの耳に入ってきた。慌てて少年の顔をもう少し注意して観察すると、その顔が白さを通り越して青白くなり、唇が紫になっていることに気がつく。そういえば白すぎよね、と軽く自分の鈍さを叱ってから、こんな寒いところにいるからだと思い至り、とりあえず冷風の当たる場所から遠ざけようと、持っていた鞄を地面に置いて少年の身体の下に腕を入れた。
軽い。少年の身体は嘘みたいに軽かった。同じくらいの背丈のララナでも、少し力を入れただけで持ち上がりそうだ。
これなら楽勝、と運ぼうとした時、いきなり風が強くなった。あたり一面、やたらめったら向きを変えて狂ったように吹き荒れる。ララナの赤茶の髪の毛を激しく乱し、制服のスカートの裾を音が鳴るほどばたつかせ、周囲を風が駆け回った。
ララナは縮み上がった。氷に触れたみたいに。
そしてまた突然、はたりと突風は止んだ。
今度は生暖かい風が緩やかに回る。
「何これ……」
不気味に思って森の入り口を見たが、先ほどと特に変わりはない。再び夏の陽射しの下に出る。打って変わって、強い陽の光を痛いほど感じた。
少年の顔色はさっきよりもいくらか良くなっていた。ひとまずどこかに寝かせたほうがいいだろう。病院は遠いし、周りの家も祭りの準備に出払っているのか人の気配がない。
一旦、ララナの家まで連れて行ったらどうだろうか。ここから家までならば十分くらい。この少年の軽さなら、ララナの力でも運んでいけそうだったし、市場へ物を取りに行くのが少し遅れるくらい、菓子を作るのにも支障はないだろう。肝心なのは食べ物の鮮度よりも人命救助だ。
片手で鞄を拾い上げて肩に掛ける。膝の屈伸で弾みをつけて少年を抱え直し、ララナは向きを変えて、今度は家へと急いだ。
顔を上げる。高い空を見上げた。瞳から頬へ涙が伝う。少年は地面に崩折れた。森の中から吹く風は、残酷にも真冬のように冷たい。
周りの空気は蒸すような暑さだというのに。
帰り道、ララナはティナと別れて市場の方へと向かっていた。森に面した道を通り、その向こう側にある中央市を目指して足を急がせる。ララナの店が注文していたものを受け取りにお遣いを頼まれたのだが、何しろ食べ物だ。鮮度が一番である。少しでもいい状態で父が調理できるよう、早めによく冷えた家の貯蔵庫に入れてやりたかった。
今日は妙に暑い。祭りの準備期間のため授業が減ったおかげで下校時刻が夕方ではなく昼間なせいもあるかもしれないが、それにしたって意識が遠のきそうな異常な気温だ。街路樹の下を通っているのに、せっかくの日陰もほとんど役に立たない。走って噴き出す汗が制服をじっとりと濡らしていく。
少し先に逃げ水が見え、消えた。
そしてその先に、白く輝くものが目に入った。
翼だった。形は鳥の羽に似ていた。だが、それよりもずっと大きい。真白なそれは、真昼の陽の下で銀色に輝く。その周りがぼんやりと宝石みたいな銀の粒で包まれているようだった。太陽の光に照らされて光っているとは思えず、羽根の一枚一枚が自ら光を発しているように見えた。
——私、暑さでどうにかしてるんだ……
そう思った。目の錯覚だと思った。今にも倒れそうな気温の中で走ったからだ、と考えてみた。しかし、まるで幻想世界のもののようなのに、消えた逃げ水とは違って、美しく輝くそれはララナの視界から消えてくれないのだった。
ララナの足が、一歩、また一歩と大きな翼に引き寄せられていく。銀の光に少しだけ触れてみたかった。輝きが言葉では表せないくらい綺麗で、ララナには到底現実のものだとは信じられなかった。けれども、幻に見えるそれに触れることが不可能だとは思わなかった。頭の中は真っ白で、地に足がついているのかどうかもわからなかったけれど、目はずっと一点を見つめたままで動かなかった。
いや、目を離すことも、瞬きをすることさえもできなかったのだ。
触れられるぎりぎりの位置まで近づいて、そっと手を伸ばす。翼は何かを包み込んでいるようだった。何も考えず、ただ手が動くままに翼をずらし、中にあるものを見る。
——少年だった。
ララナと同じくらいの背の、幼い顔をした少年。金色の髪の毛は白銀の翼に抱かれて暖かくきらめいていた。透き通るような肌に、うっすらした色の唇。
清らかだと思った。この世の醜いものなど寄せ付けない、そう息を呑むような。
急に寒気がして我に返る。妙に冷たい風が周りで鳴いている。さっきまでうっとうしく感じていた暑さが嘘のようだ。頬を凍らせるような風。
気づけば、ララナの立っているのは森の入り口だ。噂に聞く冷風とはこのことだったのかと、驚くと同時に納得した。だが悠長に感嘆している場合ではない。確かに異常だ。こんな日中の、しかもこんな暑い日にここまで冷たい風が吹くはずがない。
苦しそうな息遣いがララナの耳に入ってきた。慌てて少年の顔をもう少し注意して観察すると、その顔が白さを通り越して青白くなり、唇が紫になっていることに気がつく。そういえば白すぎよね、と軽く自分の鈍さを叱ってから、こんな寒いところにいるからだと思い至り、とりあえず冷風の当たる場所から遠ざけようと、持っていた鞄を地面に置いて少年の身体の下に腕を入れた。
軽い。少年の身体は嘘みたいに軽かった。同じくらいの背丈のララナでも、少し力を入れただけで持ち上がりそうだ。
これなら楽勝、と運ぼうとした時、いきなり風が強くなった。あたり一面、やたらめったら向きを変えて狂ったように吹き荒れる。ララナの赤茶の髪の毛を激しく乱し、制服のスカートの裾を音が鳴るほどばたつかせ、周囲を風が駆け回った。
ララナは縮み上がった。氷に触れたみたいに。
そしてまた突然、はたりと突風は止んだ。
今度は生暖かい風が緩やかに回る。
「何これ……」
不気味に思って森の入り口を見たが、先ほどと特に変わりはない。再び夏の陽射しの下に出る。打って変わって、強い陽の光を痛いほど感じた。
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一旦、ララナの家まで連れて行ったらどうだろうか。ここから家までならば十分くらい。この少年の軽さなら、ララナの力でも運んでいけそうだったし、市場へ物を取りに行くのが少し遅れるくらい、菓子を作るのにも支障はないだろう。肝心なのは食べ物の鮮度よりも人命救助だ。
片手で鞄を拾い上げて肩に掛ける。膝の屈伸で弾みをつけて少年を抱え直し、ララナは向きを変えて、今度は家へと急いだ。
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