7 / 7
第七話 あなた、自ら負けを認めているのと同じなのよ
しおりを挟む「先輩、この本ってあの棚でいいんですか?」
「ああ。――あ、その本高いところだから俺がやる。小笠原は返却リストとの照合しといてくれ」
「私だって踏み台使えば届きますよ?」
「本持ってる時は危ないからな。いいから任せろ」
「先輩こういうのをさらっと言うのは普通にかっこいいですよね? 地味だし大人しいけど、関わったらかっこよくて……惚れるっ! 結婚してっ!」
いつもの調子で日向は笑う。
ダメだ、と断られているのは分かっている。
もう何度言ったかもわからない告白だった。
日向は一日に一回は告白していた。もはや挨拶にも等しい頻度である。
ダメだ、と春樹に言われてから、こんな美少女の何が不満なのか、と問う。
お決まりの掛け合いだ。
この時も日向にはある種の期待があった。
なんてことのない掛け合いが楽しい。安心感が嬉しい。
フラレていても、春樹は日向を突き放したりはしないとわかっているからだ。
春樹は本を持ちながら立ち上がって、カウンターにいる日向を見ずに答える。
「――やっぱり考えさせてくれ」
「え……? ――ダメだ、じゃないんですか……? え?」
「あ、え、いや、そのだな……」
「も、も、もしかして先輩、私に惚れた?」
「ち、ち、違う! 全然違う!」
「わ、わわわっ、ええ、う、嬉しいぃっ!」
日向は図書室だというのに大声で叫び、反射的に春樹に抱きついてしまう。
春樹の腹の辺りには、むにゅりとした柔らかな膨らみが二つ。
顔の下にはいい香りのする髪。
抱きつかれてみると、日向の体は思っていた以上に小さく細いのだと実感する。
いい匂いするし、暖かいし、柔らかい!
こ、これはまずい、マジでまずい!
体が反応するって!
「む、む、胸がやばいって!」
「今日だけは堪能していいですよっ! んー、すきっ! 先輩が卒業したら入籍しましょっ! うち余ってる部屋いっぱいあるので、お金貯まるまではうちで同棲すればいいですからっ」
「気が早すぎる!」
「赤ちゃんは三人がいいっ!」
「す、進みすぎだ!」
まさかの展開にテンションが上がりに上がった日向は、背伸びでぶら下がるような状態で抱きつき続ける。
振りほどこうとするも、女子相手に本気の力を発揮するわけにもいかない。
こ、こんなところ誰かに見られたら最悪停学だ!
誤解にもほどがあるのに!
春樹の心配は、停学とまではいかないが、一部的中することとなる。
ガラガラと扉を開けて入ってきたのは、よりにもよって憧れの人、百合川葵。
春樹は焦り、日向の両脇に手を入れて、持ち上げるようにして下ろす。
「あんっ……」
「へ、変な声出すな! 百合川先輩! これは誤解で!」
春樹に急に触られた日向は、嬌声じみた声をあげる。
妙に色っぽさのある声は誤解に誤解を重ねるもので、タイミング的には最悪だった。
外目から見れば、抱き合っていちゃついているシーンでしかない。
叫び出してもおかしくない状況でも、百合川葵は凛とした姿を崩さない。
優しげな笑顔はそんな簡単に崩れないのだ。
「緑川くん。ここは図書室で、つまるところ学校の中よ。校則違反とは言え、真剣な交際であれば私は咎めはしないけれど、場所を考えるべきだと思うわ。ここは逢引のための場所ではないのよ?」
「す、すいません……」
顔は怒ってないけど、絶対怒ってるよな……。
百合川先輩は真面目な人だし図書委員長だ。
いわば自分のテリトリーの中で抱きあっているやつがいたというわけで……。
心象は最悪だろう。
たとえ片思いの相手でなくても、女子が見ればいい顔をするはずがない。
百合川葵は笑顔の鉄面皮を崩さない。それでも内心がどうであるかの予想は鈍い春樹でも十分できる。
葵は少しだけ図書室を見回したあと、ゆっくりと出て行く。
図書室と美女。
一枚の絵画のように春樹には見えた。
百合川葵が図書室を出るとき、いつもの笑顔とは違う笑みを浮かべているように春樹は感じた。
それは春樹の初めて見る顔。
優しい笑顔ではなく、明確な悪意を乗せた顔に見えた。
気のせいだろうと春樹は流す。
あの百合川葵がそんな顔をするはずがない。
「やっちまったな……」
「これで後腐れなく私と付き合えますね?」
「お前……まさかわざと?」
「ちょっとだけっ。でももう、完全に目がないと思いますけど?」
それはそうなんだよな……。
この状況を見られた以上、どうしようもない気がする。
はぁ、と春樹はため息をついて、手に持っていた本を棚の上に戻す。
変な気分だ。
――ショックじゃない。それが何よりショックだ。
発狂してしかるべき状況なのに、ホッとしてすらいる。
俺は百合川先輩が好きなんじゃないのか?
