かわいい猛毒の子

蓮恭

文字の大きさ
1 / 55

プロローグ

しおりを挟む

 真っ赤な炎が激しく燃え立つような花姿をした彼岸花が、秋分の日を迎えた霊園の端っこに列をなしている。
 その上をひらりひらりと舞うアゲハ蝶を捕まえようと、以前のカナちゃんなら駆け出していただろう。
 
「ねぇねぇ、いっちゃん。私、先に行って水を汲んでてもいい?」
「ありがとう、お願いするね」
 
 霊園に隣接された駐車場に到着するなり後部座席から飛び降りたカナちゃんは、慣れた様子でバケツと柄杓を持って水場へ向かう。

 小さな後ろ姿をしっかりと視界におさめながら、私と勇太は後部座席に乗せた花の束を持つ。
 そして蝋燭や線香の入った手提げを手にして、カナちゃんから遅れて霊園に足を踏み入れた。
 
 神崎家のお墓の前に到着すると、カナちゃんは既に水鉢の掃除を終えようとしていた。
 枯れた花を抜き取り、持って来た新聞紙に包む。花立を墓石から引き抜いて洗いに行くのもカナちゃんの担当だ。
 
「ぎゃあ! 勇太ぁ! 勇太! 虫! 虫がいるー! 助けてー!」
 
 花立を持って水場へ向かったはずのカナちゃんが、水場の前で両手に花立を持ったまま、泣きべそをかきつつ勇太を呼んだ。

 虫関係の事は、私では頼りにならない事を知っているのだ。
 
「ちょっと行ってくるね」
 
 そう言って勇太はカナちゃんの待つ水場の方へと歩いて行く。
 仕方ないなぁと言いながらも嬉しそうなその後ろ姿を見送り、目の前にある墓石の側面に刻まれた文字を視界に入れる。

 この文字を見るたびに、きつく胸が引き絞られるような気がしてならない。
 
「いっちゃん、はい」
 
 突然、近くで聞こえた声にハッとする。

 いつの間にか隣に戻ってきていたカナちゃんが、ステンレス製の花立を墓石にきちんとセットした。
 
「あ……ごめん。ぼーっとしてた」
「私がやってもいい?」
「うん。お願い」
 
 お願いされた事が嬉しそうなカナちゃんが、持って来た花の束を花立に差し込んだ。

 小学生になったカナちゃんは、何でもかんでも自分からすすんでやりたいようで、近頃の口癖は「私がやってもいい?」だ。
 
「じゃあ蝋燭点けるよ。はい、カナちゃんはお線香をここに入れてね」
 
 勇太に言われて、カナちゃんは素直に香炉へ線香を立てた。白檀の香煙が根元をクルリとうねらせながら秋天へと立ち上る。
 
「じゃあ手を合わせてお参りするよ」
「はい!」
 
 お墓参りの作法にも慣れたカナちゃんは、静かに目を閉じた。

 真剣な表情の横顔だけでは何を考えているのかは分からない。しばらくしてパチパチっと細いまつ毛を震わせたカナちゃんは、艶々とした黒い瞳をこちらに向けた。
 
「ねぇ、いっちゃん。これって誰のお墓?」
 
 その時、大の大人二人が子どもの無邪気な問いかけにたじろぎ、ハッと息を呑んだ。

 カナちゃんは何度もお参りに来ているこのお墓が誰のものか分からないまま、一生懸命にお参りしていたのだ。

 そしてそれは、幼い頃の記憶が完全に無くなってしまった証拠でもあった。
 
「これは……このお墓はね……カナちゃんの、お姉ちゃんのお墓だよ」
 
 自分なりに何とか平静を装って答えた声は、どう聞いたって掠れていた。
 自分の耳で、骨を伝って聞いた声だから、そう思っただけかも知れない。

 カナちゃんは、おかしいと思っただろうか。

 私の手を勇太がさりげなく握る。その気遣わしげな力加減が、彼の優しさを痛いくらいに伝えてくる。
 苦しい、けれどどうしようもない。

 カナちゃんの中から、お墓の横に名を彫られた人の記憶が消えてしまえばいいと願った事は何度もあった。
 けれど、いざそうなってみるとこんな風に戸惑いを覚える。それが自分でも意外な事だった。
 
「……お姉ちゃん」
 
 そう呟いたカナちゃんは、やがて糸のように目と口を細めて可愛らしく笑った。
 
「そんな人がいたの、知らなかったー! それって嬉しいなぁ!」
 
 まだ幼いカナちゃんにとって、本当にただ単純に自分のきょうだいが増えた事が嬉しかったのだろう。
 たとえそれがもう、この世にいないきょうだいだったとしても。

 勇太と私は無邪気に喜ぶカナちゃんの様子に、やっと強張らせていた身体の力を緩めた。
 
「ねぇねぇ、ここに居るお姉ちゃんは何て名前だったの?」
 
 幼い子どもらしく、何の遠慮もない質問に、私は再び口元を引き締めた。
 勇太と繋いでいた手をどちらともなくそっと離す。

 大丈夫、きっと大丈夫だ。

 カナちゃんの表情の変化をわずかでも見逃すまいとして、私と勇太は慎重にその後の言葉を選ぶことにしたのだった。
 再び過去の辛い記憶が戻らないとも限らない。

「お姉さんの、名前はね……」

 カナちゃんの様子を窺いながら墓石の横に記された生前の名を告げた時、どこからか吹いて来た白い風が、するりと私達の頬を撫でた。

 

 
 
 
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...