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8. 初登場、衝撃の彼ら

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 赤井さんと抱擁しあって散々泣いてから、またこれからも仲良くしようねと言い合って職場を後にした。
 一度に色んな事を詰め込み過ぎた私の頭は、徒歩で帰宅しつつ事態を整理するのに必死だ。
 
 それでも今の状況から逃げ出す事なく積極的に受け入れようとしているところは、さすが楽天家というべきか。
 
 または妖怪という存在が身近にあった事を、実は喜んでいるのかも知れない。
 アパートの鍵がぶら下がっているアマビエのキーホルダーを、肩に提げたトートバッグから出してじっと見つめた。
 おばあちゃんから話を聞いて育ってから、ずっと憧れていた妖怪との関わりが今現実になっている。
 
「人と変わらないんだよね」
 
 優しく指導してくれる同僚達、部下を気に掛けてくれる上司、嬉しい事があると笑ってお礼を言う利用者さん達。
 どうやら時々妖怪独特の個性が出ちゃうみたいだけど、そんなの人間だって色々な人がいるのと同じで。
 
「今のところ嫌な目にあったりも無いしね。赤井さんだって浴槽を綺麗にしてくれているわけだし……」
 
 それでもちょっとやっぱりあの場面はやはり衝撃的だった。
 今度からなるべく見ないように気をつけよう。
 
「よし! 私は今まで通り頑張って仕事をするぞ! ……ん?」
 
 周囲に誰もいない事をいいことに、大きな独り言を呟いてエイエイオーとばかりに右手を天に突き上げたところで異変に気付く。
 突然目の前に人が立っていたのだ。

 いつの間に? さっきの独り言を聞かれたかな?

 そう思って恥じらいながら視線をその人の顔の方へと向けると、本来あるべき所に目も鼻も口も無い。
 いわゆるのっぺらぼうで、ついでにいそいそと服まで脱ぎ始めたではないか。
 
「え、え、え……」
 
 私の身体は硬直して金縛りにあったように動けない。
 目の前ののっぺらぼうはどんどん服を脱ぎ、とうとうスッポンポンになった。
 うまい具合に下腹部を隠しつつ服を脱ぐその職人技に、驚きつつも感心していると突然四つん這いになり目の前にプリンと綺麗な肌色の尻を突き出した。

「ひ……っ」
 
 強制的に視線に入れられた尻の割れ目、その排泄に使う穴があるはずのところには、キラリと光る大きな一つ目が!

 その一つ目が何かをアピールするように、パチパチと瞬きしている様を見て恐怖が迫り上がってくる。
 叫びたいのにヒュッと喉を空気が通るだけで声が出ない。
 その間もこちらへ見せつけるように尻の一つ目はパチパチと光っている。
 
「香恋様!」
 
 突然ガバリと抱きすくめられ、頭の上から声がした。
 
「尻目! この人を驚かすなど許さんぞ! 去れ!」
 
 ああ、貧乏神だ。

 目の前にある藍色の着物に安心感を抱いてしまったのは、きっと恐怖心が強かったからだ。
 決して助けられて抱きすくめられて、女子が憧れるシチュエーションだからといって好きになったりなどしていない。
 
「香恋様、大丈夫ですか?」
 
 先程の厳しい声音とはうってかわって、穏やかで優しく心地よい声で自分の名を呼ぶ貧乏神に、ドキリとしたのはきっと気のせいだ。
 さっきの変態が怖すぎて、まだ心臓が落ち着いていないだけに違いない。
 
「大丈夫……」
「あぁ、まだ怖いのですね。声が震えていますよ」
 
 それは胸がドキドキし過ぎているからだとは口が裂けても言いたくない。
 この胸のドキドキ……それも致し方あるまい、今は顔が見えないけれど私を抱くのはドストライクなイケメンだと知っているのだから。
 
