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1巻
1-3
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三枚目以降もリヒードは、ときに簡潔に、ときに長いお世辞を添えて、手紙を書いていった。
やがて数通の手紙が出来上がると、何か問いたげにしているミケーネをそのままにして、今度は庭に出る。そして杖で地面に魔法陣を書くと、その陣に向かって魔力を込め始めた。
最後に陣の端を杖で一突きすると、そこを起点にして膨大な光の奔流が溢れ出す。
それが収まると、陣の中心にはなんと巨大なドラゴン……ではなく、とても大きな鳥が翼を広げ、リヒードを見下ろしていた。
「ひさしぶりに普通の魔法で呼び出されたな。何か用事か、我が主」
「うむ、ひさしぶりだ、ムク。今回はちょっと手紙を運んでほしくてな」
喋る巨大な鳥、ムクにミケーネが呆気に取られている間にも、主従の会話は進む。
「おいおい、私を伝書鳩か何かと勘違いしているのか」
「そんなことはないぞ。行ってほしいのは魔族領と精霊郷、あと厄介なところに住んでいる友人のところと、居場所もわからない奴のところなど、とにかく危険な場所が多いのだ。ムクの他に誰を頼れというのだ」
「ほ、ほほう。それならば仕方ないな、私以外では、たとえドラゴンでも困難だろうからな!」
ムクはそう言って胸を張る。
そんなムクの首に、リヒードは手紙が入った籠を下げた。
「もう既にこの世にいない奴もいるかもしれないから、そのときはその土地の偉そうな奴に署名をもらってきてくれ。何人分か集まったころには、多分僕はここにはいないだろうから、探して持ってきてくれ」
「まったく、我が主はワガママだな。まぁ、褒美を期待して行ってくるとしよう」
そう言うとムクは羽ばたき、瞬く間に視界から消えていった。
ミケーネは、一連の流れを呆然と眺めていた。
こうして、物語で歌われる、勝利を運ぶ鳥、凶鳥、神の使い、世界を救う鳥、空の王、その他様々な呼び名のある鳥が、主のために世界各地に手紙を運ぶこととなったのである。
第二章 魔法使いと魔法学校
それから数日後、ミケーネの長期休暇も終わりに近づいてきた。
その間、魔法学校まで一緒に付いていくというリヒードを、ドルインが引きとめる一幕があった。
ドルインの熱心な誘いにミケーネとイリーネは最初驚いたが、容姿を変えるという離れ技をやってしまう魔法使いを手元に置きたいのだろうと解釈した。
実際リヒードが小さくなったことに、ミケーネを除くミカルーネ家の人々は様々な反応を見せたが、一番興味を示していたのはドルインであった。
しかしリヒードは、ドルインの勧誘にもまったく動じなかった。普通の人ならば、領主に望まれれば断ることなど考えられないのだが、リヒードは一切のためらいもなく断った。
魔法以外のことには、とことん興味が薄いのだ。
そうして、ミケーネが学校に戻る日になった。
ハイフが操る馬車にリヒード、ミケーネ、アリュが乗り込み、ミカルーネ家の面々に見送られて王都へ向かう。
リヒードは常にハイテンションでミケーネと魔法談義をし、アリュはそれを見守っている。
途中で何度か村や町に立ち寄ると聞いて、リヒードのテンションはうなぎのぼりだ。
「このあたりも様変わりしているからな! 何か面白い物があればいいな! 旨い物でもいいな!」
少年姿のリヒードは嬉しそうに話す。
傍若無人でどこか胡散臭いところのあるリヒードに、いい印象を持っていなかったアリュも、大人姿のときとは違うその幼い笑顔に次第に態度を軟化させていった。
ミケーネもまた、同い年くらいの見た目になったリヒードに少し戸惑っていたものの、すぐに違和感を感じなくなった。
そんな一行が乗った馬車は、ミケーネが通う魔法学校のある王都に向かい、ひた走る。
途中の町では、いろいろな物に興味を持ち疑問をぶつけてくるリヒードに、ミケーネがその都度説明をし、アリュが甲斐甲斐しく二人の世話をした。
ハイフも、リヒードと食べ比べをしたり、宿の部屋も一緒ということで、次第に仲良くなっていった。
一行は特にトラブルもなく、順調に王都への道を行く。
ロンクス王国は大陸の東側の大国ではあるが、そのさらに東には人族以外の種族の領地が広がっている。
ロンクス王国の初代王は、ロンクスやその周辺に住む他種族、例えば亜人族や魔人族、精霊族、その他様々な種族の橋渡し的役割を担うことで信頼を勝ち取り、大陸の東に強大な国を作った。その建国には、不老不死の魔法使いも関わっていたりする。
そうして代々のロンクス王は、大陸東の纏め役として尽力し、あたり一帯の平穏を守ってきた。
そのため他国とは違い、人族と他種族の関係は良好であり、治安もいい。
よって旅が順調なのは、当たり前なのであった。
しかし、何事にも例外はあった。
馬が嘶き、急に馬車が止まる。ひどく揺れたはずみでアリュの膝にリヒードが座り、ミケーネもまたアリュの腕に抱きつく形になってしまう。
二人に密着されたアリュは、気を使いつつも鋭く警戒する。
「前のほうで、誰か争ってる、ます」
「ハイフ、もう実家ではないのだから、いつもどおりでいいのよ」
