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第七話 あなた、自ら負けを認めているのと同じなのよ
しおりを挟む「先輩、この本ってあの棚でいいんですか?」
「ああ。――あ、その本高いところだから俺がやる。小笠原は返却リストとの照合しといてくれ」
「私だって踏み台使えば届きますよ?」
「本持ってる時は危ないからな。いいから任せろ」
「先輩こういうのをさらっと言うのは普通にかっこいいですよね? 地味だし大人しいけど、関わったらかっこよくて……惚れるっ! 結婚してっ!」
いつもの調子で日向は笑う。
ダメだ、と断られているのは分かっている。
もう何度言ったかもわからない告白だった。
日向は一日に一回は告白していた。もはや挨拶にも等しい頻度である。
ダメだ、と春樹に言われてから、こんな美少女の何が不満なのか、と問う。
お決まりの掛け合いだ。
この時も日向にはある種の期待があった。
なんてことのない掛け合いが楽しい。安心感が嬉しい。
フラレていても、春樹は日向を突き放したりはしないとわかっているからだ。
春樹は本を持ちながら立ち上がって、カウンターにいる日向を見ずに答える。
「――やっぱり考えさせてくれ」
「え……? ――ダメだ、じゃないんですか……? え?」
「あ、え、いや、そのだな……」
「も、も、もしかして先輩、私に惚れた?」
「ち、ち、違う! 全然違う!」
「わ、わわわっ、ええ、う、嬉しいぃっ!」
日向は図書室だというのに大声で叫び、反射的に春樹に抱きついてしまう。
春樹の腹の辺りには、むにゅりとした柔らかな膨らみが二つ。
顔の下にはいい香りのする髪。
抱きつかれてみると、日向の体は思っていた以上に小さく細いのだと実感する。
いい匂いするし、暖かいし、柔らかい!
こ、これはまずい、マジでまずい!
体が反応するって!
「む、む、胸がやばいって!」
「今日だけは堪能していいですよっ! んー、すきっ! 先輩が卒業したら入籍しましょっ! うち余ってる部屋いっぱいあるので、お金貯まるまではうちで同棲すればいいですからっ」
「気が早すぎる!」
「赤ちゃんは三人がいいっ!」
「す、進みすぎだ!」
まさかの展開にテンションが上がりに上がった日向は、背伸びでぶら下がるような状態で抱きつき続ける。
振りほどこうとするも、女子相手に本気の力を発揮するわけにもいかない。
こ、こんなところ誰かに見られたら最悪停学だ!
誤解にもほどがあるのに!
春樹の心配は、停学とまではいかないが、一部的中することとなる。
ガラガラと扉を開けて入ってきたのは、よりにもよって憧れの人、百合川葵。
春樹は焦り、日向の両脇に手を入れて、持ち上げるようにして下ろす。
「あんっ……」
「へ、変な声出すな! 百合川先輩! これは誤解で!」
春樹に急に触られた日向は、嬌声じみた声をあげる。
妙に色っぽさのある声は誤解に誤解を重ねるもので、タイミング的には最悪だった。
外目から見れば、抱き合っていちゃついているシーンでしかない。
叫び出してもおかしくない状況でも、百合川葵は凛とした姿を崩さない。
優しげな笑顔はそんな簡単に崩れないのだ。
「緑川くん。ここは図書室で、つまるところ学校の中よ。校則違反とは言え、真剣な交際であれば私は咎めはしないけれど、場所を考えるべきだと思うわ。ここは逢引のための場所ではないのよ?」
「す、すいません……」
顔は怒ってないけど、絶対怒ってるよな……。
百合川先輩は真面目な人だし図書委員長だ。
いわば自分のテリトリーの中で抱きあっているやつがいたというわけで……。
心象は最悪だろう。
たとえ片思いの相手でなくても、女子が見ればいい顔をするはずがない。
百合川葵は笑顔の鉄面皮を崩さない。それでも内心がどうであるかの予想は鈍い春樹でも十分できる。
葵は少しだけ図書室を見回したあと、ゆっくりと出て行く。
図書室と美女。
一枚の絵画のように春樹には見えた。
百合川葵が図書室を出るとき、いつもの笑顔とは違う笑みを浮かべているように春樹は感じた。
それは春樹の初めて見る顔。
優しい笑顔ではなく、明確な悪意を乗せた顔に見えた。
気のせいだろうと春樹は流す。
あの百合川葵がそんな顔をするはずがない。
「やっちまったな……」
「これで後腐れなく私と付き合えますね?」
「お前……まさかわざと?」
「ちょっとだけっ。でももう、完全に目がないと思いますけど?」
それはそうなんだよな……。
この状況を見られた以上、どうしようもない気がする。
はぁ、と春樹はため息をついて、手に持っていた本を棚の上に戻す。
変な気分だ。
――ショックじゃない。それが何よりショックだ。
発狂してしかるべき状況なのに、ホッとしてすらいる。
俺は百合川先輩が好きなんじゃないのか?
