【完結・短編】執着を紡ぐ

七瀬おむ

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「天使様。今日も参りました」

薄暗く廃れた教会に、清らかな声が響く。
その声の主は祭壇の前で立ち止まると、両膝をつき自らの手を重ねる。
輝かしい金の髪、端麗な顔立ちに、長身かつ均整の取れた身体。祈りを捧げる彼の姿は、この朽ちた教会には似つかわしくないほど美しかった。
しかし一方で、その表情は苦悩と悲哀に満ちている。

「天使様……。このまま祈りを捧げていれば、いつかあの時のように会えるのでしょうか」

その言葉すら、教会の中で空しく消えていった。
彼からしたら、ここには自分以外に誰もいない。会いたいと希求する「天使」は、彼には見えない。

――たとえ、その「天使」が目の前にいるとしても。

彼の言う「天使」たる僕は、青年に向かって「ごめんなさい」と呟いた。
しばらく祭壇の前に佇んでいた彼は、やがてゆっくりと立ち上がり、教会の扉へと向かう。

「それでは、天使様。また明日」

その言葉を最後に、再びこの教会は静寂に包まれた。
もう何度同じ光景を見てきたのだろう。
初めて出会った時から毎日かかさず、彼はこの教会へ訪れているのだ。
二度と会えない、僕のために。
……僕は、彼と出会った日のことを思い返していた。


***


十五年前。それは刺すように冷たい雨の日だった。
僕は天井からぽたぽたと滴る雨粒を見ながら、ため息をつく。

「……はあ。これ、もう天井も駄目だよなあ」

軽く飛んで、小さな穴が開いた天井を確認する。
もはや雨漏りは数か所にも及んでいて、どうしようもなかった。
教会の内部を見回すと、窓はくすみ、床にはところどころ植物が這い出ている。教会というより、廃墟と表現したほうが正しいのかもしれない。

これを見て、昔の煌びやかだった教会の姿を想像できる者はいないだろう。
この教会に住む天使である僕も、かつては祈りを捧げる人間たちに、加護を与えるような存在だった。
しかしそれは、ある時を境に一変する。

――魔王の誕生。

それまで平和だった世界に魔王が誕生し、魔族が人を襲うようになったのだ。
長い時を経て、人間側もなんとか抵抗の手段を持ち、魔族に襲来されないような場所へ住処を移すことができた。
しかしその過程で人間は、「神は自分たちを一切救ってくれない」「そもそも神なんて存在しないのではないか」と、神に対する信仰心をなくしていった。

神がこの状況をどうお考えなのか、僕のような天使の端くれには、それすらわからなかった。
とにもかくにも、人間が訪れなくなった教会は朽ち、僕のような末端の天使が持つ力も弱まっていった。

今の僕には人間の前に姿を現し、加護を与えるような力はほとんど残っていない。
それ以前に祈りに来てくれる人間もいないのだから、僕は幽霊のように、ただここにいることしかできなかった。

ざあざあという雨音を聞きながら、床の水溜まりを眺める。
このまま教会が朽ちていく姿を見ながら、無為な日々を過ごしていくのだろうか。
そうして感傷に浸っている最中、バタン!と大きな音が教会に響いた。

「な、なに!?」

すぐさま教会の入口に目を向けると、小さな少年がいた。
少年は急いで扉を閉めると、その場にズルズルと座り込む。
僕は突然の来訪者に目を丸くしながら、恐る恐る少年のもとへ近づき、彼の近くに降り立った。天使の姿は人間には見えないので、当然少年は僕が傍にいることに気がつかない。

「はあ、はぁ……う、ぅ……」

少年は、ガタガタと震えていた。
瘦せ細った身体、本来なら仕立てが良いはずの服はびしょびしょに濡れており、よく見ると顔や腕、膝には痛々しい痣があった。
伏せられた顔からは、雨粒ではない……大粒の涙がこぼれている。
僕は狼狽えながら少年の姿を見ていたが、ようやく冷静になり、あることに気がつく。

――少年の命が、尽きかけていた。

栄養失調状態のうえに、暴行の跡、そして冷え切った身体。
きっとこの雨風をしのぐために最後の力を振り絞り、この教会に入ってきたのだろう。

「は、はあ……。おれ、ここで死んじゃうのかな……」

少年は息絶え絶えに言葉を発し、ゆっくりと顔を上げた。
涙で濡れたエメラルドグリーンの瞳には、絶望しか映っていなかった。

――この子を、死なせるわけにはいかない。

咄嗟にそう感じた僕は、いてもたってもいられなかった。
天使としてかろうじて残っている力を振り絞り、少年の前に自ら姿を現す。

「え……?」

突然現れた何者かに、少年は大きく目を見開いた。そして僕の真っ白な羽に視線を向ける。

「て、天使様……?」

僕はそっと、少年の頬に手を添えた。
少年の衰弱しきった身体に生命力を与えていくと、全身につけられた痛々しい痣も消えていく。
しばらくして完全に生命力が戻ったことを確認すると、僕はぽかんとする少年に向けて笑みを浮かべた。

「大丈夫?」
「えっ、あっ……。天使様、おれの傷、治してくれたの……?」

少年は戸惑いながらも、僕をまっすぐ見つめて言う。
顔に血色が戻った少年は、まるで神に選ばれたかのように、美しい顔立ちをしていた。
僕は少年を安心させたい一心で、優しく頭をなでる。

「うん。もうすっかり治ったから、痛くないでしょう?」
「う、うん……痛くない」
「よかった。ねえ、お名前はなんていうの?」
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