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11. 遠夜の思い

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「どうだった?」
「弥兵衛は喜んでいただろう?」
「あんまり喜んで、また倒れちまうんじゃないか?」

 先程目の当たりにした親子の再会に複雑な思いを抱える遠夜が母屋から店の方へと戻ると、それまでうどんを食べたり談笑していた客達が口々に尋ねて来る。

 誰が見ても外見が恐ろしいあやかしや物怪も、ここに居る者達は皆、天涯孤独の遠夜にとっては家族のようなものだった。

「弥兵衛さんははじめ、娘さんを見ても太三郎さんが化けているんじゃないかと、ひどく疑っていたよ」

 皆一様に心配そうな表情をした客達の優しさに、自然と面の裏側で笑みが浮かんだ遠夜は、ふふふと笑い声を上げる。

 実は少し前に中風を患って身体が不自由になった事で、元気が無くなってしまった弥兵衛を励まそうと、この店の古くからの常連である屋島の太三郎狸が娘達に化けたのだ。
 太三郎狸は産土神よりも一足先に三姉妹の様子を見に行き、その目にしっかりと姿を焼き付けてから戻って来た。
 それで落ち込んだ弥兵衛の前に百合や椿や美桜の姿で順繰りに現れたのだった。

「そうか。屋島の太三郎狸は日本一の変化狸だが、やはり本物には敵わなかったか」
「それにしても、弥兵衛の末娘はえらく痩せていたが、それでも美しい面立ちだったなぁ」
「三姉妹全員がべっぴんらしいがなぁ」
「あんなに美しい顔をしていたら、そこかしこから嫁の貰い手があるだろうに」

 口々に話し始めた客達の言葉には答えることなく、遠夜はグラグラと湯が沸く厨房に立ち、いそいそとうどんを作り始める。
 美桜をここまで連れて来てくれた山の主やお付きの猪達のうどんを作ってやらねばならぬからだ。

 けれども遠夜自身が打った麺がグラグラと沸く湯の中で縦横無尽に泳ぐ姿を見つめているうちに、つい先程店に現れた美しい人間の娘の事を考えてしまう。

 艶々とした黒髪にほんの少し青白い透き通るような肌、控えめに掛けられた声は鈴の音のように愛らしかった。
 そして何よりも、自身の着物が汚れる事を厭わずに父親に駆け寄り、しっかりと支える優しさが美しいと思った。

「人間の娘とは、皆あのように美しいのだろうか」

 遠夜は意図せずそう口にしていた。

「それならば、血も涙も無い牛鬼である父が人間の母との間に私をもうけた事も合点がいく。あのように美しい者が居れば、誰だって欲しいと思うだろう」

 かつて人を襲い、家畜を襲い、村々を恐怖に陥れたあやかし牛鬼。
 その倅である遠夜は、山田蔵人によって角を失った牛鬼が命からがら逃げ出した先で見つけた、天女のような美しさの人間の娘との間に出来た子である。

 遠夜の母は遠夜を産んですぐに亡くなった。そして父である牛鬼は、初めて愛した相手が亡くなった悲しみに耐えられず、二人が出会った不動の滝に身体を投じて死んだ。

 たった一人、不動の滝の頂上にポツンと残された遠夜はまだ赤子で、その泣き声を聞きつけた熊野権現に住む古狸が保護したのだった。
 そうして遠夜は巡り巡って牛鬼と旧知の仲だった産土神やその他のあやかし達の手によって育てられ、ある時牛鬼の角が納められている場所……この青峰山へと戻って来たのである。

「牛鬼の倅よ、我らも流石に腹が減ったぞ」

 物思いに耽っていた遠夜の意識を浮上させたのは、いつの間にやら近くに立っていた山の主だった。
 少なく見積もっても百年は生きていると思われるその山の主、今は人間に近い姿形をしているが、本来ならこの店よりも大きな身体をしている。

「あ……すみません。すぐに」

 遠夜が慌てて茹で上がったうどんを湯から上げ、山から引いた湧水にさらしていると、山の主がさも面白そうに笑う。

「くくくく……。美桜とかいうあの娘、ひどく痩せてはいるが顔立ちは美しいだろう? 産土神がこの店の看板娘にあれを選んだのは正解だったな。きっと娘見たさに今よりもっと客が増えるだろう」
「山の主様、店は私一人でも平気です。あの娘に店の手伝いをさせるというのは産土神が勝手に決めた事で、私は承知していません」
「おや? あの娘、お前は気に入らなかったか? もう少し肥えれば、まるで天女のように美しい娘になるだろう」
「……っ、そういう事ではなく!」

 うどんを作る手を止めずに山の主の言葉へ応戦する遠夜は、美桜を見て初めて感じた自分の気持ちに戸惑っている。
 
 店を訪れるのはあやかしや物怪ばかりだから、遠夜は生まれて初めて本物の人間の女を目にしたのである。
 そのせいで苦しいくらいに胸が高鳴り、どうしようもないくらいに頬が熱くなってしまうのだと自分に言い聞かせる。
 何事も、初めての事は緊張するではないかと。

「産土神はあの娘とお前を何としてでも夫婦にするつもりだぞ」
「……勝手な事を」
「弥兵衛はあの身体だ、まだまだ自由に動けぬだろう。弥兵衛の世話をさせるという口実であの娘を連れて来たが、それだけでは無い事くらい皆分かっている」

 丼に出汁を注ぐ遠夜の手が小さく震えているのを見て、山の主はますます笑みを深める。百年をゆうに超える時を生きている癖に、その顔は若々しい人間の男の姿だった。
 そう、ちょうど遠夜と同じくらいの年頃の。

「美桜さんの気持ちも考えず、勝手な事をしないでください」

 うどんを作り終えた遠夜が、そのようにはっきりと口にするのを聞いた山の主は、逞しい身体をふるふると震わせながら笑いを堪えている。

か。お前はまんざらでも無いという事だな」
「そんな事は……っ」
「ほらほら、うどんは貰ってゆくぞ」

 言葉を詰まらせ顔を真っ赤にした遠夜をその場に置き去りにして、山の主は盆に乗せられたうどんを悠々と運んで行った。

 

 
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