【完結】前世で失った恋を、この世で。 ──黒曜の城で結ばれるふたりの夜

天音蝶子(あまねちょうこ)

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第2話 紅い瞳の記憶 ― 封じられる刃

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 黒曜の城門は、氷のように静かだった。
 黒い石に朝靄の白だけが淡くまとわりつく。
 騎士の姿も見張りの影すらない。

 だが、ルナは分かる。
 ――見られている。
 この沈黙こそが、この帝国の「監視」だ。

 足を踏み入れた瞬間だった。
 体温が、ひとつ揺れた。
 ぞわり、と。
 皮膚の表面を誰かの視線が
 撫でたかのように。

(……魔術?)

 次の瞬間、腰の内側や、
 着衣の縫い目に仕込んだ極小の刃が、
 ふっと重さを失った。

 不意に、ルナは足を止める。

「……消えた」

 声に出すほどの驚愕。

 刃だけではない。
 毒針も、薄い刃片も――
 “何も無い”。

 まるで、最初から
 存在していなかったかのように。
 武器は、すべて奪われていた。
 気づかれぬように隠したはずのものが。
 この国の術者ですら
 解けないとされた処理を施した刃が。

(あり得ない――)

 この侵入は、想定の上か。
 いや、それ以上だ。
 “先回りされている”。

 そこへ静かに、背後から声が落ちた。

「武器を探すのは無意味だ」

 低い。
 だが、耳の奥まで届き、思考を止める声。

 ゆっくり振り返ると――
 黒曜の鎧を纏った男が、そこに立っていた。

 赤い瞳。
 静かな炎。
 闇の将軍、カイン。

 ルナは息をひとつ浅く吸う。

「何をした」

「何も。城がした」

「城……が?」

「この城は“己の内部に、刃を許さない”」

 淡々とした声音なのに、
 ぞっとするほどの確信。

「君の身体に触れなくてもいい。
 この城に入った瞬間――刃はただ消える」

 ルナは無意識に背筋を正す。
 殺せない。
 この状態では。
 それを――彼は知っている。

(見透かされている……?)

 その思考の途端。
 彼の視線が、ほんのわずか細められた。

「君が“何のために来たのか”くらい、
 分かっている」

 ひどく優しい言い方だった。
 責めていない。

 ただ、知っている。

「勘違いするな。
 私は、君から武器を奪って
 “従わせたい”のではない」

 ゆっくりと歩み寄る。
 その歩みは、威圧ではない。
 ただ、近づく。

「私はただ――君に、
 傷ついてほしくない」

 ルナの呼吸が、一拍、止まった。

 その言い方が理解できない。
 敵国の将が、なぜ“私”の傷を気にする。

「守る価値は、まだない」

 冷徹な事実として返す。
 これは交渉だ。
 揺らしてはならない。
 けれど、彼は首をわずかに横に振った。

「価値で守るのではない」

 ルナは、その言葉の意味を掴み損ねる。
 理解できない種類の理屈。
 彼は続けた。

「君は――“ここに来る運命だった”」

 赤い瞳が、揺れる。
 熱を孕んで、揺れる。

(運命?)

 荒唐無稽だ。
 それは、騎士の論理の外側にある。

 だが。
 その言い回しは、妙に胸の奥で反響した。
 記憶にはないはずの言葉の残響が、
 鼓膜の裏を撫でたような。
 何の記憶だ?
 ルナは目を細める。
 この男は、何を知っている。

「……私が何者かを知っているのか」

「知っているとも」

 それは、まっすぐな肯定。

「前世の君も、今の君も、私は知っている」

 そう言って、カインは小さく手を伸ばした。
 触れはしない。
 指先が、ただルナの頬の近くで止まる。

「武器はいらない」

 その声音は、囁きに近かった。

「君がここに立っている、それだけで十分だ」

 ルナは、言葉を失った。
 敗北ではない。この感覚は。
 “理解できないほど
 優しいものに触れた時の、静かな戦慄”。

 背後で、黒曜の城の扉が重く閉まった。
 外界と断たれる音。
 その音を合図にするかのように、
 彼は短く告げた。

「――入れ」

 命令ではなかった。
 選択を迫る声音でもなかった。
 ただ、静かに導く声。
 ルナは一度だけ目を閉じた。
 刃も、毒も、もはや通用しない。

 それでも。
 足は、前へ出た。
 城が深く息を吸うように暗い回廊が広がる。
 闇の将軍と共に、その闇へ踏み込む。

 この瞬間――ルナはまだ知らない。

 この男の言う「前世」が、
 どれほど深い血の契約だったのかを。
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