婚約破棄をありがとう

あんど もあ

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中編

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「パーちゃん! 朝だよー!」
 辺境伯の屋敷に、長男ラルフの声が響き渡る。
 部屋から何の返事も無いので、ラルフはワゴンを押しながら部屋に入り奥の寝室のドアを開けた。
 薄暗い部屋のカーテンを次々と開けると、大きなベッドの端っこで開いた分厚い本を顔にのせて眠っている女性の姿が見えてくる。

 べりっと本を取り除いて
「パーちゃん! またベッドで本を読んだね。読むなら早起きして朝日の中で、って言ってるのに」
と厳しく注意する。
「ごめんなふぁい……」
「はい、これで顔を洗って」
 運んできたワゴンをパトリシアの前にとめる。
「あああ、水まで持って来てくれる婚約者だなんてありがたい」

 ラルフが持ってきたたらいの水でパチャパチャ顔を洗ってるパトリシアの横で、ラルフはタオルを持ってスタンバる。
「いいって。十代の頃から魔獣狩りで男たちと遠征してたから、寝かせる、起こす、飯を食わせる、の世話をするのは得意なんだ」
と言いつつ洗い終わったパトリシアの顔にタオルをぱふぱふとあてて水を吸い取る。

「ありがたや~。理想の男性がここ辺境にいた……! リシャール様、よくぞ彼を見つけてくださいました」
「ささ、拝んでないで化粧台に行ってお化粧をして。朝食に行くよ」
「どの順に塗るかわかんないです~」
「いい加減に覚えてよ。複雑な魔法解析は出来るのに。はい、まずは化粧水」
 ラルフが手渡す順に顔に塗り塗りしていく。


 辺境伯夫妻が朝食を食べている食堂に、ラルフがパトリシアの髪のリボンがはねていると世話を焼きながら「おはようございます~!」「遅れました!」と入ってくる。
パトリシアが辺境に着いて一週間。すっかり見慣れた毎日の風景だった。
 食堂にいる辺境伯夫妻もラルフの弟のクリフも、もうラルフに「そういう事は侍女にさせなさい」とツッコミを入れる気も無くなっている。

 食後のお茶を飲んでいる時、パトリシアが辺境伯に魔獣よけ杭の実験の場所を提供してほしいと言った。
「ほう、もう完成するのか」
「はい、今日中には! ラルフ様が色々な魔獣を狩って来てくださったので、サンプリングに事欠かず、魔素の魔法解析がはかどりました! ラルフ様って絶倫ですね!」
 ラルフとクリフがブーーーッ!と飲んでいた紅茶を吹き出す。

「……何をやってるの二人とも。『絶倫』とは群を抜いて優秀な事を言うのですよ」
 辺境伯夫人の冷たい声に
「わ、分かってますが……」
「青少年には刺激が強いです」
と、ダメージを受けてる。

 あまりにも人付き合いをしてこなかったパトリシアは、俗語に疎うとい。辞書に載っている意味をそのまま覚えてしまっているので無意識に卑猥語を発するのだと辺境伯家の皆は学習したのだが、不意打ちには弱かった。

 二人を不思議そうに見ているパトリシアに
「では、明日までに場所を検討しておこう」
と辺境伯が言うと
「やった! パーちゃん、明日はデートだね!」
 ラルフのご機嫌は一気に跳ね上がった。




「ラルフ様は、なぜ私をもてあそぶのがお好きなのですか?」
「もっ、もて、あそんでなんて!」
と、言った時、ラルフは自分が櫛を片手にパトリシアの髪を編み込みしてるのに気付いた。
「あ、弄んでるね……」

 翌日。デート日和に晴れ上がったので、ラルフは張り切ってパトリシアと父が選んだ実験の地へやって来た。
 もちろん、実験道具を積んだ荷馬車と護衛騎士三人と共に。
 魔の森との境に二百メートルほど杭を打ち、杭の間に鉄線を張り巡らした。
 今は、馬車と荷馬車と騎士の乗って来た馬を遠くに控えさせ、近くの大きな木の下に簡易なスツールを五つ置き、五人はそこに座って魔獣が来るのを待機だ。

 杭と足を紐で結ばれたおとりの鶏が、地面に撒かれた餌を上機嫌でついばんでいる。魔獣さえ出なければ、のどかな光景だ。

 皆でスツールに座って待機していたら、ラルフがパトリシアのヘアケアセットを取り出してせっせとヘアアレンジを始めたので、質問せずにはいられないパトリシアだった。
「弄ぶと言うか、世話好きなんだよ。でも、一応辺境伯の長男だから、世話は焼いてもらう方なのでそれを知らなくて。初めて魔獣討伐の遠征に行った時、自分の事は自分で、他の人にも手を貸す、と言われて『そんな事をしていいのか!』って嬉しくなって、自分が世話好きだと知ったんだ」
「はぁ、なるほど」
「だからパーちゃんが来た時には驚いたよ。ボサボサの髪、ヨレヨレのドレス、不健康そうなクマ、持って来たのは手入れの行き届いて無い魔道具。もう、俺の理想が降臨した!と思ったね」
 キラキラした瞳で言うラルフに、パトリシアの優秀な頭脳はフリーズした。
「……理解は出来ませんが、お気に召していただけたようで良かったです」
(誰にも理解は出来ないよ)
 騎士たちは心の中で思ったが、口には出さない。


 その時、鶏がけたたましく鳴いた。ラルフと三人の騎士が剣を持って立ち上がり、パトリシアを庇うように前に立つ。
「見えません~!」
 ラルフの背中をポカポカ叩くが、彼には猫パンチほどのダメージも与えてない。
「来たな」
「キツネ型魔獣のようだ」
 パトリシアは諦めて、騎士たちの隙間から覗く。
 魔の森から、毛が黒く長くなり、目が赤く光り、牙が大きく育った、かつてはキツネだったであろう魔獣が柵に近づいていた。

 鶏は更に大きく鳴き、バタバタと逃げようとするが足に付けられた紐で遠くに逃げられない。キツネ型魔獣は悠々と近づき、柵の鉄線の間を抜けて入ろうとするが、鉄線に触った途端、バチッと火花が散ってキツネ型魔獣は悲鳴をあげて逃げ去った。
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