ハイフの慣れない敬語にミケーネがフォローを入れる。
「わかった」
それに安心したように頷くハイフ。
ハイフは山奥で寡黙な祖父と生活していた影響で、どうにも話すことが苦手である。
ハイフの祖父はハイフに生きる術を教えた。狩りの仕方、人との戦い方、弓の扱い、剣の扱い、様々な技術をハイフに仕込んだのだ。
祖父が病で死んだ後、ハイフは遺言に従い外の世界に旅に出た。
人付き合いなどまったくしたことのなかったハイフは、行く先々で騙され、祖父の残してくれた財産もすぐに底をついてしまった。
しかし、元々自給自足の生活をしていたハイフにとっては、人の世界で生活できなくなっても、山に入ればいいだけである。
そこに水があり、動物がいれば、ハイフは生きていけた。
そんな生活も少しずつ変化し、ハイフは獲った動物の肉や毛皮を売ることでお金を手に入れ、そのお金で必要な物を買うということができるようになっていった。
そしてあるとき、ミケーネの父、ドルインが魔物の群れに襲われていたところを、偶然森で狩りをしていたハイフが助けた。魔物を追い払った後、お礼の食事に釣られてミカルーネ家の敷居を跨いだハイフは、気づいたらミケーネの護衛になっていたのだ。
そんな生い立ちのせいか、ハイフは気配に敏感で、実際見えていなくとも争いごとが起きていると、感覚でそれがわかるという特技を持っている。
それを知っているミケーネとアリュは、ハイフの言葉に何の疑いも持たなかった。
「どうしますか、お嬢様」
アリュは答えのわかりきった質問を、自分の主である心優しい少女にする。
アリュは、ロンクス王国の出身ではない。遠方にある、人族が支配する国で生まれた。そこでは、他種族はひどい差別を受けていた。
そしてアリュはハーフだった。人族の父と亜人族の母。二人の恋はまさに禁断であった。
その国では、人と亜人が子をなすことは重罪であった。
あるときアリュの存在が露見し、両親が処刑されてしまう。アリュは、養護施設とは名ばかりの暗殺者養成施設に入れられ、そこで厳しい訓練を受けた。
その幼さを武器にするために、ある程度の訓練が終わると、育てられた子供たちは各地に放たれた。
アリュは東の大国、人族と他種族が共存する忌むべき国、ロンクス王国へと送り込まれた。
ターゲットはロンクス王国の王都にいる貴族であったが、そもそも捨て駒として使われる子供に、潤沢な資金や十分な旅の支度をさせるわけもない。当然アリュの旅は長く険しいものとなった。
そして、やっとロンクスの王都に辿り着いたアリュだったが、いざ実行するとなると二の足を踏んでしまう。迷っているうちに元々少なかった路銀も底をつき、空腹が限界に達した。
何度かその身体能力を生かして市場で盗みを働いたアリュだったが、とうとう捕まりひどい折檻を受けることとなった。
殴られ、蹴られ続けて意識を手放そうとしたとき、アリュは忠誠を誓う唯一の主に出会ったのだった。
まだ幼かった主ミケーネは、執事を連れてその過剰な暴力に敢然と立ち向かった。
ミケーネの一言によってミカルーネ家万能執事であるバールトンが動き、全てが解決した。
その後は、意識を失ったアリュをバールトンが運んだ。万能たる執事はその身体付きから、アリュの事情を察した。
すぐに主であるドルインと相談し、アリュはバールトンの養女として教育されることとなった。数年後、彼女は自分の意志でミケーネ付のメイドとなり、今に至る。
そんなアリュは自分の主が、こういうときどうするか、よく知っていた。
「すぐに向かいましょう」
ミケーネがそう言うと、アリュは驚いてハイフに目配せをした。
こういうときは、ハイフが動くというのがいつもの流れだった。ミケーネはその間おとなしく待っていて、アリュはその護衛として残る。しかし、ミケーネが今回は一緒に行くと言う。
いつもと違うおかしな主に戸惑う二人。
そして今日は、常時おかしな人間も馬車にいた。
「ふうむ。急がないとまずそうだな、囲まれているぞ」
「仕方ありません、お嬢様は私から離れないでください。ハイフは先行してちょうだい」
まるで見えているかのように状況を口にするリヒードに、アリュが判断を下す。
ハイフは短く返事をすると馬車から飛び降り、姿勢を低くして、音を立てずに走っていった。
アリュは馬車を道の脇の木に繋ぐと、ハイフを追うように、しかしミケーネを連れているため、いつもより幾分ゆっくりと走る。
ハイフと共に飛び出したリヒードは一瞬でハイフを引き離し、尋常ではないスピードで駆けていった。
「正直、リヒード様がいれば、私たちは馬車で待っていてもいい気がします」
「けど、もしものことがあるかもしれないでしょう。それに私は回復魔法も得意なのよ」
あっという間に小さくなっていくリヒードの後ろ姿に、アリュが走りながら呆れたように感想を述べ、それにミケーネが応える。
リヒードなら回復どころか蘇生すらできそうだな、という感想が口から出そうになるのを押しとどめ、アリュは前を見据え走った。
ミケーネとアリュが現場に着くと、そこではいかにも盗賊といった感じの男たちが気絶し、中央にはリヒードとハイフが立っていた。
ミケーネとアリュが追いつく少し前。
まさに襲撃真っ最中の現場にいち早く辿り着いたリヒードは、小さい身体になってからは取り回しが難しくなった杖で進路上にいた男を殴り飛ばした。その先では、少女が魔法を駆使して賊を牽制していた。
