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5. 同僚の自殺
しおりを挟む「ねぇお母さん、礼服どこ?」
「あら、アパートの方に持って行ったんじゃないの?」
ある日の夜勤前、私はいつものごとく実家でカナちゃんの子守りをしていた。
朝のこの時間帯に姉が実家に居るのは珍しい。どうやら今日は誰かの葬式に参列するらしい。先程から礼服が無いと喚いているが、自分でクリーニングに出す事も無ければ片付ける事もしない。そういう事は結婚してからも全て母親任せだ。
「アパートには持って行ってないよ。五年前におじいちゃんが死んでから使ってないもん。あ、あったあった。やだぁ、これ絶対もうサイズが合わないよ。香苗を出産してから太ったんだよね。最低」
クローゼットを探っていた姉はやっと自分の礼服を見つけたらしいが、独身の頃に購入したそれは今の姉の体型には到底合いそうに無かった。
けれど姉が太ったのはカナちゃんのせいではなく、自分の運動不足と日頃の不摂生のせい。姉の口からは相変わらず不快な毒しか吐き出されない。
きっと理解していないのだと分かっていても、カナちゃんの耳には入れたくない。だから遊びに乗じて手でこっそりと小さな耳を塞いだ。
「もう、知らないわよ。ほら、じゃあお母さんのを着て行きなさい」
姉の隣でクローゼットを探っていた母が、黒い不織布のカバーが掛けられたワンピースを取り出す。
「やだよぉ、こんな時代遅れのデザインの礼服」
母の持っていた礼服は嫁いですぐに高級専門店で購入したという品物で、さすがに生地がしっかりしているから今でも充分に着られる物だった。
ただデザインはシンプルな物で、決して今風のお洒落なラインでは無かったけれど。
「全く。じゃあどうするの?」
「今から買って来るからお金ちょうだい」
「仕方ないわねぇ」
元々裕福な家庭で育った母は今だに実家からお小遣いを貰っている。だから今も、新しい礼服が欲しいという姉に財布の中から一万円札を十枚ほど手渡していた。
姉はそれがさも当然のようにさっさと受け取り、礼服を買いに出掛けて行く。
「はぁ……詩織はいつまでたっても子どもなんだから。カナちゃん、カナちゃんはちゃんとした大人になれるように、これからもバァバの言うことを聞いてくださいねぇ」
私と一緒に絵本を読んでいたカナちゃんを覗き込むようにして話しかける母を、湧いてくる感情を抑えて温度のない瞳で見つめる。
まだ二歳のカナちゃんは母の言葉など理解出来るはずも無く、それでもプニプニとした小さな手を伸ばし、嬉しそうに声を上げた。
呪詛のように母が口にする「ちゃんとした大人」とは、一体どんなものなのだろうと考えては思わず嘲笑が漏れる。危ない、危ない。口の歪みを誤魔化すようにして母に尋ねた。
「誰のお葬式?」
「詩織の同僚の方ですって。どうやらお薬をたくさん飲んで自殺したらしいの」
眉をハの字にして大きなため息を吐く母は、自殺という言葉もその行為すらも不浄なものだというような口振りだ。
「自殺?」
「独身だから良かったものの、まだ詩織と変わらないくらいの年齢の人だったらしくてね。随分と詩織もショックを受けたみたいなのよ」
独身だから良かったというのは、カナちゃんみたいな子どもがいたら、その家族が大変だろうからというように聞こえた。
可愛い孫とはいえ、やはり幼い子の面倒をずっと見る生活は、母にとっても相当負担なんだろう。
それにしても、まだ若いその同僚は何故自殺なんかしたんだろう。恋愛や金銭的なトラブル、あと考えられるのは職場の悩みだとか、そういった現実から逃げ出して楽になろうと考えたのか。
辛い事があって心底追い詰められた時、「死んだ方が楽なんじゃないか。死んだら周囲は自分のSOSに気づいて、それに気づけなかった事を後悔する、または改心してくれるんじゃないか」そんな風に考えることは私にも何度かあった。
けれど現実は、悲しみを与えられるのはよくて一瞬。そのうちあっという間に忘れ去られて、元々その存在が無かったかのように受け入れられるのだ。
人を死にたいと思うほどに追い詰める人間など、結局は期待したところでそれほど自殺に興味を継続しない。
「死にたいと思うほどに、何があったんだろうね」
知りもしない姉の同僚に、他人の自分が心を寄せたところで慰めにもならないだろうけど、そうせずにはいられなかった。
「さぁ? 詩織もそれについては珍しく話したがらないのよ。職場で何かあったのかしら? いじめとか? もしそうなら、同じくらいの年齢の詩織が今度は標的になっていじめられなきゃいいんだけれどねぇ」
職場のいじめが自殺の原因ならば、もしかしたらあの性格が良いとはいえない姉がいじめる側だって事も十分考えられる。しかし母はそんな可能性を微塵も考えずに、自分の娘に次の火の粉が降り掛からなければ良いという事だけを気にしている。
それがひどく滑稽で、先程誤魔化したはずの嘲笑が再びせり上がってくる。自然と口元が弧を描きそうになるのを、カナちゃんに話しかける事でまた誤魔化した。
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