1 / 8
1
しおりを挟む「天使様。今日も参りました」
薄暗く廃れた教会に、清らかな声が響く。
その声の主は祭壇の前で立ち止まると、両膝をつき自らの手を重ねる。
輝かしい金の髪、端麗な顔立ちに、長身かつ均整の取れた身体。祈りを捧げる彼の姿は、この朽ちた教会には似つかわしくないほど美しかった。
しかし一方で、その表情は苦悩と悲哀に満ちている。
「天使様……。このまま祈りを捧げていれば、いつかあの時のように会えるのでしょうか」
その言葉すら、教会の中で空しく消えていった。
彼からしたら、ここには自分以外に誰もいない。会いたいと希求する「天使」は、彼には見えない。
――たとえ、その「天使」が目の前にいるとしても。
彼の言う「天使」たる僕は、青年に向かって「ごめんなさい」と呟いた。
しばらく祭壇の前に佇んでいた彼は、やがてゆっくりと立ち上がり、教会の扉へと向かう。
「それでは、天使様。また明日」
その言葉を最後に、再びこの教会は静寂に包まれた。
もう何度同じ光景を見てきたのだろう。
初めて出会った時から毎日かかさず、彼はこの教会へ訪れているのだ。
二度と会えない、僕のために。
……僕は、彼と出会った日のことを思い返していた。
***
十五年前。それは刺すように冷たい雨の日だった。
僕は天井からぽたぽたと滴る雨粒を見ながら、ため息をつく。
「……はあ。これ、もう天井も駄目だよなあ」
軽く飛んで、小さな穴が開いた天井を確認する。
もはや雨漏りは数か所にも及んでいて、どうしようもなかった。
教会の内部を見回すと、窓はくすみ、床にはところどころ植物が這い出ている。教会というより、廃墟と表現したほうが正しいのかもしれない。
これを見て、昔の煌びやかだった教会の姿を想像できる者はいないだろう。
この教会に住む天使である僕も、かつては祈りを捧げる人間たちに、加護を与えるような存在だった。
しかしそれは、ある時を境に一変する。
――魔王の誕生。
それまで平和だった世界に魔王が誕生し、魔族が人を襲うようになったのだ。
長い時を経て、人間側もなんとか抵抗の手段を持ち、魔族に襲来されないような場所へ住処を移すことができた。
しかしその過程で人間は、「神は自分たちを一切救ってくれない」「そもそも神なんて存在しないのではないか」と、神に対する信仰心をなくしていった。
神がこの状況をどうお考えなのか、僕のような天使の端くれには、それすらわからなかった。
とにもかくにも、人間が訪れなくなった教会は朽ち、僕のような末端の天使が持つ力も弱まっていった。
今の僕には人間の前に姿を現し、加護を与えるような力はほとんど残っていない。
それ以前に祈りに来てくれる人間もいないのだから、僕は幽霊のように、ただここにいることしかできなかった。
ざあざあという雨音を聞きながら、床の水溜まりを眺める。
このまま教会が朽ちていく姿を見ながら、無為な日々を過ごしていくのだろうか。
そうして感傷に浸っている最中、バタン!と大きな音が教会に響いた。
「な、なに!?」
すぐさま教会の入口に目を向けると、小さな少年がいた。
少年は急いで扉を閉めると、その場にズルズルと座り込む。
僕は突然の来訪者に目を丸くしながら、恐る恐る少年のもとへ近づき、彼の近くに降り立った。天使の姿は人間には見えないので、当然少年は僕が傍にいることに気がつかない。
「はあ、はぁ……う、ぅ……」
少年は、ガタガタと震えていた。
瘦せ細った身体、本来なら仕立てが良いはずの服はびしょびしょに濡れており、よく見ると顔や腕、膝には痛々しい痣があった。
伏せられた顔からは、雨粒ではない……大粒の涙がこぼれている。
僕は狼狽えながら少年の姿を見ていたが、ようやく冷静になり、あることに気がつく。
――少年の命が、尽きかけていた。
栄養失調状態のうえに、暴行の跡、そして冷え切った身体。
きっとこの雨風をしのぐために最後の力を振り絞り、この教会に入ってきたのだろう。
「は、はあ……。おれ、ここで死んじゃうのかな……」
少年は息絶え絶えに言葉を発し、ゆっくりと顔を上げた。
涙で濡れたエメラルドグリーンの瞳には、絶望しか映っていなかった。
――この子を、死なせるわけにはいかない。
咄嗟にそう感じた僕は、いてもたってもいられなかった。
