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プロローグ
しおりを挟む真っ赤な炎が激しく燃え立つような花姿をした彼岸花が、秋分の日を迎えた霊園の端っこに列をなしている。
その上をひらりひらりと舞うアゲハ蝶を捕まえようと、以前のカナちゃんなら駆け出していただろう。
「ねぇねぇ、いっちゃん。私、先に行って水を汲んでてもいい?」
「ありがとう、お願いするね」
霊園に隣接された駐車場に到着するなり後部座席から飛び降りたカナちゃんは、慣れた様子でバケツと柄杓を持って水場へ向かう。
小さな後ろ姿をしっかりと視界におさめながら、私と勇太は後部座席に乗せた花の束を持つ。
そして蝋燭や線香の入った手提げを手にして、カナちゃんから遅れて霊園に足を踏み入れた。
神崎家のお墓の前に到着すると、カナちゃんは既に水鉢の掃除を終えようとしていた。
枯れた花を抜き取り、持って来た新聞紙に包む。花立を墓石から引き抜いて洗いに行くのもカナちゃんの担当だ。
「ぎゃあ! 勇太ぁ! 勇太! 虫! 虫がいるー! 助けてー!」
花立を持って水場へ向かったはずのカナちゃんが、水場の前で両手に花立を持ったまま、泣きべそをかきつつ勇太を呼んだ。
虫関係の事は、私では頼りにならない事を知っているのだ。
「ちょっと行ってくるね」
そう言って勇太はカナちゃんの待つ水場の方へと歩いて行く。
仕方ないなぁと言いながらも嬉しそうなその後ろ姿を見送り、目の前にある墓石の側面に刻まれた文字を視界に入れる。
この文字を見るたびに、きつく胸が引き絞られるような気がしてならない。
「いっちゃん、はい」
突然、近くで聞こえた声にハッとする。
いつの間にか隣に戻ってきていたカナちゃんが、ステンレス製の花立を墓石にきちんとセットした。
「あ……ごめん。ぼーっとしてた」
「私がやってもいい?」
「うん。お願い」
お願いされた事が嬉しそうなカナちゃんが、持って来た花の束を花立に差し込んだ。
小学生になったカナちゃんは、何でもかんでも自分からすすんでやりたいようで、近頃の口癖は「私がやってもいい?」だ。
「じゃあ蝋燭点けるよ。はい、カナちゃんはお線香をここに入れてね」
勇太に言われて、カナちゃんは素直に香炉へ線香を立てた。白檀の香煙が根元をクルリとうねらせながら秋天へと立ち上る。
「じゃあ手を合わせてお参りするよ」
「はい!」
お墓参りの作法にも慣れたカナちゃんは、静かに目を閉じた。
真剣な表情の横顔だけでは何を考えているのかは分からない。しばらくしてパチパチっと細いまつ毛を震わせたカナちゃんは、艶々とした黒い瞳をこちらに向けた。
「ねぇ、いっちゃん。これって誰のお墓?」
その時、大の大人二人が子どもの無邪気な問いかけにたじろぎ、ハッと息を呑んだ。
カナちゃんは何度もお参りに来ているこのお墓が誰のものか分からないまま、一生懸命にお参りしていたのだ。
そしてそれは、幼い頃の記憶が完全に無くなってしまった証拠でもあった。
「これは……このお墓はね……カナちゃんの、お姉ちゃんのお墓だよ」
自分なりに何とか平静を装って答えた声は、どう聞いたって掠れていた。
自分の耳で、骨を伝って聞いた声だから、そう思っただけかも知れない。
カナちゃんは、おかしいと思っただろうか。
私の手を勇太がさりげなく握る。その気遣わしげな力加減が、彼の優しさを痛いくらいに伝えてくる。
苦しい、けれどどうしようもない。
カナちゃんの中から、お墓の横に名を彫られた人の記憶が消えてしまえばいいと願った事は何度もあった。
けれど、いざそうなってみるとこんな風に戸惑いを覚える。それが自分でも意外な事だった。
「……お姉ちゃん」
そう呟いたカナちゃんは、やがて糸のように目と口を細めて可愛らしく笑った。
「そんな人がいたの、知らなかったー! それって嬉しいなぁ!」
まだ幼いカナちゃんにとって、本当にただ単純に自分のきょうだいが増えた事が嬉しかったのだろう。
たとえそれがもう、この世にいないきょうだいだったとしても。
勇太と私は無邪気に喜ぶカナちゃんの様子に、やっと強張らせていた身体の力を緩めた。
「ねぇねぇ、ここに居るお姉ちゃんは何て名前だったの?」
幼い子どもらしく、何の遠慮もない質問に、私は再び口元を引き締めた。
勇太と繋いでいた手をどちらともなくそっと離す。
大丈夫、きっと大丈夫だ。
カナちゃんの表情の変化をわずかでも見逃すまいとして、私と勇太は慎重にその後の言葉を選ぶことにしたのだった。
再び過去の辛い記憶が戻らないとも限らない。
「お姉さんの、名前はね……」
カナちゃんの様子を窺いながら墓石の横に記された生前の名を告げた時、どこからか吹いて来た白い風が、するりと私達の頬を撫でた。
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