かわいい猛毒の子

蓮恭

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26. 異質

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「なんだ、伊織か……」
 
 私の姿を見るなり息を吐く姉は、思っていたよりも落ち着いている様子に見えた。
 会うなり暴言を吐かれたり、物を投げつけられたりするのではないかと思っていたから、少々拍子抜けだった。
 
「体調はどう?」
「うん、まあまあ。ここじゃあんまり話せないから、部屋に戻ろう」
 
 姉は慣れた様子で自分の病室へと戻る。
 ここからはナースステーションの前を通れば近道だが、姉は明るい日差しが射し込む大きな窓がある方の道のりを選んだ。
 
「母さんから聞いたよ。離婚したんだってね」
 
 姉は私の言葉に一度目を伏せ、口元をキュッと結んだ。病室に入るなり自分でも話題を急ぎすぎたかと思ったが、長居するつもりはなかった。
 
「うん。新一、ずっと前から離婚したがってたから。こっちは香苗がいれば離婚されないと思ってたのに、作るつもりもなく出来ちゃった子どもに愛情なんて無かったのね。こっちは必死で仕事して、香苗が泣くと新一が嫌がるから実家に預けてまでご機嫌とってたのに」
「姉さんは、離婚しても良かったの? 新一さんの事、好きだったんじゃないの?」
 
 よく了承したね、とはさすがに言えなかった。
 
「好きよ。でも、新一が……」
「新一さんが、何?」
「……巻き込めない」
 
 そう言ったっきり、姉は強く口をきつく噤んだ。

 やはり、話してみるとどう見ても姉はまともに見える。閉鎖病棟に入院するほどの症状は、少なくとも私の前では見られない。
 
「姉さん、ここに入院しているのは何か理由があるの? 体調……そう悪くないように見えるけど?」
 
 核心をつく質問を投げかけたところで、姉の態度が激変した。

 顔が赤黒く変色して、目はみるみるうちに三角になり、鬼のような形相で声を荒らげる。
 
「アンタに何が分かるの! すぐ自殺したくなるし、夜も眠れない! イライラして、何でもかんでもぶっ壊したくなるの! 私は病気よ! 普通なんかじゃない!」
 
 急に興奮し始めた姉は、握り拳でベッドをドンドンと何度も強く叩く。

「入院してないといけないのよ! 絶対に!」

 こちらの話など聞かずに一方的に捲し立てるその様子は、昔から知る短気な姉と変わりがない。
 いつものように怒ってヒステリーを起こしただけで、そこに病的なものは感じられないのだった。

 姉がハァハァと肩を大きく上下させながら息を整えている間に質問を投げかける。
 
「でも、カナちゃんはどうするの?」
 
 我が子であるカナちゃんの事は気にならないのだろうか。
 自分の血を分けた娘で、いくら母親と私にずっと預けていたからって、あの可愛らしい娘の事が少しも心配になったりしないのか。

 考えているうちに何故かとても腹が立って、つい問い詰めるような口調になってしまった。
 すると姉は、意外にもすうっと潮が引くように冷静な態度になる。
 
「……もうあんな子、要らない。施設に入れるなり、里子に出すなり好きにして」
「えっ、どうして⁉︎」

 前回は姉があれほど執着していたカナちゃん。離婚が決まってお払い箱という事なのだろうか。
 
「だって、アンタだっていつかは誰かと結婚するだろうし、そうなったら香苗の事が邪魔でしょう。母さんはどうせもう歳だから面倒見れないって言うじゃない」
「姉さんは? 病気が治ったら退院してカナちゃんと暮らす気はないの?」
 
 姉がカナちゃんの母親なのに、自分は面倒を見ない事を前提に話を進めるような言葉には、さすがに愕然とした。
 
 この人は……どうしてこうなのだろう。

 カナちゃんが姉という母親を必要としているかどうかは正直なところ分からない。だけど、母親はそう簡単に子どもの事を「要らない」などと言ってはいけないと思う。
 
「私は退院なんかしない! 死ぬまでずっとここに入院してるの」
「どうして? こんなところにいてどうするの? 何か罪を犯して、それから逃れる為にここに入院してるって本当なの?」

