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1.歌舞伎町のホームレス

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綺麗なドレスに身を包んだねえちゃん達が、コツコツとヒールを鳴らしながら髪をなびかせ歩いている。その向こう側では、帽子を深く被った軽薄そうなキャッチに捕まる若者の姿。

ここは眠らない町、新宿歌舞伎町。
俺のホームだ。

そう、文字通りのホーム。きらびやかな町の灯りが微かに漏れる路地裏、この畳一畳程度のダンボールが愛しい愛しい俺の我が家である。
このごみ溜めは煌めきを作るための老廃物だ。アルコールと生ゴミの匂い、いつ錬成されたかもわからない嘔吐物。そしてそこに住みつく、小汚い男が一人。

名前を仁己ひとみ、名字は不詳。年齢は……多分四十半ば、だったと思う。ホームレス歴が三年を越えた辺りからまともに自分の歳を数えるのをやめた。
そもそもここ歌舞伎町では、自分の年齢も名前もさして意味を持たない。何故ならここにいる人達は皆偽りの世界で生きているからだ。
昼間は真面目に経済を回しているサラリーマンも、清楚なOLさんも、ここでは立場を忘れて欲とアルコールに溺れていく。素性も知らない若い肉体に囲まれ欲望のまま豪遊する姿は、ここでしかさらけ出すことができないのだろう。

俺はこの町が、酔っ払っている人間が好きだ。

「よぉおっさん!おっさんも飲んでっかぁ?」

今日もいつものように行き交う人々を路地裏から観察していると、紅潮した顔に着崩したスーツをぶら下げたサラリーマンがこちらに向かって声を掛けてきた。

「おぅよ、楽しんでるさ!」

足元に転がっていたワンカップの空き瓶を片手にひらひらと手を振ると、男は何が可笑しいのかケタケタと喉を鳴らして笑い転げた。
華やかな町に相応しくない汚らしいおじさんがこうして若者と会話できるのも、酒の力があってこそだ。これだから酔っ払いは良い。素面なら蔑まれる俺みたいなゴミにも、優しくしてくれるからね。

「お前もそろそろ女の味を知っておけよォ。なぁ?」
「いいですって、先輩……」

お、向かいの店で面白そうなもの発見。いかにも若手社員っぽい生真面目そうな男が酔っ払った先輩らしき二人に囲まれ、風俗に連行されそうになっている。

「そこのお兄さんたち~、いい女の子いるよ!おっぱい触り放題揉み放題!」

おーおー、キャッチにも捕まってら。気分もいいし、いっちょ俺も参加しちゃおうかな!

「そこの兄ちゃんたちや、ここにもいい子がいるよぉ!千円ポッキリでおっぱい触り放題揉み放題!おじさん沢山サービスしちゃうよん♡」
「ギャハハハハ!!おい、なんかホームレスのオッサンまで絡んできたぞ!」

路地裏からヤジを飛ばし、スッカスカの谷間を揉む仕草をすれば男たちはたちまち笑い出した。やっぱノリが良くていいねぇ、酔っ払いってのは。
愉快そうな男達につられて気分が高揚し空き瓶の底に残った酒を煽っていると、何やらぬっと黒い影が目の前に立ちはだかった。かと思うとしゃがみこんで、胡座をかいている俺に目線を合わせてくる。
さっきまで先輩に絡まれていた若手社員だ。

「本当ですか?本当に沢山サービスしてくれるんですか?」

その若手社員は近くで見ると、最近の若者らしい細身で顔の小さいシュッとした男前だった。ずいっと近付けてきた顔は涼しげな表情に反して随分と酒臭い。さてはここに来るまでにしこたま飲まされたな。

「おうとも、金さえくれたらなんでもやったげる♡」

酔っ払い相手なら本当にお駄賃貰えちゃったりして。
淡い期待を寄せて試しにそう言ってみると、彼はおもむろにスーツから皮の財布を取り出し、俺の手を掴んでお札を握らせてきた。その額なんと五万円。
えっマジで?

「じゃあ、これであなたを買います」
「これぜ~んぶおじさんにくれんの?ヤッター!」

こりゃ驚いた、初のキャッチ成功だ。今までヤジを飛ばしたことはあれどお金を恵んで貰えたことなんて一度も無かったのに。
しかし連れのお二方はいいのかねぇ、と背後の様子を伺うと先輩方はセクシーな女の子達に連れられデレデレしながら店へと消えていくのが見えた。すっかり後輩から興味が移ってしまったらしい。
こうしておじさんは五万円ポッキリでお持ち帰りされることになりました。
お買い上げありがとうございますってね!



タクシーに揺られ、住み慣れた歌舞伎町が徐々に遠ざかっていく。
後部座席で真っ白なシートカバーを陣取る臭くてきったないおじさんに、タクシーの運ちゃんは言葉には出さないものの大層不機嫌そうだった。いつの間にか運転席の窓が開いている。ごめんね、ここんとこ晴天続きだから自然のシャワー浴びれてなくてさ。
でも文句ならこっちの兄ちゃんに言ってよね。まさか本当にタクシー呼んで家までお持ち帰りされるとは思わないじゃん?

