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1章
9.
しおりを挟む耳をつんざくようなアラーム音で目が覚めた。
霞む視界に目をこすりながら音の発生源を探り――
「ひっ」
悲鳴をあげかけて、鈴は慌てて自分の口を手で覆った。
声を押し殺し、自身を落ち着けるよう必死に深呼吸を繰り返す。
(なんっ、どうっ、織之助さまっ……⁉︎)
服は昨日のまま。髪の毛もそのまま、たぶん顔もメイクを落としていない状態だ。
息を吐きつつ、鈴は現実から逃げるためにまぶたを閉じた。
(思い出せ鈴。昨日は……)
昨日は織之助とドレスを買いに行く予定だった。
予定だったのだが、あまりにも織之助の生活っぷりが酷すぎて予定を変更して生活必需品を買いに行った。
それでそのまま夕飯を作って食べて、楽しくお酒を飲んで――そこから記憶がない。
(もしかしなくても酔っ払って寝落ちした……)
そうとしか考えられない。むしろそうじゃなきゃ他になにがある。
鈴はゆっくりまぶたを開けて、隣で眠ったままの織之助を確認した。
高い鼻梁と品のいい唇、やや垂れた目尻に長いまつ毛。肌は三十代の男性とは思えないほど綺麗で――ちょっとずるい。
寝ているからか、前髪を下ろしているからか普段よりだいぶ幼く見えるその姿に胸の奥が痺れる。
なんとなく触れてみたくなって、そのやわらかそうな髪に手を伸ばす――と、鳴ったままだったアラーム音が一際大きくなった。
びくりとして手を引っ込めた鈴は、おそるおそる織之助の様子を窺う。
織之助はモゾモゾと動くだけでまぶたはぴったり閉じられたままである。
その様子に小さく安堵して、鈴は音の発生源を探した。
「もー……アラームどこ……」
寝起きが悪いのは昔からだ。織之助は仕事以外ではだらしないところがわりと多く、そういった部分の世話をするのが鈴の仕事だった。
半ば呆れつつ、とにかくアラームを止めないことにはうるさくて敵わない。
ベッドの上を手で探っていると、布団がめくれて寒かったのか織之助が「んん……」と小さく唸った。
「織之助さま……織之助さん、起きてください。アラームどこですか」
「あら……?」
「アラームです。よくこんなうるさい中で寝れますね……」
「うん……」
ごろりと織之助が寝返りを打って鈴に背中を向けた。
その背中にため息をひとつ。
織之助を起こすことは諦めてアラーム探しに専念することにする。
布団の中、枕の下、織之助の近く――と探してようやく織之助の向こう側、ベッドの端に織之助のスマートフォンを発見した。
(あった!)
これでやっと静かになる、と手を伸ばしたところで織之助が再び寝返りを打った。
驚いてバランスが崩れ――あ、と思う間に織之助の上に倒れ込む。
「……ん、すず?」
今の衝撃でさすがに起きたのか、低く掠れた声が耳をくすぐった。
存在を確かめるように織之助の手が腰に触れて、そのまま背中へとまわる。
アラームは依然うるさいままで、けれど心臓が同じくらい大きく鳴っている。
「お、りのすけさま!」
「うん……」
わけがわからないまま抱きしめられるような形になって顔に熱が集まった。
(というか! 私昨日お風呂入ってない!)
そんな状態で密着なんて、となけなしの乙女心が悲鳴をあげている。
必死に織之助の胸を押して距離を取ろうとするも、こちらが押せば押すほど織之助の腕にも力が入って抜け出せない。
「織之助さまっ、ほんとうに、おねがいですから!」
薄いシャツ越しに感じる体温と感触も相まって、鈴はほとんど涙目で懇願した。
恥ずかしい。恥ずかしい、けど、心地いいと思ってしまうのがさらに恥ずかしい。
耳まで真っ赤にした鈴が最後の力を振り絞って織之助を押しのけようとした、そのとき。
今まで鳴っていたアラーム音が消え、代わりに違う電子音が部屋に響いた。
その音を聞くや否や、織之助はがばりと上体を起こして迷いなくスマホを耳に当てる。
「……はい、橘です」
弾みで横に横に転がった鈴は唖然として織之助の変わりようをまじまじと見た。
「それについては以前お話ししたはずですが」
電話越しの相手はまさか織之助が寝起きだなんて思わないだろう。それくらいはっきりとしゃべる織之助に、鈴は呆れを通り越して感心した。
(相変わらずオンとオフの差が激しい……)
時間にして数分間やりとりをした後、「では、そういうことですので。失礼致します」と織之助が電話を切って息を吐いた。
「はあ……。ああ、鈴、おはよう」
「おはようございます……」
「よく寝られたか?」
「ええと……はい」
なんとなくどきまぎして答えると、織之助が目を細めて鈴の髪を撫でた。
「それはよかった」
大きな手に撫でられるのは気持ちいい。
鈴は織之助の手を受け入れてまぶたを閉じかけ――ハッとして起き上がった。
「私昨日お風呂入ってないので……! というか大変お手数をおかけして……」
「ふ……ハハ、気にしなくていいのに」
織之助が静かに笑って鈴の顔を覗く。
「これから一緒に住むんだ。遠慮してたら疲れるぞ」
楽しそうな顔に言葉が詰まった。
そんな鈴を織之助はもう一度小さく笑って、それからゆっくりベッドを降りた。
「俺はこれから仕事に行くが――、風呂は好きに使ってくれていい。あとドレスを買いに行くなら店を教える」
「仕事?」
日曜日なのに、と言いかけて口を噤む。
織之助のスケジュールがぎっちりみっちりなのは秘書室として把握していたが――そっか。今日も一緒にいられるわけじゃないんだ。
寂しいような気持ちが胸をよぎる。
「……さみしい?」
いつのまにか下がっていた視線を持ち上げるように織之助が鈴のほおを撫でた。
しっかり言い当てられてしまい、恥ずかしいやらなにやらで鈴はとっさに首を横に振った。
「ち、ちがいます!」
「そうか」
くすくすと笑う織之助には全部お見通しなんだろう。
それでも認めるのはどこかに何かが引っ掛かってできない。
「シャワー、お借りします」
「ああ。どうぞ」
同じようにベッドを降りて悔しまぎれにそう言えば、織之助はやはりどこか楽しそうなのだった。
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