天使としてかろうじて残っている力を振り絞り、少年の前に自ら姿を現す。
「え……?」
突然現れた何者かに、少年は大きく目を見開いた。そして僕の真っ白な羽に視線を向ける。
「て、天使様……?」
僕はそっと、少年の頬に手を添えた。
少年の衰弱しきった身体に生命力を与えていくと、全身につけられた痛々しい痣も消えていく。
しばらくして完全に生命力が戻ったことを確認すると、僕はぽかんとする少年に向けて笑みを浮かべた。
「大丈夫?」
「えっ、あっ……。天使様、おれの傷、治してくれたの……?」
少年は戸惑いながらも、僕をまっすぐ見つめて言う。
顔に血色が戻った少年は、まるで神に選ばれたかのように、美しい顔立ちをしていた。
僕は少年を安心させたい一心で、優しく頭をなでる。
「うん。もうすっかり治ったから、痛くないでしょう?」
「う、うん……痛くない」
「よかった。ねえ、お名前はなんていうの?」
327
あなたにおすすめの小説
モブなのに執着系ヤンデレ美形の友達にいつの間にか、なってしまっていた
マルン円
BL
執着系ヤンデレ美形×鈍感平凡主人公。全4話のサクッと読めるBL短編です(タイトルを変えました)。
主人公は妹がしていた乙女ゲームの世界に転生し、今はロニーとして地味な高校生活を送っている。内気なロニーが気軽に学校で話せる友達は同級生のエドだけで、ロニーとエドはいっしょにいることが多かった。
しかし、ロニーはある日、髪をばっさり切ってイメチェンしたエドを見て、エドがヒロインに執着しまくるメインキャラの一人だったことを思い出す。
平凡な生活を送りたいロニーは、これからヒロインのことを好きになるであろうエドとは距離を置こうと決意する。
タイトルを変えました。
前のタイトルは、「モブなのに、いつのまにかヒロインに執着しまくるキャラの友達になってしまっていた」です。
急に変えてしまい、すみません。
重すぎる愛には重すぎる愛で返すのが道理でしょ?
チョコレートが食べたい
BL
常日頃から愛が重すぎる同居人兼恋人の深見千歳。そんな彼を普段は鬱陶しいと感じている主人公綾瀬叶の創作BLです。
初投稿でどきどきなのですが、良ければ楽しんでくださると嬉しいです。反響次第ですが、作者の好きを詰め込んだキャラクターなのでシリーズものにするか検討します。出来れば深見視点も出してみたいです。
※pixivの方が先行投稿です
Original drug
佐治尚実
BL
ある薬を愛しい恋人の翔祐に服用させた医薬品会社に勤める一条は、この日を数年間も待ち望んでいた。
翔祐(しょうすけ) 一条との家に軟禁されている 平凡 一条の恋人 敬語
一条(いちじょう) 医薬品会社の執行役員
今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。
隠れヤンデレは自制しながら、鈍感幼なじみを溺愛する
知世
BL
大輝は悩んでいた。
完璧な幼なじみ―聖にとって、自分の存在は負担なんじゃないか。
自分に優しい…むしろ甘い聖は、俺のせいで、色んなことを我慢しているのでは?
自分は聖の邪魔なのでは?
ネガティブな思考に陥った大輝は、ある日、決断する。
幼なじみ離れをしよう、と。
一方で、聖もまた、悩んでいた。
彼は狂おしいまでの愛情を抑え込み、大輝の隣にいる。
自制しがたい恋情を、暴走してしまいそうな心身を、理性でひたすら耐えていた。
心から愛する人を、大切にしたい、慈しみたい、その一心で。
大輝が望むなら、ずっと親友でいるよ。頼りになって、甘えられる、そんな幼なじみのままでいい。
だから、せめて、隣にいたい。一生。死ぬまで共にいよう、大輝。
それが叶わないなら、俺は…。俺は、大輝の望む、幼なじみで親友の聖、ではいられなくなるかもしれない。
小説未満、小ネタ以上、な短編です(スランプの時、思い付いたので書きました)
受けと攻め、交互に視点が変わります。
受けは現在、攻めは過去から現在の話です。
拙い文章ですが、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
宜しくお願い致します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる