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20. 遠夜の背負う罪
しおりを挟む罪人という恐ろしい言葉に、真面目で素直な美桜は自然と身体を硬くする。
「はい。私は人喰い牛鬼……人間にとってみれば恐ろしく、悪行名高いあやかしの息子です。罪人の息子は罪人でしか無い。父親の罪業は、私が一生背負っていくべきものなのです」
一気に重たくなった空気とは裏腹に、いりこ出汁の良い香りが二人をふんわりと包み込んでいた。
先程まではすぐ近くに感じていた遠夜の存在が、今は美桜の手が届かない程遠くにあるような気がする。これまでで一番真剣な声色をした遠夜の告白に、美桜は何も言えないでいた。
「私は人間ではありません。あやかしと人間の合いの子。どちらでも無く、半端で、不完全な者。そんな私は、本来なら生き延びるべきでは無かった。牛鬼と共に死ぬべきだったんです」
ああ、これが遠夜が常に卑屈な発言をする理由だったのか、と美桜は思う。
この半月、遠夜は何かにつけて自分を卑下し、必要以上に謙遜し、己を低く見積もる言葉を口にした。
美桜は自分もそう出来が良い方では無いと思っていたので、そんな遠夜に親近感さえ湧いていたのだけれど。実は二人には思った以上に大きな隔たりがあったのだ。
「それが何の因果か生き延びてしまった。産土神に育てられているうち、私は死ぬ事すら許されなかったのだと思って、生きて罪を背負う覚悟をしました。この命が尽きるまで、誰かの為になる事をしようと思ったのです」
美桜は産土神から聞いていた話を思い出す。遠夜は人間が美味い美味いと口にするうどんを是非食べてみたいというあやかしや物怪達の為に、この麺処あやかし屋を開いたのだ。
単なる優しさだけでは無かった。遠夜はもっと根深い信念に則ってこの店を守っている。
「他人に優し過ぎて……自分には優しく出来ない……」
あの日産土神が言っていた事を、美桜は口の中で小さく小さく復唱する。
「それでも時々、あんまり皆と過ごすのが楽しくて、自分が人喰い牛鬼の倅だという事を忘れそうになる時があるのです。絶対に忘れてはならないのに。だから産土神に頼んで、この面を作ってもらいました」
遠夜はトントンと麺を切る手を止めずに語り続ける。一方の美桜は身体が石のように硬くなって、その場から動けないでいた。
今の今まで、美桜は牛鬼というあやかしがどういうものか、漠然とした噂でしか知らなかったのだ。かつて人を困らせたあやかしだとしか聞いていない。
人喰いと聞いて、か弱い人間の娘である美桜が恐ろしさを感じない訳がなかった。
身体を硬くし、青褪めた美桜を見た遠夜は、フッと短く息を吐き出すように笑う。それが美桜にはまるで胸を斬り付けられたかのように切なくて、寂しい笑い声に思えた。
「皆は牛鬼が人を喰うなんて有り得ない、と庇ってくれました。私もそう信じたかった。豪快な性格の父は元々あやかしの友が多かったそうですから、彼らは幼い私を不憫に思ったのでしょうね」
「それじゃあ……本当は……牛鬼は人を食べたりしていないのでは。何かの間違いだとか……」
やっと口を開く事が出来た美桜は掠れた声で訴える。親の罪をたった一人で背負い、償おうとしている遠夜を前にして、そう言わずにはいられなかった。
たった半月とはいえ、美桜は遠夜の優しさを十分に知っていたから。
「いいえ。ある時父が急に人が変わったようになり、あやかし達の前から姿を消した時期があるそうです。その頃に多くの人間が攫われ、行方知れずになったと聞いています」
「それは……誰から?」
美桜が尋ねると、遠夜はおもむろに自分の顔を覆い隠す牛の頭蓋骨の面に手をやる。
「こうして……」
ゆっくりと、焦ったい程に時間をかけて面を外していく。
戒めでもあり、お守りのようでもあったこの面無しに美桜の顔を真っ直ぐに見るのは、遠夜にとってかなりの勇気が要る事だったのかも知れない。
「この面を外して、私自身が旅人を装って各地の集落に出向き、牛鬼の被害について尋ねて周りました。幸いにも、私の外見は人間である母の血を濃く受け継いだので」
そうしてやっと遠夜が顔を全て露わにしたちょうどその時、いつの間にやら地平線から顔を覗かせていたお天道様の光が、格子を通して店内へと射し込んで来た。
あまりの眩しさに美桜は目を細め、片手で顔に掛かる朝日を遮る。
流石にこの時ばかりは美桜も、いつもは有難いお天道様の明るい光を、疎ましいとさえ思ってしまった。
「眩しい……」
美桜はそろそろと横へ足を踏み出し、朝日が視界を遮らない場所までの僅かな距離を移動する。
面を外し、その素顔を晒した遠夜がどんな表情をしているのか美桜には未だ分からないままだが、きっとひどく悲しそうな顔をしているのだろうと思った。
早く、早く何か声を掛けてあげないとと思うのに、朝日を直に目にした美桜の眼は、遠夜の素顔をなかなか捉える事が出来ない。
「実は、こうして面を外した顔を他人に見せるのは、牛鬼の話を聞きに集落を訪ねた時ぶりです」
それだけ言って、格子から射し込む朝日に目が眩んだ美桜の目が慣れるまで、遠夜はじっと待っている。
美桜には長い長い時間のようにも思えるが、実際のところはほんの短い間の出来事だった。
「遠夜……さん」
何度も瞬きを繰り返し、やっとの事で視界のギラつきが治った美桜は、そこで初めて遠夜の素顔を目にしたのだった。
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