「すみません、助かります」
少女は、その整った顔立ちによく似合うかわいらしい声でリヒードに礼を言った。
少女の頬には、長く伸ばした銀髪が汗で張りつき、呼吸も荒い。
おそらく相当無理をして魔法を行使し、身体に負担がかかっているのだろうと、リヒードは当たりをつける。そして、そんな状態でも少女が冷静に状況を見極め、突然の乱入者を即座に救援だと判断したことに感心した。
「おいおい、獲物が二人に増えたぜ」
「そっちの少年も高く売れそうだな」
「仲間の頭をかち割った代償は高いぞ!」
賊たちは少年が一人加わったくらいでは引く気はないらしく、手に持った剣をかざして叫ぶ。
それに対してリヒードは、歓喜溢れる表情で杖を掲げた。
「く、くふふ」
賊たちの耳には届かなかったようだが、銀髪少女にはその気持ちの悪い笑い声が聞こえたようだ。驚いたようにリヒードを見る。
「くははははは! とうとうこの時が来た!」
リヒードのテンションが一気にマックスになる。ミケーネから習った魔法を実践できる機会を得て浮かれているのである。
すでに少女のことなど眼中にない。身の丈より長い杖に魔力を集め、ぶつぶつと詠唱を開始する。
賊たちは、突然高笑いをし魔法を使おうとするリヒードに驚き慌て、すぐにその手に持つ曲刀で切りかかる。しかし、リヒードの魔法のほうが早く完成した。
「はーはっはっは! 灰になれぇぇぇ!!」
物騒な台詞と共に、本当に灰にならないように手加減した炎の魔法が出現する。
その魔法はベテラン魔法使いなら詠唱すら必要としない、簡単な魔法だったが――出現した数と威力がおかしかった。
きっちり賊の数の倍だけ火の玉が浮かび上がり、振り下ろされる刃目がけて飛んでいく。
刀はリヒードの魔法によって溶解していき、賊たちは慌ててそれを投げ捨てた。
その間に、リヒードは風の簡単な魔法を完成させると、彼らの腹部を目がけて放つ。
賊たちはあっけなく倒れていった。
「ふぅむ。やはり、今の攻撃魔法はどちらかというと数撃つタイプだな。連射とか同時撃ちがしやすい代わりに、一撃が軽い」
「あ、あの。助けてくださって、ありがとうございます」
リヒードが実戦での使用感についてあれこれ考えていると、横から声がかかった。
「む? ……おお! なに、気にするな。こちらとしてもいい経験になった」
少女の存在をすっかり忘れていたリヒードは、ごまかすように笑う。
「リヒードっ、大丈夫、か!?」
追いついてきたハイフが、息を切らしながら問いかけた。
「ああ、大丈夫だとも。むしろなかなか有意義な時間だった」
「そう、か。けど、危ないところに、一人で先に行くな、心配する」
友達思いのハイフが言う。
「うむ、気をつけよう」
「あの、仲間の方ですか?」
リヒードが口だけの反省をしたところで、再び隣から声がかかった。
「ん? ああ。僕はリヒード、こっちはハイフだ」
リヒードの紹介に、ハイフが軽くお辞儀をした。
「私の名前はリトリスといいます。危ないところを助けていただきありがとうございます」
礼儀正しくお礼を言う少女に、リヒードは疑問を口にする。
「小さいのにしっかりしているな。しかし、いくらしっかりしているからといって君のような少女が、こんなところを一人で歩くのはいただけない」
「一応あなたと同じくらいの年だと思うのですが。しかし、確かに一人歩きはあまりよくないようですね、気をつけます」
リトリスがしっかり反省したところで、ミケーネたちが追いついてきた。
ミケーネは、その少女に見覚えがあった。
同じ学校の同じ学年の生徒だったからだ。
突出した魔法の腕と、小柄な体型、人形のように整った容姿は、学生たちの興味を引くには十分すぎるものであり、少女は学校の有名人だった。
大商人の娘であることもあり、彼女と良好な関係を築きたいと思う人間は多い。しかしリトリスはそのほとんどを袖にしていた。
そのせいで彼女は学校では浮き気味だった。だが、そういったところにミケーネは興味を持っていたのだ。
「えっと、みなさんお怪我はありませんか?」
リトリスがいることに、若干戸惑いながらもミケーネが問いかける。
「ミケーネさんのお連れの方でしたか。助かりました」
そんなミケーネに、リトリスが礼を言う。
「あ、はい。リトリスさんもご無事なようで何よりです」
ミケーネは、自分の名前を呼ばれたことに驚きながらも返事をする。
本人に自覚はないが、ミケーネの魔法の腕もなかなかのものである。
なにより、ロンクス王国でも大領を預かる貴族の娘である。本人が思っている以上に名前は売れている。
「ふむ、知り合いかね」
「あ、はい。学校の同級生なんです」
「なるほど、それでは帰る途中なのではないかね?」
リヒードは、リトリスに向かい質問をする。
「はい、ちょうど遺跡から王都に帰るところです」
「遺跡か! 古代の魔法にはロマンがあるな!」
遺跡とは、遥か昔にあった、魔法によって発達した高度な文明時代の建物などの総称である。
そこから発見される魔法技術は古代魔法と言われる。現代とはまったく違うその技法は、リヒードが根絶やしにした魔法よりもさらに昔のもので、研究者でもなかなか解き明かせない謎が詰まっていた。
