此処は讃岐の国の麺処あやかし屋〜幽霊と呼ばれた末娘と牛鬼の倅〜

蓮恭

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18. 産土神の知るところ

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 口にしてみれば急に情けなくなって、堪えられなくなった美桜はとうとう途中から嗚咽を漏らしてしまう。
 そしてそれが刺激となったのか、急に持病の咳が引き起こされてしまった。しかも、近頃では一番の発作である。

「ごほ……っ、ゴホゴホッ! このような……咳も……ゴホッ!」

 美桜はとても立っていられなくなって、その場に座り込む。咳の合間にヒューヒューと喉が鳴り、胸が痛い。涙が眦から零れ落ち、頬を濡らす。
 止めたくても止められない。あんまり苦しくて、目の前が暗くなってきた。

 やっかいな病に冒されている自分を、産土神や遠夜がどんな風に思うだろうか。
 滲む視界とぼんやりする頭で、やけに遠くに聞こえる声を聞く。

「美桜! さあ、これを」

 そう言って産土神が何やら顔の前に差し出して来ているようだが、続くひどい咳と止まらぬ涙で、美桜にはそれが何なのかははっきり分からない。

「しっかりと、この煙を吸ってみろ」

 産土神に言われるがまま、美桜は必死で息を吸う。

「そうじゃ。よぉく吸い込めば、段々と楽になるからのぅ」

 言われた通りにすると、確かに喉が詰まったような息苦しさや咳が改善されてくる。
 しばらくするとかなり呼吸が楽になった美桜は、段々と意識もはっきりとして来た。

「美桜さん……」

 そこでやっと厨房に居たはずの遠夜が自分のすぐ近くに居る事に気付いた美桜は、涙でぐちゃぐちゃになってしまった顔を隠すようにして縁台に突っ伏す。

 ひどい顔を遠夜に見られるのが恥ずかしかった。

「はぁ……はぁ……もう……大丈夫……です」

 顔を隠したまま掠れた声でそう伝えると、遠夜と産土神が揃って安堵のため息を吐き出した。

「良かった。もしもの時の為に懐に入れておいたんじゃ。こうもすぐに役立つとは思わなんだがのぅ」
「ああ、本当に良かった。ところで産土神、それは何だ?」

 顔を上げる機会を失ってしまった美桜は、そのまま息を整えつつすぐ近くに居る二人の会話に耳を澄ませる。

「これか? これはのぅ、弥兵衛から美桜さんの病について聞いてワシが取り寄せた、特別な丸薬じゃよ」
「特別な丸薬? そんな物を用意していたのか」
「本来は口から飲む物じゃが、咳き込んで飲めない時にはこうして熱すれば煙になって効く。今日はこれを渡そうと思って来たところが、早速役立って良かったわい」

 そう言ってから産土神は、いつかのようにカッ、カッ、カッ、カッ! と喉の奥から笑い声を上げる。

「美桜さん、大丈夫ですか?」

 そっと遠慮がちに美桜の背を撫でながら、遠夜が声を掛けてきた。美桜の身体がぴくりと震える。
 
 何だかとても恥ずかしい。遠夜はただ咳き込んだ美桜を心配して背中を摩ってくれているというのに、触れられている所が熱く感じてしまう。

 醜く濡れた顔を見られたくなくて、美桜は着物の袂でそっと涙を拭ってから顔を上げた。

「もう大丈夫です。すみません」
「良かった。きっと私が初日から無理をさせてしまったせいです。美桜さんの手際の良さに甘えてしまって、頼り過ぎてしまいました」
「そんな事はありません。元々こういう性質なのです。私の方こそ、お見苦しい所をお見せしてしまいました」
「美桜さん……」

 未だ縁台のそばにしゃがみ込んだままの美桜の顔のすぐ近くに、遠夜の被る牛の頭蓋骨の面がある。こんなに近くに寄ったのは初めての事だった。
 
 何となしに穴の開いた目の部分へ美桜の視線が向くと、人と同じ形をした遠夜の瞳に自分の姿が映っているのが見えた。

「も、もう大丈夫です! 産土神様も、ありがとうございました!」

 居た堪れなくなり思わずガバリと立ち上がった美桜は、思った以上に大きな声で礼を述べてしまったのが恥ずかしくなって、カァーッと一気に頬が熱くなる。

「おお、元気になったのなら良かった。この丸薬は美桜に渡しておこう。毎日は飲まなくて良い。咳がひどい時、息が苦しい時だけ使うんじゃ」

 紙に包まれた丸薬を美桜に手渡すと、産土神は同じような物を遠夜にも渡した。
 遠夜はそれを大切そうに受け取る。

「念の為遠夜にも。もしも今度美桜が動けなくなったら、遠夜が使ってやるんじゃぞ」
「分かった」

 真剣な声、そしてしっかりと頷く遠夜を見ているうち、美桜は何故かとても気恥ずかしい気持ちになる。
 そんな美桜の胸の内に気付いたのか気付かないのか、産土神は皺だらけの顔に満足げな笑みを浮かべていた。
 
「こんな貴重な物を……本当にありがとうございます」
「なぁに、構わん構わん。美桜にはこの店の看板娘としてこれからも頑張って貰わねばな。それより美桜、お前はもっと肥えねばならんぞ。病に立ち向かえるくらい、体力を付けるようにな」
「はい。すみません」
「謝る事はない。これまで美桜が置かれてきた生活を、ワシは全て知っておる」

 思いがけない産土神の言葉に驚いた美桜は、ヒュッと息を呑む。
 未だ丸薬の独特の香りが鼻の中に残っていた。

「忘れたのか? ワシは産土神じゃぞ。ワシが守護するあの土地で起きた事は誰よりも知っておる。その上でワシは美桜をここへ呼んだのじゃからな」
 

 
 
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