【完結】『左遷女官は風花の離宮で自分らしく咲く』 〜田舎育ちのおっとり女官は、氷の貴公子の心を溶かす〜

天音蝶子(あまねちょうこ)

文字の大きさ
6 / 25
第二章 風花の離宮にて、静けさを知る

静かな庵に、灯るぬくもり

しおりを挟む
 その朝、離宮の庭には薄桃色の花びらがひらひらと舞っていた。
 春の風がそっと縁側をなで、梓乃は香の煙をたゆたわせながら、静かに茶を点てていた。

 鳥のさえずり。湯のたぎる音。
 ——この穏やかさこそ、追放の身にしては贅沢というものだろう。

 そこへ、控えていた侍女の千鳥が、息せき切って駆け込んでくる。

「梓乃さまっ、たいへんですっ!」

「まあ、どうなさいました、そんなに慌てて」

「中納言家の長男、宗雅様が……っ! 突然お越しになられました!」

 梓乃は茶杓を静かに置いた。
 宗雅——帝の腹心として知られる冷徹な貴公子。人を見下ろすような眼差しで、常に隙のない男。

「おや、それはまた……春の客にしては、ずいぶん風当たりが強そうですね」

「そ、そんな悠長なことを……! “帝の寵愛を受けて追放された女”という噂を聞いて、確かめに来たそうでございます!」

 千鳥の言葉に、梓乃はくすりと笑った。

「噂というものは、春の霞よりも流れやすいものですわ。では、お迎えの支度をいたしましょう。お茶菓子は桜餅で」

「……は、はいぃっ!」

 慌てふためく千鳥を見送りながら、梓乃はそっと衣の裾を整えた。
 “帝の寵愛を受けて追放された女”——なんと都合のいい呼び名だろう。
 実際のところ、彼女はただ「政治の均衡のため」に宮を離れただけだったのだが、噂好きな貴族たちは、真実よりも甘い虚構を好む。

 宗雅が姿を現したのは、それからほどなくしてのことだった。
 青磁色の直衣をまとい、整った顔立ちに影を宿した青年。
 庭の花びらさえ、彼の一歩に息を呑むかのように揺れた。

「お初にお目にかかります、中納言家の宗雅にございます。帝のご命により、この離宮の様子を視察いたします」

 梓乃はにこやかに一礼した。

「ようこそお越しくださいました。粗末な離宮ではございますが、どうぞおくつろぎくださいませ。茶をお持ちいたしましょう」

「結構です。長居をするつもりはありませんので」

 きっぱりと断つ声音。

 梓乃は、まるでそれが春の風の一吹きであるかのように、にこりと微笑んだ。

「まあ、それは残念。せっかく千鳥が腕によりをかけたお菓子を用意しておりましたのに」

 宗雅は眉をひそめる。
 この女——噂に聞いた妖艶な誘惑者ではない。
 むしろ、どこか拍子抜けするほど、おっとりしている。

「君が……例の女か」

「ええ、例の女でございます」

 間髪入れずの返答に、宗雅の口元がぴくりと動いた。
 そして次の瞬間——

「ぷっ……はは……っ」

 あろうことか、氷の貴公子と呼ばれている宗雅が吹き出したのである。
 あまりの意外さに、千鳥が「ひぃっ」と変な声をあげた。

「まあ……宗雅様がお笑いに?」

「失礼。まさか本人の口から“例の女”などという言葉が出るとは思わなかったので」

「言葉は時に最も手軽な武器になりますもの。笑ってくださるなら、本望でございますわ」

 その飄々とした調子に、宗雅は再び目を細めた。
 噂にあった“妖女”像はどこにもない。
 目の前にいるのは、ただ柔らかく微笑み、相手の剣を受け流す女。

「……貴女は、何を考えている」

「お茶の湯加減を、でございます」

 宗雅、沈黙。
 その間に、千鳥が緊張のあまり手を滑らせ、茶器を宗雅の袖にこぼした。

「ああああっ、申し訳ありません! 宗雅様っ!」

「いや、構わぬ」

 冷たい声が返るが、その顔にはわずかな戸惑いが見えた。
 梓乃はすっと立ち上がり、手ぬぐいを差し出した。

「まあ、濡れても乾けば大丈夫です。それより、袖の香が変わってしまうかもしれませんね。……新しい香をおつけしましょうか?」

「……いや、それには及ばぬ」

「そう? 残念ですわ。宗雅様には、沈丁花の香りが似合いそうなのに」

 またしても唐突な言葉に、宗雅は思わず彼女を見つめた。
 梓乃はただ、にこりと、春の陽のように穏やかに微笑んでいる。
 その笑顔に、胸の奥がふとざわめいた。
 この女、緊張というものを知らぬのか……。