攻撃魔法でいえば、消費が大きく威力が高いものが多い。そのため、その文明時代の人々は魔力の保持量が今よりもかなり多かったのではないかと推察されている。
「遺跡に興味がおありですか?」
リトリスが目を輝かせてリヒードに問う。
「それはもう、なみなみとあるとも」
リヒードの目にも怪しい光が灯る。二人はしばし見つめ合った。
リトリスは古代魔法に傾倒していた。その大砲主義に、すっかり惚れ込んでしまったのだ。
日夜古代魔法の勉強をし、初めての長期休暇には両親に内緒で王都近郊の遺跡に出かけるほどである。
魔法学校には同好の士がなかなかおらず、つきまとってくるのは上っ面だけの者たち。いい加減嫌気が差していたのだ。
そこに古代魔法に理解のありそうなリヒードが現れた。しかも同級生の関係者ということもあって、リトリスはかなり嬉しそうである。
「あなたとは話が合いそうです」
「うむ、是非魔法談義をしたいものだな」
二人は意気投合し、怪しく笑い合う。
その光景を見て、残されたミケーネ、アリュ、ハイフは顔を見合わせるのだった。
ミケーネが怪しく笑う二人の間に割って入り、王都まで一緒に行かないかと誘ったところ、最初リトリスは遠慮していた。しかし、「野垂れ死なれても後味が悪いし、一緒に来ればいい。まあ、僕も世話になっている身だがね!」というリヒードの言葉によって、結局リトリスも一行に加わることになった。
王都へ向けて馬車はひた走る。
馬車の中では魔法使いの卵と、魔法学校入学希望者がそれぞれ自分の境遇を話していた。
「賊にこの長期休暇で覚えた古代魔法を撃とうとしたら、魔力が足りなくて不発に終わってしまって……焦りました」
何故あそこまで賊に追い詰められていたのか。そう尋ねたリヒードに、リトリスが返した答えがそれだ。
「ふむ、どんな魔法を使おうとしたのだ?」
リトリスは見ただけでも、相当な魔力を保有していることがわかる。
そのリトリスが何の効果も得られず、不発に終わったという魔法にリヒードは興味を持った。
「これです」
リトリスはカバンから紙束を出して、リヒードに魔法の術式を見せる。
それを見ていたミケーネは、目を見張った。
魔法研究者は、ここ二百年の間にかなり秘密主義になってきていた。
かつて魔法書が何者かによって買い占められ、魔法技術の継承が途絶えた。そのため残った技術を守ろうと過剰に神経質になったのである。
よって他人に自分の研究成果を見せることなどまずないのだが、リトリスはリヒードを気に入ったらしく、簡単にそれを見せている。
「どれどれ」
リヒードが紙束を受け取り、ミケーネも彼の肩越しに紙束を見る。
しかしミケーネには、そこに書かれていることのほとんどが理解できなかった。
困ったようにリヒードを見るミケーネ。しかしそのリヒードの顔は段々険しくなっていく。
やがて紙束をリトリスに向けて差し出すと、受け取ろうとして身を乗り出した彼女の頭目がけてゲンコツを降らせた。
「これが本来の威力で発動してたらあの一帯は更地になっていたぞ!? そうでなくとも、下手に失敗してたら術者ごと吹っ飛んでたかもしれん!」
そのカミナリに御者をしていたハイフも驚き、馬車が蛇行する。
しかしそれにも気づかないくらい、馬車の中の皆も驚いていた。
ミケーネとアリュはいつも変だが怒ったところなど見たことがなかったリヒードの怒りと、その原因となった魔法の威力に唖然とする。
「け、けど、遺跡にはそんなこと書いて……」
リトリスは痛む頭を押さえ、しどろもどろになりつつも反論する。
リトリスは、優等生ゆえに親からですらほとんど怒られたことがないのだ。
それが今日初めて知り合った同い年くらいの男の子に怒られている。頭に走った痛みよりも混乱のほうが大きかった。
そんなリトリスに、リヒードは容赦なく声を張り上げる。
「あいつらが常識的な尺度を持っているはずがないだろう! あいつらの『ちょっと危険かも?』は『かなり危険』だ、覚えておけ!」
リトリスは、古代文字をある程度読めたが、その意味の微細な解釈まではできなかった。
そのため、遺跡に書かれていることが言葉どおりの意味ではないということがしっかりわかっていなかったのだ。
「今回は誰も被害にあってないからよかったが、もう少し遺跡について勉強をして、慣れるまでは周囲に影響の及ばないところで古代魔法を練習するべきだな」
「はい……」
俯くリトリスに少し言いすぎたかとリヒードは思い、フォローするように付け足す。
「ま、まぁ、僕も今度練習に付き合おう」
「本当ですか!?」
リトリスが凄い勢いで顔を上げ、きらきらした目でリヒードを見る。
「あ、ああ」
その立ち直りの早さに、リヒードも若干戸惑う。
リトリスは自分より知識がありそうなリヒードに教えてもらえるということで、怒られたショックもどこへやらだ。
嬉しそうにするリトリスは、さっそく古代魔法の疑問点などをリヒードに矢継ぎ早に質問する。
リヒードも何だかんだと的確にその質問に答える。
その様子を見て、ミケーネとアリュ、御者台からちらちらと車内を見ていたハイフは安心した。
だが、それもつかの間、すぐに仲良く会話する二人に、少しつまらなそうな顔を向けるのだった。
「む、少し止めてくれ」