自分の気持ちがイマイチわからない。
好き、だったはずだ。
前までは、百合川葵の姿を見るだけで、声を聞くだけで、全身が落雷にでも打たれたような衝撃があった。
だというのに、さっき見たときはそれほどの衝撃を感じなかった。
「俺も夏バテかな……」
「なんでです?」
「なんでもない」
「いやいや、何かあったからでしょ。――先輩の好きな本っぽく言えば?」
「『恥の多い生涯を送ってきました。』、だな」
「――人間失格?」
「まぁ、だな。今はそんな気分だ」
こんな心変わりが知れれば、さすがの日向も自分を嫌うのではないか。
同じようなことをされれば誰にでも心を許す人間だ、という前例になってしまうのではないか。
少し前、百合川葵は図書室に向かって歩を進めていた。
この世界は退屈だ。
退屈で退屈で、息が詰まる。
面白いことなんてほとんどない。
さっさと滅びてしまえばいいのに。
百合川葵は涼しげな笑顔の下で悪態をつく。
他人が彼女を見る目は羨望、期待、そして畏怖。
自分と同じ年の頃の人間は、無意識に自分を下にし、葵を上に設定する。
百合川葵に対等は存在しない。
存在するのは自分より上――親など――か、同級生をはじめとする下の者たちだけ。
上の者にも潜在的に劣らないと自負してもいる。
財力、容姿、各種能力、地位、人が欲しがるおよそ全てのものを持って生まれた百合川葵は、ある種の絶望を抱えていた。
端的に言えば、生きている理由がない。
渇望も切望も存在しないのだ。
人が前を向いて歩けるのは、足りないから。
欲しいモノが有り、そのために前に歩くのだ。
何もかもを持っている人間は、努力する理由がない。
対等に切磋琢磨できる存在もなく、鋭く尖った爪を振り下ろす場所もない。
頂点の孤独。
誰にも理解されず、誰も理解できず、となりに並び立つ者もいない。
――私は今、最も不幸な幸福の中に生きている。
芥川龍之介はうまく言ったものだ。
この漠然とした不安が続くのなら、ガス自殺をしてもいいかもしれないくらい、その通り。
贅沢な悩みね、と自嘲しながら、百合川葵は図書室に踏み入る。
学校の図書室は、学校でも浮いた存在が多い。
友人などがおらず、居場所がなくて逃げてくるような、そんな人間ばかり。
異端が集まる場所でなら、少しは落ち着ける。
ここの外では完璧を演じなければならない。
如何に完璧な人間であっても、気を緩めることのできる場所は必要だった。
だったのに――。
カウンターそばにいたのは、抱き合う男女。
すぐに正体はわかった。
一年生の小笠原日向と二年生の緑川春樹。
特に春樹については知っている。一年生の時も図書委員だったからだ。
図書委員長である以上、所属している人間の顔と名前くらいは興味がなくても覚えている。
抱き合っているというより、春樹が一方的に抱きつかれているのだということもわかった。
――意外ね。
葵からすれば、春樹という人間は大した人間ではない。
およそ異性に好かれるような要素もなく、将来性があるだとか、そういう未来も感じない。
もっとも、葵にとっては全ての人間がそうであるとも言える。
塵芥にも似た有象無象。
葵の目から見ればそんな取るに足らない人間。
異性に求愛されるような存在だとは思っていなかった。
なにより、緑川春樹という人間は自分に好意を向けていたはず。
親とはぐれた子犬のような顔で、こちらを見ていたのを何度も確認している。
大前提として、ほぼ全ての異性は年齢などにかかわらず好意を向けてくるので、それそのものには驚きはない。
最終的に諦めてほかの女に行くところも普通だ。
有象無象が太陽に触れようなど恐れ多いにも程があるのだから。
この冴えない男の何がいいのだろう。
実家が資産家であるとか、何かしらの強力なコネクションがあるだとか、そんな背景があるのだろうか。
笑顔の仮面の下で、口では注意しながらも春樹を値踏みすることにする。
そもそも、この女は、小笠原日向は何をもってこの男を選んだのか。
夏休み前だから焦りでも覚えたのか?
くだらない同調圧力に負けて、手近な男とつがおうとしているのか?
ありうる話だ。
この女からは知性も品性も感じないから。
見られていながらも男から離れようとしない。まるでマーキングでもしているかのように。
――犬か猿ね。
そんなに交尾がしたいのなら、どこか人目につかないところでやってくれるかしら。
好き放題バカの再生産をすればいいわ。
「緑川くん。ここは図書室で、つまるところ学校の中よ。校則違反とは言え、真剣な交際であれば私は咎めはしないけれど、場所を考えるべきだと思うわ。ここは逢引のための場所ではないのよ?」
最大限オブラートに包み、葵は結局咎める。
何の重責もなく生きている人間が憎らしいと思った。
足りないを知っていて、それを手に入れる喜びを知っている人間が恨めしい。
能天気なふたりを見ていると虫唾が走る。
何もかもを持っているはずの私が、本当は何も持っていないに等しいなど絶対に認めない。
一人で完全な個として完成してしまっているのが、必ずしもいいことではないと認めはしない。
春樹に離されて、その後に葵を見る日向の目は、ちらりと見ただけでわかるくらい敵意に染まっていた。
そう、それでいい。
女が私を見る目はそれでいいのだ。
無意識に、無自覚に自分を下に見ていることに気づいていない愚かしさがたまらない。
強者であることをこれ以上ないほど堪能できる。
この人生に生まれてよかったとすれば、この極上の愉悦を得られることくらいだ。
――気づいているのかしら?
あなた、自ら負けを認めているのと同じなのよ。
愚かすぎて、最高に笑える。
私は頂点だ。
ありとあらゆるものが私のものだ。
私が捨てたものであっても、他人がそれを拾って手に入れるのは許されることではない。
この男にしたってそうだ。
興味なんて毛頭ないが、それでも私が手にした物の一つ。
下賤の身で掠め取ろうなど、やはりおこがましい。
――ああ、退屈しのぎにはいいかもしれない。
警戒しているということは、あるのでしょう?
――この私を相手に戦う覚悟が。
飽きるまではこの百合川葵が相手してあげる。
弄んで弄んで、修復不可能になるまでグチャグチャに。
図書室を出るとき、久しぶりに仮面を脱いでしまう。
これからやってくる愉悦に笑いがこらえられなかった。
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