お金を受け取っておいてなんだけど、正直その場限りの冗談か何かだと思ってた。歌舞伎町から出て虹色から白一色の上品な外灯に囲まれていく景色の変化を眺めていると、徐々に酔いも醒めてくる。

「…………」
「…………」

お互い特に会話することもなく、タクシーは目的地へと向かっていく。
この兄ちゃん、なに考えてるんだろう。
酔いが回りすぎて綺麗なねえちゃんとおじさんを見間違えちゃったのかもしれない。……いや、そんなことある?ロン毛ってこと以外共通点皆無よ。実は相当なイロモノ好きで、本当にエッチなサービス要求されちゃったりして。
流石にそれはないか!



移動すること数分、タクシーは西新宿の何やら高級そうなマンションの前で到着した。
車体から一歩外に出ると、そこはもう俺とは無縁の世界だ。高層マンションが並ぶ街並みに、塵一つ無い整備され尽くした道路。
兄ちゃんが入口に設置されたパネルに暗証番号を手早く入力してロックを解除すると、超豪華なエントランスホールにお出迎えされた。

「うおぉ……」
「さぁ、行きましょうか」

兄ちゃんは物怖じすることなく、薄汚れた俺の手を引いてエレベーターに乗りこんだ。
途中フロントのねえちゃんと目があったが、彼女は突然やって来た不審者にも顔をしかめることもせず、むしろ会釈してみせた。凄い、これがプロかぁ。

エレベーターは上へ上へと登っていく。
まだ若いのに高層マンション住まいでホームレス相手にポンと五万円渡せるあたり、よっぽど高給取りなのだろう。よく見るとスーツも上等なものを身に纏っている。顔も良いし、わざわざ歌舞伎町に出向かなくても女の子には困ってなさそうだ。
ますます俺がお持ち帰りされた意味がわからない。

「どうぞ」
「お、おじゃましますよっと」

疑問符を浮かべながらエレベーターを降り、兄ちゃんの後をついていくとようやく部屋に到着したようだった。
カードキーを差し込み扉を開けて手招きされ、玄関に足を踏み入れた。てか玄関広っ。ここだけで俺のマイホームの倍以上はある。広すぎてどこで靴脱ぐのかもよく分からないし。
俺が部屋に入るなり、兄ちゃんは後ろ手で扉をバタンと閉めた。オートロック式なのか、がちゃんと自動で鍵がかかる音がする。

なんというか、住む世界が違いすぎる。

俺が呆然と辺りを見渡していると、すぐそばで何やらカチャカチャと金属が擦れる音が聞こえた。音のする方に目を向けてみると、なんと隣で兄ちゃんがベルトを外して下着をずり下ろしご立派なちんこを露出していたのだ。

「じゃあ、早速ですがフェラしてください」

うわぁ、本当にエッチなサービス要求された!それもドストレートに!
驚いたことに、露になった兄ちゃんのちんこはフル勃起していた。いや、なんでよ!?自分で言うのもなんだけどこんなおじさんのどこに欲情する所があったの!?

「え、え~っとぉ……その前にシャワー浴びてもいい?」
「シャワー、ですか?」

なんかもう、ビックリし過ぎて生娘みたいな返しをしてしまった。冷静に考えて、手も洗ってないきったないおじさんに急所を触られて変な病気でも移されたら嫌だろう。

「あっそうだ、兄ちゃん先にシャワー浴びてきな?おじさんの後に使うの嫌っしょ?」

おずおずと訪ねてみると、兄ちゃんは少し考え込んでから「そうします」と短い返事をしてちんこを仕舞い、素直にも部屋の奥へと消えていった。
間もなくしてシャワーの音が聞こえる。おそらくあそこが浴室なのだろう。

「…………ふうぅ~」

いやぁ焦った焦った。ありゃヤバい方の酔っ払いだったな。若くて金持ってるからってノコノコ付いてくるんじゃ無かった。いくらイケメンとはいえ初対面の男のちんこをしゃぶるなんて二度と御免だっての。

「さぁてと」

ここまで驚かされっぱなしだったが、これは思わぬチャンスだ。いかにも金目のものが置いてありそうな部屋に一人きり。
素性も知らない男を部屋に残すなんて、相手が警戒心ゼロで助かった。

だだっ広い玄関を抜け、誰もいなくなった部屋で真っ先に向かうのは冷蔵庫だ。金もいいがまずは何でもいいから何か食べたかった。ここ最近はゴミ箱を漁っても不作続きでもう何日も食料を口にできていない。

黒を基調とした洒落た台所に向かい如何にも高性能そうな冷蔵庫を開けると、中はミネラルウォーターと湿布、あとは味気なさそうな栄養ゼリーだけが陳列していた。
ううむ、あまり食に関心がないタイプか。
取り敢えず手前のゼリーを一つ掴んで蓋を開け中身を啜る。これでもいいけど欲を言うならもっとガツンとしたものがいいな。

他の食料を求め台所の引き出しを片っ端から開けると、これまた高級そうな食器類の棚に隠すようにお菓子の箱が置いてあるのを見つけた。取り出して中を拝見するとそこそこ立派なバームクーヘンが入っている。
へぇ、まともな食料は置いていないのに小菓子は置いてるんだ。意外と甘党なのかな。