王都へ向かう馬車の中から、リヒードの声が上がる。
何の前触れもなく声をかけられたので、ハイフはやや慌てて馬車を止めた。
やがて数通の手紙が出来上がると、何か問いたげにしているミケーネをそのままにして、今度は庭に出る。そして杖で地面に魔法陣を書くと、その陣に向かって魔力を込め始めた。
最後に陣の端を杖で一突きすると、そこを起点にして膨大な光の奔流が溢れ出す。
それが収まると、陣の中心にはなんと巨大なドラゴン……ではなく、とても大きな鳥が翼を広げ、リヒードを見下ろしていた。
「ひさしぶりに普通の魔法で呼び出されたな。何か用事か、我が主」
「うむ、ひさしぶりだ、ムク。今回はちょっと手紙を運んでほしくてな」
喋る巨大な鳥、ムクにミケーネが呆気に取られている間にも、主従の会話は進む。
「おいおい、私を伝書鳩か何かと勘違いしているのか」
「そんなことはないぞ。行ってほしいのは魔族領と精霊郷、あと厄介なところに住んでいる友人のところと、居場所もわからない奴のところなど、とにかく危険な場所が多いのだ。ムクの他に誰を頼れというのだ」
「ほ、ほほう。それならば仕方ないな、私以外では、たとえドラゴンでも困難だろうからな!」
ムクはそう言って胸を張る。
そんなムクの首に、リヒードは手紙が入った籠を下げた。
「もう既にこの世にいない奴もいるかもしれないから、そのときはその土地の偉そうな奴に署名をもらってきてくれ。何人分か集まったころには、多分僕はここにはいないだろうから、探して持ってきてくれ」
「まったく、我が主はワガママだな。まぁ、褒美を期待して行ってくるとしよう」
そう言うとムクは羽ばたき、瞬く間に視界から消えていった。
ミケーネは、一連の流れを呆然と眺めていた。
こうして、物語で歌われる、勝利を運ぶ鳥、凶鳥、神の使い、世界を救う鳥、空の王、その他様々な呼び名のある鳥が、主のために世界各地に手紙を運ぶこととなったのである。
第二章 魔法使いと魔法学校
それから数日後、ミケーネの長期休暇も終わりに近づいてきた。
その間、魔法学校まで一緒に付いていくというリヒードを、ドルインが引きとめる一幕があった。
ドルインの熱心な誘いにミケーネとイリーネは最初驚いたが、容姿を変えるという離れ技をやってしまう魔法使いを手元に置きたいのだろうと解釈した。
実際リヒードが小さくなったことに、ミケーネを除くミカルーネ家の人々は様々な反応を見せたが、一番興味を示していたのはドルインであった。
しかしリヒードは、ドルインの勧誘にもまったく動じなかった。普通の人ならば、領主に望まれれば断ることなど考えられないのだが、リヒードは一切のためらいもなく断った。
魔法以外のことには、とことん興味が薄いのだ。
そうして、ミケーネが学校に戻る日になった。
ハイフが操る馬車にリヒード、ミケーネ、アリュが乗り込み、ミカルーネ家の面々に見送られて王都へ向かう。
リヒードは常にハイテンションでミケーネと魔法談義をし、アリュはそれを見守っている。
途中で何度か村や町に立ち寄ると聞いて、リヒードのテンションはうなぎのぼりだ。
「このあたりも様変わりしているからな! 何か面白い物があればいいな! 旨い物でもいいな!」
少年姿のリヒードは嬉しそうに話す。
傍若無人でどこか胡散臭いところのあるリヒードに、いい印象を持っていなかったアリュも、大人姿のときとは違うその幼い笑顔に次第に態度を軟化させていった。
ミケーネもまた、同い年くらいの見た目になったリヒードに少し戸惑っていたものの、すぐに違和感を感じなくなった。
そんな一行が乗った馬車は、ミケーネが通う魔法学校のある王都に向かい、ひた走る。
途中の町では、いろいろな物に興味を持ち疑問をぶつけてくるリヒードに、ミケーネがその都度説明をし、アリュが甲斐甲斐しく二人の世話をした。
ハイフも、リヒードと食べ比べをしたり、宿の部屋も一緒ということで、次第に仲良くなっていった。
一行は特にトラブルもなく、順調に王都への道を行く。
ロンクス王国は大陸の東側の大国ではあるが、そのさらに東には人族以外の種族の領地が広がっている。
ロンクス王国の初代王は、ロンクスやその周辺に住む他種族、例えば亜人族や魔人族、精霊族、その他様々な種族の橋渡し的役割を担うことで信頼を勝ち取り、大陸の東に強大な国を作った。その建国には、不老不死の魔法使いも関わっていたりする。
そうして代々のロンクス王は、大陸東の纏め役として尽力し、あたり一帯の平穏を守ってきた。
そのため他国とは違い、人族と他種族の関係は良好であり、治安もいい。
よって旅が順調なのは、当たり前なのであった。
しかし、何事にも例外はあった。
馬が嘶き、急に馬車が止まる。ひどく揺れたはずみでアリュの膝にリヒードが座り、ミケーネもまたアリュの腕に抱きつく形になってしまう。
二人に密着されたアリュは、気を使いつつも鋭く警戒する。
「前のほうで、誰か争ってる、ます」
「ハイフ、もう実家ではないのだから、いつもどおりでいいのよ」
ハイフの慣れない敬語にミケーネがフォローを入れる。
「わかった」
それに安心したように頷くハイフ。
ハイフは山奥で寡黙な祖父と生活していた影響で、どうにも話すことが苦手である。
