【完結】前世で失った恋を、この世で。 ──黒曜の城で結ばれるふたりの夜

天音蝶子(あまねちょうこ)

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第3話 触れた指先に残る熱 ― 指先に触れた温度

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 もう、何日が経っただろう。

 黒曜の城は、時間の流れすら曖昧にする。

 朝も夜も黒い石は同じ色をしていて、窓から差し込む光があっても、ここでは“時の変化”を示さない。
 ただ、淡く照らすだけ。

 ルナは、束の間与えられた私室で立っていた。

 家具は最低限。
 寝台と机。
 剣も、装飾もない。

(私を“無力”にするための部屋……)

 そう理解するのが合理的だった。

 扉が静かに叩かれる音がした。
 控えめに、一度だけ。

 返事をする前に、扉は開かれる。

 カインだった。

 黒い衣のまま、表情は無。

 そのくせ、目だけが燃えているようで――
 視線を向けられた瞬間、“温度”を伴って迫ってくる。

「手を、出せ」

 命令ではない。
 ただ、自然にそう言った。

 ルナは一瞬だけ警戒を立てたが、すぐに手を差し出す。

 次の一瞬。

 指先に、あたたかいものが触れた。

 ゆっくりと。
 あくまで、優しく。
 触れるだけ。
 掴まない。

 けれど、その触れ方は――

(どうして……)

 胸が、きゅっと反応した。
 戸惑いにも似た、微弱な痛み。

 カインは、淡々と言う。

「この城は、君の“敵”だ。それは、分かっているのだろう」

 ルナは眉を寄せた。

「敵は……あなたではなく?」

「私が敵になるのは、君が望んだ時だけだ」

 そして、指先をゆっくり離した。
 触れていた場所が、ひどく温い。

 理解できない。

 どうして触れただけで“感情”を揺さぶられる。

 騎士として、これは明確に“異常”だ。

「なぜ、私に触れた」

 問いは短く、刃のように研がれていた。

 カインは、一拍置いた。

「君が、寒そうだったから」

「それだけで、触れたのですか」

「それだけで充分だ」

 明白な論理ではない。
 だが、嘘ではないと分かった。

 そして、もっと恐ろしいこと。

(私は……拒絶できなかった)

 カインの指先が、過去に触れているわけではない。

 今触れたのは、今の自分の肌だ。
 それだけの行為で、なぜ心臓が乱れる。

 カインは、扉に手をかけて去り際に短く告げた。

「夜には、私が食堂へ迎えにいく。
 “ここ”では、ひとりで歩くな」

 ひとつの注意。

 話はそれだけだった。

 扉が閉まる。

 静寂。

 そしてルナは、ゆっくりと指先を曲げる。

 さっき触れられた場所。

 そこに残された温度は、武器でも魔術でもなく――

 “愛の予兆”だった。

 夕刻、食堂へ向かう廊下。

 ルナは“迎えに来る”と言われながらも、足を進めていた。

 騎士として、誰かに守られて歩くなど、身体が受け入れない。

 それでも。

 数時間前の“触れられた温度”が、指先に残ったまま剥がれ落ちない。

(私は任務を遂行する。感情に呑まれることはない)

 その自戒こそ、彼女の武装だった。

 廊下の灯がゆっくりとひとつ灯り、その下をくぐる。

 その瞬間。

 影が、揺れた。

 黒い長衣。
 赤い瞳。

 カインが壁にもたれていた。

 待っていたと言う仕草をしない。
 しかし、その存在そのものが“待っていた”と告げていた。

「来たか」

 淡い声。

 ルナは立ち止まらず、横を通ろうとする。

「……案内は不要です」

「そうか」

 短い肯定。

 その一言に、拒絶でも怒りでもない“尊重”があった。

 ルナが一歩踏み出すと、後ろで気配が動く。
 カインが歩幅を合わせてきた。

 二人は並んだ。

 歩幅が、揃う。

(この男は、音を立てない)

 足音のない存在。
 気配だけが静かに隣にある。

 食堂は、広くなかった。

 丸い小さな卓。
 二人で座る距離。

 余計な席もない。

 カインは、皿にも手をつけず、ただ静かに言った。

「今日、君に触れた理由をひとつ訂正する」

 ルナは目を細めた。

「訂正……?」

「寒そうだったから――では、足りない」

 間。

 短い沈黙。

 その沈黙が、言葉の輪郭を濃くする。

「触れたかったからだ」

 それは、どうしようもない理由。

 恋や執着と呼ぶには、まだ短い。
 しかし、ただの政治的態度とは全く別種の“欲望”だ。

(触れたかったから、触れた?)

 そんな行為を“理由”にする男ではないと思っていた。

 カインは、視線を伏せないまま、静かに言葉を落とす。

「君が、どんな表情をするか。
 知りたかった」

 その言い回しに、確信すら滲んでいる。

 ルナは喉を鳴らした。
 呼吸がうまく整わない。

「……敵に触れるのは、愚かです」

「愚かだとも思わない」

「なぜです」

「君は敵ではない」

 明確な否定。

 まるで最初から、そう決まっていたかのような言い方。

 ルナは、言葉を見失った。

(敵ではない? なら私は何だ? 何を見て、彼はそう言う?)

「私は、あなたを殺すために来ました」

 静かに言った。
 挑発でも脅しでもない。
 自分の立場をただ確認するための宣言。

 カインはまっすぐルナを見たまま。

「それでも、君は私を殺さない」

 断定。
 選択肢すら与えない声音。

「なぜ言い切れるのです」

 ルナが問いを返すより、半歩早く。

 カインは淡く目を細めた。

「君は、“触れられて”震えた」

 ルナの中で、何かが一瞬詰まった。

 ――見られていた。

 触れられた瞬間、心臓が一拍強く跳ねたこと。
 身体が、一瞬だけ迷ったこと。

 あれを、この男は見ていた。

 隠せなかった。

 カインは立ち上がる。
 ゆっくりと、静かに。

「私は――前世から君を探していた」

 そう告げる声音は、淡いが確信だった。

 理屈など置き去りにする言い方。

 ルナは息を飲むしかなかった。

(前世……?)

 説明も証拠も何もなく、ただ言葉だけが届く。
 しかし――届いてしまう。

 その瞬間が、恐ろしい。

 カインは扉へ向かい、振り返らずに言った。

「この城には――まだ触れてはいけない場所がある」

 静かに歩いて去っていった。

 触れられた指先が、また熱を帯びていた。
 この熱は、どんな理屈で消せる。

 ルナは、静かに指を握った。

(どうして私は――震えてしまう)

 それが、わからない。

 だからこそ、怖い。
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