「貧乏神、ありがとう。もう大丈夫だから」
 
 そう答えると、藍色の着物がゆっくりと視線から遠のいていく。
 それが少し残念に思ったのも、きっと吊り橋効果ってやつに違いない。
 
「香恋様のお帰りが遅かったので、心配になってこちらへ向かっていたところだったのです」
「そうなんだ。ありがとう、助かったよ」
 
 貧乏神からスッと差し出された手のひらは、手を繋ごうという意思表示なのか。
 確かに少し怖かったので、そっとその手を握ってみた。
 すると目に見えてホッとした表情になった貧乏神は、拒絶されるのを恐れていたのかも知れない。
 長い指は優しく私の手を包み込んで、私と貧乏神は人気のない道を並んで歩いた。
 
「ねえ、そういえば貧乏神って服を着替えたり出来るの?」
「出来ますよ。今のところ他の服を持っていませんが」
「洋服あった方がいいよね、買い物行くにしても目立っちゃうから」
「確かにそうですねぇ。そのせいか、ジロジロ見られる事は多いです」
「それはイケメンだからだと思うけど」
 
 ポツリポツリと貧乏神と話しながら歩いた。

 服を買わないとなぁとか、前髪も長めだから髪の毛も少し切った方がいいのかなとか、そんな事を考えているうちにすぐにアパートに到着した。
 昭和チックなアパートの赤い外階段を上がり、二〇四号室の扉の前で鍵を取り出す。
 アマビエのキーホルダーがチャリっと鳴った。
 
「あ、そういえば焦って出たので鍵を掛けていませんでした」
「そっか、大丈夫でしょ、少しの間だったし……」
 
 ガチャリと鍵の掛かっていない扉を開けると、まだ家具も少なく生活感の少ない部屋に誰かが立っていた。
 部屋の電気が点いていないから、共用廊下からの灯りで照らされたシルエットがやけに不気味だ。
 
「あやまれ……あやまれ……」
 
 長い髪を靡かせたその人は、そんな事を呟きながら昨日買ったばかりの炊飯器(広告の品)を置いた辺りでゴソゴソしている。
 
「誰?」
 
 人間、混乱すると案外普通のセリフしか出てこない。

 私の小さな呟きを拾ったらしく、貧乏神が後方から部屋の中を覗いたのが分かった。
 背中に貧乏神の身体が密着して、こんな時なのにドキリとする。
 
「ああっ! 二口女!」
 
 貧乏神が叫ぶのと同時に私は反射的に電気のスイッチをパチリと押した。
 
 玄関入ってすぐのところにある台所、その天井から吊り下げられたレトロなオレンジ色のペンダントライトが、パッパッと数度点滅してから辺りを照らすと、赤いワンピースを着た長い髪の美しい女性がいた。
 
「あやまれ……あやまれ……」
 
 そう呟くのは女性の後頭部のほとんどを占めるほどに大きい口で、長い髪の毛を使ってどんどん炊飯器の中のご飯が後頭部の口によって食べられていく。
 美しい顔の方はというと、多分貧乏神が作ってくれていたのであろう何らかのおかずをどんどん口に運んでいる。

 なるほど、後頭部でご飯を食べて顔の方でおかずを食べるのかと妙に納得しながら目の前の衝撃的な光景から目が離せずにいる。
 
「こら! これは香恋様の……!」
「貧乏神! もういいよ」
「ですが……!」
 
 二口女は私達の声に反応して、じっとこちらを窺いながらも二つの口はしっかりとモグモグ咀嚼している。
 
「子どもがお腹を空かせてるんだよね」
 
 私がそう話しかけると、二口女はきょとんとした顔になった後にそおっと食べるのをやめた。

 そして掠れたような小さな声で「ごめん」と言った後にシュルシュルと髪の毛を短くして近寄ってくる。
 貧乏神が私を守るようにして二人で扉から離れると、二口女はペコリと会釈をして部屋から出て行ってしまった。
 その顔は何だか罰が悪いような人間味のある表情だったのが印象的で。
 
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