ハイフの祖父はハイフに生きる術を教えた。狩りの仕方、人との戦い方、弓の扱い、剣の扱い、様々な技術をハイフに仕込んだのだ。
祖父が病で死んだ後、ハイフは遺言に従い外の世界に旅に出た。
人付き合いなどまったくしたことのなかったハイフは、行く先々で騙され、祖父の残してくれた財産もすぐに底をついてしまった。
しかし、元々自給自足の生活をしていたハイフにとっては、人の世界で生活できなくなっても、山に入ればいいだけである。
そこに水があり、動物がいれば、ハイフは生きていけた。
そんな生活も少しずつ変化し、ハイフは獲った動物の肉や毛皮を売ることでお金を手に入れ、そのお金で必要な物を買うということができるようになっていった。
そしてあるとき、ミケーネの父、ドルインが魔物の群れに襲われていたところを、偶然森で狩りをしていたハイフが助けた。魔物を追い払った後、お礼の食事に釣られてミカルーネ家の敷居を跨いだハイフは、気づいたらミケーネの護衛になっていたのだ。
そんな生い立ちのせいか、ハイフは気配に敏感で、実際見えていなくとも争いごとが起きていると、感覚でそれがわかるという特技を持っている。
それを知っているミケーネとアリュは、ハイフの言葉に何の疑いも持たなかった。
「どうしますか、お嬢様」
アリュは答えのわかりきった質問を、自分の主である心優しい少女にする。
アリュは、ロンクス王国の出身ではない。遠方にある、人族が支配する国で生まれた。そこでは、他種族はひどい差別を受けていた。
そしてアリュはハーフだった。人族の父と亜人族の母。二人の恋はまさに禁断であった。
その国では、人と亜人が子をなすことは重罪であった。
あるときアリュの存在が露見し、両親が処刑されてしまう。アリュは、養護施設とは名ばかりの暗殺者養成施設に入れられ、そこで厳しい訓練を受けた。
その幼さを武器にするために、ある程度の訓練が終わると、育てられた子供たちは各地に放たれた。
アリュは東の大国、人族と他種族が共存する忌むべき国、ロンクス王国へと送り込まれた。
ターゲットはロンクス王国の王都にいる貴族であったが、そもそも捨て駒として使われる子供に、潤沢な資金や十分な旅の支度をさせるわけもない。当然アリュの旅は長く険しいものとなった。
そして、やっとロンクスの王都に辿り着いたアリュだったが、いざ実行するとなると二の足を踏んでしまう。迷っているうちに元々少なかった路銀も底をつき、空腹が限界に達した。
何度かその身体能力を生かして市場で盗みを働いたアリュだったが、とうとう捕まりひどい折檻を受けることとなった。
殴られ、蹴られ続けて意識を手放そうとしたとき、アリュは忠誠を誓う唯一の主に出会ったのだった。
まだ幼かった主ミケーネは、執事を連れてその過剰な暴力に敢然と立ち向かった。
ミケーネの一言によってミカルーネ家万能執事であるバールトンが動き、全てが解決した。
その後は、意識を失ったアリュをバールトンが運んだ。万能たる執事はその身体付きから、アリュの事情を察した。
すぐに主であるドルインと相談し、アリュはバールトンの養女として教育されることとなった。数年後、彼女は自分の意志でミケーネ付のメイドとなり、今に至る。
そんなアリュは自分の主が、こういうときどうするか、よく知っていた。
「すぐに向かいましょう」
ミケーネがそう言うと、アリュは驚いてハイフに目配せをした。
こういうときは、ハイフが動くというのがいつもの流れだった。ミケーネはその間おとなしく待っていて、アリュはその護衛として残る。しかし、ミケーネが今回は一緒に行くと言う。
いつもと違うおかしな主に戸惑う二人。
そして今日は、常時おかしな人間も馬車にいた。
「ふうむ。急がないとまずそうだな、囲まれているぞ」
「仕方ありません、お嬢様は私から離れないでください。ハイフは先行してちょうだい」
まるで見えているかのように状況を口にするリヒードに、アリュが判断を下す。
ハイフは短く返事をすると馬車から飛び降り、姿勢を低くして、音を立てずに走っていった。
アリュは馬車を道の脇の木に繋ぐと、ハイフを追うように、しかしミケーネを連れているため、いつもより幾分ゆっくりと走る。
ハイフと共に飛び出したリヒードは一瞬でハイフを引き離し、尋常ではないスピードで駆けていった。
「正直、リヒード様がいれば、私たちは馬車で待っていてもいい気がします」
「けど、もしものことがあるかもしれないでしょう。それに私は回復魔法も得意なのよ」
あっという間に小さくなっていくリヒードの後ろ姿に、アリュが走りながら呆れたように感想を述べ、それにミケーネが応える。
リヒードなら回復どころか蘇生すらできそうだな、という感想が口から出そうになるのを押しとどめ、アリュは前を見据え走った。
ミケーネとアリュが現場に着くと、そこではいかにも盗賊といった感じの男たちが気絶し、中央にはリヒードとハイフが立っていた。
ミケーネとアリュが追いつく少し前。
まさに襲撃真っ最中の現場にいち早く辿り着いたリヒードは、小さい身体になってからは取り回しが難しくなった杖で進路上にいた男を殴り飛ばした。その先では、少女が魔法を駆使して賊を牽制していた。
「すみません、助かります」
少女は、その整った顔立ちによく似合うかわいらしい声でリヒードに礼を言った。