 その日の夕刻。宗雅は報告書を書こうとして、筆を止めた。
  “離宮に不穏の兆しなし。女、特筆すべき異常なし。”
 それで十分のはずだ。
 だが、気づけば筆は勝手に動き、こう書き加えていた。

 ——「ただし、何かに化けそうな気配あり」

 宗雅は苦笑し、紙を裏返して火にくべた。
 梓乃の笑顔が、なぜか煙の向こうでゆらめく。

「……面倒な女に出会ってしまったかもしれぬな」

 そう呟いた声を、春風がひっそりとさらっていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結/番外追加】サリシャの光 〜憧れの先へ〜

ねるねわかば
恋愛
彼女は進む。過去に囚われた者たちを残して── 大商会の娘サーシャ。 子どもの頃から家業に関わる彼女は、従妹のメリンダと共に商会の看板娘として注目を集めていた。 華々しい活躍の裏で、着実に努力を重ねて夢へと向かうサーシャ。しかし時には心ないことを言う者もいた。 そんな彼女が初めて抱いた淡い恋。 けれどその想いは、メリンダの涙と少年の軽率な一言であっさり踏みにじられてしまう。 サーシャはメリンダたちとは距離をおき、商会の仕事からも離れる。 新たな場所で任される仕事、そして新たな出会い。どこにあっても、彼女が夢を諦めることはない。 一方、光に囚われた者たちは後悔と執着を募らせていき── 夢を諦めない少女が、もがきながら光を紡いでいく軌跡。 ※前作「ルースの祈り」と同じ世界観で登場人物も一部かぶりますが、単体でお読みいただけます。 ※作中の仕事や制作物、小物の知識などは全てフィクションです。史実や事実に基づいていないことをご理解ください。

余命僅かな大富豪を看取って、円満に未亡人になるはずでした

ぜんだ 夕里
恋愛
傾きかけた家を救うため、私が結んだのはあまりにも不謹慎な契約――余命いくばくもない大富豪の辺境伯様と結婚し、彼の最期を穏やかに看取ることで莫大な遺産を相続する、というものだった。 しかし、人の死を利用して富を得るなど不正義! そう考えた私が立てたのは、前代未聞の計画。 「そうだ、遺産が残らないくらい贅沢の限りを尽くしてもらえば、すべて丸く収まるじゃない!」

下っ端妃は逃げ出したい

都茉莉
キャラ文芸
新皇帝の即位、それは妃狩りの始まりーー 庶民がそれを逃れるすべなど、さっさと結婚してしまう以外なく、出遅れた少女は後宮で下っ端妃として過ごすことになる。 そんな鈍臭い妃の一人たる私は、偶然後宮から逃げ出す手がかりを発見する。その手がかりは府庫にあるらしいと知って、調べること数日。脱走用と思われる地図を発見した。 しかし、気が緩んだのか、年下の少女に見つかってしまう。そして、少女を見張るために共に過ごすことになったのだが、この少女、何か隠し事があるようで……

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

「わざわざ始まるまでまたないで、今のうちに手を打ったってよくない?」

イチイ アキラ
恋愛
アスター公爵令嬢エステルは、夢をみる。それは先を映す夢。 ある日、夢をみた。 この国の未来を。 それをアルフレッド王太子に相談する。彼女を愛して止まない婚約者に。 彼は言う。 愛する君とぼくの国のためなら、未来を変えるのも仕方なくない?

下っ端宮女のひたむき後宮恋譚 ~前世の夢を追いかけていたらいつのまにか寵愛されていました~

紀本明
キャラ文芸
妃嬪から嫌がらせを受けつつも耐え忍んでいた下っ端宮女の鈴風(りんふぁ)はある日突然前世の記憶を取り戻す。料理人になるのが夢だった彼女は、今世でもその夢を叶えようと決意した矢先、ぼさぼさ頭の宦官・雲嵐(うんらん)と出会い、毎晩夕飯をつくることになる。料理人になるべく奮闘するも、妃嬪からの嫌がらせはひどくなる一方だった。そんなある日、事件が起こり、鈴風は窮地に立たされるが……――?

処理中です...