白ねこ書店員 大福さん

わたなべめぐみ

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3.大福がどこにもいない③

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「あぁ~疲れた……」

 午後六時、事務所のいすに腰を下ろすと、思わず声が出た。売り場ではまだ嵐が続いている。いつもなら乱れた平台を整えてから退勤するけど、そんな気力もない。

「白河くん、お疲れさまでした」

 少し汗ばんだ斎さんがエプロンをはずして言った。僕はあわてて立ち上がる。

「斎さんもお疲れさまでした。あずきさん、待ちわびているでしょうね」
「いなかったらいないで物足りないものね。大福さん、まだ寝てるかしら?」

 猫スペースのカーテンをまくったけれど大福はいなかった。トイレを使ったあともない。

「大福? どこだー」

 斎さんと二人で事務所の中を探したけれど、どこにも姿がなかった。

「まったくもう……また別のフロアに出てるのかな」
「アプリで確認してみましょう」

 携帯電話の画面を開くと斎さんがのぞき込んできた。やわらかい香水の匂いとほんの少しだけ汗の香りがする。ああもう、このまま時間が止まればいいのに。

「あれ、どこだろう」

 四階のフロアマップに大福のアイコンは表示されなかった。他のフロアもくまなくチェックしたけれど、表示されるのは他の動物ばかりで大福がどこにもいない。

 待てよ、決められたエリアの外に出たらアラートが鳴るはずだ。接客に追われて振動に気づかなかったのか。でも履歴を見ればいつ出たかわかるはず……

「どうしたの?」
「今日の十六時頃から履歴がないんですが……」

 斎さんは僕から携帯を預かると、細い指で画面をスクロールした。彼女の携帯と見比べながら「おかしいわね」とつぶやく。

 そこへ清水くんが入ってきた。画面にかぶりついている僕らの後ろから低い声を響かせる。

「なんかあった?」
「大福さんの現在位置が表示されないの。あずきはここにいるんだけど」

 四階の休憩室に長毛種のアイコンが出ている。大福はどこに行ったんだ。

「もしかして建物の外に出たんじゃ……」
「それなら振動だけじゃなくて警告音が鳴ってるはずよ。悠ちゃん、そんな音聞いた?」
「いや」
「きっと建物の中にはいるのよ。どうして表示されないのかしら」
「充電、切れてるんじゃないの?」

 清水くんは事務所の長机を探って充電器を引っ張り上げた。大福の首輪用充電ケーブルが切断されている。

「やられた……」

 中の銅線が見えるくらい無残にかみちぎられていた。家に来てすぐの頃、何度か携帯電話の充電コードを切られたことがあった。感電するといけないから戸棚にかくして充電するようになったけど、まさか職場のコードをかんでしまうなんて。

 しかも大福の分だけ、ピンポイントに。

「朝の点検では光ってたから、途中で充電が切れたのね……」
「どうしよう……どこに行ったんだろ」
「岡内さんが十六時に退勤しているし、十七時まで店長がここで事務作業をしてたから聞いてみましょうか」
「すみません、お願いします。僕は店内を探してきます」

 事務所を出ると、ハンディモップを手にした清水くんが「すみません、通ります」と書籍棚の一番上を掃除するように捜索していた。コリオス書店はすべての書籍棚が僕の目線より高い所にあり、アーチで組まれた小路のような一角もある。

 大福はよく棚の上で寝ていたから、ああやっていると飛び降りてくるかもしれない。僕は大きなフロアモップを持って、掃除するふりをしながらすきまというすきまにモップを突っ込んだ。

 書籍棚下のストッカーを全部空け、開封前の雑誌を置いているバックルームや資材置き場もくまなく探した。

 けれど出てくるのはお客さんが落とした小銭や飴やラムネのようなお菓子、小さなビーズやほこりばかりで、大福は見当たらない。

 事務所に戻ると店長がパソコンの画面を操作していた。脱走防止アプリのパソコンバージョンだ。僕らのアプリと違ってフロア外のバックヤードや荷受け場、建物全体の管理区域まで見られるようになっている。

「大福くん、いた?」
「いえ、どこにも。すみません、忙しいときに」
「そんなのいいんだよ。俺がここにいたときは寝てたけど」
「岡内さんが退勤するときも、ここでお水を飲んだりしていたらしいの」

 斎さんは連絡用のグループ画面を見せてくれた。岡内さんは退勤後、大福の愚痴に付き合ってくれたらしく、大福が僕の文句を言う動画を貼りつけてくれている。

「大福さん、何を怒ってるのかしら」
「何度も呼びにきたのに、僕が相手をしなかったから……」
「何か用があったのかしら?」
「接客中で詳しく聞けなくて……」

 今になって罪悪感が押しよせる。あの時、大福は僕に何を言おうとしてたんだろう。「ちょっと来たらいいんにゃ」と言っていたけど、お客さんにことわって途中退席した方がよかったんだろうか。

 あのときはどうしても時間がなかった。あとで聞けばいいと思っていたのに、こんなことになるなんて。

「あ、そういえば」

 店長が積み上げた段ボールを指さした。

「俺が入ってきたとき、じーっと上の方を見てたなあ。虫でもいるのかなと思ったんだけど」
「こんな寒い場所にですか?」
「ねこって何もないところをじっと見てたりするだろ? それかなと思ったんだけど」

 店長が段ボールの上をのぞき込むと、清水くんが踏み台を持って入ってきた。

「白河さん、どうぞ」
「え?」
「ロッカーの上に乗った可能性が高そうなんで」

 彼の指先を追うと、積み上げた段ボールの側面に爪あとがついていた。僕は無言で踏み台を受け取ってロッカーの上をのぞく。フェア用の古いパネルやほこりをかぶった梱包資材が天井近くまで山積みになっている。

 どこかから風が吹き込んで目をこすった。天井の端に通気口がある。

「あれっていつもふたが空いてるんですか?」

 カバーのない通気口を指さすと、店長は「そんなはずないけど」と答えた。斎さんが「これかしら」とゴミ袋の上に落ちていた網目状のプラスチックを拾い上げる。

 ロッカーの隅に緑色の糸くずが落ちていた。よく見るとパネルやボードのあちこちにほこりやら糸くずがついている。

「毛糸……?」

 どこかで見た色だなと思いながら通気口をのぞいて、寒気が走った。奥に何か引っかかっている。

 背伸びをして腕を突っ込んだ。大量のほこりと共に引きずり出したのは、例のブランケットだった。抹茶色の編み目がほどけて毛糸がずっと奥まで続いている。

「もしかして中に入っていったんじゃ……」

 必死になって目を凝らしたものの暗くてよく見えない。かびっぽい湿った匂いがする。ブランケットの毛糸をたぐりよせたけれど、ほとんど手ごたえがないまま切れ目になってしまった。
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