かわいい猛毒の子

蓮恭

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31. 井川という看護師

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 めぐみ医院での勤務は午前中のみ。午後の勤務だと保育園のお迎えに間に合わないからだ。

 外来の後片付けを終えてから浅野師長と川西と共に休憩室へ向かう。
 私以外の看護師と事務員達は午後からの勤務もある為、休憩室の長机で各々が昼食を食べていた。
 
「この医院ね、給食があるのよ。患者さんと同じ物を食べるんだけど、一食が二百五十円で安いから皆それを食べてるの」
「へぇ、珍しいですね」
「神崎さんだって、注文さえしておけば明日からでも食べて帰ってもいいのよ」
 
 姉が勤めていた病棟の話を聞くには、病棟勤務の看護師と親しくなるきっかけが必要だ。
 
「じゃあ、折角なのでそうさせて貰います」
「もう、あなたって本当に素直でいい子ね。私、そういう子好きだわ。ちょっと待ってて、厨房の人に聞いてきてあげる」
 
 浅野師長はどうやら私の事を気に入ってくれたみたいで、腕をポンポンと二回叩いてから颯爽と厨房へと向かった。
 その様子を長机で食事をしながらチラチラと見ていた他のスタッフ達は、それに関して特に何も言わずにまた和気藹々と食事を続けている。
 
「神崎さん、今日から食べられるっていうから頼んできたけどいいわよね? 私も今から食べるから」
「え、そうなんですか。ありがとうございます。無理言ってすみません」
「いいのいいの。折角なんだから、仲良く食べましょう」
 
 長机の空いている席に浅野師長と並んで座る。事務長と川西の他には事務員が二人に病棟の看護師が四人人いて、それぞれの部署ごとに集まって談笑しながら食べている。

 川西は病棟看護師とはあまり仲が良くないのか、意識的に距離を置いているように見えた。
 
「はーい、浅野師長さんと新人の神崎さん。お待たせ」
 
 そのうち厨房の調理師らしき服装をした中年女性がトレーに載った定食を運んできた。確かに病院食らしい薄味ではあったが、栄養バランスはしっかりと考えられている。
 
「神崎さん、今日はお疲れ様でした。初日って疲れますよね? 私もそうだったんですよぉ」
 
 パイプ椅子をズズズと引っ張って移動させ、近くに座ったのは病棟看護師の井川だった。

 昨日やけに慣れ慣れしく話しかけてきて、帰り際に窓の外を眺めていたのもこの金髪で派手な化粧をした井川だろう。
 よく喋る井川は、情報収集にはうってつけの相手になりそうだ。自分の中で一番愛想の良い笑顔を顔面に貼り付け、彼女の声に耳を傾ける。
 
「あ、そうだ! 良かったら神崎さんの連絡先教えてください。また何かあった時には相談とかのりますし、連絡網がわりに看護師全員でグループを作ってるんですよ」
「あぁ、そうなんですね。よろしくお願いします」
 
 井川と連絡先を交換すると、すぐにグループにも招待される。「めぐみの看護師」と題されたこれによれば看護師は自分以外に八人いるらしい。

 井川はやはりおしゃべりが好きなようで、続けざまにいくつかの質問をしてくる。浅野師長や他のスタッフ達も、その会話にはそっと耳をそばだてているように感じた。
 
「神崎さん、独身なんですか?」
「はい、独身です」
「えー、それなら何でパートさんなんです? 正社員だったら病棟で働けるのにぃ」

 井川はパチ……パチ……とゆっくり瞬きをする事と、語尾を伸ばすような喋り方をするのが癖のようだ。まるで飼い主にじゃれつく猫のようだと思う。
 こういう風に媚を売るのは苦手だが、私も完璧な笑顔を貼り付けるのは上手くなった。
 
「母親に介護が必要なんです。今、入所出来る施設が空くのを待っている状況で。それまではデイサービスから母親が帰る時間までに家に帰らないとならなくて、一時的にパートとして働くことになったんです」
 
