君をそこでまつ

けんじょうあすか

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次のシフトの女子大生、谷本さんがやってきて、私はバイトを夜の9時で終了した。
通常、シフトは10時までなのだが、校則で9時までで終了となる。

「お先に失礼します。」

レジの奥にいた高塚さんに声をかけると、高塚さんは「ちょっと待ってて。」というと速足でその場を去る。
私はその場で、言われた通り待っていた。

高塚さんは店内に消え、次に手にチョコレート菓子を持って現れ、さっと会計を済ませた。

そのチョコレートを私に差し出す。
「まあ、大変だと思うけど、頑張れ。」

私は高塚さんの顔とチョコレートを交互に見る。
中が普通の茶色いチョコレートで、まわりをピンク色のいちごのチョコレートでコーティングされているもの。
いつか私が一番好きだと話したことがあるお菓子だった。

覚えていてくれたのか、偶然なのかはわからない。

「あ、ありがとうございます。」

「いいえ。」
そういうと高塚さんは、仕事に戻った。

こういうところだ。
私が高塚さんが好きな理由。






「ただいま。」
誰もいないアパートの部屋に言う。

電気をつけ、鞄をそっとおろした。

私はすぐに、もらったばかりのチョコレートを鞄から出した。

口角が自然と緩む。

一回開封しても、閉められる仕様になっているタイプの包装だ。

私は封をあけて、一粒だけチョコレートを口にいれた。
甘い味がした。

もう一つ食べたいが、夜だし、明日の分にとっておこうと思い、鞄にしまう。



口に甘い風味が少しずつ薄くなっていくにつれ、魔法がとけていく。

ぼろくて狭いアパート。
茜や芽衣に私の家のことを言ったことはない。

居間には、古い本棚がある。
そこに物心あるころからある一冊の文庫本が目に付くと、魔法がとける速度が加速した。

何度も読み返した本。
美しい表紙は、瞼にしみついている。

昔は、夢の世界につれていってくれた本。
なのに、最近は、現実を意識させるもの。

物語は、普通の女の子が、魔法使いの少年に連れられて夢の世界を旅する話だ。

現実主義のお母さんが、なぜこの本を大事にしているかわからない。
お母さんのものだから、勝手に捨てることもできない。




私は、翻訳家になりたかった。
この物語は、外国の作者はイギリス人で、もとは英語で書かれている。
日本語に訳された文章は、美しく、私は夢の世界を夢をみた。

子供の私は、この世にある素晴らしい作品を日本語にして、多くの人に共有する翻訳という仕事を夢見ていた。
そして、夢を持ち続ければ、物語みたいに、いつかはきっと叶うと信じ込んでいた。

だから、嫌いな勉強を頑張った。
大学にいく人が大半の公立高校に入った。

よく本の表紙で目にする翻訳家たちを輩出する大学を見つけた。
そこにいけば、翻訳家の道が開けると思って、お母さんに大学のパンフレットをみせて説明しようとした。

私の家は母子家庭で、少しほかの家よりお金がないのを知っていた。
だから、バイトも始めた。

そのうえで、お母さんに打ち明けた。

「ごめん、うちにそんな余裕はない。就職してほしい。」

お母さんは、いつもの淡泊な調子で言ったのを覚えている。
そういって、慌ただしく、着飾って夜に出て行ったのを覚えている。

お母さんは、昼の派遣の事務の仕事、そして夜のスナックの仕事を掛け持ちしている。
入院しているお母さんのお母さん、つまり私のお祖母ちゃんの治療費のためだ。

そんなお母さんに、もう一度、大学にいきたいなんて言えなかった。

お祖母ちゃんは、お母さん以外の唯一の家族だ。
お祖父ちゃんは、私の物心つく前になくなっている。
病気になる前は、幼い私の面倒をよくみてくれた。

お祖母ちゃんを憎むわけにはいかなかった。




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