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優しい人 2

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「若い頃は時に周りのことが見えなくなってしまうこともある。それで周りに迷惑をかけることもね。私にも覚えのあることだ」
「ハオランさんにも?」
「うん、若い頃にはエンセイたちに随分心配をかけた」

 ようやく気持ちが落ち着いた俺はベッドのヘッドボードに背を預けて座り、ハオランさんの話を聞いていた。
 若気の至りというものだ、と彼は言う。まるでそんな風には見えなくて俺はきょとりと目を丸めた。

「そうなんですか……なんだか、意外」
「そうは見えない?」
「ハオランさん、凄く落ち着いて見えるので」
「失敗の経験があったからこそ今こういう形でいるってことだ」

 苦く笑って俺の頭をくしゃりと撫でるハオランさん。落ち着いていて頼りがいのある大人の男に見える彼にも俺みたいに無鉄砲な時期があったのだろうか。なんだか想像がつかないながらもこくりと頷いた。
 想像はつかないが、言いたいことはわかる。

「経験が今の自分を形作るってことですね。そういうことなら俺もわかります。今の俺を作ったのは間違いなく過去にランさん……有翼種と出会ったことが大きいですから」

 彼女に出会ったことで人生が決まったと言っても過言ではない。俺の家族や友人はよく知っていることだろう。

「そういうことだ。良いことも悪いことも、全ての経験は君の糧になる。大切なのは今後どうするかだ」
「今後どうするか……そうですね」

 ともすれば説教くさくなるような言葉なのに、ハオランさんに言われると不思議なくらいすっと心に入ってくる。その通りだと素直に受け入れることができた。

「ちゃんと自分の行いを振り返って、次から考えなしなことはしないようにします」
「うん、それがいい」

 そんな俺をハオランさんはふわりと表情を緩めて褒めるように頭を撫でてくれる。包み込むようなその柔らかな微笑みと、彼の薄水色の髪が陽の光を浴びてキラキラと輝いて見えて思わず身惚れてしまった。
 どきりと胸が高鳴って、あの日彼女に微笑まれた時と同じような感覚が湧き上がる。そのことに自分で驚いて思わずぐっと胸を押さえた。

「どうした?」
「いえ!何でもないです!」
「そう?熱がまた上がってきたんじゃないか?」

 様子のおかしい俺を心配そうに覗き込むハオランさん。
 寝ろ寝ろとベッドに体を倒されて、下から見上げる形になった彼のさらりと落ちる髪。逆光になったハオランさんの背に広がる大きな翼と相まって、その姿はまるで天の使いのように美しく見えた。

「顔が赤いな」
「本当に、本当に大丈夫ですから……」

 言葉も忘れて見惚れるなんてランさん以来だ。もしかして俺、こういう人がタイプなのかな。性別違うし体型も真逆なんだけど見た目の似ているところが多い。
 いやいや違う違う。多分俺熱が出てるからちょっと変になってるんだ。ハオランさんに彼女の面影を重ねて悲しみを誤魔化そうとしてるのかもしれない。そうだ、そうに違いない。

「俺、ちょっと寝ます」

 寝て熱が落ち着けばこの気持ちも落ち着くはずだ。ハオランさんのおかげで彼女が亡くなったことのショックも少し和らいだから、今なら眠れるだろう。そう思っていると、何故かハオランさんはその大きな手のひらで俺の頬を優しく包み込んできた。

「そのほうがいい。寝てる間に迎えがきたら君の状態は伝えておく」
「あっ、ぅ……ぁりがとうございます。お願いします……」

 榛色の瞳を柔らかく緩ませた彼の手が頬を撫でて離れていく。その仕草と感じる熱にどっどっと心臓が脈打った。やっぱりなんかおかしい。本当に熱が上がってきたのかもしれない。俺はシーツで顔を隠した。
 ふぅ、と頭上でため息を吐く音が聞こえる。

「じゃあ、何かあったら呼ぶんだぞ」

 そう言って出ていく背中をシーツの隙間からちらと覗く。彼女とは全く違う広くて逞しい背中が記憶の中の彼女と重なって、思わず手を伸ばした。

 ああ、またどこかへ行ってしまう。せっかく会えたのに。
 行かないで。そう言いそうになる口を慌てて噤んだ。

 俺ってもしかして、自分が思ってるよりチョロい奴なのかもしれない。
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