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47. 美桜と弥兵衛の思い
しおりを挟む家に戻った弥兵衛は近所の者達と久々の再会を喜んだ。
そして弥兵衛と共に戻って来た美桜を見て、あまりの変貌ぶりに皆が驚き、しばらくは近所中で様々な噂が行き交ったのだった。
「今日なんかよぅ、あの無口な五兵衛さんまでもが『美桜がお殿様に見初められたって本当か』って聞いてくるもんだから、笑っちまったよ。噂ってやつは勝手に独り歩きするもんだなぁ」
山を下りてひと月近く。弥兵衛は自分なりに今の身体でも出来る方法を工夫しながら、日頃の家事や畑仕事にも精を出している。
「お殿様だなんて。どうしてそんな話になったのかしら?」
今晩は美桜が一人で打ったうどんを前にしながら、美桜と弥兵衛は親子の会話を交わしていた。
同じ太さに切るのがまだ美桜には難しく、ところどころ太い麺もあるが、それでも美味しそうなしっぽくうどんが出来上がっている。
「さあなぁ。皆好き勝手に噂してるから、段々と話が大きくなっちまってるんだろうよ」
「それにしてもお殿様だなんて、そんな訳が無いのに」
「ははは! 美桜があんまり別嬪さんになったから、皆びっくりしてんだよ。おらが『美桜はもうすぐうどん屋へ嫁ぐんだ』と話したら、『どこの店か教えろ』とうるさい。だから『城下町にある美味いうどん屋だよ』と答えておいた」
「そんな嘘を言って大丈夫なの?」
美桜が作ったしっぽくうどんをズルズルと啜りながら、弥兵衛はうんうんと頷いて見せる。
「どうせここいらの奴らは遠く離れた城下町になんて、死ぬまで行く事も無ぇからな。遠夜さん達に迷惑をかけねぇ為には、こういう人を傷つける事の無い嘘ってやつも時には必要なんだよ」
そう言って弥兵衛は麺を啜った後に具材へと箸を伸ばし、よく煮込まれた大根を口に放り込んでから満足げに笑う。
この大根は五兵衛という近所に住む老爺が分けてくれた物だった。
「うんうん、まるであやかし屋のうどんみてぇに美味いな」
「良かった。やっぱり一人でうどんを打つのは大変だったの。でも、美味しいのなら作った甲斐があったわ」
弥兵衛の感想を聞いてから、美桜もうどん鉢に手を伸ばす。
中には細い麺や太い麺が混じっているものの、捻れたうどんは美桜が一生懸命に打って伸ばした証だった。
「なぁんも目新しい話題が無い集落だからな、おら達に関する噂が皆の娯楽の一つになってるのさ。そのうち飽きてまた別の話題になるだろうよ」
「そうね。私が明日、山へ戻ったら尚更でしょう」
「ああ、そうか。とうとう明日か……」
ほんの少し弥兵衛が寂しそうな表情を浮かべたので、美桜は胸がキュッと締め付けられるような感覚を覚える。
前は百合と椿と美桜と暮らしていたこの家に、これからは弥兵衛一人で暮らすのだ。
寂しくない訳がない。
「でもあんなにあやかしや物怪達が、次々におととさんの顔を見に来てくれるとは思わなかったわ。まだ山から下りてひと月だというのに、皆おととさんと話したくて堪らないみたいね」
「おらと居て何が面白れぇのかは分からねぇが、おかげで美桜が戻っても退屈しなさそうだ」
昼間弥兵衛が一人の時にこっそり姿を見せるあやかしや、夜になって家の方を訪ねてくるあやかしもいる。
どのあやかしも他愛もない会話をするだけで満足したのか、また何処かへと戻って行った。
「あやかしや物怪も、本当は人間ともっと話をしてみたいのさ。大昔より人間の数が増えた事もあって、奴らとおら達の住処はどんどん重なってきてる。いつかはお互い仲良くして共存出来る日がくるといいがなぁ」
「うん。そうだといいけれど」
人間の数が増え、生活圏もどんどんと広がっている。大昔はあやかしや物怪達だけの領域だった場所にも、知らずに人間が足を踏み入れる事が増えたのだという。
ほとんどのあやかしや物怪は人間に深刻な害を及ぼすような者達では無いので、彼らだけでも人間と共存出来れば良いのにと弥兵衛は語る。
もちろん中には人間に牙を剥く者達も居るので、そう簡単には解決しない問題だろうが。
「奴らの方は人間を認知して時には領域を侵され困っているのに、多くの人間は奴らの方を見えず聞こえず知らないまま。いつかおらが奴らと人間の架け橋になれたらいいと思っているが……。それを望まぬあやかしや物怪も居るだろうなぁ」
弥兵衛は眉尻を下げ、困ったように笑う。難しい問題に美桜も何と言ったら良いか分からず、曖昧な笑みを浮かべたまま囲炉裏の縁を見つめていた。
「ま、当面のおらがするべきは、他人様に迷惑かけずに自力で暮らしていく事だ。大それた事を考えたって、今すぐ答えなんか出ねぇよな。だから美桜も、自分の幸せをとにかく守れ。遠夜さんと二人で皆が集まるあの店を、しっかりと守っていくんだぞ」
そう言って弥兵衛は美桜の返事も待たずに残りのうどんをずるずると啜り、その後は何も言わなくなってしまった。
美桜は少々冷めかけたしっぽくうどんを口にしながら、弥兵衛が発した言葉について考える。
あやかしや物怪達のように特別な力も無く、ちっぽけな存在でしかない人間の自分達に出来る事は限られているのだ。
確かに美桜だって麺処あやかし屋で働くうちに思った事や、身近な者達との触れ合いの中で、人間として考えさせられる事は多々ある。
弥兵衛のようにこうなればいいのにという理想はあれど、それも人間である自分の勝手な押し付けでしか無いような気がして、口にするのが正しいかどうかさえ分からないでいた。
遠夜達に出会わなければ、きっとこのような事に心を悩ませる事も死ぬまで無かっただろう。
あやかしや物怪達が人間に関する話を口にする度、知ってしまった限りは、人間である自分が何か行動しなければならないような気がしてしまうのだ。
「ああ、美味かった! 美桜、今晩は明日に備えて早く寝ろよ」
突然明るい声を上げた弥兵衛にハッとさせられ、いつの間にやら考えに沈んでいた美桜は、残りのうどんを手早く食べ終えた。
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