自分の気持ちがイマイチわからない。
好き、だったはずだ。
前までは、百合川葵の姿を見るだけで、声を聞くだけで、全身が落雷にでも打たれたような衝撃があった。
だというのに、さっき見たときはそれほどの衝撃を感じなかった。
「俺も夏バテかな……」
「なんでです?」
「なんでもない」
「いやいや、何かあったからでしょ。――先輩の好きな本っぽく言えば?」
「『恥の多い生涯を送ってきました。』、だな」
「――人間失格?」
「まぁ、だな。今はそんな気分だ」
こんな心変わりが知れれば、さすがの日向も自分を嫌うのではないか。
同じようなことをされれば誰にでも心を許す人間だ、という前例になってしまうのではないか。
少し前、百合川葵は図書室に向かって歩を進めていた。
この世界は退屈だ。
退屈で退屈で、息が詰まる。
面白いことなんてほとんどない。
さっさと滅びてしまえばいいのに。
百合川葵は涼しげな笑顔の下で悪態をつく。
他人が彼女を見る目は羨望、期待、そして畏怖。
自分と同じ年の頃の人間は、無意識に自分を下にし、葵を上に設定する。
百合川葵に対等は存在しない。
存在するのは自分より上――親など――か、同級生をはじめとする下の者たちだけ。
上の者にも潜在的に劣らないと自負してもいる。
財力、容姿、各種能力、地位、人が欲しがるおよそ全てのものを持って生まれた百合川葵は、ある種の絶望を抱えていた。
端的に言えば、生きている理由がない。
渇望も切望も存在しないのだ。
人が前を向いて歩けるのは、足りないから。
欲しいモノが有り、そのために前に歩くのだ。
何もかもを持っている人間は、努力する理由がない。
対等に切磋琢磨できる存在もなく、鋭く尖った爪を振り下ろす場所もない。
頂点の孤独。
誰にも理解されず、誰も理解できず、となりに並び立つ者もいない。
――私は今、最も不幸な幸福の中に生きている。
芥川龍之介はうまく言ったものだ。
この漠然とした不安が続くのなら、ガス自殺をしてもいいかもしれないくらい、その通り。
贅沢な悩みね、と自嘲しながら、百合川葵は図書室に踏み入る。
学校の図書室は、学校でも浮いた存在が多い。
友人などがおらず、居場所がなくて逃げてくるような、そんな人間ばかり。
異端が集まる場所でなら、少しは落ち着ける。
ここの外では完璧を演じなければならない。
如何に完璧な人間であっても、気を緩めることのできる場所は必要だった。
だったのに――。
カウンターそばにいたのは、抱き合う男女。
すぐに正体はわかった。
一年生の小笠原日向と二年生の緑川春樹。
特に春樹については知っている。一年生の時も図書委員だったからだ。
図書委員長である以上、所属している人間の顔と名前くらいは興味がなくても覚えている。
抱き合っているというより、春樹が一方的に抱きつかれているのだということもわかった。
――意外ね。
葵からすれば、春樹という人間は大した人間ではない。
およそ異性に好かれるような要素もなく、将来性があるだとか、そういう未来も感じない。
もっとも、葵にとっては全ての人間がそうであるとも言える。
塵芥にも似た有象無象。
葵の目から見ればそんな取るに足らない人間。
異性に求愛されるような存在だとは思っていなかった。
なにより、緑川春樹という人間は自分に好意を向けていたはず。
親とはぐれた子犬のような顔で、こちらを見ていたのを何度も確認している。
大前提として、ほぼ全ての異性は年齢などにかかわらず好意を向けてくるので、それそのものには驚きはない。
最終的に諦めてほかの女に行くところも普通だ。
有象無象が太陽に触れようなど恐れ多いにも程があるのだから。
この冴えない男の何がいいのだろう。
実家が資産家であるとか、何かしらの強力なコネクションがあるだとか、そんな背景があるのだろうか。
笑顔の仮面の下で、口では注意しながらも春樹を値踏みすることにする。
そもそも、この女は、小笠原日向は何をもってこの男を選んだのか。
夏休み前だから焦りでも覚えたのか?
くだらない同調圧力に負けて、手近な男とつがおうとしているのか?
ありうる話だ。
この女からは知性も品性も感じないから。
見られていながらも男から離れようとしない。まるでマーキングでもしているかのように。
――犬か猿ね。
そんなに交尾がしたいのなら、どこか人目につかないところでやってくれるかしら。
好き放題バカの再生産をすればいいわ。
「緑川くん。ここは図書室で、つまるところ学校の中よ。校則違反とは言え、真剣な交際であれば私は咎めはしないけれど、場所を考えるべきだと思うわ。ここは逢引のための場所ではないのよ?」
最大限オブラートに包み、葵は結局咎める。
何の重責もなく生きている人間が憎らしいと思った。
足りないを知っていて、それを手に入れる喜びを知っている人間が恨めしい。
能天気なふたりを見ていると虫唾が走る。
何もかもを持っているはずの私が、本当は何も持っていないに等しいなど絶対に認めない。
一人で完全な個として完成してしまっているのが、必ずしもいいことではないと認めはしない。
春樹に離されて、その後に葵を見る日向の目は、ちらりと見ただけでわかるくらい敵意に染まっていた。
そう、それでいい。
女が私を見る目はそれでいいのだ。
無意識に、無自覚に自分を下に見ていることに気づいていない愚かしさがたまらない。
強者であることをこれ以上ないほど堪能できる。
この人生に生まれてよかったとすれば、この極上の愉悦を得られることくらいだ。
――気づいているのかしら?
あなた、自ら負けを認めているのと同じなのよ。
愚かすぎて、最高に笑える。
私は頂点だ。
ありとあらゆるものが私のものだ。
私が捨てたものであっても、他人がそれを拾って手に入れるのは許されることではない。
この男にしたってそうだ。
興味なんて毛頭ないが、それでも私が手にした物の一つ。
下賤の身で掠め取ろうなど、やはりおこがましい。
――ああ、退屈しのぎにはいいかもしれない。
警戒しているということは、あるのでしょう?
――この私を相手に戦う覚悟が。
飽きるまではこの百合川葵が相手してあげる。
弄んで弄んで、修復不可能になるまでグチャグチャに。
図書室を出るとき、久しぶりに仮面を脱いでしまう。
これからやってくる愉悦に笑いがこらえられなかった。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった
ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます!
僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか?
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる