此処は讃岐の国の麺処あやかし屋〜幽霊と呼ばれた末娘と牛鬼の倅〜

蓮恭

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25. 産土神からの頼み事

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 何となくギクシャクしたまま一日が終わった。母屋に戻って弥兵衛の部屋を訪れた美桜は、目に見えて落ち込んでいる。

「美桜、一体どうしたって言うんだ? つい朝方は元気だったのに、何でそんなに落ち込んじまったんだよ?」
「おととさん……」
「いいから、おととさんに話してみろ。五体不満足だが、こう見えて頭はしっかりしてるんだ。お前の悩みくらい、ちゃあんと聞いてやれるさ」

 弥兵衛はぶらりと垂れた片腕をもう片方の腕で引き寄せると、美桜の話を真面目に聞く姿勢になった。
 美桜は弥兵衛の言葉に目を潤ませ、ポツリポツリと事情を語り始めたのである。

「なんだってぇ⁉︎」
「しっ! おととさん! 声が大きい」
「す、すまねぇ。しかしそりゃあ、驚いて声も大きくなるわなぁ。けれどまぁ、そうか、お前が遠夜さんをなぁ。それで遠夜さんが困っちまったようだと」
「うん。遠夜さんは何事も無かったかのようにしているけれど、何だか避けられているみたい」

 父親に面と向かって自分の初恋について告げるのは気恥ずかしかったが、此処には頼れる百合も居ない。相談出来る身内は、弥兵衛しか居ないのだ。

「ううーん。遠夜さんの態度はそのうち直るだろう。今は急な事で驚いてるだけじゃねえか」
「それならいいのだけど」

 美桜は弥兵衛に遠夜への気持ちを話しただけで無く、産土神から聞いた事と自分の決意を洗いざらい話した。

「それで、本当に牛鬼の角を取りにお寺へ行くのか? もしもそれが、遠夜さんにとって辛い結果になっても」
「大丈夫。きっと大丈夫だと、信じているから」
「しかしなぁ、牛鬼が人を喰ってたって話は有名だぞ。幸いにもオラ達の集落では被害は無かったが、赤子やごく小さい子ども、年寄りばかりが狙われていたって」

 実はあの夜産土神が美桜に頼んだのは、弥兵衛も病弱な美桜の為に目指した場所……ここ青峰山にある千手観音像が祀られている千手院へ行き、山田蔵人が切り落として奉納したという牛鬼の角を取って来るという事。
 
 その角に残された牛鬼の記憶を辿ってみれば、牛鬼が本当に人を喰らっていたのか、はたまたそうたまとしたら何か事情があったのかが分かると言うのだ。

「だけども、まさか産土神様と千手観音様が仲違いしてるとは、我々人は誰も知らなんだなぁ」

 美桜にだって何が原因かは分からないが、昔々産土神と千手観音は大きく仲違いしたようだ。
 それからいくら産土神が千手観音に牛鬼の角を渡せと言っても梨の礫で、そもそも産土神だけでなくあやかしや物怪も千手院に立ち入る事が出来なくなってしまったらしい。

「こんなの、誰にでも話せる事では無いでしょう。だから産土神様は私に命じられたの。私に千手観音様を説得するように、と」
「だが菩薩様がそう簡単に人間の言葉を聞き入れてくれるか? しかも美桜が産土神様の手の者だと分かって、尚更まともに話を聞いてくれるとは思えねぇぞ」
「だけど、やるしか無いの。暗く沈んだ遠夜さんの心を晴らすには、牛鬼が人を食べていないのだと証明するしか方法が無いのよ」
「産土神様は、本当に牛鬼が人を喰ったりなんかしてねぇって言ってたんだな?」
「うん。産土神様だって他のあやかし達だって、何度も遠夜さんにそう言ったけれど、牛鬼が行方知れずになっていた時期の事は分からないだろうって遠夜さんに言われて……」

 ある時急に住処の洞穴から姿を消した牛鬼は、友の目を盗むようにして人を喰らい、村人を困らせた。
 そしてしばらくしてまたこの山へ戻った牛鬼は何処からともなく人間の女を連れて来て、人が変わったように長年の友との付き合いを切り、洞穴で静かに暮らしていたという。

「だから奉納されている牛鬼の角に残された記憶を見るしか、その時に一体何があったのかを知る術が無いの。たとえそれが悲しい結果になったとしても、私はこれからもずっと此処で遠夜さんを支えてゆきたい」

 目の前に居るのが本当にあの引っ込み思案で常に自信が無く、痩せっぽっちで儚かった末の娘だろうかと弥兵衛は思う。
 
 三姉妹のうちで一人だけ病弱で、片親になった自分が死ぬまで守ってやらねばと、これまで大事に大事にしてきた末娘がこうも変わってしまった。
 弥兵衛は目頭が燃えるように熱くなり、堪え切れない涙がボロボロと頬を伝って着物へ染みを作る。

「おととさん」
「美桜……美桜……そこまでお前が言うんだったら、好きにすりゃあいい。いくら産土神様と仲違いしている菩薩様だって、お前のその強い気持ちを真っ直ぐに伝えりゃあ、ちっとは耳を傾けてくれるだろうよ」
「もう、泣かないで、おととさん」
「そうは言ったって、こりゃ無理だぁ……泣いちまうよぉ」

 再会した時と同じように美桜は父親の身体を抱きすくめ、何度も何度も背中を摩った。

「近々遠夜さんにお休みを貰って、千手院へ行くつもりよ。近くまでは産土神様も付いてきてくださるそうだから」
「そうか。山は足場が悪いからな、気をつけて行くんだぞ」
「うん。でも……もし本当に牛鬼が人を食べていなかったのだとしたら、攫われて居なくなったと言われる人達はどこへ行ったのかしら」

 耳元で呟かれる美桜の疑問にふと弥兵衛は心当たりを覚えたが、自分が実際のところを目にした訳でも無く、思い浮かんだ惨い事実を娘に伝える勇気は無かったのだった。

 

 

 
 
 

 
 
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