 もう遠回しに聞く事はやめた。耳まで熱くさせるほど湧き上がってくる怒りは、予想に反して私の声を冷たく尖らせる。
 
「何でアンタが……っ! 新一ね。アイツ、ペラペラ喋ったのね! どうしても、よ! 私はここから出たら終わりなの! もう帰って! 絶対退院なんかさせないでよ!」
 
 訳が分からないまま姉に枕をぶつけられ、余った丸椅子まで振り上げられた私は、逃げるように病室を出た。
 
 丸椅子が引き戸に当たったような大きい音がして、扉が壊れないかとドキリとした。

 廊下に出た時、ちょうど二つ隣の部屋まで見回りに来ていたあの男性看護師と目が合った。
 病室の中から聞こえる姉の怒声と、物同士がぶつかる音に気づいたようで、こちらを窺うように首を傾げてくる。
 
「すみません、話しているうちに興奮させてしまったようなんです」
「あぁ、そうなんですね。凄い音がしましたけど、ご家族さんに怪我は無いですか?」
 
 特に慌てた様子も無く淡々とこちらの怪我の有無を問うという事は、この場所では患者があのように興奮する事が日常茶飯事なのだろうか。

 精神科に勤務した事がない私には分からなかった。
 
「はい。ただ、椅子を投げてしまったので何か壊れているかも知れません。本当に申し訳ありません」
「大丈夫です。ナースステーションへ声を掛けてお帰りください」
 
 そう言うと男性看護師は胸元に入れたPHSを手に取り、こちらに向かってお面を貼り付けたような笑顔で会釈をした。
 何となく早く帰るように促された気がして、ナースステーションの方へつま先を向ける。しかしやはり姉の病室が気になって、上半身をひねってそっと振り向いた。

 ちょうど複数の看護師が一斉に姉の病室へと入って行くところだった。
 
 私が勤めていた一般病棟では余程の事があった時でなければ、あのように大人数の看護師が一つの病室に集まる事は無い。
 その異質な光景に圧倒され、思わずその場に立ち尽くした。しばらく姉の病室の入り口を眺めていると、病室から出てきた一人の看護師と目が合った。

「あ……」

 そう声が漏れたのは私か、それとも相手か。

 何故かこちらに向けられた看護師の目が、「お気の毒に」とでも言っているような気がして、反射的に踵を返す。
 その後は一度も振り向かず、早足で逃げるようにして真っ直ぐナースステーションへと向かった。

 
 病棟を出て駐車場へと向かう間、やけに胸がざわついた。
 
 姉の様子からして、やはり何らかの後ろめたい事があるのは確からしい。でも……一体何を?
 あの同僚が自殺した事と関係があるのだろうか。

 頭の中で好き勝手に浮かんでは消えていくバラバラの思考は、そう簡単にまとまってくれそうにない。
 何より、実母から「あんな子いらない」と簡単に言われてしまったカナちゃんは、これから先どうすればいいのか。
 
 素早く自分の車に乗り込むと、まずは車のロックをかける。
 スマホで「姪、引き取る、養子」と検索してみた。難しい事がたくさん書かれてあったが、やはり簡単にはいかないようだ。
 小難しい単語がつらつらと並ぶスマホの画面の中で、目についた言葉を知らず知らずのうちに口にしていた。
 
「焦って答えを出すべきじゃない……か」
 
 そりゃあそうだ。混乱した頭で文字の羅列を見ても、一つもスムーズに頭の中に入って来るはずがない。
 それに一人で勝手に決められる問題でも無いのだから、まずは落ち着こう。

 今は自分が到底冷静ではないという自覚がある。とにかく一度頭を冷やして、夜にでもまた勇太に相談してみよう。

 彼ならきっと、的確な答えを導き出してくれる気がした。




 
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