少女の頬には、長く伸ばした銀髪が汗で張りつき、呼吸も荒い。
おそらく相当無理をして魔法を行使し、身体に負担がかかっているのだろうと、リヒードは当たりをつける。そして、そんな状態でも少女が冷静に状況を見極め、突然の乱入者を即座に救援だと判断したことに感心した。
「おいおい、獲物が二人に増えたぜ」
「そっちの少年も高く売れそうだな」
「仲間の頭をかち割った代償は高いぞ!」
賊たちは少年が一人加わったくらいでは引く気はないらしく、手に持った剣をかざして叫ぶ。
それに対してリヒードは、歓喜溢れる表情で杖を掲げた。
「く、くふふ」
賊たちの耳には届かなかったようだが、銀髪少女にはその気持ちの悪い笑い声が聞こえたようだ。驚いたようにリヒードを見る。
「くははははは! とうとうこの時が来た!」
リヒードのテンションが一気にマックスになる。ミケーネから習った魔法を実践できる機会を得て浮かれているのである。
すでに少女のことなど眼中にない。身の丈より長い杖に魔力を集め、ぶつぶつと詠唱を開始する。
賊たちは、突然高笑いをし魔法を使おうとするリヒードに驚き慌て、すぐにその手に持つ曲刀で切りかかる。しかし、リヒードの魔法のほうが早く完成した。
「はーはっはっは! 灰になれぇぇぇ!!」
物騒な台詞と共に、本当に灰にならないように手加減した炎の魔法が出現する。
その魔法はベテラン魔法使いなら詠唱すら必要としない、簡単な魔法だったが――出現した数と威力がおかしかった。
きっちり賊の数の倍だけ火の玉が浮かび上がり、振り下ろされる刃目がけて飛んでいく。
刀はリヒードの魔法によって溶解していき、賊たちは慌ててそれを投げ捨てた。
その間に、リヒードは風の簡単な魔法を完成させると、彼らの腹部を目がけて放つ。
賊たちはあっけなく倒れていった。
「ふぅむ。やはり、今の攻撃魔法はどちらかというと数撃つタイプだな。連射とか同時撃ちがしやすい代わりに、一撃が軽い」
「あ、あの。助けてくださって、ありがとうございます」
リヒードが実戦での使用感についてあれこれ考えていると、横から声がかかった。
「む? ……おお! なに、気にするな。こちらとしてもいい経験になった」
少女の存在をすっかり忘れていたリヒードは、ごまかすように笑う。
「リヒードっ、大丈夫、か!?」
追いついてきたハイフが、息を切らしながら問いかけた。
「ああ、大丈夫だとも。むしろなかなか有意義な時間だった」
「そう、か。けど、危ないところに、一人で先に行くな、心配する」
友達思いのハイフが言う。
「うむ、気をつけよう」
「あの、仲間の方ですか?」
リヒードが口だけの反省をしたところで、再び隣から声がかかった。
「ん? ああ。僕はリヒード、こっちはハイフだ」
リヒードの紹介に、ハイフが軽くお辞儀をした。
「私の名前はリトリスといいます。危ないところを助けていただきありがとうございます」
礼儀正しくお礼を言う少女に、リヒードは疑問を口にする。
「小さいのにしっかりしているな。しかし、いくらしっかりしているからといって君のような少女が、こんなところを一人で歩くのはいただけない」
「一応あなたと同じくらいの年だと思うのですが。しかし、確かに一人歩きはあまりよくないようですね、気をつけます」
リトリスがしっかり反省したところで、ミケーネたちが追いついてきた。
ミケーネは、その少女に見覚えがあった。
同じ学校の同じ学年の生徒だったからだ。
突出した魔法の腕と、小柄な体型、人形のように整った容姿は、学生たちの興味を引くには十分すぎるものであり、少女は学校の有名人だった。
大商人の娘であることもあり、彼女と良好な関係を築きたいと思う人間は多い。しかしリトリスはそのほとんどを袖にしていた。
そのせいで彼女は学校では浮き気味だった。だが、そういったところにミケーネは興味を持っていたのだ。
「えっと、みなさんお怪我はありませんか?」
リトリスがいることに、若干戸惑いながらもミケーネが問いかける。
「ミケーネさんのお連れの方でしたか。助かりました」
そんなミケーネに、リトリスが礼を言う。
「あ、はい。リトリスさんもご無事なようで何よりです」
ミケーネは、自分の名前を呼ばれたことに驚きながらも返事をする。
本人に自覚はないが、ミケーネの魔法の腕もなかなかのものである。
なにより、ロンクス王国でも大領を預かる貴族の娘である。本人が思っている以上に名前は売れている。
「ふむ、知り合いかね」
「あ、はい。学校の同級生なんです」
「なるほど、それでは帰る途中なのではないかね?」
リヒードは、リトリスに向かい質問をする。
「はい、ちょうど遺跡から王都に帰るところです」
「遺跡か! 古代の魔法にはロマンがあるな!」
遺跡とは、遥か昔にあった、魔法によって発達した高度な文明時代の建物などの総称である。
そこから発見される魔法技術は古代魔法と言われる。現代とはまったく違うその技法は、リヒードが根絶やしにした魔法よりもさらに昔のもので、研究者でもなかなか解き明かせない謎が詰まっていた。
攻撃魔法でいえば、消費が大きく威力が高いものが多い。そのため、その文明時代の人々は魔力の保持量が今よりもかなり多かったのではないかと推察されている。
「遺跡に興味がおありですか?」
リトリスが目を輝かせてリヒードに問う。
「それはもう、なみなみとあるとも」
リヒードの目にも怪しい光が灯る。二人はしばし見つめ合った。
リトリスは古代魔法に傾倒していた。その大砲主義に、すっかり惚れ込んでしまったのだ。
日夜古代魔法の勉強をし、初めての長期休暇には両親に内緒で王都近郊の遺跡に出かけるほどである。
魔法学校には同好の士がなかなかおらず、つきまとってくるのは上っ面だけの者たち。いい加減嫌気が差していたのだ。
そこに古代魔法に理解のありそうなリヒードが現れた。しかも同級生の関係者ということもあって、リトリスはかなり嬉しそうである。
「あなたとは話が合いそうです」
「うむ、是非魔法談義をしたいものだな」
二人は意気投合し、怪しく笑い合う。
その光景を見て、残されたミケーネ、アリュ、ハイフは顔を見合わせるのだった。
ミケーネが怪しく笑う二人の間に割って入り、王都まで一緒に行かないかと誘ったところ、最初リトリスは遠慮していた。しかし、「野垂れ死なれても後味が悪いし、一緒に来ればいい。まあ、僕も世話になっている身だがね!」というリヒードの言葉によって、結局リトリスも一行に加わることになった。
王都へ向けて馬車はひた走る。
馬車の中では魔法使いの卵と、魔法学校入学希望者がそれぞれ自分の境遇を話していた。
「賊にこの長期休暇で覚えた古代魔法を撃とうとしたら、魔力が足りなくて不発に終わってしまって……焦りました」
何故あそこまで賊に追い詰められていたのか。そう尋ねたリヒードに、リトリスが返した答えがそれだ。
「ふむ、どんな魔法を使おうとしたのだ?」
リトリスは見ただけでも、相当な魔力を保有していることがわかる。
そのリトリスが何の効果も得られず、不発に終わったという魔法にリヒードは興味を持った。
「これです」
リトリスはカバンから紙束を出して、リヒードに魔法の術式を見せる。
それを見ていたミケーネは、目を見張った。
魔法研究者は、ここ二百年の間にかなり秘密主義になってきていた。
かつて魔法書が何者かによって買い占められ、魔法技術の継承が途絶えた。そのため残った技術を守ろうと過剰に神経質になったのである。
よって他人に自分の研究成果を見せることなどまずないのだが、リトリスはリヒードを気に入ったらしく、簡単にそれを見せている。
「どれどれ」
リヒードが紙束を受け取り、ミケーネも彼の肩越しに紙束を見る。
しかしミケーネには、そこに書かれていることのほとんどが理解できなかった。
困ったようにリヒードを見るミケーネ。しかしそのリヒードの顔は段々険しくなっていく。
やがて紙束をリトリスに向けて差し出すと、受け取ろうとして身を乗り出した彼女の頭目がけてゲンコツを降らせた。
「これが本来の威力で発動してたらあの一帯は更地になっていたぞ!? そうでなくとも、下手に失敗してたら術者ごと吹っ飛んでたかもしれん!」
そのカミナリに御者をしていたハイフも驚き、馬車が蛇行する。
しかしそれにも気づかないくらい、馬車の中の皆も驚いていた。
ミケーネとアリュはいつも変だが怒ったところなど見たことがなかったリヒードの怒りと、その原因となった魔法の威力に唖然とする。
「け、けど、遺跡にはそんなこと書いて……」
リトリスは痛む頭を押さえ、しどろもどろになりつつも反論する。
リトリスは、優等生ゆえに親からですらほとんど怒られたことがないのだ。
それが今日初めて知り合った同い年くらいの男の子に怒られている。頭に走った痛みよりも混乱のほうが大きかった。
そんなリトリスに、リヒードは容赦なく声を張り上げる。
「あいつらが常識的な尺度を持っているはずがないだろう! あいつらの『ちょっと危険かも?』は『かなり危険』だ、覚えておけ!」
リトリスは、古代文字をある程度読めたが、その意味の微細な解釈まではできなかった。
そのため、遺跡に書かれていることが言葉どおりの意味ではないということがしっかりわかっていなかったのだ。
「今回は誰も被害にあってないからよかったが、もう少し遺跡について勉強をして、慣れるまでは周囲に影響の及ばないところで古代魔法を練習するべきだな」
「はい……」
俯くリトリスに少し言いすぎたかとリヒードは思い、フォローするように付け足す。
「ま、まぁ、僕も今度練習に付き合おう」
「本当ですか!?」
リトリスが凄い勢いで顔を上げ、きらきらした目でリヒードを見る。
「あ、ああ」
その立ち直りの早さに、リヒードも若干戸惑う。
リトリスは自分より知識がありそうなリヒードに教えてもらえるということで、怒られたショックもどこへやらだ。
嬉しそうにするリトリスは、さっそく古代魔法の疑問点などをリヒードに矢継ぎ早に質問する。
リヒードも何だかんだと的確にその質問に答える。
その様子を見て、ミケーネとアリュ、御者台からちらちらと車内を見ていたハイフは安心した。
だが、それもつかの間、すぐに仲良く会話する二人に、少しつまらなそうな顔を向けるのだった。
「む、少し止めてくれ」
王都へ向かう馬車の中から、リヒードの声が上がる。
何の前触れもなく声をかけられたので、ハイフはやや慌てて馬車を止めた。
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