 どうせ長く勤める気は無かった。姉の秘密が分かれば適当な理由をつけて退職するつもりだったから、いかにもあり得そうな嘘をあらかじめ考えていた。
 
「ええっ! それは大変。じゃあお母さんが入所出来たら正社員として働くんですね。なるほどぉ。じゃあもしかして、忙しくて恋人とかもいないんですかぁ?」

 恋人や結婚について尋ねられるのは、これまでも色んな所で経験した事だ。パートで働く理由を答えるよりも余程簡単だった。
 
「井川さん、初日からあまり神崎さんを困らせないの」

 浅野師長は言葉でそう言いつつも、本気で止める気がないのが分かる。
 
 前の職場でも女性が数人集まれば、すぐにプライベートの話になった。多くの人間は一緒に仕事をする相手の私生活を知りたいものらしい。
 それを知って自分よりも相手が上か下かを確認して、安心したり妬んだりするものだと高橋主任が教えてくれた。「だから笑顔で適当に相手が喜ぶ嘘を吐いたらいいのよ」というありがたい忠告を受けたのは、まだ私が新人の頃だった。
 
「恋人はいません。前の職場では夜勤が多くて出会いも無かったので」
 
 これでいい。ここで答えを間違えると、「どんな人? 何をしてる人なの? 付き合ってどのくらい?」などと余計な質問が増える。
 
「ええ⁉︎ 本当ですかぁ? 神崎さんみたいな人がフリーなんてヤバい! ちなみに、私は彼氏と別れたばっかりなんですよぉ。元彼はすっごい暴力男で、私すごく大変だったんです!」

 恋人がいないと聞いて、コイツは自分よりも格下だと判断したのか、井川はみるみる嬉しそうな顔になる。
 両手を合わせて自分の事をペラペラと話し始めた井川に、右隣の浅野師長が今度は本心からの冷めた視線を向けているのが目の端で確認できた。
 
 きっと浅野師長は井川の事をあまり好きではないのだろう。
 
「井川さん、あなたももう三十なんだから早く落ち着くといいわね」
「もう! 師長さん! わざわざ年齢を言わなくてもいいじゃないですか! 言わなきゃ二十三歳でもイケるのに」
 
 井川は同い年くらいかと思っていたが、五歳も年上だったのか。それにしても、よく喋る。

 けれど私にとっては好都合。井川と親しくなれば色んな事を平気で話してくれそうだ。
 
「井川、歳がバレて残念だったな。いい加減お前の若作りもやめないと」
 
 事務長が少し離れたところから半笑いでそう言うと、女性の事務員二人も顔を見合わせて忍び笑いをする。
 
「あー! 事務長さん! それセクハラですよぉ!」
「おぉ、怖い怖い。近頃は何でもハラスメントだからな」
 
 ふと川西の方を見る。とっくに食事を終えてテレビの方へと顔を向けていた。
 画面は健康食品の通信販売の宣伝で、真剣に見るようなものでも無さそうなのに「自分はこちらを見ているから関係ない」という雰囲気が漂う。

 いつの間にか井川以外の病棟看護師は居なくなっていて、不思議に思って僅かに首を傾げる。
 それに気付いた浅野師長は、人差し指を立てた手を口に添えて内緒話をするようにして教えてくれた。
 
「病棟看護師達はね、お昼寝タイム。今時期は空いてるベッドがあるからそこで寝てるの」
「え、それって病室ですか?」
「そう。大部屋だけど、同室の患者さんももう慣れっこよ」
 
 今日一番のカルチャーショックはこれかも知れない。

 壁にかけられた年代物の鳩時計に目をやれば、もう十四時が過ぎていた。
 
「すみません、そろそろ帰らないと。また明日よろしくお願いします」
「あぁ、ごめんなさいね。引き留めちゃって。神崎さん、これからもどうか続けて来てね。明日からもよろしく」
「お疲れ様でしたぁ」
 
 浅野師長は懇願するような目でこちらを見て、井川は手を振りながら愛想の良い挨拶をした。

 事務長や事務員達にもきちんと挨拶をしてから、ロッカーの荷物を取り出して休憩室を後にする。やはりユニフォームのまま帰宅するのはまだ慣れない。


 職員駐車場へと向かい車に乗り込むと、昨日見上げた窓へと目を向けた。
 けれども今日はそこに誰の姿も無く、ただポッカリと黒い四角の空間があるだけだった。





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