「それじゃいただきますよ~っと」

特に切り込みも入っていないので、適当に手でむしって口に運んだ。
次いつ食料にありつけるかわからないからと、ありったけを口の中に詰めてミネラルウォーターで流し込む。長らく忘れていた、胃袋が活発に動いていく感覚がした。ちゃんとした食事を取ると生きてるって感じがするな。

お腹を満たした後は本命のお宝探しだ。
無駄に景観の良いリビングを通りすぎ、気付かれないよう気配を消してそっと脱衣所の扉を開ける。兄ちゃんはまだシャワーを浴びている最中だった。
脱ぎっぱなしのスーツの内ポケットを漁るとあったあった、高そうなお財布が。いいねぇ、この無用心さ。これだから酔っ払いは好きなんだよ。

財布を開けるとありがたいことに現金派なのか、びっちりと万札が詰まっていた。まるっと抜き取ってポケットに詰め込む。カード類は足がつくから手を出さない。こんだけあればしばらく食っていけるっしょ。
悪いねぇ、でもホームレスのおじさんなんかホイホイ家にあげるからこうなるんだよ~と、呑気にシャワーを浴びている兄ちゃんに心の中で謝罪をしておいた。

それじゃ用も済んだし、気付かれる前にとっとと退散ってね。

意気揚々とドアノブに手を掛けた。もうここに来ることは二度と無いだろう。
バイバイ兄ちゃん、次からお酒の飲み過ぎには気を付けるんだよ~。

「───何処へ行くのですか?」

ほくほく気分でドアノブに触れるのと、それを背後から濡れた手で掴まれたのはほぼ同時だった。

「っ!」

ハッとして振り返る。
そこには、先程までシャワーを浴びていた筈の兄ちゃんが立っていた。全裸のまま、ぼたぼたと水を滴らせて。

しまった、油断した。まだしばらくは浴室から出てこないだろうと思ったのに、気配を悟られたのだろうか。
なりふり構わず飛び出したのか、浴室から玄関まで一直線に床が濡れている。

「いやーんエッチ!もうちょっとゆっくり浴びなよぉ」
「……何処へ」

茶化してみたが兄ちゃんは腕を強く掴んだまま離さない。濡れた髪が張り付いた額には青筋が浮かんでいる。
振り払おうにも酔っているせいか力のリミッターが外れて、今にも腕の骨をへし折られそうなパワーだった。
健康体の若者と数日間何も口にしていなかったヒョロガリおじさん、酒が入って無くとも力の差は歴然だ。

「ご、ごめんって!お金ならちゃんと返すから今日のところは見逃してよぉ」

本格的に身の危険を感じ、慌てて盗んだ金を返そうとポケットに手を突っ込んだ。名残惜しいが抵抗しようものなら何をされるかわかったもんじゃない。

「……」

みっともなく命乞いをする俺に何を思ったのか、兄ちゃんは黙って腕を離し浴室へと消えていった。お、見逃してくれる感じ?
なら今のうちに逃げちゃおうかと再び扉を開けようとすると、すぐさま空になった財布を片手に戻ってくる。

そしてそれを俺の目の前まで持っていくと、ひっくり返して中身を全てぶちまけてみせた。

「……えっ?」

カードも免許証も小銭も、全て玄関にばらばらと散らばっていく。

「お……おいおい兄ちゃん!?流石に酔いすぎだって!」
「お金が欲しいなら全部あげます。僕が持ってるものならなんでもあげますから、何処にも行かないで」

確かに金は欲しい、けど目の前に立ちはだかる男の目は瞳孔が開ききっていて誰が見ても正気では無かった。

ヤバイヤバイヤバイ何考えてるのかわからない、一つわかることと言えばこの青年が話の通じないガチでヤバイ人種だということだけだ。
異様な状況を前に本能が『今すぐ逃げろ』と警鐘を鳴らす。
だが逃げ出そうにも、情けないことに青年の迫力に圧倒され足がすくんでしまった。
その隙に彼は財布を放り投げ、濡れた身体で俺を抱きしめたかと思うと、その場で力任せに押し倒してきた。

「い……ッ!」
「行かないで……」

床に頭をぶつけた衝撃でゴツンと鈍い音が脳に響き渡る。

「頼む、離してくれ!金はもういいから!」

激しく背中を叩いても声を掛けても、のし掛かった男はびくともしない。
まずい、俺、このまま殺される……!?

「やめ……っ!!」
「お願い、もう何処にも行かないで…………」

………?て、誰?

突然身に覚えのない名前を呼ばれ、気の抜けた声が漏れた。
俺の問いに対し、男は何も答えない。
それどころか、その言葉を最後にピクリとも動かなくなった。

えっウソ、死んじゃった?

「……兄ちゃん?おーい?」

よおく耳を済ますと、彼の口からすうすうと周期的な呼吸音が聞こえてくる。
なんと彼は全裸でのし掛かったまま、寝息を立てて眠りこけていたのだ。

「えぇ……」


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